飛梅伝説と梅そのほか

    

             北野天満宮北野天満宮北野梅花祭

 

 

 

 

 

                飛梅伝説と梅そのほか

 

 

 寒さ厳しい早春から逸早く咲き出す梅は松竹梅の一つで、おめでたい花木として早くから日本人に親しまれて来た。原産地は中国で、中国の国花となっているものの、中国では梅花を観賞することも果実を食品としてもそれ程重要視されていない。日本では昭和初期、今を考えると不思議なことだが、サクラかウメのどちらかを国花とするという論争があったが、櫻と争うほど日本人の心に残る花であることは間違いない。それは花も実も日本化された証左であろうと思う。『万葉集』では萩についで数多くの歌が詠まれており、その頃の王侯貴族や上流知識階級の間では櫻より好まれた花であったろう。梅の学名はブルーヌス・ムメで、シーボルトとツッカリーニが『日本植物誌』を見て、日本に原生している花木であると信じ込んだ結果、日本語のウメの発音から採られたものであった。

 種類はその形態や形状から主に三つに分けられる。野梅系・紅梅系・豊後系であり、その品種は実に350種あり、その殆どが観賞用だが、食用の実梅だけでも50種にのぼっている。野梅系は原種に近く丈夫で最も一般的な梅で、面白いことに野梅の紅梅でも切断面は紅色ではない。枝数は多く、細く繊細で、葉は小型である。紅梅系は花色、枝の外皮に関わらず、枝の切断面が紅色である。豊後系は枝の発生が粗く少な目だが太く節が高い。葉は大型で丸く、表面に短毛が生えている。花は大きく、顎片は反り返っている。顎頭は壷状になって、知的で品位が高い。そしてそれぞれの品種の中で特徴を捉えて趣きのある名前がつけられている。本紅・移り白・移り色・移り紅・絞り・口紅・底紅、裏紅・覆輪などである。更に固有名も数が多い。枝垂れ梅は突然変異でなった種類の梅もあるが、櫻と同じように通常は柳の幹に接木して枝垂れた梅が作られる。

 飛梅伝説というのがある。平安時代901年(昌泰4)、時の右大臣であった菅原道真公は、藤原氏の陰謀によって、突如大宰権帥(だざいのごんのそち)に任ぜられ、左遷されることになった。現在の福岡県まで赴任するという言わば遠流のような非道な冷遇であった。その時道真公は幼児二人と門下生一人だけの寂しい門出となった朝、長年住み慣れた屋敷の南殿址(現在の北菅神社)の庭に咲く梅だけが彼らを見送るように、美しく輝いていた。いよいよその時、幼い頃より親しんできた紅梅殿址のその梅に向かって、

 東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ


と詠い、別れを告げた。あるじ(道真公)を慕った梅は、道真公が太宰府に着くと、一夜のうちに大宰府の道真公の元へ飛んで来たといわれ、それが現在大宰府天満宮・本殿左横にある名木『飛梅』の伝説として残っている。恋々として咲き続け、既に樹齢は千年以上存在していることになろうか。飛梅は菅原道真公が埋葬されている大宰府天満宮の境内に現在咲いている約6000本の梅のうち、最も早く咲く梅として有名であり、これが有名な飛梅伝説のもとだが、もうひとつ別なお話もある。伊勢度会(わたらい)の社人、白太夫という人が、道真を慕って大宰府に下る折、都の道真公の邸宅に立ち寄り、夫人の便りとともに庭の梅を根分けして持って来たという。道真公は都から取り寄せたことをふせて、「梅が飛んできた」ということにしたともいわれ、飛梅そのものは、もともと道真公の配所であった榎社にあったようだが、太宰府天満宮の造営後、本殿左横の現在の場所に移されたとも聞いている。

 古来歌の世界ではたくさんの梅の歌が詠まれて来た。近代日本の文学にも多くの梅が登場している。泉鏡花は『婦系図』の中で、悲恋の末別れなければならなくなった男女の周辺を湯島天神の白梅で飾り、その清らかな香りを連想させることによって、最も美しい別れの場面を描写している。又島崎藤村は処女詩集『若菜集』や『草枕』に梅の花をたくさんとりあげていて、最後の作品である『落梅集』にも梅の花が登場する。

 

