パースにて 『梁塵秘抄』

 

竜飛岬

                                                主人の絵で 「春の竜飛」

 

 

                 パースにて 『梁塵秘抄』

 

 このところオーストラリア東部ブリスベンなどの地方では大雨や洪水で大変なことになっているらしいが、パースは快適そのもので、この町だけは他の町とは全く違う様相を呈している。第一実験的にではあるが、パースだけ夏時間を導入し日本との時差はない(通常パースとは1時間差)。病院の職員の方に夏時間のことを尋ねると、決まって評判が悪く、来年まで続けてもし駄目だったら、又元に戻すらしいが、日本人のツーリストにはこの方が有難いことであって、内陸部の灼熱地帯とは比べものにならないくらい頗る快適な港町なのである。時々気温が下がるので、空調を切られることが何度かあった。今回は気侭な旅ではなかったのだが、パースは南半球全部の金融機関の隠れたメッカであり、ここにいればメルボルンやシドニーにいるより遥かに情報を得やすいのである。南米やアフリカの情報だって充分容易に情報収集出来る。でも半端かも知れない今回の旅のお伴に、私はたった一冊だけ本を持って歩いた。文庫本の『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』である。

 『梁塵秘抄』は後鳥羽上皇(1127~1192)の撰による今様(いまよう)の歌謡集である。末期的平家とのお付き合いから始まって、源平合戦を経、鎌倉幕府との確執など政治の表舞台では様々な評判があって、容易に評価がなかなか定まらない後鳥羽院ではあるが、一方今様狂いの方で、咽喉を三度も潰したことがあったと言われているぐらい今様が大好きであった。今様とは所謂今日で言う歌謡曲のようなもので、流行り歌の一種と考えるべきであろう。しかも遊女(あそび=遊女)や傀儡子(くぐつし=人形師)や白拍子(しらびょうし=鳥烏帽子をかぶった芸子)や語り部たちが節をつけ、多分何かのお囃子があって歌われていたものであったろう。卑賤の者たちの歌がそれほど後鳥羽上皇まで熱狂させたぐらいであったのだから、余程のインパクトがあったに違いない。後鳥羽院も、平安末期の末法思想(まっぽうしそう)から浄土思想(じょうどしそう)に移行する時期であったので、その影響もただならずあったのではあるまいか。後鳥羽院はその色彩に深く彩られた今様をこよなく愛され、政治の急変やはかなさを、心の奥底で慰められたのではなかろうか。殆ど仏教的色彩が濃い歌謡だが、庶民の呻吟や哀調がはっきりと見聞することが出来る。日本文学史上稀に見るこの種の優れた歌謡が、こうして僅かだが今日の我々に残されたのであった。

 私の場合専門家ではないので、主に永く放吟することに慣れて来た。七五調で調子がよく、当時の庶民の思いや願いが手に取るように分かるような思いである。後鳥羽院と同世代の西行の『山家集』と共に、いつもは二冊とも手放さない習慣が出来ている。話は変わるが、最近小学生から株券を扱える子がいると聞く。情けない話で、すべて金銭が支配する世の中に成り下がってしまったようだが、実は経済なんてどうでもいいことで、大切なことはすべての根底に潜む精神性であろう。現役の人間の証言だから間違いはない。世の中の現象を、中身を深く見詰める習慣をつける必要がありそうであり、卑賤の者にだって高々と歌い上げるイノチの讃歌と愛惜。何よりも先ず必要なことはそれではなかろうか。平家物語の祇王・祇女(ぎおう・ぎじょ)の段に出て来る仏御前(ほとけごぜ=祇王姉妹と同じ白拍子)が歌った今様歌は、梁塵秘抄の次の歌であった。「仏はつねにいませども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる 人の音せず暁(あかつき)に ほのかに夢に見えたまふ」(大意=仏様はいつも私たちの傍においでであるが、現実にはこの眼で見ることが出来ない。ただ夢か現か分からない早暁のうっすらとした時仏様を観じることが出来る) 梁塵秘抄の数多くある仏歌と言われる歌の代表格であるが、嵯峨野の祇王寺の縁起を知り、素直に読めば読むほどしみじみと迫って来るものがある。又誰しもご存知の歌「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば わが身さえこそ動(ゆる)がるれ」(大意=私は遊女として遊ぶために生まれて来たのだろうか、戯れるために生まれて来たのだろうか。純粋無垢な子供たちの遊ぶ声を聞けば、私の身体も動かされる。所詮遊ぶためなら、子供のように無垢に遊んで生きていたいものだ~但し解釈は私の解釈であり、異説あり) 又恋の歌に色香のあるこんな歌がある。「恋ひ恋ひて 邂逅(たまさか)に逢ひて 寝たる夜の夢は如何見る さしさしきしとたくとこそみれ」(大意=恋しくて恋しくてようやくやっとその恋しい人に逢えた。その夜の夢は何をみよう。腕と腕をさしあって抱き合い、キシリと音が出るまで抱き締め合おう。そんな夢を見続けていたいものだ) 又仏歌に「仏も昔は人なりき 我等も終(つい)には仏なり 三身仏性具(ぐ)せる身と 知らざりけるこそあはれな仏れ」(大意=仏も昔は人に過ぎなかった。私たちも最後に仏様になる得る身である。三身仏(法身、応身、法身の三つの仏)になることの出来る性質がそなわっている身体である。そんなことも知らないで生きていくことは寂しいことだ) 梁塵秘抄は全十巻のうち僅かに二巻しか現存されていないものだが、歌の一つ一つが実に真実観に溢れているのである。それがただ歌唱を読むだけではなく、節があってお囃子もつくとなったら、どんな印象に変わって受け取るれのだろうか。興味津々と言うところだろう。

