末期の眼

 

針千本餅の針供養

 

 

           末期の眼

 

 

 ここ丸の内界隈にも年末のイルミネーションが煌びやかに輝き、愈々今年も愛しき日々の残りが少なくなりました。この数日超多忙スケジュールにも関わらず、最終の新幹線で京都に行き、次の朝一番の新幹線で東京に帰る日々が続いております。日中は仕事でいっぱいで息をもつけない忙しさです。来週には会社における年内の主な行事と仕事の〆切があるからであり、それをおして新幹線通勤をしているのは、我が妻の容態を案じられてのことですが、何々妻は元気そのものでほっとしています。安定期に入るまでは油断大敵、決して無理をさせたくありませぬ。

 七日は『大雪』でしたね。八日は「こと納め」があり、年内の農作業の一切が終了する意味であり、この前後には「納めの水天宮」「納めの薬師」「納めの金毘羅」「納めの観音」「納めの地蔵」「納めの大師」「納めの不動」などが目白押しに続いており、そうして年の暮れへと雪崩れこんで参ります。昨日八日の「こと納め」にはお地蔵さまや十三参りで有名な法輪寺など、多くの寺社仏閣で「針供養」が行われました。日頃お世話になった針へ感謝を籠め、柔らかい豆腐や蒟蒻(こんにゃく)やお餅に針を刺して休んで戴き、同時に自らも手仕事を休み、お裁縫の技術の上達を願うものです。又本日と明日、鳴滝の法輪山了徳寺では3500本のも『大根炊き』が行われます。寒そうな冬空の中に、暖かい湯気が立ち上り、如何にも柔らかく美味しそうな大根を炊かれて、善男善女に振舞われます。親鸞聖人が鳴滝で説法をされた折、それに感銘を受けた里人たちが大根を塩茹でにしてご馳走申し上げ、それに応えられて親鸞聖人からススキの穂で書かれた十字名号を与えられ、これを機に報恩講が行われるようになり、大根炊きの故事来歴です。

 十二月はあっという間に過ぎ、まるで人生そのものであり、末期の眼をもって日々を見詰めるように、鋭敏に美しいと何もかもが感じられるようです。一日一日が洗い清められて行くように思うからでありましょうや。すべてに対し、末期の眼をして物事を見詰められたら、どんなに素敵なことでしょう。一年三日かも知れません。早い話がお正月とお盆とクリスマスの三日で終わろうとしているようです。でも冷静に物事を見るにつけ、明日のイノチはないという切迫した真剣味をもって今を観じ、そして受け取ることが出来れば、何と言う美しさと善意に満ちた世界になるのでありましょうか。いとおしく刹那に生きるこの人生がどれ程有難く感じられることでしょう。さぁもう少しです。御身お大切に頑張りましょう!

 

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末期の眼 への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    「残りたる一人の弟子と針供養」(民岡照子)。障子の雪明りを頼りに母は縫い物をしていました。部屋には炭火の火鉢があるだけで、丹波の冬は部屋の中でも冷え切っていました。週に一度、近所の嫁入り前の女性が裁縫を習いに来ていましたっけ。数年前に亡くなった母の針箱から、油紙に包んだ沢山の折れた針が出て来ました。明治生まれの母にとって針箱は大切な思い出で、折れた針も捨てられなかったのでしょう。近郊へ嫁いで行った教え子と、この日には心の中で針供養をしていたのに違いありません。その女性が81歳で永眠した、と彼女の弟からつい先ごろ喪中葉書が届きました。やはり私達は、日々生きている中にあって様々なものを〝供養〟する気持ちを忘れてはいけないようです。「お花の師匠などは、自分の生業のために毎日いろんな植物を犠牲にしていますが、花盛りのこの頃、一つ花供養といったようなものを行ってみたらどうでしょう。お針の師匠が針供養をやっているのをみれば、花供養をしてもよかろうと思います。……」(『初蛙』薄田泣菫)。
    12月も3分の1が過ぎました。1年の締め括りの月です。さて、私は何を供養しましょうか。「自然はこういう僕にはいつもよりいつそう美しい。自然の美しいのは僕の末期の眼に映るからである」、とは死を前にした芥川龍之介の言葉です。その頃の川端康成曰く。「しかしすべてのものごとは、後から計算すると、起るべくして起り、なるようになって来たのであって、そこになんの不思議もないと思われがちである。神のありがたさかもしれぬ。人間の哀れさかもしれぬ。とにかく、この思いは案外天の理にかなっているようである。いかなる凡下といえども、夏目漱石の座右銘『則天去私』に至る瞬間が往々にしてあるらしい。」(『末期の眼』)。
    「末期の眼」は、枯れるということでもなく、さりとて悟りでもなく、死と生の交錯する中から生まれる。つまり、生きたい思いが強いにも拘わらず死を感じるからこそ、見るもの総てが新鮮で愛おしいといえるのかも知れません。ただ、川端は唯美主義に付き纏われていて自ら死を選んだのでしょう。我々凡人には謎ではありますが。それよりも、「こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思う」と願いながら、なお叶わなかった啄木の心情が痛切です。硯水亭Ⅱさんの「末期の眼」や如何に。その眼を持ちながら生きる日々。そして来たるべく新年からの人生。意義あり更に意気あり。一層実り多きことを祈っております。