        問答の歌 其一

     梅は酸(す)くして梅の樹の

     葉かげに青き玉をなし

     柿甘くして柿の樹の

     梢に高くかかれるを

     君は酸(す)からず甘からず

     辛きはいかに唐がらし

 

     こたへていはく吾とても

     柿の甘さを知れるなり

     柿の酸きも知れるなり

     ただいかにせむ他(ほか)の上

     吾は拙なきものなれど

     生まれながらに辛きもの

 

     二つの味を一つ身に

     兼ぬべき世とも見えざれば

     のたまふ酸きと甘きとば

     梅を柿とに任せおき

     吾は一つを楽みて

     せめて辛きを守り頼まん

                       『落梅集』より

 

 又「櫻伐る馬鹿 梅伐らぬ馬鹿」という諺がある通り、櫻の木は伐ったその部分から腐って行くが、梅は伐った部分から次々に枝を出してくれる。果実は梅干になるし梅酒にもなって薬用としても知られ、梅干を炭火で焼いて食すると風邪薬にもなったとか。塩梅(あんばい)という言葉は梅干の塩加減を言うが、食べ物全体に使われるようになり、今では物事の状態や成否を確かめるような言葉に変遷して来た。梅干は昭和初期に登場した梅びしお(梅干を煮詰めて裏ごしし、砂糖を加えて食紅も入れ色鮮やかに煮込んだモノ)となって、貧相な食卓を飾ったそうである。梅干の残り汁は調味料として重宝している。生姜・茄子・胡瓜など他の野菜をちょっと漬ける時にも用いられる。梅ジャムは甘さを抑えた大人の味である。梅干嫌いなお子さんがいらっしゃるご家庭では、一人分梅干の梅肉二個をご飯を炊く時に小さく切って入れお釜に入れると、あらら不思議や食べ易くなり、結構いける梅ご飯となる。世の中健康食文化全盛の折、アルカリ性食品として梅干の存在は欠かせないものであり、私は海外に行く場合必ず瓶詰めにして携行することにしている。

 更に織物・陶器・屏風絵・工芸品にも広く扱われて来た。熱海のMOA美術館にある尾形光琳作の『紅白梅図屏風』や国立博物館にある仁清作の国宝『色絵月梅茶壷』や三島大社の『梅蒔絵手箱』(鎌倉時代)など数多く残されている。今頃この寒空にも関わらず梅が咲き始めたというニュースが頻繁に飛び込んで来ている。水戸偕楽園・入間郡越生梅林・湯島天神・青梅市吉野梅郷・小田原市曽我梅林・横浜市三渓園・三方梅林・熱海梅林・太宰府天満宮・吉野の臥龍梅・東諸県郡高岡の月知梅など、各地ではそろそろ梅見の時季に相成ろう。

 明日25日には京都市上京区馬喰町の北野神社では『北野梅花祭』が開かれる。菜種御供(なたねごく)とも呼ばれ、菅原道真公の忌日であるこの日に、西ノ京の旧社人が菜種の花を献じたのでこの名がついている。現在は神饌に梅花を挿す。男女の厄年に因み、四十二個、又は三十三個を三方に供える。白酒・黒酒も献じられ、この神饌は参詣者に配られる。食べると病気が治ると言われている。その日近くの花街・上七軒の芸妓衆たちによる野点の大茶会も催され、一層の華やかさがそえられることだろう。

  DSCF1064

和菓子の展示 春の彩り 俵屋製

 

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飛梅伝説と梅そのほか への6件のフィードバック

  1. 道草 より:

    朝の庭木や垣根に、ほんのうっすらと雪が載っています。そして、今も止まずに小雪が舞っています。数えれば、家の周りに雪が積もったのはこれで五度目。昨日の雪は、春を思わせる朝陽が昇るに連れてすっかり解けて消えましたのに、また新しい雪が積もって冬が戻りました。鉢植えの白梅が白い雪を少し被って、いっそうその白さが際立つばかり。「さらさらの冽(さむ)き光にほっつりと白梅一木の明るさともる」(水田和宏)。北野辺りはもう少し雪は激しいことでしょう。天満宮の梅は、暫しの戸惑いを見せているやも知れません。京都の冬は寒い、とは昔から言われていて定評があります。昨年は雪はほとんど降らず、この冬で正常に戻ったことを愛でるべきでしょう。底冷えのする盆地で一輪の白梅が花を開けば、ゆっくりと春は近付いて来るようです。冷たくても透き通った空気。「蓄えて来たる力に紅梅はくれないひらく白に遅れて」(浜名理香)。そういえば、庭の枝垂紅梅の蕾はやっと膨らみ始めたばかり。白梅が散り初める頃に、ほんのり華やかな春の色を見せてくれるのでしょう。紅梅に似合うのは、雪よりも春の風。行きつ戻りつしながら、京都の春は少しずつ近付いて来るのでしょう。
     
