武田尾への道

 

武田尾の櫻の道

                                                春の亦楽山荘

 

 

                                          武田尾への道

 

 今般の京都紅葉の旅は収穫が多かった。市内中心の紅葉見物からやや離れ、京北町や周山や美山への旅が中心だったからである。無論ずっと妻と一緒だったことにもよろうが、積年の夢である櫻山への希望が大きく膨らんだからであった。具体的に、京都の奥がどうのとここで言うつもりはない。交渉中の22000haに及ぶ広大な山林はもっと別な場所にあるが、ここ京都の山奥は更に重大な役割を果たすものと考えられた。櫻好きにとって、ちょうど武田尾のような存在は憧れであり、そこには櫻守の夢の跡がくっきりと刻まれている。いいお手本があるのだ。苗場か実験林か、それを具現化することは実は難しいものであるとさえ思っていたが、然しこの旅によって、嫌そうではない、必ず具現化するものであるとの確証を得られた。無論或る方の御蔭でもある。

 私達の憧れの櫻守は笹部新太郎氏(1887・1・15~1978・12・19)で、大阪堂島に生まれ富裕層の人であったが、東京大学法学部政治学科に入学した時から、独学で櫻を研究。一時犬養毅の秘書をしたことがあった。だが間もなく櫻の研究に専念すべく職を辞し、関西に帰って、兵庫県宝塚市切畑長尾山(武田尾)の中腹に櫻の演習林を自費で建てた。染井吉野だけの風潮に対し、そうではない、日本古来の櫻が普通だったのだと声高に叫び、そしてこの実験林を『亦楽山荘』と名付け、山櫻や里櫻を中心に苗床を作ったり、多くの実験をされた。その成果は奈良県吉野や東京・高尾の櫻の保存樹林や兵庫県西宮市夙川公園甲山周辺など、数多くの櫻の名所に生かされたことであった。ただ残念なことに、後年自身本家の資金力が続かず、櫻の保存そのものも断念せざるを得なかったことである。然し多くの自治体や櫻の管理者からの依頼で、櫻への意欲は終生衰えることはなかった。水上勉作『櫻守』は笹部氏をモデルに創られた小説であるが、小説では若い間に亡くなったことになっている。然し笹部氏は91歳まで長生きし、きっと櫻の樹精が翁を長生きさせたのに違いなかろう。

 

水上勉

 

 福知山線と言えば、あの酷い事故を思い出さざるを得ない路線だが、福知山線武田尾駅を下車し、下の旧路線を歩くと、翁の夢の跡・武田尾の『亦楽山荘』があり、いつでもハイキング換わりにそこへ行くことが出来る。一山約5000本の山櫻や里櫻や江戸彼岸があって、下を流れる武庫川に向かって、春になると一斉に、櫻が爛漫と咲くのである。一時すっかり荒れ放題になっていたが、宝塚市が環境を整備し、現在は翁在世の時代近くによく保存されている。翁自身も自身の半生を『櫻男行状』として上梓し、自身開発の八重櫻を大阪造幣局に「笹部櫻」として寄贈。又最も有名なのは岐阜県荘川村の二本の櫻の大樹の移植であったろう。荘川櫻を御母衣ダムに移植を成功させたことであった。

 妻と二人で、京都の紅葉を堪能しながら、こうして次第に私自身の仕事の意欲に掻き立てられて来たのだった。だが別な変なお話をせざるを得ない。実は櫻山本体の場所や交渉先や価格や取引形態など、誰にも分かっていない。当社数人の櫻チームのメンバーだけが知っている。何故このように秘密裡にしなければならないか、それはテナント業をやっていると、嫌と言うほど感じられるのだが、ほんの些少な仲介手数料を目当てに、物凄い数のブローカーが集まることである。手数料は払うから、相手さまと直接お話をさせて欲しいと言うと、場合によっては拒否されることがある。仲介者が自分で話を作っているに過ぎず、この場合ありもしない話を持ち掛けては、途中で話が頓挫したのは貴社のせいだと、何時しか本末転倒となり、酷い時はこちらのせいにされ、手数料の幾許かを無理強いされることがある。元官僚だとか大銀行の役員とか、そう言う人に限って恐ろしい目に遭うのが何とその当事者自身なのである。そこに櫻山となると、巨額な資金が動くわけで、何時ものようにそこには一切の無責任なブローカーを排除したいがためである。通常で正常な取引に仲介者は一社か多くて二社である。今後とも色々なことを纏め上げる為には、そうした様々な懸念も克服して行かなければならない。公表出来るまでは信じられる人だけ、内々に進めるしかない世界なのである。主人が櫻山宣言をしてから、早や一年半も経って、未だ具体化しないのかとお叱りを受けるが、そのお叱りより大切なことがあることを申し上げておきたい。折角主人が準備した大事業であるからである。

