こと始め

          チューリップ針供養仁和寺の寒櫻

 

 

 

                                          こと始め

 

 本日は『こと始め』であるが、現代では殆ど死後のようになってしまった。嘗ては全国津々浦々にあった淑やかな行事であった。12月8日を『こと納め』といい、すべての農作業の終了であり、この日に法輪寺などでは『針供養』が行われる。明けて2月8日には『こと始め』として、やはり同じように京都の法輪寺や和歌山県の淡島神社(人形供養や流し雛で有名な淡島神社関係だけでも全国に1000社がある)などで『針供養』があり、農作業の始まりとなっている。雪深い地方では農作業と言っても、さほどではないが林檎などの果樹の剪定などが忙しなく行われ、用具の見直しなど、この時期におさおさ怠りなく始まる。北は雪祭り、南は櫻祭りの南北に細長い日本列島では多彩な『こと始め』が地方地方に似合った形であったのである。この日女性陣は手仕事を休み、曲がった針や使用済みになった針を柔らかい豆腐や蒟蒻などに刺し、お針の魂にお疲れさまの優しき心で供養してさしあげる。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が松江にいた時代には、このような繊細な行事が数多く残っていて日本は素晴らしい国家だと絶賛されたものだったが、今や通常生活上での『日本人独特の節』は風前の灯火となっている。

 『和の心』は特別なものではない。座禅とか琳派だとかそんな特別なことだけを言っているのではない。普段の生活の中に生かされてあること、そこに四季折々に働く繊細な神経が行き届いて通っているかどうかが重要であるのだろう。日々の生活をいとおしく暮らし、日々の生活を丁寧に大切に生きて行くことが、日本人の持つ『和の心』の真髄であると思う。又バレンタイン・デーがやって来る。お菓子会社が昭和30年代に始めたことから例年一喜一憂しているだけのことではないだろうか。カップルでホテルをリザーブするなどと言ったクリスマスの馬鹿騒ぎだって外国から見たらお笑い草でしかない。信仰の背景は必要ないことなのだろうか。更に恵方巻きといい、大阪・船場の海苔業者の思惑に乗っているだけである。まぁそれもそれぞれ悪いとは言わないが、古へより大切にして来た日本の佳き伝統と行事を蔑ろにするとなったら問題である。より一層国際化の時代を迎えるにあたり、我が国の国民としての重要な意識を大切にして戴きたいと敢えて力説せざるを得ない。そうでないと日本は本当の独立国家と言われなくなるばかりか、主体性を喪失した軽薄な国民と受け取られかねない。大いに危惧を感じる事態である。寺社仏閣へ行かないまでも、お豆腐に針を刺して両手を合わせることだけでもいいのではないだろうか。それが日本人としての優しさであるのなら。

 

お守り

 

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こと始め への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    2月8日は針供養の日。朝から待望の雪が降りました。早朝から山陰沿線の母校(高校)へ編集会議で出向き、駅から学校まで雪の峠を歩いて来ました。午後に帰宅しましたら、我が家の周辺も本格的な雪になっています。針供養といえば、昔の家庭には必ず針箱がありました。我が家では「針差(刺?)し」と呼んでいました。大・中・小と引き出しがあって、それぞれに入れる物が決まっていましたっけ。一番上の天蓋を開けると、幾本もの針を刺した針山が出て来ました。母の目を盗んで様々な色坊主の付いた待針を持ち出して、蜥蜴の尻尾を突き刺したり、竹垣の上に蜻蛉を固定したり、つまり、生物の実習に活用したものです・・・。供養の日には、母が折れた針を蒟蒻に刺して、裏の柘榴の根元に埋めていました。私の悪戯(いたずら)を知っていて、それも併せて供養していたのかも分かりません。裁縫といえば、思い出すことが他にもあります。高校3年生の春に岡崎グランドで排球(その頃は漢字で書いていました)の府下大会あり、私も選手(9人制で前衛のレフトでした)で出場しました。試合前に胸に付けた校名のゼッケンの糸が切れて、その半分がぶら下がってしまいました。どうしたものか困惑していると、応援に来てくれていた2年生の女生徒が私を木蔭へ呼んで、針と糸を取り出して手際よく縫い付けてくれたのです。あの頃の女の子は、身だしなみとして携帯用の小さな裁縫具を持っていたのでした。活発な可愛い女の子でした。今はどうしておりますやら。遊びに来た孫の洋服の綻びを、老眼鏡越しに縫ってやっているかも知れません。「いつしかに失せゆく針の供養かな」(松本たかし)。

