幽玄なる燈籠

マントウロウ

                                                          春日大社 萬燈籠

 

 

幽玄なる燈籠

春日大社・萬燈籠その他

 

 

8月14日、15日 奈良・春日大社にて 萬燈籠がある

境内本殿の3000基の吊り燈籠に 火が燈され 

昔日に燈火のみで営まれていた祖先の生活の一端が垣間見れるようだ

参道のすべての石燈籠にも点燈され 真に幽玄な雰囲気に浸れる 

折りしも本日は終戦記念日で 戦没者慰霊の日でもある

唯一の被爆国として 非核三原則の平和主義的立場を堅持して行くことが大切で 

防衛大臣の「しょうがない」発言はもっての他で 不謹慎の極みである

 

いつだったか何処かのテレビでやっていた或る番組があった 

当時の原爆開発のアメリカ人科学者が広島を訪れ 

被爆者の女性と対面する場面が放映されていた

その時その科学者はアメリカ人として一切謝罪の意思はないと告げる 

悪いのは投下される側の国家の責任だと口にしていた 

おいおい待てよ アインシュタインの苦悩を知っていたのか?

人間としての良心や恥はないんだろうかと大いに疑問を持ち

断じて許せざる発言で 苦々しい思いをして観たものであった

 

こうした幽玄なる燈籠を観るにつけ 平和を熱く祈念したくなるのは当然であろう

 

 この時季になると あちこちでぼんぼり祭や絵灯篭や燈籠会がある 

ご先祖(仏式)或いは祖霊(神式)への供養の一環で 迎え火も送り火も皆そのためにある

一方古くからある春日大社とは別に 奈良市内では8月5日~15日まで一斉に燈籠に火が点き

奈良の新しい季節の風物詩になっている燈花会(とうかえ)という行事が行われている

 

そして16日の送り盆の日には 京都で大文字・五山の送り火があり 

方々で精霊流しが行われ お盆も愈々フィナーレとなる

 

これも送り火になるのだろう 京都・嵯峨野の化野念仏寺では『千燈供養』が この23日~24日に行われる

 

更にお盆とは直接関係はないが 比叡山・延暦寺の『不滅の燈』に観られるように 

信仰と灯火の一体観は 極自然なことではないだろうか

信仰の火とは 罪業の滅却と共に大いなる希望を意味しているのだから

 

 

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幽玄なる燈籠 への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    戦前の京都は高い建物もほとんど無くましてネオンの明りなどは見られず、大文字は市内の何処からでも見えました。一条大宮の我が家の物干し場からもよく見えました。でも、大文字の日は、名和長年公園の横のクリーニング屋の広い物干し場へ、町内の人達が集まって見物するのが恒例でした。遮る物の無いその物干し台からは、五山の送り火が全て見えたのでした。
    しかし、大文字は昭和18年(1943年)から3年間は中止になりました。空襲に備えた「灯火管制」が厳しくなったことと、大文字の火床を守る男性達が戦地に赴き、人手が足りなくなったのが原因です。昭和18年は私が幼稚園へ入園した年です。その年の16日午前7時から「白い大文字」が見られました。国民学校の児童と一般市民の800人が協力して、白いシャツを着て人文字の「大」を描いたのです。戦意高揚と鎮魂の意味もありました。「英霊を送る」と称え、全てが戦争へと傾斜して行った時代でした。
    「毎年七月十六日の夕暮大文字の送り火は銀閣寺の後山如意が嶽に有。むかし此處に浄土寺といふ天臺の伽藍あり、本尊阿彌陀佛は一とせ回録の時この峰に飛去り光明を放ち給ふ。これを慕ふて本尊を元の地へ安置し夫より盂蘭盆會に光明のかたちをつくり火をともしけり。其後弘法大師大文字に改め給ふ。星霜累りて文字の跡も壓(うづもれ)しかば東山殿相國寺の横川和尚に命ぜられ元の如く作らしめ給ふ。大の字初劃の一點長さ九十二問ありといふ。冬の日の旦も此の文字跡に雪つもりて洛陽のながめとなれるを雪の大文字とぞいひ侍る。」(都名所圖會)。雪の大文字は素晴らしい眺めです。(文章にある七月はもちろん旧暦です)。
    やがて敗戦になり、昭和21年(1964年)に大文字は復活しました。そして、この「白い大文字」は平成6年に映画「浮島丸」(堀川弘道監督)の1シーンの撮影で再現されたことがあります。半世紀前に「白い大文字」を体験した女性達も参加し、〝平和への祈りと共に今日まで元気でいられたことに感謝〟を込めて、今も絶えることのない戦火の鎮静を送り火に祈念しました。櫻山計画のその暁にあっては、桜の花に託した「緋色の大文字」の実現を硯水亭Ⅱさんに是非。「五筋にやみを截ちつつ大空に火の大文字浮き上がりたり」尾上柴舟。 

