『エディット・ピアフ 愛の讃歌』を観て

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                    『エディット・ピアフ 愛の讃歌』を観て

 

 

 この映画は日本では先月封切になったばかりであるが、実はフランス本国では今年の2月に封切になっていた。妻とエールフランスに乗り込んで、無論翻訳のテロップは出ないものの機内で既に観せて戴いていた。睡眠導入剤で眠り込んでいた妻は観ていないが、先日パーティの次の日がオフで栗御飯を造った日に、六本木まで出掛けて行き、こっしょりと観て来たのだった。久し振りに大変に感動した佳い作品で、観応えが充分にあったと言えよう。以下ピアフの略歴を書きながら、映画と同様に過去形と現在形がフラッシュ・バックしながら進行して行くので、多少長くなるが、御読み戴ければ幸甚であり、最後に鑑賞の壷のようなことを書いて終わりたい。

 

     【エディットピアフの生涯】

 1915年12月19日、エディット・ジョバンナ・ガション(後のピアフ)がパリのベルヴィル地区ベルヴィル通り72番地前の路上で産み落とされた。母大道芸人の歌手、父も大道芸人。父は第一次世界大戦の戦争でいなかったから最初から大変な貧乏で、歌手を目指していた母アネッタは路上で日銭を稼ぐ日々。父が戦地から帰って来た3歳の時母からむしりはがされるようにして、ベルネにある父方の祖母ルイーズの営む娼館に移り住む。べルネの娼館ではティティーヌのような多くの優しさに溢れた娼婦に可愛がられたが、或る日突然に視力を失う。聖テレーズにお祈りする毎日。処が未だ眼の病が癒えていないうちに父が迎えに来て、父と大道に立つ羽目に。盲目になってから3年目リジューに巡礼した折、聖テレーズのクロスを握り締めながら強くお祈りしたら、突然眼が見えるようになる。このことがあってから、生涯聖テレーズへの信仰は欠かしたことはなかった。この後伝説になっている父との巡業の際、歌えと促されて初めて歌った歌は国歌「ラ・マルセイエーズ」!万来の拍手であった。彼女が歌う時いつも実入りがいい父の稼ぎであったが、彼女が15歳になって父と独立。パリの路上で歌うようになる。翌年これは映画には晩年の回想場面にしか出て来ないが、16歳でルイ・デュポンと恋に陥り娘マルセルを出産、その2年後にマルセル死亡し悲嘆の念に暮れたこともあったが、持ち前の明るさで再び路上に立つ歌姫となっていった。20歳の時トロワイヨン通りで友人と歌っているところを、ルイ・ルプレに見出される。ルプレは自らキャバレークラブのオーナーで歌手を育てる実業家であった。「もし自分の人生を変えたかったなら」と名詞を置いて行く。早速ルプレを尋ね、彼によって芸名を「ラ・モーム・ピアフ(雀)」と改めさせられ、彼のキャバレークラブ(ジェルニーズ)で歌い始める。翌年「異国の人」「情婦たちの歌」でレコードデビューするが、同年間もなくルプレが殺害され、ピアフ自身も殺人容疑者になる。しかし容疑不十分で釈放される。翌年「私の兵隊さん」のレコード発売。大ヒットとなる。同年ABCに初出演し大成功を収める。翌年1938年にボビノ座に真打スターとして出演。映画「ラ・ギャルソン」でスクリーンデビューする。更に翌年1939年にジャン・コクトーと知己になり、生涯唯一無二の親友となる。1940年ジャン・コクトーが書き下ろした「冷たい美男子」をブッフ・パリジャン劇場で3ヶ月に及ぶロングランを敢行。同年「アコーデオン弾き」をレコード化しベストセラーを記録する。1944年父ルイ・ガションが死亡。同年あの有名な「ムーランルージュ」に出演し、イヴ・モンタンを見出す。恋仲になり楽曲も提供するが、力のある男は私の元から去って行っていいのよと。更に1946年シャルル・アズナブールとピエール・ロッシュを見出し、地方巡業に同行。同年「シャンソンの友」を見出し「谷間に三つの鐘が鳴る」「ナントの囚人」などを録音。更に最大のヒット曲「薔薇色の人生」を録音し、フランスで最も有名な歌手となって行った。1947年アメリカ公演。マリーネ・デートリッヒと出逢い、生涯に亘る友情を得る。同じくしてボクサー、マルセル・セルダンと知り合い、生涯最大の恋に発展。翌年1948年にマルセル・セルダンは世界ミドル級のチャンピオンとなる。翌1949年ニューヨークから掛けたピアフの電話で、船ではなく飛行機で、早く早く逢いたいと直裁な心情を伝えたために、セルダンは飛行機に搭乗し、運悪くその飛行機が墜落事故を起こしてしまい、セルダンは帰らぬ人に。絶望の淵に立たされるピアフ。この事故の前後に書き上げたのが「愛の讃歌」であった。余程セルダンに聞かせたかったのだろうか。翌1950年パリのプレイエル音楽堂でリサイタルで初めて「愛の讃歌」を熱唱。同年それを録音す。又同年「パリの騎士」を録音し、この曲で1951年度ACC大賞を受賞。翌年自動車事故に遭い、腕と肋骨の骨を折る大事故。この頃から麻薬に溺れ始める。でも「パダンパダン」で、映画画面いっぱいに歌い上げ、何と言う感動だったろうか。それからしばらくニューヨークのカーネギーホールでの公演が続き、アメリカ行きは前後七回にも及んでいる。その間3度も自動車事故に遭って、ドラッグ漬になり、次第にボロボロになって行く。その間発表された楽曲は「群集」「私の回転木馬」。1959年自伝「チャンスの舞踏会」を出版する。更に「ミロール」や私が最も好きな曲「水に流して」。自分でも創るが、創り手が出現し、それを素直に自分の歌として歌うことも多かった.。1962年テオ・サラボと知り合いに。同年映画「史上最大の作戦」出演のサラボとエッフェル塔から歌う。テオ・サラボと二度目の結婚。サラボと歌うボビノ座の公演。最晩年も聖テレーズのクロスがなかったら、決して歌うことはなかった。そして遂に最期の個人公演であるリール市にあるオペラ座に出演し、万来の拍手を受けつつ最期の舞台となる。1963年4月ボロボロなピアフは自宅にて「ベルリンの男」を録音し、同年10月11日プロヴァンスの田舎街リヴィエラにて、47年の短い生涯の幕を閉じる。その夜のうちにパリに遺体が運ばれ、第二次大戦後初めてパリの交通が完全にストップし、後を追うようにジャン・コクトーが死去。同年11月14日にはパリのペール・ラシェーズに埋葬された。路傍に生れ落ちてから、波乱万丈の歌一筋の人生であった。