 実は今こそが平安末期のような末法の時代ではなかろうか。これだけ科学万能の時代に、地球温暖化で人類生存の危機が叫ばれている。枯渇する地下資源を目当てに幾らでも戦争が起きる。どこにでも蔓延る無神経さ。暴力の連鎖。原理主義者たちの暴走。エゴとエゴのぶつかり合い。武器商人の深い闇。麻薬の横行。黒いお金のマネー・ロンダリング。世界のどこかでコホンと咳すれば、どの国家の経済も途端に激しく乱高下する。変貌した時代の格差。私は世界を歩いて、梁塵秘抄の豊かな発想と願いが切実に分かって来る思いがする。あのワンガリ・モータイさんが提唱した『MOTTAINAI』だって、実は物質だけのことではなく、まさしく日本的な深い精神性があることを気づくのだが・・・・・・。

 今日は晴れた戸外を散歩することが出来た。愈々火曜日に退院で、直ぐ日本に帰りたい。日本ではどこかで「初なぎ」があったのであろうか。七草の頃になると「小寒」で愈々「寒の入り」であろうし、寒さの本番である。手足が千切れるほどの「鎌いたち」も出る頃だろうか。今回の入院で抗体も出来ただろう。こんなに心が急く帰国はなかった。熱にうなされながら入院中何度も梁塵秘抄を読んで元気を戴いた。ここに主人の若かりし頃の元気な春の竜飛岬の絵を掲載して元気を貰い、こっしょりとこれを真夜中にアップさせて戴きました。早く恋しい日本に帰ろうと思います。愈々嬉しい限りです。皆様には本当にご心配をお掛け致しました。有難う御座いました。(下図写真はフリーマントル郊外の風景です)

 パース

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パースにて 『梁塵秘抄』 への6件のフィードバック

  1. 道草 より:

    小寒に入った昨日の京都は、最高12.4度と3月半ば並みの気温でした。北野天満宮の寒紅梅が例年より3日早く膨らみ始めたそうです。それでも、昨年よりは4日遅いとか。季節は実に気紛れ。平年より早いとか前年より遅いとか、一喜一憂するのが人間の哀しき(愛しき?)性なのかも知れません。硯水亭Ⅱさんも完全に体調が快復され、愈々香の君の下(元・基・素・許・本・・・)へと逸る気持ちを抑えきれない状況に在られることでしょう。「梁塵秘抄」は、高校時代に古文でさわりの部分を習っただけですが、梁塵博士の硯水亭Ⅱさんのご見解はまさに正鵠を得たものと納得です。現世諸般の悲嘆すべき若しくは悲惨とも言を弄すべき現況を、只傍観せざるを得ぬ我が身を恥じ入るばかりです。せめて己れ独りだけでも毅然とすべし、と褌締の念や切ではあります。どうか、一刻も早い無事なるご帰還を祈念致して居ります。 
    遊びをせんとや生れけん、戯れせんとや生れけん  遊ぶ子供の声きけば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ   
    舞へ舞へ蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん踏破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん 
    恋しとよ君恋しとよ床しとよ、逢はばや見ばや見ばや見えばや
    仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ

