祈り

 

 

 

 

祈り

 

祈りとは 無為の為でしかない 何かの為に祈るとは あり得ない

無為でいいのだ こうして生きているだけで 有り難いことだ

 

それがどうだ 何と我が子を殺し 親を殺し 同級生を虐め 毎日の新聞のページを開けるのが億劫だ

いつからこうなったかと言えば 近代日本の歴史そのものが 浅はかだからであるまいか

チョンマゲ姿の時代から 未だ139年しか経っていない 驚くべきことだ 余りにも走り過ぎたツケが

今こうしてやって来ている 侵略戦争がもしなかったとすれば あの戦争は小国のl資源確保の正義があったと言うのか

馬鹿馬鹿しいにも 程がある そんな根拠で憲法改正などして欲しくない 誰よりも あの白洲次郎を尊敬すればこそ

今 どうしてもあらゆる方向に言いたいことだらけだ

 

官僚も 政治家も 教師も そう言う公的な存在の人が率先して 駄目にしようとしている

一般家庭の親だって 全く可笑しい 殆ど自分勝手であり 人のことを思い遣る余裕はまったくない

時代は 完全に閉塞しているのだ 啄木が『我は知るテロリストの心を』と言う一文がある

無論そのような方法を取りえるべきものではないが 一度徹底して ガラガラポンとやったらいいと思う

 

あのスイスが 昔から 国民皆兵制度である 自国を自国で守れないでどうするんだと言う意味だ

又 ご存知ないむきが多いだろうが スイスは大統領制であり 無論各州の持ち回りだが 我が日本もどこか真似をしたらどうか

国民皆兵制度か 徴兵が嫌なら 一定期間ボランティアとか 当然して当たり前だろうと思うが 言い過ぎだろうか

その辺で バイクに乗って 徒党を組んで粋がっているヤクザの予備兵は 皆無となるだろう

平和とは 無料(ただ)では買えないものであろう

 

神代の世界 日本は本当に民主的な国家であった 八百万の神々がいたからであり

たった一人に 一切を掛けて加担するようにはなっていないのである

みなと 同じように 何とか争いが少なくなる手筈を取れないものだろうか

 

路傍の石にも 樹にも 塩にも お湯にだって 幟に御幣に山に 清らかな水に 自然界の何もかもに

神様の存在を肯定して来たではないか 祈りは改まってするものではない ここに そこに 何時でも祈りはある

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