美酒に宵月

                                                             能・猩々乱

 

 

 

 

美酒に宵月

 

 

美酒とは こころよく飲める酒のことである

クリスマスも近いと言う忙しない晩 或る大リーグの選手と共に酒を飲んだ

 

カウンター席僅か十席しかない小さな料理屋だ こんな小さくとも銀座では知らぬものはない

殆ど常連客で 飛び込みで入る店ではない 席がないからである

 

彼とは久し振りに飲んだ 大リーグ初出場の時 彼の初試合はトロントで ブルージェイス戦であった

僕はわざわざハワイ島に寄って 僕の友人の珈琲苑で 取れたてのコーヒーを浅く焙煎してもらい

それを届ける口実もあった アメリカはどこに行っても珈琲は超まずい珈琲で 

さぞや困っているだろうと思ったからだ 案の定困っていた 嬉しそうにしていた 

試合前と言うのに 何も不安気な顔をしていない 珈琲を差し出すと快く「おっ!」と言って受け取ってくれた

未だ不慣れだと言うピンストライブに袖を通した雄姿は 僕から見たらすっかり様になって見えた

 

あれから数年 去年は左手首の骨折をして 殆どの試合を棒に振った

挫折が ただの一度もなかった男の苦悩はいかばかりかと 何度か電話をしたが

その都度 今度出場出来るようになったら それまでの僕より数段上の男になって戻ると宣言していた

然し言葉の端々に 苦悩が見え隠れして 僕は不安に思ったが それ以上何も言えなかった

 

そして復帰後のあの試合 アメリカ一口煩いファンは 皆総立ちし 彼を出迎えてくれた 

軽くヘルメットを取って挨拶をし その日 何と四打数四安打 凄い! 宣言通りの大活躍だった

 

そんな日々のことを思い出しながら 口数も少なく ゆっくりと酒を飲む

隣にいながら 顔を合わせずに飲む 側座話法とでも言うのだろうか

酔いとともに 幸せな気分が満ちて来る 美味しそうに店主自慢の和食を抓む彼

 

そろそろ結婚してもいいんじゃないって 最後別れ際に言った

うふふと薄笑いをしながら タクシー乗り場の方角の夜の街に消えて行った

 

うっかり綺麗どころがいるところにでも行こうよと誘いそうになったが

後ろ姿に 酔っていながらも厳しい勝負師の姿しか見えなかった だから止めた

今年の活躍に期待しよう きっとワールド・シリーズに出られることを願って

 

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