  2. 文殊 より:

             道草先生
     
     おはよう御座います。今朝一番の診察でほぼ治癒されたと聞き、ほっとしています。お陰様で明朝退院することが出来ることに相成りました。先生にはどれほどのご心配をお掛け申し上げたことでしょう。本当に申し訳ありませんでした。これで帰れると思ったら、逸る気持ちを抑えるのが大変です。早速パースから成田への直行便(週三便のみ)かジャカルタ乗り継ぎの成田へか、当社支店にチケットの予約を御願いしたばかりです。
     
     一刻も早く妻の下に馳せ参じたいのですが、弊社CEOへの報告やら、若干の挨拶回りがあります。更に長らくご無沙汰をしてしまった父への思いもありますし、毎年初詣は先ず母への墓参と決まっておりますから、父と墓参に参りとう御座います。そんな順序を経てから、急ぎ京都へ参ろうかと存じております。詰まらぬことなのですが、ここにも少々の順序がありまして、妻の下へ参るのは、帰ってから丸一日後になることでしょう。心配を掛けてしまった妻には、思い切り労わってあげたいと存じております。
     
     夕べから興奮が抑えられません。従って真夜中に、今回の記事をアップしてしまいました。ここオーストラリアでは医療費は国民には無料で、老人ホームはリタイアメントビレッジとかナーシングホームと呼ばれ、オーストラリア政府あげてバックアップされています。しかも老人ホームらしくないのです。一般のホテルやアパルトマンと見紛うばかりで、実に開放的で羨ましい限りの制度でした。ついうっかりと長居してしまいそうですが、今回ばかりは事情が違いますから、早く帰ります。天神さまの梅の花が膨らんで来たのですねぇ。初天神を待たずに梅花膨らむとは、何だかウキウキしてしまいそうです。
     
     梁塵秘抄は去年亡くなられた阿久悠さんの全歌詞を読むようなものでして。仏語が出て来るわりには、決して難しいものではなく、千年の昔の我々だと思えば、余計に愛着が生まれて来るような気が致します。今日もおいで戴き、心から感謝申し上げます!

  3. (Kazane) より:

    ご主人様の絵、素敵ですね。私、こういう色合い、大好きなんです。硯水亭さん、いよいよ退院ですね。本当に安心しました!興奮しすぎて疲れてしまわないようにして下さいね(^^) 今日も、いろいろ勉強させていただき、ありがとうございました♪ 

  4. 文殊 より:

           風音さま
     
     今夜は嬉しくて嬉しくて、容易に眠れそうにありませぬ。明日退院と同時に、
    日本に帰れるんですから。心臓の異常に脈拍が凄いので、今安定剤を戴いて飲んだところです。
    風音さんや夕ひばりさんや道草先生や他の方、今私が愛する方々が大勢いらっしゃる日本に帰れる、
    それがどんなに嬉しいことでしょうか。今日は海辺まで散歩に行きました。イルカさんはいません
    でしたが、エイが堂々と泳いでいました。貴女のように写真が上手であれば、早速撮れたのにと
    至極残念な思いが致しましたが、その気持ちだけはお届けしたいですね。
     
     大雨や洪水で散々な東部地区を除いて、ここパースは快適です。真夏から真冬へ、
    少々の不安がありますが、眼一杯厚着をして何とか日本の風土に馴染もうと思っています。
    今日は七草。四辻が大臣のお出ましですが、僕はまだお雑煮も戴いておりませぬ。
    お雑煮と大好物の辛味餅を戴きたいなぁと思っています。さてそろそろお休みします。
    風音家に、今年の素敵な風が吹くように、心からお祈りしています!有難う御座いました!!
     