    「一枝の梅」   三好達治
     
    嘗て思つただらうか つひに これほどに忘れ果てるとまた思つただらうか 
    それらの日日を これほどに懐かしむといまその前に 踟蹰(ちちゆう)する 一つの幻ああ 百の蕾 ほのぼのと茜さす 一枝の梅
     

  2. 文殊 より:

          道草先生
     
     いやはや驚きました。まさか雪になろうとは。出羽櫻酒造に「春の淡雪」というにごり酒が入って少々白濁した美味しい冷酒があるのですが、それを一気加勢に飲み干したような気分でいましたのに、参りました。それでもう少し暖かくなってから家を出るつもりいます。北野さんのあの狭い参道に、押し合い圧し合いしながら多くのお店が立ち並ぶのでしょうか。以前は確か古書店もあったような記憶があります。悴んだ手を擦り擦って、ページを捲る時の楽しさ。
     それにしても先生は難しい品種の櫻だけを植えられていたのですね。ましてや南殿はサトザクラ系統の珍しい櫻で、根絶したとされています。元は荒川堤で発見された貴重な品種だったのです。従って先生の南殿は高砂という品種かも知れません。武者櫻とも言い、丁子櫻と里櫻の掛け合わせで出来た品種が高砂です。地植えにしてもなかなか難しい品種なんですよ。或いは京都御所から発見された大南殿だったら更に嬉しいのですが、いずれにせよ先生が挑戦なされた品種はすべて種=実生から育てるべき地植えの花々です。つまり栽培品種となります。園芸品種としての櫻は染井吉野だけですが、これは育て易かったので全国に爆発的に明治時代広まったものです。同じ染井でも天城染井などは比較的育て易い方なのでいかがなものでしょうか。最も虫から好まれる木ではありますが。今店頭で見かけることが少ないのですが、日本に染井以外で最もある櫻は山櫻系統の霞櫻(かすみざくら)です。びっしり花びらをつける花ではありませんが、丈夫で長持ち致します。いずれの名木も坂道とか傾斜地に育っています。地べたの水位が低く、然も水分補給が充分な場所が最適です。
     写真の紅梅は今年の初天神の時、天神様境内で撮った写真です。先生のご自宅の梅花は馥郁としてゆったりと花をつけるのでしょう。焦る気持ちはありませんが、春到来が今か今かと待たれる今日この頃ですねぇ。先生もお身体に是非気をつけられ、毎夜薬酒を飲まれますように!そろそろ出掛けてみます。今日も本当に有難う御座いました!
     

  3. Unknown より:

    こんにちは♪京都での休日、奥様と楽しい時を過ごされていらっしゃることでしょう。こちらでは二日間吹き荒れた風がようやくおさまり、今朝は、ほんのり桃色に染まった富士山の上に、のんびりとした表情のお月様が浮かんでいました。
    「飛梅伝説」は、小さい頃のお気に入りの歴史の本にあり(「鉢の木」も入っていました)子供心にも印象的でした。悲しみの中にも何ともいえないロマンティックなものを感じました。ここ青梅の地名の由来も「誓いの梅」という平将門の伝説によるそうです。その他にも、日本には各地に誰々御手植えの松とか、歴史上著名な人物の縁の桜などがあるようですし・・・やはり木や花に代表される自然と日本人の結びつきの深さを感じます。
     
    少しずつ春が近づいて、少しずつ出会うお花も増えてきて・・・これからは毎日のように自然からの贈り物が届きそうですね。

  4. 文殊 より:

          夕ひばりさま
     
     現在の京都は晴れていますが、三日間で二度も降雪に出会いました。さすが古都の雪は素敵ですが、外には出ずずっと妻にくっついていました。傍にいると温いですから。そして妻のお母さんとの話し合いでもう少ししたら、マタニティを着るようです。何着か買ってあって、一着見せるごとに、キャッキャッと明るく笑い飛ばしていました。大学院などの学友の目は全く気にならないというのです。だって皆子供ばっかりだと。その辺の心境はよく分かりませんが、私としては至極安心しています。今妻は大学へちょっと用足しに参りましたので、一人で素敵なカフェに来てこれを書いています。北へ上るほど雪が多く、あちこちに雪の塊が見えます。でも太陽が出た所為でしょうか、何となく暖かいような浮いた気分でいます。
     
