白露

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                                                  収穫間近な都心の栗

 

 

            白露

 

 

 本日は二十四節気の中の『白露(はくろ)』である。太陽が黄経270度を冬至といい、次の冬至までの黄経一年を12等分して、それを中気と呼び、更に中気を2等分したのを節気と呼んでいる。12の中気と12の節気を合わせて、二十四節気であり、古来より季節を知るのに重宝な目安となっている。7月中気の処暑と8月中気の秋分の間の8月の節気を『白露』と呼ばれている。冬至は日当たりが最も少なく、夏至は最も長い日当たりとなり、春分と秋分では太陽の日の長さはほぼ等しい長さである。暑さ寒さも彼岸までとなり、白露を境にやや涼しくなって、露が出て来るものの、残暑がきつい日も多く、夏の名残を感じられる日も多かろう。

 台風一過、大騒ぎした割にはインフラの整備が進んでいる所為もあって、たいしたことがなかったと言えばご被害を受けられた方々に申し訳ないが、今朝は秋らしい爽やかな風で、風に誘われて散歩に出掛けた。私の住んでいる場所は御殿山といって、昔江戸を作った太田道灌が住んでいたお屋敷があったという。だからそんな名前がついたのだろうか。近年新幹線の停車駅になって、巨大なビルが幾つも出来た。水族館もある始末である。住宅内の路地から路地へ。美しく着飾ったような花で埋め尽くされたお屋敷もあったり、人の気配が全く感じられないお宅があったりで様々だ。花は今時少ないのか。それでもノウゼンカヅラの紅い花が零れていたり、路辺に露草が群落していたり、月見草が根性大根のように、電柱の根元から伸び、その電柱にしがみつくように生えていたり、茫洋とした花オクラなどが目立った。空き地の中ほどに彼岸花も見えた。だが満開にはまだ程遠く、ワラビのように幼茎だけがツンと立っていた。現代の白露とはそんな季節である。随分歩いた。シャポーの下から、ひっきりなしに汗が滴り落ちて来る。ふと気づくと、何と南ゼームス坂付近まで来ていた。近代日本の海軍開設に甚大な力を貸してくれたM・ゼームスさんが、大の日本贔屓で、ここで明治41年に70年の生涯を終えている。彼は生前私費を投じて坂をなるべく平坦にしようと道路を直したり、病院を作ったりした。人々は彼に敬慕の念を抱き、その坂をゼームス坂と呼び、坂下にある病院を品川・南ゼームス坂病院と呼んだ。最晩年の高村智恵子が入院し、この病院において数千点の切り絵を遺したり、入院中52歳の時亜粒性肺結核で亡くなっていることでも有名だ。病院の跡地には分譲マンションが建ち、今はその片隅に『レモン哀歌』の詩碑が清楚に建っているだけで、往事の面影は全くない。

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                                         彼岸花未だき ツンとしてすましていた

 非情な白露である。まるで真夏のような暑さじゃないかとブツブツ言いながら、朝6時からの散歩。2時間ほっつき歩いた帰り道、都心の真ん中に、邸内に栗の樹が数本あるお宅があるのを発見。回りの樹木からすると相当古いお宅で、他の樹木も鬱蒼と繁っている。そう言えばこの品川付近は東京大空襲では、空襲されずにポツンと取り残された区域であり、様々な人を助けている。金子みすヾの実弟も住んでいた。勝手に自殺して果てた母親を嫌悪する女性が、金子みすヾの一人娘ふぅちゃんだった。 都心で勤務していたふぅちゃんは、焼け残った叔父さんの家を尋ねて助かっている。男運というのはついていない人は飽くまでもついていないらしく、ふぅちゃんだって、結局金子みすヾと全く同じ運命を辿り、一人娘と生きて来られた。母子三代に亘る男運の悪さであった。或る評論家の御蔭で、金子みすヾが世に出、娘に遺した最後の詩篇をも出版し、今ふぅちゃんは母親の三倍以上も生き永らえながら、漸く母子の仲が氷解したらしい。三月の未だ寒い日の夜、何故毎年祖母と櫻餅を食べるのか、ふぅちゃんは全く知らなかったという。みすヾが死の直前の夜、風呂上りの2歳になったふぅちゃんと一緒に食べた最期のお菓子が櫻餅だったのだ。ふぅちゃんは、それも随分後から知ったらしい。

 もう汗が滴り落ちて、漸く自宅に到着し、ザブンと冷たいままのお風呂へ。徐々に温度を上げて行く。再び汗が・・・・。風呂から上がって、夕べ作って食べなかったお粥に、餡をササッと作って粥に掛け、梅干とラッキョウ漬をおかずに若狭粥にして食べていると、妻から電話。明日一日帰って来るという。大丈夫なのかいと何度も繰り返して聞き返すと、「私は妻だから、少しの時間があったら、貴方の傍にいたい」と。普段無口な妻があんなにハイテンションで盛り上がった八尾の思い出が蘇ったのだろうか。結構テンションがあった。いずれにせよ、何か美味しいものでも作っておいてやれ!

 

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白露 への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    自然の流れは流石に白露の頃、朝の散歩コースから蝉の鳴き声がすっかり消えました。ところが、昨日は編集委員会で丹波路の母校へ出向きましたら、山道を行く頭上からはミンミン蝉の声が姦しく降り注いでいました。その昔に通いなれた峠道は炎暑の中。山腹の栗の毬は青く垂れ、何処かの庭先で白色と桃色の芙蓉の花が真っ盛りのまだまだ夏は去り遣らずの暑い一日でした。
    妻だからいつも貴方の傍に居たいと、今一度云われてみたいものです。せめて、妻だけどいつも貴方から離れて居たい、と云われないように気を付けなくてはなりませぬ。
     
     
    「自然の武器」   佐藤惣之助枝の靑き栗を枝より捩(も)がんとすれば荊の毬は枝の上に溌剌と揺れこれは又荊の毬のほとりに、毬とならむで靑碧の蟷螂。折からの露滴に荊と斧日はらんらん清緻な、清緻なうつくしや、向きあひ、差しあひ靑鋭として針と薙刀、自然の武器が二つ枝と葉にからまるさやけき風にやあ、更々烱々(きらきら)とした。 

  2. 文殊 より:

          道草先生
     
     まだまだ真夏の翳がそこここに御座いますね。ましてや京都では如何に丹波篠山とは言え、暑い盛りの真っ只中でありましょう。お疲れ様でした。蒸し暑さも台風一過から尚更しんどくなったような感じが致しますねぇ。 但しあんなに増殖して嫌だったクマゼミも今や何処へやらと言ったところでしょうか。盛んに鈴虫などの秋の音色が聞こえて参ります。徐々に、本当に徐々に秋がしのびよっているのでしょうね。
     
     あはははは、私んちだって近いうちにそうなりたいです。お互いがお互いを邪魔しない鉄則だけは私達の鉄則です。世話のやける妻であり亭主の方が仲がよろしいのではないでしょうか。御蔭様で新婚一ヶ月を過ぎました。あっと言う間です。妻は相変わらず勉強一筋の道を歩いています。
     
     佐藤惣之助さんの詩はさっぱりしていて、磊落で、清潔でいい詩ですねぇ。いつもたくさんの詩を有難う御座います。心から御礼を申し上げます!
     

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