愛の賛歌

 

           【この映画の鑑賞ポイント】

 波乱に満ちたピアフの生涯はこれまで映画になることはなかった。フランス国民にとってはまだまだ生々しいのであろうか。パリ郊外ヴァンサンヌにお住まいのMiyokoさん(http://france94.spaces.live.com/ 街角から・・・MiyokoさんのBlog)からの証言だとまだまだピアフの歌は流され続けていると言う。ジャンレノ主演の「クリムゾン・リバー」などを撮った映画監督オリヴィエ・ダアンが脚本を書き下ろし、日本人撮影監督テツオ・ナガタなど多数の協力者を得て、遂にピアフの映画が完成した。この日本人映像作家の美しさとピアフ自身が歌う数多くの楽曲の音響効果の素晴らしさ。その上最も大切なことだが、たった22歳の美しいマリオン・コティヤール(映画TAXYに出演)と言う稀有の女優が、この映画に主役として参加したことだったろう。20歳から47歳までのピアフを演じ切り、その演技力の凄さは半端ではなかった。ドラッグ漬になり酒浸りの晩年のピアフを、見事なメーキャップで見事に演じたのだ。晩年の80歳を越えようかと思うほどのボロボロのピアフのメークは首筋にまで達し凄かったが、当時流行だった細くて丸い眉毛(本物は毛深かったようだが、本人も生涯このメーク法をしていた)にして、時代考証も確かで、リアリティに溢れていた。特にフランス女性の素敵な部分コケティッシュな女性(当Blogにお越しの早川さんのBlog/カフェと本なしでは一日もいられない/の中で2007・9・28日発表の〝ああ、まったくこれだからフランス女は侮れない  『フランス女』より http://blog.livedoor.jp/kyoto_cafe/archives/2007-09.html#20070928 に出て来るコケティッシュなフランス女性)を、モノの見事に演じている。歌う場面では相当に苦労したようだが、音楽はピアフ自身の歌で、マリオン・コティヤールはピアフ自身に成り切ってクチパクで演じた。それはそれは見事な演技であり、アカデミー賞での受賞の呼び声も高い。ルイ・ルプレ役にフランスの誇る名優ジェラール・ドパルデューまで出ていたから驚きだった。初めに書いたのはピアフの略歴だが、今回の映画では随分端折られていたように思う。恋はボクサーのマルセル・セルダンにだけ特出されて描かれていて、極力省けるものは省いたのであろうし、ここに書いた略歴の多くの出来事は映画には出て来ないが、波乱万丈のピアフの人生を何かサラリとして表現されていて、とても好感が持てた。一見バタ臭いストーリーに陥り易いピアフの人生を、さらっと実に完全に描き切ったのである。