  5. Unknown より:

    硯水亭Ⅱさん
    こんにちは。確かにご無事でお帰りになったのですね !
    本当に嬉しいです。もう京都にお着きになったでしょうか・・・
     
    いつか『梁塵秘抄』についてまとめて書いて下さるとおっしゃっていたので楽しみにしていました。
    まさか海外で書かれるとは思ってもみませんでしたが、旅のお伴として持っていかれたのですね。
    きっと心の拠り所となっていたことでしょう。
    「遊びをせんとや・・・」が私の心の中に入ってきたのはいつのことだったでしょう。少女の頃に何かの機会で知ったのでしょう。
    ただそれだけを知っていて、他にどのような歌があるのか調べようとも思わず長い月日が経ちました。
    ある日新聞の小さなコラムで「仏はつねにいませども・・・」を知りました。何て素敵な、と思いました。これはストンと心に落ちて、以後ずっと在ります。まるでこの歌自体が仏様であるかのように。
     
    今回の記事で歴史的背景など勉強させていただきました。
    ありがとうございます。
    当時fどのような節がついていたのでしょう、興味は尽きません。
     
    今夜は「恋ひ恋ひて・・・」の歌を実感されるでしょうね♪
     
     
     

  6. 文殊 より:

              夕ひばりさま
     
     気付くのは遅くなってしまい、コメ返が遅れてしまったことを深くお詫び申し上げます。さて海外に主人と一緒に常に出掛けていたのは、かれこれ20年以上も前のことだったでしょうか。半分は海外で見聞きし楽しんでいたように思われます。主人のご自宅があるチューリッヒを中心にリヨン・パリ・ニース・バルセロナ・アテネ・ローマなど。パースを中心にボラボラ島は無論タヒチやニュージーランド。ニューヨークのご自宅のマンションを中心にアメリカ各地。ハワイのオアフにあるご自宅を中心にハワイ島全部。更にアンカレッジからユーコン川へ向かって200キロ行った山荘などなど、思う存分楽しんでいました。勿論仕事をしながらですが、或る時主人がふと日本文学大系を読み出し、群書類従まで類が及ぶと、次第に日本国内に眼が行くようになりました。日本人としてのDNAに目覚めたのでしょうか。主人は頻りに源氏物語や紫式部日記など、平安王朝の文学から入って行きました。私はつられて、主に中世文学から入って行ったと思います。そんな関係で、それ以来海外に行くんでも必ず日本文学の本を最低一冊持って廻ります。今回は慣れ親しんだ梁塵秘抄でした。
     
     梁塵秘抄はやたらと漢字や佛教言葉が多く、取り付きにくい面があるのですが、構わずそれなりに音読みなどをしているうちに自然に脳裏に染み付いて来るものがあり、それはこの書の持っている性格なんだと随分後で知る結果となりました。今でも評伝や評論や論文など一切読みません。梁塵秘抄そのものを頑なに読んでいるだけです。ひと皮むけば本当に優しさに溢れた庶民の喘ぎや願いがてんこ盛りです。むしろこの時代の人たちの方が幸せであるのだろうかと思わせるものがあります。この時代の老人たちは皆信仰をよぎなくされておりました。今時のご老人は、そうした信仰すら持っていない方が多いのではないかと思われます。信仰とまでは行かなくても信心だけでもいいのではないかと、いつもそう思うことが多いです。
     
     我等は何して老いぬらん 思へばいとこそあはれなれ 今は西方極楽の 弥陀の誓を念ずべし
     暁静かに寝覚めして 思へば涙ぞ抑へ敢(あ)へぬ はかなく此の世を過ぐしては いつかは浄土へ参るべき
     たまたま今流行の老人問題で、二首を書かせて戴きましたが、この時代の卑賤なるかたがたの思いはいたく尊いと、祈りを込めて思うことが多いんです。どうぞ機会がありましたら、慣れてみて下さりまし!それにしては、夕ひばりさまは育児や家事や様々な雑多なことが多いのに、少しの時間を見つけては大いなる向上心は素敵です。
     昨日のお昼に京都に着きました。何処へも出掛けず、妻とそう多くも語らず、共に食べたり飲んだり本を読んだりして、ノンビリと過ごしています。少しお腹が出ていまして、夕べは優しく手をつないで休みました。やはり一つ屋根の下にいる時の方が妻はいい顔をしています。淋しい妻にはしたくないです。お腹を大きくして学校は大丈夫かと尋ねましたら、学生たちは小さなカラスだから大丈夫だから心配は一切要らないと一笑にふされて言われました。何か歓びがふつふつと湧き上がって来るのを感じました。今日もおいで戴き、本当に有難う御座いました!

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