キリスト教とクリスマス

 

ノエル

                パリでクリスマスのケーキと言えば、皆ノエル(切り株)であり、切り株のケーキは何処のも大変美味しい

 

 

 

         キリスト教とクリスマス

 

 

 私たち日本人は軽薄にして巧妙、なかなかに面白い民族である。12月25日をキリストが誕生した日で、その前日は聖夜=イヴということで、今頃若い男女たちの間では、ホテルの予約やパーティなどで大騒ぎの時分であろうと思う。この現象を嘆こうと思えば嘆くことは容易であるが、最低でもキリストのことを分かろうとする日であるならば、大変結構なことであろうと思われてならない。特に私は佛教徒で異教の人間であるかも知れないが、僅かな知識の中から、私のキリスト教観をささやかに述べてみたい。

 我が少年時代、サンタ・クロースは実際にいるものだと永い間信じて来た。両親の涙も出るような努力の甲斐があったからだろう。でもさすがに中学生になると、僕は信じていると友人に言ったら、散々虚仮にされ馬鹿にされた。自宅に帰って、両親にきつく問い詰めると、両親は仕方なしに実はそうだよと告白したのだった。ガッカリしたが、もう遅かった。それでもキリストとは何だろうかと興味を抱く結果となり、自らの手でバイブルを買い求めた。中身をパラパラ捲ると、何やら難しいことが書いてありそうで、当初はそれほど読む気にはならなかった。高校生の頃になって、或る切っ掛けによって佛教に親しむ頃になってから、意外にも聖書を読む契機が出来たようだ。畏る畏る聖書を紐解く。聖書には旧約聖書と新約聖書の二部構成になっている。最初全く理解出来なかった旧約聖書の方は、分かり易い新約より遥かに奇想天外さが面白くて面白くて、記紀の世界と何ら変わりがないように思えた。天地創造・アダムとイヴ・カインとアベル・バベルの塔・ノアの箱舟などの創世記を含む律法書が最も興味深かった。人類創世からの歩みが書いてある。モーゼの十戒がある「出エジプト記」も面白かった。歴史書はイスラエル民族のことが書かれてあり、チンプンカンプンであったが、まぁまぁ大凡歴史書としてそれなりに楽しめた。「詩と知恵文学」では純粋無垢なヨブが次々に神の試練を受けるところが、人生への叡智に溢れ、感心して何度も読んだ。最後に出て来る預言者では預言というのは如何に苦痛を伴うものなんだなぁと何となく分かった。新約聖書では主に福音書が中心であって、イエスの生涯とその言葉が主に記されていた。興味深かったのは様々な手紙である。パウロなどのイエスの信徒達が信仰やその生活について書かれてあった。預言書の中ではヨハネの黙示録一巻のみで、人類滅亡の危機や恐ろしい最期の審判やノストラダムスの大預言が出て来て、戦慄が走った。要するに聖書について何を言いたいかと問われれば、歴史上最も売れたベストセラーは聖書に他ならず、それだけにその中身は色濃くあるのではないかと思われたことであった。

 門外漢の私がここでキリスト教について詳細に話すことはさし控えたいが、クリスマスらしく儀式と行事だけに絞りたいのだけれど、それがなかなか分離出来ない苦しさがあって、若干だけ中身に触れてみようと思う。キリスト教の教えの根幹をなしているのは、先ず三位一体であろう。三位一体とは父なる創造主とその子イエス・キリスト、そして聖霊の三者が一体であり、神が唯一絶対であるという根拠になっている考え方が先ず基本にあるのではあるまいか。更に聖書には人間の本質は肉体と霊魂からなり、死しても霊魂は永遠に残るというものがある。「体は殺しても、魂を殺すことが出来ない者どもを恐れるな。むしろ魂も体も地獄で滅ぼすことが出来る方を恐れなさい」(マタイによる福音書 10章28節) 更に罪について詳細に言及されている。罪とは犯罪ではない。Crimeではなく、Sinである。神の計画から離れてしまうことが罪なのであり、原罪を背負って生まれ来た人間はそもそもが罪びとである。アダムとイヴが禁断の木の実を食べてしまって、我々人間はその末裔に当たるから、元より原罪を背負っていると。一度罪を犯したものは次々と罪を重ねて行く。アダムとイヴの子・カインによる人類最初の殺人、バベルの塔の建設、ソドムとゴモラという二つの町の堕落。神は罪を犯した者には厳しい処罰を与えたが、罪とは何かを逆に知る上で重要なのは旧約聖書の中の「十戒」に代表される律法の諸法であろう。二番目の罪として神は示した「人を殺すな」「姦淫を冒すな」「嘘をつくな」「盗むな」「偶像を造るな」などの行いで律法を破ることを厳に戒めている。三番目の罪として「みだらな思いで他人の妻を見る者は誰でも、既に心の中でその女を犯したのである」(マタイによる福音書 5章28節)と。殺人や姦淫を冒してなくても、心の中であられなき欲望や相手を憎んだりしただけで罪になるというものである。然るに、三位一体と肉体と霊魂は別だとすることと罪の意識がキリスト教の太い骨格ではなかろうか。

