師走・男・ダンディズム

 

ネクタイ の補正

 

 

 

                                       師走・男・ダンディズム

 

 十二月は一月に次いで、異称の多い月である。禅師の如き落ち着いた方でも多忙で走るようになり師走という。半年ごとの決算・支払いがあった江戸時代ならいざ知らず、特に大戦後は付け払い制度が一部を除いて殆どみられなくなった。でも中には年越しが出来ないからといっては犯罪に手を染めたり(そういえば十二月はこの種の犯罪が多い)、無理な借金申し込みをする。然もそんな場合は大抵年末ギリギリであり、どうせろくな借金の申し込みではない。当社では何故か、伝統的に師走の支払いはすべて十五日までに済ませてしまう。従って暮れの金庫の中は空っぽである。その上社員達はそれぞれ二週間の年末年始休暇を取り、十二月から一月に掛けては、八月のお盆・夏休み休暇に次いで休暇が多い月にしている。或る者はホノルル・マラソンに参加し、或る者は小正月まで掛かって休暇を取り、無論一部のインベスト部門は違うが、シフトをそれぞれの部門で組み、暮れだからといってああだこうだは一切ない。謂わば師走がないのが会社としてのダンディズムかも知れない。(師走の行事として会社に戴いたたくさんのご進物を全社員でくじ引きする楽しい行事があるだけで忘年会はない。日頃から担当所属中心でやっているからである)

 私の着る物のお洒落のお話を少し!小さい時分から質実剛健を旨として育てられた。永い間着古しているものが多く、お世辞でもお洒落とは言い難い。ただ母は品物のいい物を買い与えてくれ、父も質実剛健の気風を実践している。学生時代から殆ど体型が変わっていない私は、その時分の洋服を今でも着ている。お気に入りのツィードの上着数着は同じ織柄で、ちょっとだけデザインが違うものだけれど、今でも着心地が絶妙で愛用の服である。袖口が綻びても、それを手縫いで直し直し着ており、肘辺りが擦り切れても、薄手のバックスキンを使って肘当てにし継ぎ接ぎになっている。そんな意味から言ったら、白洲次郎のスノビズムと似ているのかも知れない。都心にいながらカントリー・ジェントルマンと自負していると言いたいところだ。

 処が亡き主人に仕えてから一転してしまった。春夏秋冬、それぞれ二着づつ背広を新調しなければならなくなり、殆ど主人の大好きなイタリアのErmenegildo Zegne社製品の誂え背広に変わってしまったことだ。主人のポケット・マネーで、私にも買い与えてくれたからである。当初二、三年は言われるままにしていたが、どうにも居心地が悪い。CEOと同じでは同僚にも顰蹙を買う。その後何とかかんとか言い訳をしてやっとこさ逃れた。でも主人が或る程度満足するお洒落をしなければならず、私の祖父の代から懇意にして戴いた銀座の羅紗屋(=生地屋~今は珍しくなった)の高橋で生地を買い、英国屋の当家専属らしい仕立て人に仕立てを御願いして時々作り、今日に至っている。但しフォー・シーズンとは行かず、少なくとも夏物とスリー・シーズン物に限定して、年二回一度に二着ずつ作る。生地は濃紺かグレーか濃いグリーンかそんなところで、スリー・シーズン用はチンチラ、夏用は本麻かキッドモヘアと生地まで一応の気配りをする。二着同じ織柄の生地で、デザインを少しだけ変えた。一方はセンター・ベンツでシングルにし、一方はダブルでサイドベンツにするとか、チェンジ・ポケットを付けるとか、二着をよく観ると必ずどこか必ず違う工夫をした。裏地にも工夫をし、和服で言うなら半襟の感性でバランスを取り誂えたと思う。そんな甲斐があって、今では百着も現役で活躍している。これ以上は当分必要がないし、特に主人亡き後は作っていない。何時見ても同じスーツだと思わせたいのが、我がダンディズムだからである。

 無論和服も先祖伝来の和服が多い。身丈や身幅や肩桁をちょいといじる程度で何代も着てきた紬が多い。自宅では和服が中心であり、好きな和服は大島紬で、帯だけは京都・西陣の橋本に依頼することが何度かあった。本麻の作務衣も何着かあるが、作務衣は余程のことがない限り着ない。能の稽古には専用の安手の着物と袴がある。それで充分である。和服を着るのに、和服用の小物の色々が必須アイテムであるが、中でも信玄袋には主人の影響もあってか凝っているつもりだ。春夏秋冬と用件ごとに使用するものが決まっている。主人も私も処構わずスーツのまま信玄袋を使用していた。主人は私と同様に背が高く、見事なスーツ姿で信玄袋を持って仕事に熱中していた。私も合計50個ぐらいある信玄袋を変わる変わる愛用している。決してブランド物のバッグや鞄は持たない。神田にはそんじょそこらのブランドに負けない立派な縫製やナメシをする鞄屋(吉田カバン)があって、旅行用の鞄など専ら吉田さんのである。時計も殆ど付けたことがない。Yシャツの袖口が解れるのが嫌な為であり、携帯電話も殆ど持たない。その換わり何時何処にどんな目的で誰といるかはっきりさえしておくことであり、余程の緊急の場合があっても対処出来る能力を日頃から身につけさせている。

