ゆびきりげんまん

江戸三

 

 

                  ゆびきりげんまん

 

 

 ゆびきりげんまんとは、「指切拳万、嘘ついたら針千本飲~~ます!」と言って、もし嘘をついたら、指を切られ、然も拳骨を一万回打たれ、針を千本も飲まされる、だから断じて嘘はつかないと言う約束事の言葉であり、昔の遊女が馴染みの客との愛に、不変を誓う証として指を切断したことに由来している。そんな恐ろしい約束事を妻と一年前にしていたが、未だに果たされないで、もう今年も暮れようとしていることがある。二人で、『江戸三』に宿泊して、春日・若宮さんの御祭りを観ようと約束したことである。奈良公園の春日大社一の鳥居近辺には、馴染みの旅館が多くあって、その時々の気分によって泊まる宿を代えており、大好きな『四季亭』、その反対側にある老舗『菊水楼』、池の向こうにある朝粥の『奈良ホテル』などがお馴染みで、奈良公園内に散在する草庵風の旅館『江戸三』には、妻を一度も泊めたことはなかった。春日大社(正確には若宮神社の御祭)の御祭の時ここに泊まって、お祭り見学するのがどんなに便利でいいかと言うのが主な理由である。影向の松(ようごのまつ=能舞台に必ずある松の絵の原型)から、一の鳥居をくぐって大社に向かい左手に芝舞台があり、奈良公園のど真ん中にある江戸三の各部屋から、祭り場は直ぐだからだ。今年こそ行けると思っていたのに、十四日に社内の仕事が一段落したら、直ぐ十六日より海外支社巡りをほぼ十日間余しなければならず、針千本飲まされる羽目になるかと覚悟して、先日京都に行った時に今年は連れて行けないことを告げた。妻からは今年の暮れは大切な身体の時期にあたったし、楽しみは先に取っておいていいと言われて内心ほっとしたが、代わりに妻が調べ物があるからと言って、奈良・国博に行った折『江戸三』の写真を撮って来てくれた。半分中て付けがあったのかも知れない。でも妻はこの江戸三に宿泊して、どんなに春日・若宮さんの御祭りを二人で観たかったことだろう。紙上にて、皆様と共に御祭りを味合おうと思う。(以下三葉の写真は妻の撮影で、上下二葉は江戸三、最下段は紅葉の浮見堂である。江戸三はこのような草庵風の各部屋が奈良公園内に点在している。一庵一客)

江戸三

浮見堂

 

          日本最古の芸能尽くしの大祭典

      奈良・春日若宮神社のおん祭り (12月15日~12月18日)
                             http://www.kasugataisha.or.jp/o_index.html

 暮れも押し迫った頃、大和士(やまとざむらい)と田楽座(でんがくざ)が、奈良・春日大社の摂社である若宮さんに参詣すると言うおん祭りだが このおん祭りに出される芸能の数々こそ、日本芸能史上に燦然と輝く屈指の大祭典なのである。世阿弥が活躍した時代には、このような古い形態の芸能が、完全なカタチで残っていたであろうと考えられ、能楽大成以前には、これらの芸能が盛んに入り乱れていたのではなかろうかと、容易に推測される。舞楽・田楽・細男(せいのう)・神楽・申楽(さるがく)・和舞(やまとまい)・巫女舞(みこまい)・東遊び(あずまあそび)・稚児流鏑馬(ちごやぶさめ)など枚挙に暇がないくらい出て、その上奉納相撲や後宴の能までもあるのだから驚嘆に値する。今から千年もの昔から切に引き継がれて行われて来たこのおん祭りに、万一敢えてないとすれば、古い順から伎楽(ぎがく)・声明(しょうみょう)・風流(ふりゅう/田楽に入れても可)・狂言・歌舞伎・舞踊ぐらいなものだろう。日本の古来の芸能のすべてを、このおん祭りで一堂に見られるのだ。こうした混沌とした多種多彩な芸能の中から、現在の能楽が少しずつ醸成され、育って来たものであり、そう言う意味から言えば、このおん祭りの意義は深く、大変に重要で貴重な祭りに他ならない。

