津和野の乙女峠

乙女峠のマリア聖堂

 

 

 

津和野の乙女峠

 

 

そう言えば 津和野の乙女峠にあるマリア聖堂はどうしたでしょうね

主人と二人で訪れた時 大勢の若い女性が来ていて 野外ミサをやっていた

多分五月の連休のことではなかったか 津和野駅の裏手にある大定院と光明院の二つの寺の間から

約100メートルは登っただろうか 登った先の草生す丘に 十字架を抱いた木造建ての小さなカトリック教会があった

聖母マリア様と殉教者三十六名の為 昭和二十六年に 津和野カトリック教会のパウロ・ネーベル神父によって建てられたと聞く

ところがである そこで主人が耳にしたお話を聞き 主人は止め処もなく涙をこぼし 私も思わず貰い泣きをしてしまったあの思い出

お話はこうだ 何とこの殉教者は明治になってからのお話で 長崎の浦上天主堂の信者が 

明治元年から六年に亘って クリスチャン153名を津和野に連れて来られ 改宗を迫る迫害を受けたと言う 

その中の何人か神の慈悲と神の愛を頑なに信じた者達が殉教して果てたと 多くは女性であり農婦であった 明治の時代にである 

欧米列強の各国からクリスチャン迫害を諌められ 弾圧を止めたのだが そんな背景にこうした悲劇が隠されていたのだ

教会の中には 聖母マリア様がいらっしゃっていて 哀しみを織り込んだかのような淡いステンドグラスの陽光が陽炎のように入っていた

 

乙女峠のマリア聖堂内部

 

弥栄さまの鷺舞は疫病でやられた多くの領民の為であり 乙女峠のマリア聖堂で追悼される方々は良き農婦の為であった

どちらとも限りなく善良なる日本人に変わりなく 宗派とか主義には全くの隔たりはないように思えてならない

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