10万hit 御礼

 

棗

                                       棗(なつめ)

 

 

 

 10万hit 御礼

 

 

 夕べ零時に、皆さまからのアクセスがちょうど10万hit頂戴したようです。

 昨年3月から7月までGoo Blogの「硯水亭歳時記」で書かせて戴いておりましたから、

 正味ほぼ一年間でこんな地味な「硯水亭歳時記 Ⅱ」を、数多くの皆さまがたに読んで戴いたことになります。

 歳時記と言えば、今や俳句の季語扱いになってしまいましたが、ここでは生活真情から発した歳時記を意図しています。

 移り変わり行く季節季節の出来事に対する歓び哀しみを、出来れば皆さまと分かち合いたくて書いております。

道草先生を初めとするご常連の皆さまがた、そしてカキコをなされない友人知人の諸氏の皆さまがた等、

今後益々精進し地味に、皆さまのBlogのような素敵な空間に出来ればと考えておりますので、

 これからもどうぞよろしくご指導ご鞭撻賜りたく、衷心より御願い申し上げます。

 

そしてもう一つのご報告と致しまして、何と亡き主人不在のまま「櫻灯路」は30万を突破したようです。

こちらは殆どがGoogle等の検索から、多くの方々に読み継がれているようです。

併せて深く御礼申し上げます。本当に有難う御座いました!

 

 

 硯水亭

 

 

 CIMG0163 の補正

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10万hit 御礼 への8件のフィードバック

  1. 道草 より:

    10万アクセスおめでとうございます。ブログは、知っている人知らない人、様々な人との言葉の交換、会話の遣り取り。そこに、少しでも心が通い合えば嬉しいもの。いっそうのご発展を祈っております。
     
    「立ちどまる」  長田 弘
     
    立ちどまる。足をとめると、聴こえてくる声がある。空のような声がある。 「木のことば、水のことば、雲のことばが聴こえますか?「石のことば、雨のことば、草のことばを話せますか? 立ちどまらなければゆけない場所がある。何もないところにしか見つけられないものがある。

  2. 文殊 より:

           道草先生
     
     お恥ずかしい限りです。昨夕は早く帰れたのですが、今日は通常の帰宅でしょうか。ほっとして帰りました。夕べホロホロ酔いで10万達成を知り、どうしようかと思ったのですが、やはり御礼を申し上げたいとただそれだけでした。数だけ問題には決してしておりません。だって有名人で一日数万のアクセスがあるブログは矢鱈とあるのですから。私のは主人を継承しているという自負、ただそれだけです。櫻灯路からずっと御覧になっていて下さる方が多いものですから、御礼を申し上げたかっただけです。この詩のように、突き進むだけではなく、何度も停止してよく考えることが重要でありましょう。大変有難い詩を頂戴致しました。有難う御座いました。アクセス数は一つの励みであることは事実のようであります。今後とも虚心坦懐に精進して参りたいと存じます。先生にもファンが多いことだけ申し添えさせて戴きます。本当に有難う御座いました!

  3. (Kazane) より:

    硯水亭さん、こんばんは。10万アクセスおめでとうございます。こちらのブログを訪れ、日本の素晴らしさを再認識する方がたくさんいるのでしょうね…。私もそのひとりです。  (今、コメント欄を開き、思わずあっ!道草さんが書かれている長田弘さんの「立ち止まる」私も大好きな詩で、以前ブログにも載せたことがあったので…。) 今日は、以前硯水亭さんに勧めていただいた、小石川植物園に足を運び、春に出会ってきました♪本当に素敵な場所ですね。教えていただき、ありがとうございました!今度は、桜の季節に行ってみます(^^) 

  4. 文殊 より:

            風音さま
     
     有難う御座います。人気ブログから見たら、全然たいしたことはないので、ちょっぴり恥ずかしいです。
    コツコツんと日本を知る切っ掛けを自分自身でも確認したいものですから、敢えて地味な課題を課しています。
    山間部の農村にはまだまだ素晴らしい光景があるのですが、日本の政治の貧困でどうしようもないです。
    自給率がすっかり低くなっているし、食の安全から言っても何とかしなければいけないのでしょうけれど・・・・。
     
     道草先生から戴いた長田弘さんのこの歌は知りませんでした。頂戴してはっと色々と気付かされることが多い、
    そんな印象です。風音さんが以前引用されたとか、納得です。風音さんがきっと大好きな詩人だと思えます。
    私にとっても目からウロコの状態でした。感謝感謝です。
     
     長々とコメントさせて戴きましたが、よかったですね。あの植物園で何度櫻吹雪に出会ったことでしょう。
    今回の風音さんのコースは主に下のコースだったと推測させて戴きますが、上の林もなかなかいいですよ。
    海外との記念樹も多いんです。普段見られない木もあって楽しめます。今回おいでになられたのは白山から
    だったでしょうか。櫻満開の節は茗荷谷から少々歩きますが、きっとその方がいいでしょう。茗荷谷の大通りから
    植物園の方に向かって坂を下りながら歩くのですが、そこは櫻のトンネルになるところです。閑静でいいですよ!
    植物園のチケットを売っている駄菓子屋さんが面白いでしょう。櫻の時季は裏門も開門します。正門から入ると
    直ぐにマンサクの花に出会えますね。風音さんが行かれて、本当に嬉しいです。こちらこそ有難う御座いました!
     