   ≪ おん祭りの日程 ≫

 12月15日 
        午後一時 大宿所祭(おおしゅくしょさい)として 大宿所詣    春日大社にて
        午後二時半~六時 御湯立ての行事                同上
        午後五時 大宿所詣                          同上
 12月16日
        午後二時頃 大和士(やまとざむらい) 宵宮詣          若宮神社にて
        午後三時頃 田楽座(でんがくざ)  宵宮詣            同上
        午後四時  宵宮祭    同上
 12月17日
        午前0時   遷幸(かんこう)の儀       若宮神社から 参道の芝舞台まで
        午前一時   暁祭                           芝舞台にて
        午前九時  本殿祭                          芝舞台にて
        正午     芸能集団によるお渡り式   興福寺旧跡~一の鳥居~芝舞台へ                        
        午後十二時五十分頃より 南大門交名の儀/最後尾の大名行列が芝舞台にて
        午後一時頃 松の下式            一の鳥居近く 影向(ようご)の松にて
        午後二時頃 競馬                          春日大社境内にて
        午後二時半 お旅所祭                       芝舞台にて
        午後二時半頃より 稚児流鏑馬及び小笠原流流鏑馬   春日大社境内にて
        午後二時半頃より 午後十時頃まで               芝舞台にて
                     神楽・東遊・田楽・細男・申楽・舞楽・和舞など挙行される
        午後十一時  遷幸(かんこう)の儀            芝舞台から若宮神社にて
 12月18日
        午後一時   奉納相撲                      春日大社境内にて
        午後二時   後宴能                        同上

 以上が おん祭りの日程の概要で、重要なお祭りが、こうしててんこ盛りで執り行われる。若宮さんの神様を、お旅所へお連れして、管弦・舞踊などをしながら、神人饗応の儀式をし、最後再び神様を、若宮さんにお連れすると言う一連の流れである。

    ≪ 見所・聞き所 ≫

 ① 宵宮詣 宵宮祭 遷幸の儀
 12月16日~17日に掛けて 一つの流れがあり、午後二時から大和士(やまとざむらい)や田楽座(でんがくざ)が、若宮神社に行き参拝する行事で、午後四時には、春日大社本殿と若宮神社の祭典が、無事に挙行されるように祈る宵宮祭が引続いてある。社殿は御幌(みほろ)と呼ばれる白い布で覆われ、その後最大の見所がある。夜半十一時半頃春日大社の宮司と神職の方々51人が若宮神社へと向かう。宮司が本殿内に入ると、神職達は白い手袋を着け、榊を手に持って本殿下で待機。午前0時ピタリに、境内の明りと言う明りはすべて消され、楽人(がくじん)による『乱声(らんじょう)』の笛の音が絶え間なく奏される中、宮司が御殿に昇り、秘文(ひもん)の祝詞を奏上した後、若宮神が出御(しゅつご)される。
 その後、神職達が「オォ~~ オォ~~」と言う警蹕(けいひつ)の声を出すが ここが素晴らしく感動する場面であり、若宮神は神職の持つ榊で、十重二十重(とえはたえ)と囲まれて、参道を一の鳥居の方向にあるお旅所(おたびしょ)へと進む。先導役は若宮神が歩く道を綺麗に清めるように、お松明(たいまつ)を引きずりながら、進んで行くが、まさに神様がいらっしゃることを実感出来る瞬間で、感動のあまり何度か涙をこぼした経験がある。そうして若宮神は、芝舞台(9㍍四方ある天然の芝で出来た舞台)の中央にある祠に移られるのが、最初の聞き所見所であろう。

  ② 暁祭(あかつきさい)
 午前一時頃若宮神社から、約1キロ離れた一の鳥居近くのお旅所に、一行が到着すると、お旅所前の瓜灯篭(うりとうろう)に火が点され、芝舞台にも篝火(かがりび)が焚かれる。お旅所へ神が移った象徴として、盛り砂の上に、松の枝を立てられ、この厳かな瞬間が堪らない魅力である。暁祭の最後に、宮司による祝詞が終わると、神聖な巫女達によって、社伝神楽が奉納される。新鮮で、澱みない空気が、張り詰めたようにぴ~~んとしていて厳粛な一瞬であり、泣きたくなるような美しさがある。

