20年 共に生きたシャコバサボテンの花

 

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20年 共に生きたシャコバサボテンの花

 

 

今年七月に、主人の一周忌(祥月命日)を終え、今日はそれから四回目の月命日である。

京都から帰って寒そうに凍えていたベランダのシャコバサボテンを、部屋の中に入れてやった。

私の机の端に置いてやると、歓びが爆発したかのように、か弱い冬の陽溜りの中で一気に咲きだしたのである。

当時主人の父上さまがご存命中で、私は彼に仕えていたが、その息子(主人)から初めて買って戴いた花であった。

あの時もこんな寒い日であったかも知れない。鉢も毎年大きくしたが、数年前から少ししか咲かなくなった。

それでも二十年、私と共に一緒に歩いて来たことになる。花は咲く。然し人は亡くなり、どうにも首筋が寒い。

 

櫻が儚いのではない、人が儚いのだと口酸っぱく言った主人その人がもう生きてこの世にはいない。

毎年この鉢植えのシャコバサボテンの花をしみじみと観る。今朝もポロリと泣けて来た。

彼ら親子共々、自分にウンと厳しい人であった。私はそこから学ばなければならない。

そして生きる勇気を戴かなくてはならぬ。妻に新しい生命が宿ったかも。新しく生きよう!

 

 

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                           ただ一片の花だったのが こんな風格ある老樹になっている

 

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20年 共に生きたシャコバサボテンの花 への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    所帯を持って間も無くの頃、私も蝦蛄葉仙人掌(シャコバサボテン)の鉢植えを育てたことがあります。しかし、冬になってもうっかり外へ出したままで敢無く枯らしてしまいました。そろそろクリスマスが近づく園芸店では、赤・白・橙・桃・黄・紅紫あるいは2色混合などクリスマスカクタスの英名もかくやと色鮮やかに咲き競っています。育て方も愛情ひとつ。適切な時期に摘んで手入れをすれば葉も垂れ下がらない、と聞きました。学名Zygocactus(zygos=対をなす+cuctus-サボテン)の語源通り、サボテンの茎を切って出る液で衣類などを洗うと良く落ちることから、石鹸=シャポン=サボテンとなったとのこと。これは硯水亭Ⅱさんには、蝦蛄ではなく釈迦に説法でした。蝦蛄の寿司が旨いのはともかくとして、「蝦蛄で鯛を釣る」は少ない元手で大きな利益を上げること、と日々実践されていることでもありましょう。「蝦蛄仙人掌繚乱として年暮るる」(富安風生)。やがてクリスマス。クリスマスは総ての被造物が主への賛美を讃える日とのことですが、私は別にクリスチャンではありませんので、「主」の代わりに「生命」と置き換えて、総て生まれ来る新しい生命を賛美する日と考えましょう。お二人の新しい生命に祝福がありますように。
    「わらう」  谷川俊太郎
    ずっとむかしのいまごろ
    わたしはまだいなくて
    あざみのはかげの
    ひかりのつぶつぶだった
    だけどみてたの
    おかあさんのなみだを
    わたしはしっていた
    わたしもいつか
    おかあさんのようになくだろうって
    いくつことばをおぼえても
    かなしみはなくならない
    だからいまここにわたしはいて
    おかあさんにわらいかけるの

  2. 文殊 より:

             道草先生
     
     いつも勿体無いコメントを有難う御座います。忌日一周年を祥月命日と申しますが、これは儒学から来た言葉で、祥月の祥とは「さいわい」を意味しますね。凶報があけ、吉報になる。更に死人は一周忌の祥月命日によって神となる。従ってめでたい日であるとも。でも私の中ではまだまだ生々しく主人が生きておりまして、何かにつけ思い出されるのは当たり前になっています。現在お仕えしている方は主人の弟君で、彼がCEOです。パリで教鞭をとっていたのを急遽辞めて、パリっ子のお嫁さんと子供二人を連れて帰って来てくれました。馴れぬ生活を余儀なくされ、とても不憫に思えてなりません。いつでも直ぐに主人の思いの丈を実現すべく櫻山計画に合流したいのですが、何せ私は主人のことやご自宅のことや会社がお付き合いをしている細々としたことまで、遥かに知っているものですから、なかなか抜けられないのが現状です。逆にこの若さで、CEOに対して教える立場でして、その仕事が大半です。例えばお歳暮の時期には、或る百貨店の外商が来て、あれこれ選定するのですが、一回の発注で8桁後半の数字になるものですから、百貨店側でも大変です。数多くのテナントさまに対してお歳暮を贈るのもひと仕事なのです。そしてお返しに戴いたモノは暮れには全員にくじ引きで、社員の間で分け合って戴くのですから。それも主人が決めたことでした。今の会社を離れることがあっても、実際にはなかなか抜け出せないのが本音です。そんな折々の時に、つい主人を思い出してしまうのです。今日の本文はその性格です。
     
     処で京都旅行中に、御蔭様でどうやら受胎したことが判明致しました。月日から言えば、どうも日光旅行のあたりのようです。従って生まれ来る子供は紅葉の申し子なのでしょうか。両家では大いに歓んでおります。東京に連れて来るだろうなぁと、私の父は頻りに気が気でない風です。父にとっては遅い初孫ですから、さぞかし嬉しさも格別なのでしょう。妻もほっとしているようです。大きなお腹を抱えて大学に通う気構えは出来ているようで、出来れば早いうちに、後2人は欲しいなどと申しております。私はどうやらこうやら出来ちゃった婚ではないと言うことでほっとしているところですが、可笑しいですね。これも主人がくれた贈り物です。私は頑なにそう信じています。
     
     素敵な詩を有難う御座いました。ついホロリと来ました。いつも御好意に溢れたコメントを本当に有難う御座います!
     

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