 

武田尾

 

  紅葉のお土産話に、櫻のお話とは拍子抜けされたでありましょう。紅葉には、山もみじ・楓・コナラ・ナナカマド・銀杏・櫻など、多くの紅葉があり、ターシャのいるアメリカ・バーモント州や多くの海外では主たる紅葉と言えば黄色い葉が普通であるが、古来日本の紅葉は真紅の葉が鮮やかに混じっているのである。嫌々中心であったのかも知れない。その中でも、櫻の病葉のようなグラデェーションの色彩をした紅葉は、一層私達の気を急き、そろそろ東京での仕事を辞し、我が社主宰『櫻の財団』の仕事に本腰を入れる時ではないかと思われたのであった。静かないい旅であった。

   Wikipedia 「笹部新太郎」欄を参考とす

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武田尾への道 への6件のフィードバック

  1. 道草 より:

    紅葉を観て桜を識る。紅く黄色く彩られた山里へ生涯の伴侶との旅。巡る季節はやがてまた桜色に染まる日が訪れます。今回の二人旅は、はからずも来たるべきライフワークの着手への会心の布石となったことでありましょう。この連休は暫く前の冬の到来が一転した小春日和続き。時もまた中睦まじきご夫婦をまるで祝福するかの如く、穏やかに暖かに和みに満ちた日々でした。今秋の紅葉は楓より、むしろ桜や柿の葉の色付きの方が美しい様に私には思えます。北山辺りを散策されて、果たしてお二人の心眼には如何映りましたでしょうか。私はと申しますなら、この連休の一日は、かつての会社の同僚が後に美大の教授となり、その個展が嵯峨の車折神社の近くで開催されて出向いて参りました。その友人は私達の結婚祝いに絵を描いて贈ると約束してくれて、30年経った頃に忘れずに届けてくれました。飲み仲間のいい奴でしたが、昨年の初夏に亡くなりました。混雑の嵐山は避けて、車折神社のささやかな紅葉に私は彼の冥福を祈りました。
    話は横道へ反れました。やがて顕かになるであろう櫻山計画に、部外者の私の心も躍ります。水上勉「櫻守」の冒頭は、主人公の祖父と母親のかなりショッキング場面で始まりますが、彼が新妻と初めて過ごす番小屋の「弥吉が腕をはなして、畳へ眼をやると、乱れ髪がながれて、楊貴妃の花弁が一つ、小貝をつけたように着いていた。弥吉はうっとりとそれを眺めた。」の描写が忘れられません。そして最後の「わしが死んだら、お寺さんにたのんで、そこへ埋めてくれ…息ひきとる時にも、かいず、とそれだけいうて…」。主人公の最後の言葉に、この作品のテーマが凝縮されているのではないでしょうか。桜に表象される、失われゆく日本の美に対する限りない哀惜。その最高の美を追求することこそ人間の業なのかも知れません。最高の伴侶を得られた硯水亭Ⅱさんの生き様を見せて下さる日が、私の眼の黒い内に到来するであろうことを願ってやみません。しかも、それが私の古里で実現されるのなら、望外の喜びと申しても過言ではありません。下記の詩は丹波を古里とする詩人の、永遠の心の声です。
     