 シャンソンと言う一つの分野に、日本では頑なに分類しているが、それは間違いであろう。フランス国民にとっては日本で言うなら歌謡曲のような歌であり、多くの大衆から愛され続けている。彼女の名曲は、越路吹雪に始まり、美空ひばり、加藤登紀子、美輪明宏、中島みゆき、桑田佳祐、椎名林檎、SOPHIAなど、世代やジャンルを超えて歌い継がれている。何も後悔しないわと歌った「水に流して」はほぼ最期の楽曲だが、私が最も愛する歌であることも書いておきたい。更に言うならば、この映画はピアフの歌そのものがテーマになっていたように思う。それと愛と苦悩もテーマになっていた。その重奏のテーマは我々の胸を強かに打ち、エディット・ピアフは私達の櫻忌(夭折された方々の供養)に入っているが、2015年もう直ぐピアフ生誕100年である。アメリカに度重ねて公演を強行していたが、アメリカはあわなかったのではないかとか、ドラッグがいけなかったのではないかとか、様々に早死にの原因を後付で考えられるが無理難題とすることにしよう。それでも100歳になったピアフを夢想して過ぎることはないし、100歳になったピアフが歌う聖テレーズの歌を夢想して憚らないのである。 

 数限りなくと言うか、惜しみなくこの映画に出て来るピアフの歌声は、失意に打ちひしがれても尚燃え続けるピアフの生命力と歌うことへの熱情以外に何もない。ヨレヨレでボロボロになったピアフでも、劇場のカーテンが上がったら、信じられないくらいの音量で朗々と歌い出し、こちら側で聞いている我々はドドッと出る涙を禁じえなくなる。特に最大音量で歌う「パダンパダン」の歌には驚きに満ちるものであった。ピアフの歌を聞きに行くだけで充分に鑑賞料のお釣りが来ようと言うものであろう。女性の映画でありながら、何故男性にもこの映画が納得出来るのか、それはやりたいことに死する瞬間まで生命力が強くあってやり遂げたと言うことだったろうと思う。そうピアフは歌い切ったのかも知れない。先日映画館でこれを観て、夕刻栗御飯を造りながらテレビで聞いた工藤静香の歌など、殆ど聞くに堪えなかった(失礼!) 魂の歌い手エディット・ピアフの素晴らしい歌声を改めてどうぞあなたへ!!!

 

                マリオン・コティヤール                     マリオン・コティヤール

                            魅力的なマリオン・コティヤール                                コティヤール演じる見事にそっくりなピアフ

 

     【映画に出て来る最期のインタビューから一部】

     ―――正直に生きられますか?

     そう生きてきたわ

     ―――歌えなくなったら?

     生きてないわ

     ―――死を恐れますか?

     孤独よりマシね

     ―――女性へのアドヴァイスをいただけますか?

     愛しなさい

     ―――若い娘には?

     愛しなさい

     ―――子供には?

     愛しなさい

 

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