紅葉を前にしずこころなき

厭離庵

                                                嵯峨野・厭離庵の紅葉

 

 

 

           紅葉を前にしずこころなき

 

 

 とっくに立冬が過ぎ、次第に周辺が冬らしさを増している時、どうかすると一日ぐらいポカポカする日がある。どうやら今日の関東はそんな雰囲気である。こんな日を小春日和(こはるびより)と呼び、又風が凪ぐので小春凪(こはるなぎ)とも言われる。旧暦の十月を小春とも小六月とも言うが、ほぼ新暦の十一月に相当する。まだ冬の厳しさはなく、穏やかな日々が続く。木枯らしも吹いて来る季節だが、半日や平日の昼間だけで長続きはしない。その後に小春日和が来て、真っ直ぐに冬に駆け出して行くのを堰き止めている。これをアメリカでは『インディアンの夏』と言い、ドイツでは『老婦人の夏』と呼ばれている。

 時ならぬ季節に、草木の花が咲き出すことがある。特にこうした小春日和に多い現象だ。櫻・山吹・躑躅・蒲公英などが咲き出す。どの花もこうした二度咲きを『返り咲き』と言い、或いは『帰り咲き』とも言う。『忘れ咲き』『二度咲き』『狂い咲き』とも言われ、その花を『返り花』と呼ぶ。先日夕ひばりさんのBlogに、珍しいことに、八重櫻の『一葉(いちよう)=花の中心に小さな葉のようなものが一本ある』が報告されてあった。咲く時季の意外性から、古来珍重されて来た現象である。

 立冬を過ぎると、列島は長雨になることがある。この頃の長雨を『さざんか梅雨』と呼んでいる。木枯らしが吹き始め、小春日和にもなる秋と冬の境目の季節に、ウグイスやヒヨドリが山から暖かさを求め平地にやって来るし、お茶の白い花に代わって、山茶花(さざんか)が蕾を開いて咲きだす。さざんか梅雨は、そんな時節にパラパラと降る雨のことで、夏前の梅雨や秋の長雨ほどではなく、季節の変わり目の雨と言った趣きである。冬の季節風の勢力がそれほどでもなく、秋型の低気圧が通過して生暖かい空気になった時に降り、春の菜種梅雨(なたねづゆ)に対抗して名付けられたのは極最近のことである。詩仙堂(石川丈山の隠遁した御寺)の大広間に行くと、右側の軒先に樹齢450年とも言われる山茶花の花が、この時季に咲いている。詩仙堂入り口の山茶花も古い樹で、どうしてもこの頃のなると気になって仕方がない。その直ぐ背後にある侘助の白い花も又楚々として美しい。

 『時雨の記』(中里恒子作)は私の大好きな小説であるが、小説の中にも時雨が出て来る。一時的な通り雨のことで、十一月のことを時雨月とも呼ばれるように、この時季に通り雨=時雨が降る。遠くシベリアから日本海を渡って吹いて来る風が、海上で温められ、水分を多く含んで積雲を作る。その雲が日本海沿岸まで達した時に、その一部が俄か雨を降らせる。大きく成長した雲だと内陸にまで達し、冷え込みの強い地域には特に多く降る。山めぐりとも呼ばれている。京都盆地では北山周辺に特に多く降るので、『北山時雨』と呼ばれていて、北山一帯だけが黒い雲が立ち込め、やがて音もなく冷たい鼠色の雨が降る。だが市内の南半分だけは日が照っているので、その現象を『片時雨』と呼ばれているようだ。

 霰(あられ)と書く現象もこの時季である。晩秋や冬の冷たい空気の中を雨粒が落下して行く時、冷え固まって白色不透明な雪の粒(雪あられ)や、氷の粒になった氷の粒(氷あられ)になったものを言う。日本海側で多く見られるが、灰色の空の下を風に吹かれて散って行く様を『あられ吹雪』と言い、同じ寂寥感でも幾らか明るさを感じさせる。