  ③ お渡り式 お旅所祭
 お旅所で待つ若宮神のもとへ、日使い(ひづかい)や巫女や芸能集団が、行列を作ってやって来る。この祭だけは興福寺主催となっていて、従って旧興福寺境内から出た行列は、三条通りから旧南大門跡を通り、一の鳥居へと進んで来る。一の鳥居をくぐり、春日宮に向かって、右側に影向(ようご)の松と呼ばれている松があり、この松こそ、あの能舞台の松そのものである。ここを通り過ぎる時、芸能集団は、必ずひと節か一定の舞を、この松の前で舞い、松の下で演じられるので、松の下式と呼ばれている仕来りになっている。すべての能舞台はこれを模して作られている。そうしてここで待って見ていると、日本の古き伝統の芸能がほとんどが見れることになり、おん祭りの一大イベントの最大の見所であろう。

 以上の三点の見所聞き所を披瀝したが、まだまだこのおん祭りには、熱心に見れば見るほど深い神域がある。但しおん祭りは信仰に一環としてあるもので、若宮神のお旅所へ行く時など、特に一切の写真撮影は禁じられている。お旅所内や影向の松の前などは自由だが、信仰の行事のお邪魔だけは避けたいものである。更に効率的に御覧になられるとしたら、16日の午後四時から始まる宵宮祭から、次の日の夜十一時の遷幸の儀まで、一連の行事として御覧になられたらいいだろう。16日の宵、神聖な芝舞台で 寒い夜を神とともに厳かに過ごされ、神様とともに夜明けを待つのは、なかなかにいいものである。

                                                                                 『櫻灯路』参照す

 

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ゆびきりげんまん への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    「指きりげんまん嘘ついたら針千本飲~ます。ぎりぎっちょん」子供の頃はこんな言い方をしていました。「指きった」の代わりに「ぎりぎっちょん」、はどんな意味があるのか。京都だけの言い方なのでしょうか。そういえば、こんな古い里謡もありました。
    ぎりぎっちょんぼ
    うそついたら 金(かね)百円
    金(きん)のかんざし 十三本
    家三つ 倉三つ
    破れたいかきに 血(ちい)三ばい
    「うそは、あかんえ。ほな、指きり」
    遠い日の友達との遊びなのか、それとも母との約束なのか。ゆびきりは、ただ口約束するだけよりも,その人のために,何か必ず守らなければならならないような気持ちになりました。これが,肌の触れ合いが持ついちばん小さな意味なのでしょう。今は離れて居る奥様とは、心の中の指きりげんまん。これほど確かなものは無いのでは。私など、いつの間にかそんなことも無くなりました・・・。

  2. 文殊 より:

            道草先生
     
     京都の「きりぎっちょんぼ」はなかなかはんなりした表現でいいですねぇ。微笑ましくなって参ります。最後に「うそは、あかんえ。ほな、指きり」と来るわけですね。なるほど暖かい表現で素晴らしいです。地方によっては、色々と違うのでしょうが、これは充分採集してなかったです。ですからどの地方でどう表現されているのか、今後の機会に調べたいです。子供を中心にした約束事の表現にしては、中身は凄いことを言っているのは変わらないかも知れませんね。それだけに嘘に対する仕打ちが酷いというものなのでしょう。確かに肌の触れ合いです。
     
     この会社を退社するまでは忙しいのは当然でして、世間的にはまだまだ酷く辛い業務があるのでしょう。当社は役員になればなるほど、きつい業務になって来ます。既に今月にはホノルルマラソンが終わっていますが、休暇の一部として社員の中で10ほどハワイに行ったままです。実はホノルルマラソンの後から、クリスマスまでハワイ各所の料金が一番安い時期に入るものですから、まだまだ薄給の若い子たちには絶好のチャンスなのでしょう。ハワイでのクリスマス飾りの写真が送られて参りましたが、やはりあったかい地方でのクリスマス飾りはピンと来ませんですね。
     
     今日一日最後の追い込みです。頑張ります。これが終わると、香港~パース~ニューヨーク~チューリッヒ~リヨン巡りが待っています。今まで口にしたことがなかったのに、妻は私の無事を心配しています。やはり親になる心得が次第に出来つつあるからでしょうか。離れていても、信じ合っています。これが僕たちの結婚の大前提だからでしょう。うふふ、道草先生がそうおっしゃると逆にオノロケに聞こえますよ。今日も有難う御座いました!
     

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