観月考

満月

 

 

         観月考

 

 

 

 今日はお彼岸のお中日で、東京も漸く秋らしい涼しさになっている。お彼岸が明けたら、直ぐに中秋の名月だから、少々早めに書いておきたいことがある。今年九月、中秋の名月は九月二十五日(旧暦八月十五日)になっているが、満月はその二日後の二十七日である。ということは、中秋の名月は満月ではないのかと多くの疑問や様々な混乱が見られるようで、そこで冷静に歴史的事実を見据え、その混乱を整理したいのが本稿の目的にしようと思う。
 
 
   【十五夜】

 松尾芭蕉の句に「名月や池をめぐりて夜もすがら」というのがある。池に映った満月の美しさに心を奪われて、ひと晩中池の廻りを徘徊し歩いたのであろうか。然しこの月は単なる満月ではなく、名月だということに重みがある。芭蕉の弟子の一人、森川許六は「名月は八月十五日一夜なり。明月は四季に通ず」とはっきりと書き残しているように、他の満月は「明月」であって、「名月」と書けば旧暦八月十五日夜の満月(?)限りであり、かけがいのないたった一夜の月だから、「名月」の重みも違うというものであろう。

 
 中国では古来秋の期間の九十日の真ん中という意味で「中秋=仲秋」といい、中秋節を行って来た。今でも正月に次いで重要なご家族団欒の行事になっているようである。それが日本に伝えられたのは平安時代で、醍醐天皇の延喜九年(909)八月十五日に初めてその行事が行われた。「月影秋池に浮ぶの詩を賦せしむ」(『日本紀略』)とあるように、中国にならって初めて「名月」と規定した夜に、詩歌管弦を伴う月見の宴を行ったのである。秋の季節の真ん中の日というにふさわしく、秋空は澄み渡り、適度な涼風もあって、中空に浮かぶ満月はことさらに美しく、月を賞美する短歌が多く歌われるようになったし、いわゆる「名所の月」に憧れて、須磨・明石はもとより、淡路島に渡ったり、或いは遠く和歌山の和歌の浦や吹上浜にまで出向いた大宮人もあったという。
 
 然しこの名月の宴が中国から伝えられる平安時代以前から、我が国にはこの夜の満月をお迎えする習慣・習俗があったようだ。中国から暦が伝えられる以前の、農耕民族としての我が国の農民の生活設計の目安であった「こよみ」は、月々の満月の晩を基準にして考えるものであったから、この日を初穂祭として、秋の収穫を祝い、下って江戸時代にはこの夜の月を「芋名月」というようになった。芋の収穫時期になり、芋・団子・枝豆・ススキの穂を副えて満月を迎えたことによる。お供えするものは地方地方によって若干異なるけれども、月見団子とススキの穂をお供えするというのが一般的であろう。
 
 
 
   【十五夜以前】

 十五夜の名月鑑賞が盛んになって来ると、その夜を待ちかねる心が嵩じて来る。又満月ではない形からも美を見て取る心が生じて来る。「春は花 秋は月」というのが代表的な景観とされていることもあって、秋になると急速に月への関心が高まって来る。

 
 位置的に見れば、月が太陽の反対側つまり太陽・地球・月の順序になった時には、地球から見た月は満月となる。然し月が太陽と地球の間に来た時、つまり太陽・月・地球の順序になった時には、月が、太陽の光を隠すかたちになって地球から月は見えない。この二つの間の期間は、満月になりつつある期間と、満月が次第に細くなって行きついには見えなくなる期間とがあって、その時々で三日月、弦月、半月などという形の月になり、それぞれがそれぞれの人々を楽しませてくれる。
 
 先ず旧暦七月十五日は盂蘭盆会(うらぼんえ)にあたるので、「盆の月」といい、秋(暦上で)になって最初に見る満月である。但しまだすっきりとした秋空にはなっていない。「初月」とは八月に入ったばかりの月で、何日という限定はない。「二日月」とは文字通り八月二日の月で、日没後、地平線すれすれにか細く見えるのが4,50分で、それで直ぐに消えてしまう。従って「繊月(せんげつ)」と言われている。「三日月(みかづき)」とは八月三日の夕空にほっそりと眉の形に輝き出てやがて沈んでしまう月だが、二日、四日頃のも含めて、眉の形の月のことを総称していう場合が多い。又二日から、七日八日頃までの上弦の月が出ている夜を「夕月夜(ゆうづきよ)と呼ぶ。古風な言い方をすれば「ゆうづくよ」となる。はんなりとした感じの味わいのある言葉である。名月の前夜八月十四日の月を「待宵(まつよい)」という。名月といっても翌晩が必ず晴れるとは限らず、名月を待つ月であるが、待宵の月を眺めて置くという習慣も出来ていた。
 