  5. みつえ より:

    10万ヒットおめでとうございます。硯水亭さまの歳時記は 日本の各地に根ざした文化芸能に及びすばらしい記事の数々いつも学びいただいておりますことも 御礼申し上げます。ますます 魅力を増されますことを祈って!CPの故障からお久しぶりにのぞいて うれしい記事を拝しました。櫻灯路も 三十万ヒットを超えられたそうで おめでとうございます。やはり 本物の記事の力でしょうね!

  6. より:

    硯水亭さま、おめでとうございます。外国に憧れ外国語学部を出て主に輸入の仕事をしておりましたが、外国の方々と付き合えば付き合うほど日本の素晴らしさに気が付くようになりました。また定年後故郷へUターンしましたが若き時代には見向きもしなかった古里の素晴らしさも実感するようになりました。この様な私の脳を刺激してくれるのがこのブログです。検索して訪れられる人も多いのは頷けます。先日の櫻の記事などは別ファイルに保存してじっくり読ませていただいています。これからもここで勉強させていただきたく思っています。よろしくお願いします。

  7. 文殊 より:

           野の花さま
     
     お恥ずかしい限りです。でもひと区切りにはいいのかもと、恥を忍んで本記事を書かせて戴きました。三十万件達成した櫻灯路のこともありましたので。但し厚顔無恥とはこんな時に使う言葉でしょうか。多くの方々がおいで戴くとそれだけに逆に責任感を感じます。漫然と書くのではなく、飽くまでも日本文化を見詰める、そんなブログに出来ればとの強欲なのでしょう。
     
     根本は民俗学です。私自身建築学部卒業でありますが、主人に仕えた幾星霜、自ずと主人の興味に魅かれて参りました。主人も又経済学部の卒業でありますが、永い海外での生活に嫌気がさしていたのです。そんな時に突如柳田民俗学にズッボリとはまってしまった次第でした。早池峰山の山伏神楽を筆頭にして多くのお祭り行脚をして歩いたのでした。民間信仰から、一般の習慣・習俗まであらゆる民俗を調べました。それがなかなか面白く、今後の創造の源になるのはこうしたところを真剣に勉強することだし、今後の日本につなげていかなければならないという切迫した気持ちにもなりました。無論櫻は以前から二人とも大好きでしたが、民俗を勉強してから更に好きになりました。大望もそうして生まれたのです。今はまだほら吹きの段階でしかないのですが、現在コツコツと超気長な作業を続けています。そうしないと主人の散骨場所もないのです。多く櫻のもとに眠りたいと希望する方々と一緒に散骨させてあげたいと願っています。今後ともその辺をコツコツと書かせて戴きますので、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます!
     

  8. 文殊 より:

         Mfujinoさま
     
     有難う御座います。貴ブログの御意図も同じようなものだったかも知れませんですね。実は私も亡き主人も海外生活が永かったのでした。海外のあちこちに、主人はご自宅として拠点を持っていましたから、会社の永き将来の存亡を掛けて模索していた時分が多かった関係で海外での活動が多かったのです。私たちは主に金融面だけでしたが。スイスのパーソナルバンクのPICTET社との連携です。海外に出て、逆に和とは何か、日本人とは何ぞやと必要にj迫られて考えるようになったのです。従って自然にそうなったものと思われます。そうして或る日或る時突然主人は柳田國男に目覚めました。私は本田安次の民俗芸能に目覚めました。私たちは普通の主従関係ではありませんでしたから、主人がやることなすことに私も一緒になってやっていたのです。私は主に祐筆で徹底した滅私奉公の身分でした。それが愉快で非常に楽しかったのです。
     その後全国行脚が始まりました。一地方だけではなく、何もかも含めて民俗を勉強していたのです。勉強するにつれ、今後の創造の根源は民俗の中に隠されていると確信に至りました。例えば鬼ですが、読み書き出来る階級の人々にとっては邪悪なものでしかないのですが、霜月神楽や年神さまを勉強していると、民衆の中にある鬼はすべて正義の味方なのです。湯立て神事では月見の鬼や榊の鬼が出て参りますが、一年間で疲弊した疲れた魂に新しいパワーを注入しに来るのが全国に散らばっている鬼なんです。それは読み書き出来る身分の者から観たら、そら恐ろしかったことでしょう。飽くまでも邪悪なモノとして排斥しなければならなかったのでしょうか。ピラミッドの頂点に立つ世界の方々からしたら、そうして見られたのではないでしょうか。奇異なパワーを感じられたことでしょうね。更に質素に心豊かにと言った侘び寂びの利休居士の精神は最も優れた日本的な美意識であると私も考えておりますが、何々民間の中にある美意識は極彩色な艶やかな文化の美であります。頂点も底辺も見据えてこそ、本来ある日本文化の真髄だと思っています。
     先日書き上げた櫻の論考は稲作文化の論考の一端です。日本人は今何をすべきか、何を将来の座標軸となすべきか、そんな思いで書かせて戴きました。山村の寂しい現状を見るにつけ、心がとっても寒くなりますが、藤野さんのようなお方が多くなればいいなぁと心強く思っています。こちらこそ有難う御座いました。どうぞ今後ともよろしくご鞭撻のほどをお願い申し上げます!!

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