ひいな飾り

 
 
 
 
 
 
 
 
ひいな飾り
 
 
 
 
 
雛人形を飾る時季になった 段飾りは江戸は華やかなりし元禄年間 庶民にまで普及したが それ以前は公家のものであった
 
一般庶民のひいなはどうしていたのだろうか それは明らかだ 和歌山の淡島神社などに散見される通り 流し雛が主流であった
 
和紙で作った雄雛と雌雛の人形(ひとがた)を 米俵の蓋(タラバス)に乗せ それぞれ身体につけてから 穢(け)を祓い流すものであった
 
 
 
主人のご自宅では 生前のお母上様は お婆様の段飾りを使わなかった あれだけの資産がありながら 買おうともせず
 
折り紙で段飾りをご自分で作られ 見事に飾られていた 男子の子供しかいなかったからだろうか 欲しいと言ったことがなかったらしい
 
然しその段飾りは 半端な折り紙ではなく美しく 出来れば紙上に写真を載せたいのが山々だが 今やどこにあるのか定かではない
 
そうして別個に隅田川で 流し雛をしていた 一般庶民の風習をとっても大切にされていたから 息子も民俗を大事にした
 
 
 
どんなひいなでもよいのだ 要するに心が籠っていればの話だ 残念ながら現状は人形屋さんのペースにはまっているのだろうて
 
大分県日田の豆田町に 古びた雛人形の館がある 又山形県西村山郡谷地に鈴木家があって そこでも古いお雛様を公開している
 
享保雛(きょうほびな)と言って 江戸時代京都から運ばれた人形が残っている 日田は江戸幕府の御用林があり 谷地は紅花で栄えた
 
そんな事情から 京都から運ばれたものであったが 周辺では古い習慣の流し雛は圧倒的に多かったはずである
 
 
 
主人のお母上様が懐かしい 楚々として物静かだが 凛とした美しさがあった 
 
有職故実ではないけれど 偶にはそんなひいなもいいものであると 畏くも彼女を思い出しながら かねがね思い続けている
 
女の子の 無事な成長を願い いつでもハレの日があってもいいようにしていた古き佳き伝承が途絶えた今
 
改めて心の重要さを思わずにはいられない どうかせめて我が子を殺すような時代であってはならないと祈りたいものである
 
 
 
  
 
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