  2. 文殊 より:

          道草先生
     
     そうでしたか、漸く降ったのですね。何よりも嬉しいです。こちらは結局全く積もりませんでした。夜中に雨になっていたのですが、同じ東京でも都心と都下では違うものですね。先生におかれましては、待望の雪歓酒になって余程嬉しかったに違いありません。私はついうっかりしていましたね。そんなにお歓びの先生に似合いのモノがあったのにと悔やまれてなりません。でも今からでも遅くはないですね。しっかりしろと自分に言い聞かせております。
     
     針供養やこと始めやこと納めなどは既に消えかかった行事で、仕方がないのでしょうか。消え去るものは次第に多くなってゆきます。山村の斜面しか耕作部分がない集落では、殆どのお祭りはなくなりました。人が住んでいないのですからしょうがないんでしょうね。山の里を下りて、町場で暮らす人が圧倒的に多いからで、山ノ神も田ノ神もその存在すら危うい状況です。日本の政治の貧困さはいい加減にして欲しいという一心です。都市に一極集中して、食品はすべて海外に頼って、その反面耕作面積が極端に少なくなり離農者が増えて、今後どうするつもりなのでしょう。グローバル化は結構なことですが、我が国の事情は事情としてきちんと主張しないから、こんな体たらくな状況になってしまうのですね。今から40年前と20年前に全国のお祭りの調査をしましたが、残っていたのはたった20年間で半分に満たなかったのです。商業主義的に採算が合うものは間違いなく観光化されて残って行くでしょうが、民間にたおやかにひっそりと残っていた優しさに溢れた祭りが次々に消滅して行ったのです。
     
     先生のお宅ではお母様がそんな風にしておられたのですね。素敵なことではないでしょうか。柘榴もさぞかし本望だと思われてなりません。又近年お裁縫の携帯用を持ち歩く人をチラチラ見掛けます。当社従業員の女の子たちにも聞きましたら、約半数が持っていました。私でさえちょっとした針仕事をします。独り住まいが永かったからかもしれませんが、ボタンやちょっとした繕いぐらいお手の物です。洋服でも和服でも必須のアイテムです。特に海外に出掛けた時なぞは必ず裁縫道具と日本で揃える買い薬は必須です。
     
     先生の学生時代9人制のバレーボールだったのですね。それだけでも何か懐かしさが彷彿として来るような気がします。掛け声の「ヨイショ」とか「おいさっ」とか掛けられたのでしょうね。9人もいたら、そのボールを誰が処理すべきか様々な難題があったことでしょう。でも瀬戸内少年野球団の映画のような場面を想像します。大勢で大いに盛り上がって楽しかった思い出であったのでしょう。又素敵な女の子もいたものですね。恥じらいながら繕ってもらう先生のお顔が想像出来ます。周囲の子からヤイノヤイノと言われたことでしょう。淡い恋心も芽生えかねません。先生のそれらの情景が美しく情念となり、現在の先生を支えていらっしゃるのだと思われてなりませぬ。貧困だったけれど、余程今の子より情操豊かに育ち、たおやかな人生の柱になられたことでしょう。その一端を見せて戴き、いつも想像ながら楽しく読ませて戴いております。ここに来る多くの読者も先生のコメントを楽しみにしているようです。このブログは実質一年になりますが、アクセス総数が10万に達しようとしています。殆どお知り合いの方々が多いのですが、それもこれも先生のお陰だと深く感謝しております。有難う御座いました。

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