 要するに、何処に行っても『和』のこころを失わないことであり、先ずそれが証拠にネクタイだって、和服から作ったものである。上記掲載のネクタイの写真はその殆どが和服(京都のハギレ屋から仕入れて手渡ししたが、大風呂敷のような大きい布)から斜めにバイヤースを取り、母の友人のお嬢様に誂えて作って戴いた手製のものである(但しエトロが二本ありそう)。背広は極端に地味に、ネクタイは少々派手目に(←ビジネス上)。そして日頃普段着の時はシャコバサボテンに負けないぐらい時代を経た古いツィード中心である。下図は信玄袋の極一部で、中には酒袋で造った物とか、齢九十歳の老女が造ってくれた津軽の『こぎん刺し子』の物もある。海外に行っても日本男児であることを決して忘れない為であり、季節感は別にして、師走であろうがなかろうが、海外であろうがなかろうが、納得しない流れには一切頓着しないのが我が男のダンディズムであると信じたい。

 

CIMG0094 の補正

                                   下段左から二個が津軽のこぎん刺し子

 

 

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師走・男・ダンディズム への6件のフィードバック

  1. (Kazane) より:

    夕ひばりさんのブログへのコメントを拝見し、慌てて(?)こちらに飛んできました。
    硯水亭さん、おめでとうございます!きっと、ふわふわした心持ちで過ごされているのではないでしょうか。残念ながら我が家には子供がいないので、その素敵な気持ちを味わうことはできなかったのですが、硯水亭さんのご報告を読み、とても嬉しい気持ちになっています。今後が楽しみですね。どんなお父様になられるのでしょう(^^)今は、喜びと同時に、忙しい奥様のことを気遣って心配になったりと、複雑な気持ちで過ごされているところでしょうか。和の心を失わないダンディズム…、上の写真からも伝わってきます。何か自分なりのこだわりがあるというのは、素敵なことですね♪

  2. 文殊 より:

            風音さま
     
     貴女のご友情を本当に有難う御座います。もしかしたらと思い、書くかどうか随分悩みに悩んだ末に書かせて戴き、更にこうしてお祝いのお言葉まで頂戴し、心から感謝に堪えません。本当に有難う御座います。風音さんは本当にこころの優しい美しい方です。
     今週再び京都に行こうと思っていたのですが、妻は学会があって極めて忙しいようです。毎晩電話するからと。お互いに携帯電話を持たない者同士ですから、接待などで遅くなることも適わず、さっさと自宅に帰って来て、電話を待ちながら、急遽買った育児の本をチラチラと観ています。照れくさくて仕方がありませんが。でも妻は今回の京都行きでも最後まで言わなかったんですよ。真情が分からんと言ってやりましたが、そこには必ず病院に行くように言われるという恐怖感があったようです。初めてお世話になる産婦人科が嫌で、どうしても決断がつかなかったと。一人で悩まずに、こちらにも分けてねと、もう二度と一人では悩まないことを約束致しましたが、やはり嫌だったんでしょうね。来夏にはかぐや姫かむくつけきオノコか、私達の目の前に登場するでしょう。
     一つ勉強になったことがあります。妻の現住所は東京都品川区になっているのですが、京都へ里帰りということで、京都の市役所で妊娠届けを出せたことです。母子手帳もそうらしいです。産婦人科の先生のところに用紙があったことも判明し、お義母さんの早速のご協力に、深く感謝した次第でした。これで妻も漸く安心したらしく、早くやればよかったなどとほざいておりました。勉強のことばっかりで、世間的にはまだまだ幼稚なのでしょう。それは私もまったく同じことなのですが・・・・・・。くれぐれも注意を怠りなくしたいものです。先輩方や両親などに積極的に聞いて行くべきでしょうね。近頃ベビー用品に目が走るような傾向です。ついに私もと。御免なさい、嬉しさを表現してしまって!
     
     やはり拘りなんでしょうね。食のダンディズムから旅行からダンディズムから、ダンディズムには様々な分野がありそうで、ネタ切れした時には再び勇気を持って書かせて戴こうかと存じております。お祭りネタがない時はつい自分のことで、本当に恐縮しております。こんなヤツもいるのかぐらいな程度でお読み戴ければ幸いです。有難う御座いました。
     

  3. 道草 より:

    ダンディズムの解釈は人それぞれでしょうが、男性の生活様式や生き様。そして教養や人生観への拘り。また、妻とそして産まれてくる二人の分身をどう愛するか。硯水亭Ⅱさんの心にある総てがダンディズムに結び付き、そして生涯を掛けて、男としての見事なダンディズムを貫かれることと、私は確信しております。新しい仕事に加えて、愛する対象の新しい生命の誕生。来年はどれだけ充実した年になるのか、私は期待してやみません。今宵は東と西で祝杯をあげではありませんか。
     