    「ふるさと」 -丹波のOさんへ- 深尾須磨子
     
    山あれば
    川がある
    ふるさとよ
    山にきつね
    川にごんろく
    いまも居るか
    ふるさとよ      *ごんろく=川魚の名称。

  2. 文殊 より:

            道草先生
     
     おはよう御座います!夕べは疲れが貯まっていたらしく、早々と寝てしまいました。まして妻は昨日の朝から授業があったものですから、早々と出掛け、やっぱり疲れたのでしょう。夕方早く電話した時には既にベッドの中でした。そのくらい私達はよく歩きました。車で移動して、車を置いて、又山深く!何度も何度もその繰り返しでした。京都市内のお寺さんのように人工的ではありません。従って纏まって紅葉があるわけではなく、春の日、山櫻を思い掛けない場所で発見する、あの歓びと似たものでした。色彩も様々でした。先生のブログでおっしゃっていたように、木々の種類も豊富で、京都紅葉見学の新しいあり方を教えて戴いたような気がしてなりませんでした。三尾から北山を抜け、京北町へ来る間の、北山杉密集の地帯はさすがに紅葉は少ないのですが、周山街道を登りきってから、やや下り坂になりますと、眼下に京北町の町並みが見えて来る頃には圧倒的に色彩が違って見えました。確かに山もみじより、柿や櫻の紅葉が美しいと思われました。今回春の櫻をどんなに思われ、恋焦がれたことでしょう。可笑しなことでしょうね。いずれにせよ常緑樹のあり、様々な色彩があるこの里山の紅葉が本当の紅葉ではないかと思われた次第でした。
     
     飛びぬけた高い山があるわけではなく、ましてや現在植栽された木々を基本的にはいじらずに、実験林を創ろうと思っておりますが、その場所探しが何時の間にか本当の旅の目的に変化していました。妻もよくついて来てくれました。普段の運動不足を解消出来ると逆に歓んでいたぐらいです。二日で途切れ途切れではありますが、多分40キロ以上は歩いたと思われます。先ず第一になだらかな里山が気に入りました。更に伐採可能な雑木林も多いことが分かりました。木の実がなる木の植栽をそのままにしておかないといけないのは、小動物達が生きるために必須のことであります。雑木をどう規定するか議論があることでありましょうが、それは私達だけではなく、行政ともよく相談し、雑木のスタンダードを決めていかなければならないでしょう。櫻は更に日当たりを好みます。その点全く申し分がない里山でした。京北町に限らず、あの一帯はきっとそうなんでしょう。花背のスキー場にも参りました。未だ現役なのでしょうか。そこそこに整備されていたように思われるのは冬が近かったせいでありましょうや。さすがに丹波全般は豊かな土壌です。永い間に積もりに積もった落ち葉が適当な堆肥となっているのでしょう。小さな小川まで、何故か私達を歓迎して下さっていたように思われます。畑にまだ豆殻のついた枝豆がありましたが、きっとそれは丹波黒豆なのでしょうか。その豊かな土地を変なテーマパークなどで汚されてはなりませんね。愈々時が来たなぁと実感された旅でした。
     
     どうやら妻には私が必要です。いつも一緒にいられるのは、私が京都に移り住んでからになりますが、離れ離れになっている現在の生活がいつかは軽やかに解消されることでしょう。妻は腰まである長い黒髪を束ねたり、ストレートに伸ばしたり、女人の不可思議さを遺憾なく発揮し私に与えてくれました。私は童のようにただ有難く享受するだけでした。何故この人がここにいるのと驚いたり、つくづく幸せを実感出来た次第です。
     
     過去20年以上、彼の専属秘書になる前から、主人に散々櫻の教育を施されて参りました。基本は出来ているつもりです。私も遅まきながら、櫻守に挑戦すべく頑張って参りたいと存じますので、先生!これからも是非ご教授下されたく御願い申し上げます。今日も有難う御座いました!