 
 
    【十五夜以降】
 
  十五夜のことを月の良い夜という意味で「良夜(りょうや)」ともいう。せっかくの十五夜なのに、曇ってしまって月が見えない。見えない月だけれども空には明るさが感じられる。これを「無月(むげつ)」といい、雨が降ってしまうと「雨月(うげつ)」となる。雨であっても、何処からか薄明るさを感じるのは満月だからである。そして十五夜の翌晩は「十六夜(いざよい)」である。時間的に十五夜の月が出るよりやや時間が遅くなるので、「いざよう=ためらう」の意を込めている。その翌晩、十七夜の月が「立待月(たちまちづき)」、十八夜の月が「居待月(いまちづき)」、十九夜の月は「臥待月(ふしまちづき)」、二十日の月は「更待月(さらまちづき)」という。名月(十五夜)から日が経つにつれ、次第に月の出が遅くなるので、毎夜このような命名をしたのである。更に二十三日の月夜は「真夜中の月」といい、人々は寝静まって、もう見る人がいないという意が込められている。中秋の名月への思いが断ち難く、後々まで鑑賞の余地を残したというのが如何にも日本人らしい考え方である。
 
 
    【十三夜】
 
 十三夜とは旧暦九月十三夜の月見をいう。季題では、十五夜の「名月」に対して「後の月」「名残の月」などというが、日本古来の月祭りはこの十三夜であった。中国大陸から十五夜の月見の行事が伝えられて、中国式に宮中の公式行事になったために、十三夜の方が軽んじられる傾向があった。然し十五夜制定の十年後、延喜十九年(919)、朝廷は「九月十三夜をもって名月の夜となす」の断を下した。こうして世界に類例のない二度の月見が宮中で行われるようになったのである。尚平安時代の初めに、十五夜は先帝の命日にあたったため、月見を翌月の十三夜にまで延期したのが、二度の月見の起こりという説もある。いずれにせよ、幾ら宮中といえども、日本古来の祭りであった十三夜を見逃すわけにはいかなかったのであろう。
 
 十三夜は、十五夜のような完璧な満月ではなく、多少の欠けは見られるが、時期的に晩秋なので、多少肌に沁みる寒さもあって、「月はくまなきをのみ賞するものかは」(『徒然草』)とあるように、この方が日本人らしいという向きも多い。十五夜を「芋名月」というのに対し、十三夜は、ススキ・豆・栗・団子などを供えるのは大差ないが、枝豆を主にして「豆名月」といったり、栗を主にして「栗名月」などと呼ばれている。又「片月見をするものではない」といって、十五夜と十三夜と二度の月見をするものだとされていた。
 
 
    【日本人と月見】
 
 元来、花鳥風月は日本人の心に切っても切れないものとして多くの短歌や俳句に歌われて来たが、「春は花 秋は月」というように、それは日本人の季節感と切っても切れない思いがあったからだ。「月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」という歌がある。それだけに旧暦八月十五夜ないし旧暦九月十三夜の月は日本人の生活に親しいのである。凡そ日本人ほど自然に親しみ、国民全体が詩人的であるかのような国は世界中探してもそうはあるまいと思われる。
 
 茶会にも「月見」というのがあって、それはお茶道具をそろえるというよりも、月見がよく出来る場所を選んで行われる、言わば月見の宴である。せめて茶会とはいかないまでも、縁側にススキや萩や女郎花といった秋の草花を入れておき、お供えに団子や果物や野菜を乗せて、お月見を楽しむ風習が戦前には都会でも各家ごとに行われていたものだった。
 
 
 
