ゴッホの絵の教会と隠された秘話

 

 

オヴェール・シュル・オワーズ教会  上が実物の写真で 下が晩年のゴッホの絵 不気味な予感を秘めている

 

 

 

 

ゴッホの絵の教会と隠された秘話 

 

 

 

最晩年オヴェールにいたゴッホは 弟テオとの交信だけで 孤独な生活を送っている そしてそこが最期の地になった

 

アルルはゴッホにとって最高の場所であったが 待ち焦がれていた友人ゴーギャンの到来も間もなく ゴーギャンと激しく言い争い

ゴッホは自らの左耳の下部を切り落とす事件があって 2ヶ月もしないうちに嫌気をさしたゴーギャンはアルルを離れ 二人の仲は破綻した

それからのゴッホはサンレミの精神病院に入って治療するのだが サンレミ時代には一時的に平穏な時代で ここでも多数の絵を残している

その後パリに行き 弟テオの妻ヨハンナ・ボンゲル(通称ヨー)と初めて面会し 経済的支援が少なくなることを異常に懸念しながら

ピサロの紹介で最期の地オヴェールに行く 精神科医ガッシュと逢うためであったが 不安と格闘しながらも 絵筆を捨てなかった

上記写真の教会の絵『オーヴェル・シュル・オワーズ教会』の絵と『カラスの飛ぶ麦畑』などで知られる通り再び発狂しそうな最晩年の絵である

オヴェールに行ってから 2ヵ月後ゴッホは自らの胸部にピストルを撃ち 掛け付けたテオなどから見取られて 38歳の死を迎える 

 

何故こんな話題をするのかと言うと 或る別なブログを昨日ようやく終えた 亡き主人のブログを何時までも続けていることに違和感が抜けなかった

主人は無類の櫻好きだから 花が咲く前に主人を解放してあげたかった それともう一点私たち二人は会長と専属秘書と言う立場であったが

私が書生の時から主人のご自宅で暮らし 殆ど行動も共にして来た間柄で 主従の関係をどこか超えていた 人の予想より遥かにウマが合っていた

絵を描くことが大好きな主人は 私たち二人で欧州に出張に行った時など 必ずと言っていいほどゴッホの軌跡を辿ることが多く大好きだった

主人はゴッホにメロメロで 私はどちらかと言うとゴーギャンが好きで アルル時代の二人とは行かないが よくそんな冗談を言い合ったものだ

 

                           ゴッホの椅子 ゴッホの絵

 

         ゴッホが用意したゴーギャン用の肘掛椅子 ゴッホの絵

 

                 ゴッホ アルル時代の最高傑作『夜のカフェテラス』

 

                           アルル時代のゴッホの向日葵の絵

 

更にもう一つ主人は或る方とメル友をしていた 上の教会の写真はその方が写したものである 本ブログに他にも何枚か使用してる

そろそろ主人が設定した45歳定年に近づいている この制度は全会社員が大賛成であったが その彼女は何故か頑なに反対した

幾ら説明してもついに分かって貰えないと珍しく愚痴をこぼすことがあった 会社員で終わるな 更に新しい人生を生きなさいと

そんな会社は日本中探してもありっこない しかも退職金は通常の会社員が生涯働く退職金の5倍近い 人間は死ぬまで働くべきだと言うのが

彼女の主張の主旨だったらしいが 何もそこで終わらなくてもいい そのまま会社員でいてもいいし 新しい人生も送るべきだと主張した主人

両者の接点はほとんどなく食い違い 何も赤の他人が 人の会社の全社員大賛成の制度を始めるのに 口出しするのは可笑しいし 

無礼千万であると 私は傍からイライラしながら見ていた 主人は相手は年上だけど 精神的には子供だからと言って笑っていた

無論その制度は導入され 今までに倍した働きを全社員がしてくれている 主人が亡くなった時 最も取り乱したのは彼女であった

主人の死があまりにも哀しかったのだろうか 今ではそう理解している そこで彼女のご好意を顕彰するために 

本ブログに彼女が撮った多数の写真を使わせて戴いている次第なのである

 

話を元に戻すが 結局ゴッホは牧師になりたがってもがいた人であった だがあまりの純粋さのせいで牧師には不向きで 画家の道を選び死んだ

                                               カラスの飛び交う麦畑 ゴッホの最期の作品

 

この絵は 狂おしい何かを感じざるを得ない 最晩年の絵を何故主人はそれ程見ようとしなかったのか 今では全く分からない

主人は ミレーの『種蒔く人』を習作した絵や弟テオの子供にプレゼントした『アーモンドの花樹』の絵を限りなく愛してやまなかった

                                       ミレーの種蒔く人の模写 ゴッホの習作と言ってもいい

 

弟テオを通して妻ヨハンナへ そして子供へプレゼントの『アーモンドの花樹』 ゴッホ美術館では特別な作品

 

 人生は思いっ切り皮肉である 兄ゴッホのために経済的にずっと支えて来たテオまでが精神的に来て 兄の死後僅か1年で亡くなっている

妻ヨハンナは最初別な場所に埋葬していたが ヨハンナの素早く最もな判断で 今では愛すべき兄・ゴッホの隣に仲良く眠っている

                                     ゴッホとテオのお墓

 

一方ゴッホに愛想つかしたゴーギャンは 元々船乗りだっただけに南国タヒチに逃れ タヒチ周辺の島々を渡り歩きながら 

畢生の名画『我々はどこから来たのか 我々は何者か そしてどこへ行くのか』と題のついたメッセージ性の高い素晴らしい作品を残している

そしてゴーギャンの最期の作品になったのは 何と2枚の向日葵の絵であった 今タヒチの美術館にあるが それを観ると感涙に堪えない

遠く異国の地から 我が友ゴッホを偲んでいたのだろうか

 

                                     ゴーギャンの最期の作品『向日葵』2点

 

パリで初めてゴッホと知り合ったのも アルルでゴッホが向日葵の花を描いて待っていたのも すべて向日葵が仲介した

ゴーギャンはわざわざ遠いフランス本国から向日葵の種を取り寄せ育ててから 死に向き合って この絵を描きあげている

ゴッホの死後 僅か13年の後ゴーギャンは孤独のうちに タヒチから離れた絶海の孤島で亡くなっている

けれども帰天(カトリックではこう言うそうだ)した二人は 天界で今度こそ仲良く並んで絵でも描いているのだろうか

 

驚くことにゴッホが世に出たのは 弟テオの奥さんであるヨハンナの功績が大きかった 兄弟二人の間に交わされた膨大な手紙を纏め出版し

ゴッホ美術館の基礎を作り ゴッホの評価を高くせしめた 今のゴッホ美術館の館長はゴッホと同姓同名であり これも何かに因果だろう

私と主人は大変に仲がよかった 二卵性双生児とよく馬鹿にされたものだ 残された私は今度はヨハンナの役をする番だろうと思う

いつかきっと主人に逢えることをこころから信じて頑張って 主人の分も生きていかなければならない

ゴッホとゴーギャンの因縁めいた数々の逸話に 有りっ丈の思いを馳せながらである

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