涅槃会 ニルヴァーナ

 

室生寺・弥勒堂の釈迦如来坐像

 

 

 

 

                                                         涅槃会 ニルヴァーナ

 

 

 

 

 願はくば花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃 (西行)

 

 

 

 

 

 

 今日は涅槃会、釈尊の入滅の日である。全国津々浦々の御寺々では厳かな法要が営まれたことであろう。涅槃とは佛果が完成した日のことで、本来は旧暦の2月15日をさすのであろう。西行が乞い願って弘川寺にて果てた日は次の日の2月16日。今夜は仕事にて自宅に遅く帰り、それでも偉大なる釈尊と愛すべき西行と釈迦誕生の日に生まれた亡き主人と、更に西行も交流があった私の好きな明恵の皆さまにつき動かされ、今日中にひと言だけでも書けと。実際は何も書けないのだが、櫻灯路でプロフィールに使わせて戴いているパソコン画を出させて戴いてお許しを乞いたい。この絵は亡き主人の描いた絵で、室生寺の弥勒堂にある釈迦坐像である。遅くなったものの、これから今夜中に般若心経を読経して今日を終わりたい。

 

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涅槃会 ニルヴァーナ への4件のフィードバック

  1. 道草 より:

    ニルヴァーナとは、釈迦の死から推して一切の煩悩の境地を離れた寂莫の境地、悟りの境地を指すとか。つまり、いずれにしても現生の煩悩や迷妄から超越した境地のことなのありましょう。とすれば、余りにも我が日々から縁遠い彼岸の域ではあります。同じ西行に「風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬ我が思ひかな」とあるのは、彼もまた煩悩多き人間だったのかもしれません。如月の半ばの京都は気温も低く沙羅の蕾も頑ななまま、やっと白梅が綻び始めたばかりです。「世は泣いて迦葉は笑ふ涅槃かな」(伊藤信徳)。拈華微笑して「わが仏法を知る者は汝か」と釈迦に言われた十大弟子の筆頭大迦葉は、しかしどの十大弟子像を見ても、十人の中で最も厳しく眉を顰めた顔に彫り描かれているそうです。釈迦の高弟と雖も、人の世を真に識る者は尠いと言うことでしょうか。京都の広河原で積雪125センチと、今冬の新記録を更新しました。まだ暫らく寒い日が続きそうです。

  2. (Kazane) より:

    硯水亭さん、こんばんは。やはりご主人様の絵だったのですね。色合いや雰囲気で、そうかな…と。何度か見せていただいた空の絵に、どこか通じるところがある気がして…。 硯水亭さん、お忙しい日を送られているようですね。私の頭の中では、硯水亭さんも、石田衣良さんも同じくらい忙しい方…という感じが!そしてそれにも関わらず、時間に追われることなく自分のペースで過ごされているという点も似ていて…(^^)やはり、しっかりと自分の道を歩んでいる方は、素敵ですね♪ 

  3. 文殊 より:

            道草先生
     
     このところどうしても抜けられないお付き合いが続いていまして、今夜は漸く今頃帰りました。釈迦最後の経典は涅槃経というのがありますが、これが最期の教えです。生きとし生きるものへ勇気をくれるものであります。釈尊の偉大さがよく分かるような気が致します。最期まで渾身の教えを説いた姿勢と世界に類例をみない佛教の偉大さを示しているものです。高村光太郎の詩に『元素智恵子』という詩がありますが、元素、或いは粒子、まさしくそれは釈尊と言え、元素に返る悟りの瞬間だったのでしょう。旧暦の2月15日が本来ですから、今年は法隆寺お会式の3月22日であります。西行が望んだ釈尊の入滅の日はまさにこの旧暦の日を言っています。従って櫻は早咲きの江戸彼岸や山櫻は咲き始めていたことでしょう。仏には櫻の花をという題した拙文がありますが、本来はどうやら旧暦の日を言っているようです。従って旧暦で涅槃会をする御寺も御座います。
     