 紅葉の本番を前に気が気ではなく、あれこれ天候のことを書いて見たが、そろそろ錦秋の時候本番に差し掛かっているのだろうか。普段非公開の寺社が寺宝なども同時に公開されることも、この時季ならではのことである。巻頭の写真は京都・嵯峨野の厭離庵(えんりあん)である。二尊院から清涼寺に行く途中、まるで人を拒むようにして分かりづらく、入り口には普段非公開である緊迫感が漲っている。小さな御寺で、つい最近まで尼寺であった。天竜寺の塔頭(たっちゅう=同じグループの寺)とでも言うべきだろうか。藤原定家の住居「時雨亭」跡は現在三箇所と考えられているが、この厭離庵は有力な時雨亭跡かもしくは隣接したところが時雨亭かとも言われている。定家はもしかしたらここで百人一首を選じたのである。厭離庵は小さく、中庭には溢れるばかりの紅葉で、緋のように燃え、何処までも美しい。非公開にするにはそれなりの理由があるのである。以前主人が厭離庵の話をした時矢も盾も堪らず、老尼さまたった独りの非公開の時分、強引に中に入って強か叱られた人がいた。非公開か公開かぐらい調べてから伺って欲しいものである。

 昼に妻と連絡を取り、今月22日から26日まで京都で一緒に過ごす約束をした。あれこれのコースはあるが、今回特別なコースとして、嵯峨野巡り後、奥嵯峨野・平野屋の脇道から愛宕山を大きく一周し、周山から美山、そして花背へと、山道をドライブ。秘するが花の民宿に逗留する計画を立てた。道草先生の懐かしき故郷やMfujinoさまの安寧の場所やHayakawaさまが時々行かれる美山の珈琲店を中心に歩こうと思っている。無論チャンスがあれば、三尾や東福寺や永観堂など紅葉どころにも行けたらいいのだが、妻とゆるゆると過ごすのが目的なので、そう欲はかくまい。ここまで書くと、次第に迫り来る真紅に染まりそうなこころの昂揚を抑え切れないでいる。

厭離庵

                                                嵯峨野・厭離庵の中庭

 

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紅葉を前にしずこころなき への6件のフィードバック

  1. 道草 より:

    天竜寺境内から嵯峨のへ抜ける竹林は、現世から別の世界への謂わばイニシエーションでしょうか。ここを通るたびにいつもある種の感応を覚えるのも、大袈裟でなくて事実のようです。そしてその通りに、憂き世の思念から遠く離れたかの如く、それでいて深い憂いを湛えるが如く嫋やかな祈りの場の常寂光寺・二尊院・祇王寺・瀧口寺・・・。「かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ」。定家の山荘時雨亭は三箇所あるといわれており、常寂光寺・二尊院・また厭離庵。この辺りは、晩秋の一日にこそ訪れてふさわしい場所なのかも知れません。
    「晩秋のしとしとした日に、多江は、あの道を壬生と歩くやうな気持で、最後にいつた小倉山の、時雨亭のあたりをたづねてみました。壬生は、そばにゐました。・・・(中略)。時雨がさつと降りかかり、また晴れました。山から吹き下す松風だけでした。
    花もすみれも在りし日や
    爪くれなゐに鶯の
    まだ笹鳴も戀の夢
    都忘れの池水に みだるる葦の葉ずれさへ
    龜 沈みゆく秋愁ひ
    あらざらむ 萩の葉かげのうたたねの
    かへらぬ旅にたたんとは
    今ひとたびの逢ふことも
    なくてぞもみぢ散りにける
    時雨ぞもみぢ散りにける ……(『時雨の記』中里恒子)
    嵯峨野の秋は中年男性と若い女性とが人目を忍ぶ旅をするにふさわしい、と昔からいみじくも言われております。これは定家と式子内親王とのイメージからでしょうか。硯水亭Ⅱさんを中年云々と申す訳では
    ありませぬが、香の君との道行きもまた一段と映えそうな小春日和が続きますことを念じて・・・。

  2. (Kazane) より:

    きれいな写真ですね~。こんな景色の中に、身を置きたいものです。 今日は、本当に小春日和という感じの1日でしたね。洗濯物と一緒に、私の心もふわりとふくらんだ感じです。 22日からの旅行、楽しみでしょうね♪奥様と一緒に過ごすかけがえのない時間、美しい景色も、さらに魅力倍増ですね☆ 

  3. 文殊 より:

            道草先生
     
     中里恒子の文章は先生もきっとお好きでしょうね。あのキリリと引き締まった文章に、行間から溢れ出る情感。今でもちっとも古くないですね。『忘我の記』も中里恒子と言う人は凄い人だと思っています。
     
     天竜寺裏手の竹林はなるほど現世と彼岸のイニシエーションとは納得です。現世と彼岸を明らかに感じさせる場面は京都には夥しい数御座いますね。代表的なカタチは竜安寺の石庭でしょうか。嵯峨野はもともと愛宕神社の参道として栄えた道路で、その道々にある寺社仏閣はその一翼を担っているのでしょうね。熊野詣でなどのために、お姫様が必ず参拝したと言う野々宮神社の佇まい、祇王寺の5体のご本尊=祇王・祇女・刀自・仏ご前、そして彼女等の運命を左右した清盛さんまでいて御座います。滝口寺の横笛と滝口入道の悲恋。化野念仏寺の夥しい無縁さんの石塔。何もかも彼岸を見せて、現世をも見せるような具合に出来ています。正式なものではなく、やや横道に逸れた仏の道で救われるならと。能『定家』には定家は一切出て参りませんが、式子内親王の墓碑が。毎年定家蔓がお墓を覆い尽くすのでしょうか。果たせぬ男女の仲をからまる蔓が深刻に暗示しているのでしょう。
     
     私達夫婦は親子ほどの歳の差で、一見すると不倫に間違えられても仕方がないことです。今や開き直って、不倫の関係までも二人で経験出来るのかと、どこかでほくそえんでいるように思われます。それでも女人は不可思議なもので、妻の前にいると、私は猫のようになっているのを感じられます。可笑しいですね。壬生と多江さんの気持ちになって、時雨降る嵯峨野を巡るのもいいでしょうねぇ。まだ笹鳴も恋の夢―――以前とは違った二人ですが、精々楽しみたいと念願しております。本日も有難う御座いました。こころから感謝申し上げます!
     

  4. 文殊 より:

           風音さま
     
     一日一瞬に永遠を感じられる、今私達はそんな時なんでしょうか。何をするにもいとおしく感じられます。
    特に今度の錦秋の京都は夫婦として初めて過ごすものですから、又別な格別な思いがあるようです。
    ほんに今日は小春日和のいいお天気でしたねぇ。風音さまも大いにリフレッシュされたことでしょう。
     
     野山に思い切り手足を伸ばそうと話し合っています。いつもは勉強だけの妻は、私が来て、勉強をひと頻りやめるのが
    楽しみなようです。少しずつ、順々に夫婦らしくなって行くのでしょうか。
     
     妻の夢は私の夢。密やかなる将来の夢をかなえるべく、更に精進して参ります。よろしくご指導下さいね!
     
     
     

  5. ただ今カフェで読書中 より:

    心の中まで染まってしまいそうな美しい景色ですね!  美しい秋を心に取り込ませていただきました。ありがとうございます。
    色も、季節も、やはりその何層にも折り重なったものの中からふさわしいものを表現できるように、たくさんの色な言葉を心に持っておきたいと思いました。
     
    すてきな京都の旅となりますように。
     
     

  6. 文殊 より:

              Hayakawaさま
     
     そうですね。季節季節に素敵ないい言葉がありますね。そこから発想して文学になることもあるのでしょうか。
    そんな瞬間を感じることが多いです。中里恒子さんの文章には凛とした節度の尺度があるからこそ感じる部分が強いのでしょうね。
    時々そんな風に痛感することが御座います。文字の氾濫だけでは、あのような素敵なキリリとした文章にはなりませんものね。
     
     京都はどこへ行っても現世と彼岸の行ったり来たり!僕はその緊迫感が大好きです。何故か横柄な心が消え失せ、虚心になれるのです。
    虚心と言うより素直になれると言った方がいいでしょうか。どこを切り取っても適わないものばっかりで、そんな緊迫感を求めに行くようです。
    今回はHayakawaさまがいつも行かれる珈琲店を探す楽しみも御座います。櫻の苗場を探しに行く旅でもあります。
    本当に楽しみな旅になりそうです。何層にも重なる意識と言葉が探し当てられれば、更に幸せでありましょうね!今日も有難う御座いました!
     

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