 さて今回の記事で最も重要な行事と儀式に移ろう。先ずクリスチャンにとって、人生の節目節目にあるのが「サクラメント」である。神の恩寵を与える儀式のことで、次の七つの儀式からなる。教徒になるための「洗礼」、信仰を告白する「堅信」、イエスの体と血を象徴としてパンと葡萄酒を受ける「聖餐」、罪の許しを乞う「告解」、臨終の儀式である「終油」、聖職者の任職である「叙階」、婚姻を結ぶ「結婚」であるが、プロテスタントではこのうち洗礼と聖餐の二つしか認められていない。キリスト教には大きく分けて三つ(カトリック・東方正教会・プロテスタント)に分類されるが、このサクラメントを日本語訳ではそれぞれが違う呼び名があり、カトリックでは「秘蹟」と言い、東方正教会では「機密」と言い、プロテスタントでは「聖典礼」とそれぞれ違っている。この他信者にとって欠かせないものに、教会で開かれるミサがある。前述の七つの儀式が行われる他に、毎日曜日ごとに教会への出席は義務であり、賛美歌を歌ったり、説教を聴いたりする。イエスに因んだ行事も信仰を確認するための重要な行事であり大切なイヴェントである。代表的なお祭りは、キリストの降誕祭・復活祭・聖霊降臨日の三つである。この中の降誕祭がいわゆるクリスマスで、イエスの誕生をお祝いする行事であるが、イエスが本当に25日に生まれたかは定かではない。にも関わらず降誕祭として定着したのは、ローマの冬至祭と深く結びついたためであろうと言われている。この降誕祭に匹敵する重要な儀式は復活祭(イースター)であろう。毎年春分の後の満月の次の日曜日に行われている。もう一つ我々には馴染みがないが、イエスの復活から50日後、弟子達に聖霊が舞い降りたことを記念して聖霊降臨祭(ペンテコステ)がある。クリスマスやイースターのように派手なお祭りではないが、宗教的には大変重要なお祭りで、毎年不定期で5月の中旬頃にある。更にクリスマスには準備期間が必要で、11月27日~12月3日までを、待降祭(アドベント)と言い、クリスマス直前の心の準備期間のことを指して言っている。

 キリスト教の分裂・分派やもっと語りたいことは、実は山のようにあり、特にイエスの山上の説教など是非お話申し上げたいのであるが、純粋なクリスチャンの方々に委譲しようと思う。世界を飛び回るのに、キリスト教やユダヤ教やイスラム教の知識は必須なことで、多少勉強しただけであっても、大いに役立っているように思われる。だがよく見ると、世界で今でももっとも火薬臭いヨルダン川の近辺。ガリラヤ湖からヨルダン川を下り死海に至る一帯は、キリストに関係する場所が殆どである。家畜小屋で生まれた生誕の地は死海の西ベツレヘムであり、その直ぐ傍にはイエスが磔にされたエルサレムがある。死海の東ネボ山の下には「パブテストのヨハネ」からイエスが洗礼を受けたベタニアがあり、その反対側には「サマリアの女」の結婚歴を言い当てたヤコブの井戸があり、ガラリア湖の北方には始めてユダヤ教の会堂で説教をし、悪霊を追い出したカベナウムがあり、イエスが育った村ナザレもあり、復活したイエスに最初に出会った女マリアの出身地のマグダラがある。哀しいかな、その一帯はユダヤとキリストとイスラムがごっちゃになっている地域で、戦争がいつ果てるとも限らないのである。人間の悲哀の集積所であろうか。いずれにせよ、信仰がなくてもドンチャン騒ぎになるのは日本人だけの特性だろう。勝負下着を身にまとい、いそいそとホテルに行き、ルームチャージで食事を摂って、愛する人にプレゼントを貰う。そこまで浅はかになっていいものだろうか。馬鹿は休み休みがいいのではなかろうか。せめて家族でほのぼのと聖夜をお迎えしたいものである。キリストは紀元前4年頃生まれ、紀元後28年頃亡くなったとされていて、聖書にも生誕の記述がなく、生年月日は実際全く分かっていないものの、確かに実在した人物であることの証拠はたくさんあって、それを私は心から信じている。歴史上最大のベストセラーであるバイブル(多数の人によって書かれている)にも敬意を表して、キリストの生誕とされるクリスマスを素直に心底からお祝いしたいものであり、多くのクリスチャンの方々にお叱りを受ける覚悟をもって書かせて戴いた。慈愛の宗教にこころから敬意を表するものである。