     【付記】
 
 今年の旧暦八月十五日は、九月二十五日であるが、二十日が上弦の月であるから、満月は二十七日である。旧暦は閏年の考え方が少ないので、旧暦の八月十五日が満月とは限らないのである。旧暦八月十五日の満月は年によって多少のズレを生じる。今年の中秋の名月は十三夜にあたるわけだが、月の満ち欠けからしたら、そう大問題にすべきではないかも知れない。中秋の名月とは旧暦の八月十五日という決め事のようなものだから、それはそれでよいのではなかろうか。但し本論考による「十三夜」とは一線を画すことはいうまでもない。従って十三夜を無理矢理に満月にするのも変なことであろう。因みに旧暦九月十五日は十月二十五日で、翌晩が満月であり、いわゆる十三夜は十月二十三日となる。中秋の名月に拘る場合は、今月二十五日にし、翌々日の満月に拘る場合には二十七日にし、それぞれ別途のお月見をしてもよいではないかと思われる。現在世間でよくある混乱は旧暦に依存するか、月の満ち欠けに依存するかによって起こり得るの差のことであろう。
 
 
             http://yamatoji.pref.nara.jp/topics/chusyu/  主に大和の寺々で行われる仲秋の名月・観月会(無論他にも多数あり)
 
 
 
 
        【月の新話題】
 
 私が○歳の時だったという。1969年7月20日午後9時56分15秒に、当時のアポロ11号が人類最初の月面着陸を果たし、人間の歴史的第一歩が月面に記された。アームストロング船長とオルドリン飛行士が約2時間半月面に滞在し、月面の石などを採取して帰途に着いた。それから実に39年後、今度は日本の民間会社が、月周回衛星H-ⅡAロケット13号機「かぐや(SELENE)」を、2007年9月14日午前10時31分1秒に打ち上げ、その45分34秒後に「かぐや」単体がLift Offし、月の周回に向かった記憶はまだ新しいだろうと思う。周回しながら、月面の物質調査などを行うという。これも浪漫であろう。新しい月の伝説の始まりである。科学万能の新世界のお話はそれはそれである。普遍的に観て来た月の表の顔もそうだが、肉眼で見た事がない月面の裏側も見れるという。ただ驚くばかりだが、日本人の美的センスとしての月への思いもまた普遍的であろう。
 
      http://www.jaxa.jp/countdown/f13/index_j.html JAXA デジタルアーカイブスをクリックすると打ち上げ時の感動的映像が見られる
 
 

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観月考 への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    今夜二十五日は中秋の名月。 ただ、満月は二日後とのこと。これは満月が必ずしも名月に非ず、との喩えなのでしょうか。いずれにしても然程の違いは無くて、どちらの月を愛でるのも人それぞれ。そして、月見酒の美味さに変わりはなさそうです。異国の地で二人で眺める名月や如何に。

    「逸題」  井伏鱒ニ
     
    けふは仲秋名月
    初恋を偲ぶ夜
    われら万障くりあはせ
    よしの屋で独り酒をのむ
     
    春さん 蛸のぶつ切れをくれえ
    それも塩でくれえ
    酒はあついのがよい
    それから枝豆を一皿
     
    ああ 蛸のぶつ切れは臍みたいだ
    われら先ず腰かけに座りなおし
    静かに酒をつぐ
    枝豆から湯気が立つ
     
    けふは仲秋名月
    初恋を偲ぶ夜
    われら万障くりあはせ
    よしの屋で独り酒をのむ

  2. 文殊 より:

           道草先生
     
     出張前にコメントを頂戴していたのですね。出張直前は何かと煩雑な忙しさが多く、大変失礼を致しました。
     
     どうなんでしょうか。無論朝廷からのお触れもあったようで、満月より十三夜は歌の世界でも多く好まれたことは分かっております。まして今年は十三夜が仲秋の名月になりますから。そこがやや複雑にしている部分で、暦の研究をされている方々でも、まだ初心の方は陥り易い間違いになっています。仲秋の名月とは、旧暦の暦上でのことですから、年によっては満月ではありません。一方満月を名月とされる方々は、必ずしも仲秋の言葉の綾に翻弄されません。どちらが本当かといえば、当然暦上での仲秋を取るしか歴史的にはないのです。暦上での満月か十三夜か多少のズレがありまして、そこが問題を複雑にしています。但し暦上での月の満ち欠けは、大幅なズレはないのが普通です。一年を360日、一季節を90日と定められている旧暦では、閏年がありませんので、当然ずれて来る話です。でも旧暦でも調整を行いますから、極端なズレには繋がらないのでしょう。従って旧暦による二十四季の節供もそんなにズレが出て来ないと思われます。仲秋は満月でない場合でも、朔の日とか三日月などありえないのです。ですから満月ではないにしても、それはそれで仲秋でいいのでしょう。尚十月の「名残の月」の場合、明らかに十三夜を賞賛されることが多く、そこだけは仲秋とは大きく違うようです。
     
     井伏鱒二の「晩題」という詩は実にいい詩ですねぇ。感心して何度も何度も読んでしまいました。有難う御座いました。
     

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