  2. 文殊 より:

                    道草先生
     
     昔日の京都の送り火は見事なものだったことでしょうね。今は高層ビルが立ち並び、平地ではなかなか五山全部を拝見することは出来ません。壮大なスケールの送り火に京都人の心意気を感じるのです。起源もあれこれ調べて見ますと、弘法大師説から、足利義政説まで、時代もそれぞれに違っていて、興味津々となるのですが、例年盂蘭盆会の精霊送りとして壮大なショーを楽しませてくれます。道草先生のご幼少の頃は物干し台の上からでも全部が見渡せ、羨ましく思います。
     
     先ず松ヶ崎が「妙法」の火形に点火、続いて如意ヶ岳が「大文字」、西賀茂明見山が「船形」、大北山の大文字山に「左大文字」、嵯峨曼荼羅山が「鳥居形」と点火され、約40分ぐらいでしょうか。うっとりとして観ています。今は鴨川の辺か、三条の京都ホテルの屋上か、まぁそんなところでしょうが、高層化した元凶で観るのですから、何処か気が引けます。先生のお書き戴いた御文にありますように、山麓の浄土寺が火災にあって、ご本尊さまの阿弥陀如来さまがご昇天遊ばされたとか、その故事に注目された弘法大師・空海が、山腹に人体を表わす「大」の文字形に護摩壇を築いて行を修したとか、将軍足利義政が実子の義尚の死を悼み、山腹に「大」の字を写し取らせたとか、伝説は諸説あって分かりませんが、いずれにせよ現在の形になったのは近世初期ではなかったでしょうか。本来はお盆の迎え火と送り火に関係があり、この夜、大文字の火を盃の中のお水かお酒に投影して飲むと中風にかからないとか、蕎麦を食べると疫病除けのマジナイになると伝えられ、京都のよそ者から観ると、何とも羨ましいお祭りですね。
     
     それにしても先生から初めて伺いましたです。白い大文字とは。昭和18年とは戦争が敗走始めた時ですね。戦意高揚とは口実でしょう。戦地で亡くなった多くの同胞に対する鎮魂の意味が大きかったのではないでしょうか。これこそ京都人の心意気そのものですね。すっかり感動致しました。何はなくてもきちんと伝承を伝えて行こうとすることに深く深く敬意を表したいと存じます。櫻山計画も壮大な計画です。何世代か引き継ぎながら行かないと完成しないでしょう。更に個人的な趣味的な発想ではいけません。日本人の心の故郷を創る意気込みがあります。蔵王権現さまもコノハナサクヤヒメやコノハナチルヒメも、大師堂も、又クリスチャン弾圧で殉教なさった日本人の御魂も、皆一緒にやろうということですから、私がそれに専従する日を心待ちにしております。今まで交渉して来た種々の交渉事を完全に整理する必要があって、現在その作業中ですが、是非その後先生からのご情報をもとに掛かりたいと決意しているところです。こういう交渉事は二股を掛けるべきではなく、交渉成立の後の後まで考えながら慎重に行動して参りたいと考えております。今日もご貴重なお話をたくさんして下さり、本当に有難う御座いました。
     

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