 

 本日朝早く、グラウンド・ゼロ(爆心地の意)に行かせて戴いた。妻の縁者があの大事件で亡くなった為で、供養の祈りを捧げたかったからである。優秀な銀行マンであったと言う。前回は金網越しだったけれど、祈れた。今は災害の跡を知る術すらなく、力強く復興に向けて躍進している。と、言えば聞こえがいいが、何のことはない小さなプレートの中に押し込められていた。どうやって祈ればいいのだろうと途方に暮れる始末である。あれだけの犠牲者の真上に、再び巨大なビルを建てられようとしている。巨大な武器産業と石油利権のどす黒い闇の部分がこの国家の健康な民主主義を阻んでいる.。地球温暖化問題では、驚くほど消極的であり、我々を落胆させて余りある。そういえば、日本の建築家・安藤忠雄氏は、グラウンド・ゼロ復興コンペで、古墳のような墳墓を提言していたっけ。さすが日本人と思い、大いに胸を張れたものであったが、戦争に懲りないアメリカは、こんな風にして前進するのであろうか。熱がある為か、悔しいのか哀しいのか、滅茶苦茶泣けて来て、止め処なく涙が溢れて仕方がなかった。グラウンド・ゼロで逝かれた方々、戦争によって未だに増え続けている犠牲者に対し、こころから哀悼の意を表するものであり、冥界のあなた達とクリスマスを祝おうではないか。もう夜9時を廻った。明日はボストンで、パース移動は25日過ぎるかも知れない。これから教えて戴いたアロマ湯に入って直ぐに休もう。部下たちは元気なもので、先日までストだったブロードウェイのミュージカルに出掛けて楽しんでいる頃であろう。

ニューヨークの夜景

 

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キリスト教とクリスマス への4件のフィードバック

  1. 道草 より:

    私が初めてクリスマスプレゼントを貰った記憶は3歳の頃でしょうか、吸い口が黄色の真っ赤なセルロイドの玩具のラッパでした。西陣の小さな借家にある、台所の竃の細い煙突が乏しい煙を出していました。そんな所からサンタクロースが来るはずもないのに、素直に信じていたそんな時代でした。国民(小)学校へ上がって間もなく丹波へ疎開して、書籍などほとんど買って貰えなかった私は、家にある本を手当たり次第に読みました。その内の一冊に「旧約聖書物語り」(正式な署名は忘れました)があって、硯水亭Ⅱさんが挙げておられる氏名や地名を覚えたものです。これ以外にもダビデとゴリアテとかイスカリオテのユダとかモーゼとか、何度も読み返して暗記してしまいました。その頃の丹波ではクリスマスの風習はなく、サンタクロースが来たのは我が家だけでした。そのことを級友に話しても、疑わしそうな目で見られただけです。私も4年生の頃からはサンタクロースの実態を知り、イヴの夜は寝床へ入っても眠らないように必死で目を瞑って息を潜めていました。両親が枕元の靴下へプレゼントを入れるのを確認して、安らかな(?)眠りに就いたものです。思えばイヤな餓鬼だったかも知れません。それに比べ、硯水亭Ⅱさんは何と素直な子供だったのかと、今さらの如く反省頻りです。
    両親が結婚前に洗礼を受けたとかで、母が子守唄の代わりによく賛美歌を歌ってくれたのを覚えています。私にはキリスト教は無縁で関心もありませんが、ただ一つだけ感心したことがあります。母の葬儀は遺言で丹波の教会で執り行いました。その日、牧師が説教の中で、母が洗礼を受けた日時と場所を公表したことです。戦前(昭和10年頃=1935年)の記録が残されているのです。全世界の総ての記録が残されているのでしょうか。これには驚きました。その後、母の遺骨は菩提寺(曹洞宗)の墓に納めたのですが、何だか教会に悪いような気がして弱っています。もう3回忌が済みました。父の遺骨は40年前に菩提寺へ直接納めています。今は教会ともクリスマスとも無縁です。
    「おやすみ」   三木露風
     お眠(やす)み お眠み 雁がなく
    親の雁か 子の雁か
    青い月夜に なきわたる
     
    雁のお山は 真っ白に
    雪のあたまが とんがって
    ひゅうる ひゅうる 風が吹く
     
    おやすみ おやすみ 鐘がなる
    風の絶間に 鐘がなる
    聖寺(おてら)の屋根から 鐘がなる
     
    枯れた 葉っぱは かさこそと
    サンタクロスは こっそりと
    窓をたたいて おりまする
     
    お部屋の中は 明るい灯
    毛糸の寝巻に くるまって
    おやすみ おやすみ 鐘がなる
     

  2. 文殊 より:

           道草先生
     
     おはよう御座います。今朝はやや持ち直しています。お陰さまです。現在朝の7時半を過ぎたところです。そうでしたか。先生のお母様が洗礼を受けられていたとは驚きです。当時はハイカラというわけではなく、こころの底から確固たる信念のもとでご信仰をされていらっしゃったものと思われます。多分プロテスタントでしたしょうか。先生はきっと多くのことを、お母様から学ばれたこととお察し申し上げます。当時サンタクロースが来られるお宅自身が少なかっただろうと思われ、お母様の思いの丈を充分に想像させて戴いております。きっとお優しいお母様であられたことでしょう。悪がき仲間の中にあっても、そうして信じていらっしゃった道草先生は立派だったと思います。私はご存知の通り、真言密教の徒でありますが、どのような宗教にも興味があって、どんな宗教にもそれはそれで尊重させて戴いております。私の最も早い宗教は実はキリスト教だったかも知れないからですが、佛教もキリスト教も、今更分別はないでしょう。曹洞宗はそれこそ世界に開かれた宗教です。多分それはそれで間違いはないものと思われます。櫻山に佛教の寺院や蔵王堂などの修験者の道場を作る予定ですが、キリスト教の教会も作る予定になっております。もし先生のお気持ちがあれば、造られたその時分骨させて戴きまして、ご丁重にすることだって可能ではないでしょうか。
     
     もうこのような出張は無理です。なるべく速く櫻山に取り掛かりたいと決心したところです。いい夢をたくさん見たいものです。今日もクリスマスぴったりの詩歌を有難う御座いました。ではそろそろ行って参ります!!!
     

  3. みつえ より:

    硯水亭さま
    お熱が下がらないご様子 飛んでまいりました。日本であるなら 柚子の蜂蜜漬けをお湯で暖かくしてぐっすりお休みになるのが一番ですのに
    それもなされないのでしょう・・・。
    愛の力を送ります。ご無事お帰りに成られます事を念じて。
    クリスマスの話題でなく恐縮ですが・・・
    本日出雲大社相模分祠さまにて 神社さまお身内だけの新嘗祭が執り行われドングリを奉納させていただきました。
    このドングリは正確には熊野神社の赤樫の実で妹が拾い集めたものです。
    神の望む平安の世を未来に繋ぐ中今のお役目をはたさせていただきますように祈念いたしました。
    おなたさまの 果そうとなさるお役目もわたくしのお役目も
    天命の道でありたい であればこそ 
    うれしうれし たのしたのし 弥栄 弥栄
    喜び 笑顔でまいりましょ
    元気出して下さいませね!
     
     

  4. 文殊 より:

             野の花さま
     
     やっと冷え冷えのボストンから帰って参りました。多分明日で終われると思うのですが、まだニューヨークでの仕事が残っております。ニューヨークも今にも雪が降りそうな嫌な感じの天候です。日中は8度ぐらいですが、夜ともなると、零下になっちゃいますから、いつ雪になってもおかしくありません。中西部では既に大雪の情報がテレビで流されています。
     
     ご心配をお掛けしております。これって単なる風邪ではないのではと、病院に行こうかどうしようか迷いに迷っております。これからパースに行くにも日本に帰るにも、もしかしたら検疫で引っ掛かったら、それこそ大変ですから。強制入院の憂き目に合ってしまいます。普段35度が平熱なのですが、欧州に行った二日目から、36,5度ぐらいの微熱が続いています。ニューヨークより寒いボストンに行って、用足ししていたら、益々熱が上がって来て、現在は37度を越しています。検査するだけでいいから、病院に行こうと皆さんから提案されています。今後のスケジュールも調整しなければならず、何とか耐えて頑張ろうと腹をくくっているところです。でも今夜の状態を見て、ひと晩眠ってから、明日にでも判断したいと存じます。
     
     野の花さまと私でやるお仕事は、お互いに気が遠くなるようなものですが、ずっと会社の仕事があった私はそろそろ退社して、櫻の財団に本腰を入れたいと決意しているところです。その為の海外支店周りをしているようなものでして、仕事の内容の限定や場合によっては撤退なども検討しておりますが、各視点ごとにそれぞれ永い歴史があって、まぁ色々と事情があるものでして、少々時間が掛かるなぁという印象です。そうかと言って、私の方は歩くことを止めるわけには行きません。これからですもの。野の花さまの熱い情熱に負けないように、頑張ります。これから益々交流させて戴きたく、心からお願い申し上げます。現在夕方の6時半です。食べる気力がありません。栄養剤で、妻に電話してから、早めに休むことに致します!今日も有難う御座いました!
     

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