  2. 文殊 より:

             道草先生
     
     またまた遅くなりまして、本当に済みません。早速書き込みを戴き、心から感謝申し上げます。さてお母上さまのお針のお話はとてもいいお話ですね。どんなにご苦労があったかは、このお話に集約されているようです。口頭でああだこうだは明治の女性には少ないように思われます。ご自分が日頃使い慣れた針や使い終わった折れた針などモノ言わぬモノと、多くのおしゃべりをしていたのかも知れませんね。お針のお弟子もいらっしゃったのですね。その子の行く末を、お母上さまはどんなにご案じなされたことでしょうか。静謐なお話の中に、激動の時代を味わった女性は見えてくるように思われてなりませぬ。お針の供養は農業が今年終わりだという12月8日の「こと納め」の日と2月8日の農業の仕事が始まる「こと始め」と両日にちにあります。その時ばかりは女性は働かないで済む日で、女性にとっては大変に貴重な日だったことでしょう。農業の仕事納めと仕事始めに掛けて、針仕事もそれなりの意味があってのことだったようです。おっしゃるとおり花供養もあっていいかも知れませんね。但しお米に比べたら、お花の方は圧倒的に時代は新しいようです。お米の文化は記紀万葉の時代どころではありません。弥生式時代から、何となく湧き上がって存在していたのかも知れませんね。ましてや江戸時代まで日本文化では自然暦であったからでしょう。お花の最初は亡き主人のご先祖である室町時代の萬出小路定房さまが書かれた『看聞御記(かんもんぎょき)』(具中暦の端に書かれた漢文の日記)に書かれた記述が最も古いようです。お盆の時、盆棚に飾った花が最初だったようで、定房さまが最初に誰彼なく公開したのだとか。遡れても平安後期ではないでしょうか。但しお花の記述は御座いません。でも先生のおっしゃるように、この年の暮れに、花供養があったら、どんなにいいだろうかなぁと思われてなりませぬ。季節は違えども花供養がありますが、純粋な意味で生きた花を殺すという認識なないのではないでしょうか。切花とて、生かす心得が華道となったように思われてなりません。お花が少ない今の時季は何か哀しいですね。精々あるのは蝦蛄葉仙人掌か枇杷の花か寒蘭かクリスマスローズか山茶花などでしょうか。後は冬の真紅の木の実でしょう。池坊では六角堂でどのような供養がされているか興味深いものがありますが。
     
     川端先生の『末期の眼』は読みました。可愛がっていた三島由紀夫も、師匠川端と同じように、人間社会を一つの小さい窓でしか見なかったように思われ、お二人の絶望の深さが感じられてなりません。真善美の中で、きっと最期まで残るのは美だけでありましょうか。それだけに美は体内深く宿し、拭い去ることが出来ないのかも知れませんが、このことは誰にでも当て嵌まることではないかと推察申し上げます。末期の眼は元来佛教の言葉ではなく、飽くまでも文学的表現の一つだと思われます。私の場合は死を大覚悟すれば、自然とそれまでとは違った見方感じ方が出来るのではないかという少ない体験から来ているものです。これまでに余りにも多くの死を見詰めることが多かったせいでしょう。他愛ないことです。
     
     師走は極月とも言いますが、この極の意味はハイ、それまでよという意味であり、又新しくしなければ何事も始まらないものだよという意味でもあります。従って今月始めには宮崎県高千穂地方の方々で、高千穂神楽があり、三信遠地方の方々では霜月神楽や花祭りや冬祭りや雪祭り(いずれも湯立ての神楽)が行われております。ここ東京にいても、夥しい数の神楽の音色が聞こえて参ります。文学では鬼と言えば邪悪なものに決まっていますが、神楽に出て来る鬼は皆正義の味方で、年神さまというスーパーマンです。疲弊しきった民人の魂に、新しき年を迎えるに当たって、強い魂を注入しに来るのです。伊勢の太々神楽もその一種でしょう。一年一年をひと区切りにして前へ進む特殊な民族性が日本民族なのかも知れないですね。清めと祓いの伝統は新しくし、綺麗にし、美しく致します。暮れの行事一つ一つの中に、そうしたいとおしいオコナイと気が隠れているものと思った次第でした。今回もご寄稿戴きまして、心から感謝申し上げます!

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