  3. (Kazane) より:

    とても素敵な旅をされたようですね♪
    紅葉を目にしながら、桜を想われていたのですね。以前、どなたかが、この時期の桜の葉が好きだ…と言っていたのを思い出しました。 ご自分の夢を実現することで、奥様とも一緒に暮らせるようになる…。ますます、明るい未来が待っているようですね(^^)

  4. ただ今カフェで読書中 より:

    おはようございます。静かで満ち足りたよい旅をなさったのですね。
    私は写真のような静かな山に入ると、いつも大木惇夫の詩を思い出します。実際、この詩は春のためのものでしょうけれど、聞こえて来る「言葉」があるような気がするのです。
     
    "この夕靄に溶けてゐる言葉、
    白い野茨の花から
    しづかに匂つて来る言葉、
    これだ、この秘密だ、
    ながいこと尋ねてゐたのは。"
     
    というような詩です。
    硯水亭さまも、きっと様々な言葉をきかれたのではないでしょうか。

  5. 文殊 より:

               風音さま
     
     いつも貴女さまのご友情を篤く感謝致しております。御蔭様で、今回は特別な京都の紅葉の旅になりました。
     
     紅葉を観て、春の櫻を思うなんて、ちょっと可笑しいですね。でも実際にそうだったんですよ。又今年ほど櫻の紅葉が美しいと思えたことはなかったんです。思い入れがあったんでしょうね。いずれ正確に、櫻山計画の全容をお知らせしたいのですが、まだまだその途上にありますので、小出しで済みません。そもそも妻との出逢いも、この櫻山計画における彼女のアルバイトが発端でした。更に主人が自分のことをさて置いて、私と妻を結びつけたのです。当時当然遠慮しておりました。様々なそうすべき要因があったからです。ご想像の通りです。でも次第に具体化するにつれ、私達は本物になって行きました。真っ赤な紅葉を観て、櫻を観た思いがしたのです。
     
     彼女は妻として、はるばる東京まで通うのが不憫です。ですが最近になって京都住まいを決意したのではありません。既にある櫻山チームは京都に既に誕生させています。その肉付けをして、そろそろ実行に移そうとしていた矢先に、主人は他界しました。ですからこの計画は私の計画ではありません。主人の計画です。今は僕達二人に付託されたものだと心得ております。これからも頑張りますので、どうか風音さんも応援よろしく御願い致しますね。見守っていて下さいね!
     

  6. 文殊 より:

            Hayakawaさま
     
     まさしく素晴らしい多彩な声を聞いて参りました。木々の紅葉、そして豊かなる土地の恵み、静かな山の音、満月に紅葉、散々歩き回って感動の連続でした。ただ歩くだけでこんなに感動した京都の旅は初めてでしたから尚更です。京都はその殆どが山国であったと言うこともそうですが、市内以外が存外広いと言う認識も大きかったのです。車で走ってもなかなか県境に到達しない部分もありました。里山が多く、そこと市内との共存が京都の真の姿なのではないかと。Hayakawaさんが時々ドライブされる訳も知ったような気持ちが致しました。
     
     無論妻と一緒だったこともそうなのですが、里山の豊穣さにただただうっとりとしていました。藪の中に分け入り、実際どんな樹木があるのかも確かめました。何とブナの木まであって驚かされました。地図にもないような小さな小川、清浄なる空気、紅葉する針葉樹の森、ポツンとある山櫻の古木、歩いても歩いてもただうっとりとして限度がありませんでした。京都の紅葉巡りはこんなところに大きな穴場があったのだと。市内地元の妻でさえ知りませんでした。1日のはずが、2日になり、それでも物足りなさを感じています。何でしょうねぇ。きっとまだまだ多くのことを感じ取ってもらいたいと言っていたのかも知れませんね。
     
     財団法人日本さくらの会は埼玉県安行に、財団法人日本花の会は茨城県結城に、それぞれ苗場があるのですが、私達の計画を実行するのに、この里山をそのまま生かしながら、私達の拠点にならないかとさえ決意して帰って参りました。静かですが、底に流れる熱いモノを感じつつ、素晴らしい旅だったと思います。又この大木さんの詩、いいですねぇ。言葉ではなく、実感であり実態なのでしょうか。有難う御座いました。心から御礼を申し上げます!
     

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