     曼荼羅世界の中の人間として、我々は存在しています。悟りには程遠い人間たちが殆どなのでしょう。無論私はその最たるものでありますが、煩悩が多いからこそ、何とかならないかと、幾許もないこの人生をしっかりと見据えているのではないでしょうか。先生のお書きになられる文章には、あんなに確執があった父親の存在を完全に肯定しているのが、花巻・山口部落で山居生活の一端でした。先生のお書きになられる文章にもそうした何かを許しながら過ぎ去りし日を見詰めていらっしゃるのだと思えてなりませぬ。苦しかった何かをご自分が書くことで許しているようでなりません。
     
     西行の歌は我々と同じ俗なるものが多く存在しています。超俗の詩人と受け取るのは間違いですね。恋多き人で、坊主になった後からも朝廷からの密使として世間に出て活躍していました。但しそれだけ俗っぽいところがあったからこそ、我々の胸中の襞に強か迫って来るモノがあるのでしょう。その西行が孤高の人で決して徒党を組まなかった明恵と親交があったのはせめてもの救いだったのかも知れませんね。それにしても望んだ日の近くで死ねるなんて、やっぱり羨ましいと想ってしまいます。
     
     それにしても興味深い言葉が書かれてありまして、驚いております。拈華微笑(ねんかびしょう?)の「拈」とは、いわゆるツマム行為のことです。普段お焼香のことを、拈香と言えば、身分高き人がするお焼香のことです。上位三位までの方がするお焼香のことを言うのですが、華をつまんで微笑むとは何とも上品で気高い表現でありましょうか。お陰様で、帰って早々これを書かせて戴きましたので、何となく素敵な気分になれました。京都の冬の厳しさを心から想いつつ、土佐の吟醸酒でも寝酒にしたいと想いました。更に先生の第二のブログが出て、済みませんが、この佳文を肴にして一献傾けたいと存じおります。今夜も本当に有難う御座いました。
     
     もう一つ雪はあったかい毛布のような働きをします。ターシャ・テューダー家では決して雪かきはしないのですが、庭に咲く多くの花々のためです。天然の毛布の役割が雪なのでしょう。益々美山や周山に興味が深くなりました。お陰様です。

  4. 文殊 より:

          風音さま
     
     このところ夜の接待が続きまして、先ほど漸く帰って参りました。接待のお酒は殆どが部下にやらせるのですが、今回ばかりはどうしようもない方なので、自ら出向いてお接待をさせて戴きました。ここ三日間遅くなって、ヘロヘロです。でも何処となく心地いい疲労でしょうか。独りで飲む時は遠慮なく飲むのですが、接待の時はこちらが酔ってはいられませんし、結構きつい仕事なのです。そのお陰で少しでも仕事の潤滑油になってくれれば幸いですが。
     
     今週は京都に行けません。明日も仕事があるからで、夕方電話しましたら、元気いっぱいで安心致しました。連れ合いが元気なのは一番です。自己管理だけはきっちりとやりたいと想っています。普段お金のことでの外出ではセキュリティの方が三人以上もついて廻ります。殆ど社員が出て来る前に出社して、朝一番から秘書課の社員の顔色を見ます。すると今日は大丈夫とか、今日は用心しようとか、色んな発想が生まれてまいります。それに従って行動しているようなものです。殆ど秒単位の仕事ですから、息抜きが出来ません。だからこうしてブログを書いている時が一番楽しいのです。勤務時間中でも時間がちょっとでもあけばブログの更新はしますし、頭をいつもいかに切り替えたりするのがいいか考えながら頑張っているつもりです。今宵もお出掛け戴きまして、本当に有難う御座いました!
     
     さすがに風音さんですね。主人の絵です。これからも雲や大空を描いた絵を時時掲載致しますから、よろしかったら又御覧下さいね。青い空、雲、風、野鳥などを見るにつけ風音さんを思い出しています。そのずっと先の先に、必ずいいことがありそうですから。

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