    「ダンデイズム」  谷村新司
     
    帰れ他ダンディズムの都へ 夜は男の心の中
    踊れ裸足のままで 汗に濡れたシャツのままで
    息子よいつの日か この酒を古びた止まり木の片隅で
    酔えば俺をかつぎ出せ 月あかりの石だたみへ
     
    歌おう大きな声でお互いの 叫ぼう愛する人の為に
    歌おう君の愛する母の歌を 歌おう私の愛する妻の歌
    人生は束の間の祭り
    せめて人を愛せよダンディズム
     
    戻れダンディズムの港へ 船は男の心の中
    怒れ時代の波に 優しさとは強さのこと
    息子よいつの日か この時が君の想い出に変わる頃
    俺は遠くの酒場でグラスをあけ笑っている
     

    歌おう大きな声でお互いの 叫ぼう愛する人の為に
    歌おう君の愛する母の歌を 歌おう私の愛する妻の歌
    人生は束の間の祭り
    せめて人を愛せよダンディズム

  4. 文殊 より:

           道草先生
     
     おっしゃる通りダンディズムは広義の解釈と狭義の解釈があろうかと存じます。私の場合、割と短絡的に使っております。その狭義な解釈が次第に自分の中で膨れて来ているのも事実です。多分人を愛し愛されたからでしょうか。粋な生き方とか、カックいい人生とかありますが、次第にそこまで行けば、きっとモノになるのかも知れませんね。食への拘りだったり、結構あらゆるモノが当て嵌まりますから面白いですね。先哲の通った道を勉強し、自分の血肉にして実践しつつ、これからもPart Ⅱ,Part Ⅲと書き綴って参りたいと思っております。目的は当然自分自身への戒めが欲しいからです。谷村新司のダンディズムの歌詞を有難う御座いました。実はこの歌、カラオケでよく歌います。同世代・尾崎豊の『Ⅰ Love you』もですが・・・・ぷぷ!
     
     これからの人生はどうなりますか。でも先生にご指導賜りながら、精一杯頑張って参りたいと存じております。そうですね、今日の京都行きを中止にした代わりに、先生と東西で祝杯を傾けましょう。今宵は丹波・篠山の西山酒造発の小鼓から、丹鼓という大吟醸を頂戴致します。そう言えばこのお酒は先生の地元近くでしたね。いつも先生の周辺を荒らし回っていて済みません!今宵のおつまみは、春菊の胡麻和え、京人参の白和え、カマスの焼き魚、もってのほかのお浸しで酢の物も、姫竹の煮物以上です。これを書く前に既に準備は出来ておりますんで、さぁさぁ先生、ご準備はよろしいでしょうか!!!ではではかんぱぁ~~~~い!
     
     

  5. ただ今カフェで読書中 より:

    硯水亭様
     
    おはようございます。
    そしてそして、本当におめでとうございます。ますます充実した日々、一年になって行かれることでしょう。
     
    納得しない流れには一切頓着しない、いい言葉ですね。私もそうありたいと思います。
    そして、写真の信玄袋にしばし眺め入りました。目をひかれたのは、下段左と津軽のこぎん刺し子、そして上段の 右から二つ目のものです。
    でもそれぞれ実にいい味わいですねぇ。 ありがとうございました!
     
     

  6. 文殊 より:

            Hayakawaさま
     
     お祝いを頂戴し、何て申し上げたら良いのでしょう。深く感謝申し上げます。まだまだ実感がないんですよ。本人自身も自覚症状がなくて、これって女の子かなぁとか周囲が勝手に申しております。妻は普段と全く変わらずに、研究室に通い詰めで、書誌学の勉強に夢中です。時には外気にあたったり、いい音楽でも聴きながらお茶したりゆったりしなさいねと言っても、どうも彼女のペースのままのようです。こんな時男が幾らオロオロしても時間が経てば、それなりに結果が出るのでしょう。願わくは元気な赤ちゃんが生まれることを、わら天神さまにお祈り申し上げるだけです。
     
     さすがにHayakawaさまです。上段右から二個目は、私が最も愛する灘の酒袋で出来たものです。白いトッテの爪は鹿の角から出来ています。洋服・和服に限らず携行しております。但し最近は津軽の製作者が漸く製作をやめたらしく、ご自宅で静養なさっているとかで心配で、こぎんの刺し子を利用することが多いようです。使い込めば使い込むほどに、刺し子の風合が出て参りますししっかりと出来ている代物だと分かって参ります。元々農作業や狩猟用に発展して来た刺し子の技法ですが、今では農業や狩猟関係に一切使用されなくなったために、こうした小物に、お婆ちゃんは頑張っておられたんでしょう。手は一度覚えたら、どんなに年を経ても決して忘れないものだと言っておりました。眠気が出ても手だけはしっかり動いていると。夏、ネブタの時などはお婆ちゃんに逢いたくて、青森に行くようなものです。出来れば何方かが継承して戴ければ、どんなに嬉しいことでしょう。
     
     詰まらないものを御覧戴き、甚だ恐縮でした。又本当に有難う御座いました。
     

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