     そうそう、そうでしたね。あおうめ→おうめに変遷して来た理由は天ヶ瀬にある金剛寺の梅の古木が語源でしたね。平将門が馬のムチ代わりにしていた梅の枝を地上に挿して、私の願いが聞けないのなら枯れよと言って、それがこの梅の古木の由来(誓いの梅)でしたね。春卯月上旬でしょうか、金剛寺の江戸彼岸の枝垂れ櫻は見事な花吹雪!そこの寺内にある梅の古木が昔(大正時代だったか?)都の文化財として指定されたものでしたね。その梅は秋になってもなかなか色に変化が出ず、青梅のままだったとか。そこから青梅の地名の由来があったのでした。それが現代の日本社会では地域の合併が多く、平仮名になってしまったり、どこかの国の洒落たつもりの名前だったり、多くの素敵な地名が悲惨な思いをしている最中で、とても哀しい思いをしているのです。どんな地名でも何がしかの理由があるわけですからね。酷い斜面にへばりつくように作物を作ったりして生活している奥地の山村ではお年寄りだけ頑張っている凄まじい現状なのに、自給率も下げられ、どうやっていったらいいか!その答えがこうした合併などと言われているのですが、私には大いに憤懣があります。山奥の地名も消えてなくなるでしょう。花木や山里の地名や残雪にだって様々な素敵な名前がいっぱいあるのに、片っ端から切り取られて行きます。残念でなりません。将来この国では禍根を残すような気がしてならないからです。
     
     夕ひばりさんの文章を読ませて戴き、突如四条にあるデパートのガラス窓越しに俵屋の和菓子が展示してありましたから、まだまだ寒い京都の春の彩りとして掲載したくなって最下部に大きな写真で貼り付けました。気に入って戴ければ幸いです。今日もおいで戴き有難う御座いました!
     

  5. ただ今カフェで読書中 より:

    こんにちは。
    なかなかコメントが残せませんが、楽しく拝読させていただいております。
    今読んでいる本に、堀口大學の「梅の花と近代性」の中の一文が紹介されていました。
    氏は、梅見月、梅法師、梅暦、梅壺、梅染、梅がさね等の言葉に続いて、「どれも千年このかた日本人が、この花に捧げた愛情の形見であろう」と記しながら、「或る年、私は、これ等の言葉と現実の梅の花を並べて、しみじみとした気持で、眺め入つたことがあつた。その時、私が驚いたことには、これ等多数の言葉がどれも、現実の梅を、私の為めに歌つてくれないといふ事実であつた」と記していると。
    過去の美しさを表現する言葉はたくさんあっても、今、現実の美しさを語る言葉がなかったということなのでしょうか。
    新しい美しさを発見する新鮮な「眼」も必要なのでしょうね。
    碩水亭樣がご紹介くださった梅の記事を拝読し、そうして得た知識を新鮮な眼のベースにしようと思いました。
    どうもありがとうございました。

  6. 文殊 より:

                 Hayakawaさま
     
     いいえ、どうぞお気兼ねなく、お互いに忙しい身ですから、気になさらないで下さりませ!
    堀口大学のその論考は読んだことはありませんが、貴女さまからの文章でよく伝わりました。
    久しぶりに聞いた梅の言葉でして、梅がさねと同様に櫻がさねもあるんですよ。梅がさねは表面は濃い紅色で、裏が薄い紅色のことです。櫻がさねは表面は白く、裏が紅色の色の襲(かさね)のことですね。梅染は北野梅染とも言われ、梅ノ木で採る草木染で素敵な風合が出ます。梅壷は源氏物語に出て来る大宰府出身の女御のことではないでしょうか。梅暦は江戸時代に流行った男女の愛のストーリーのことかも知れませんね。梅法師は6月6日に梅の日を上賀茂神社で制定された梅職人へのプレゼントだったのでしょう。更にご存知の通り、梅見月は卯月の異称です。それに梅簪とか梅倣とか、たくさんの梅に関する言葉があります。それらは皆確かに廃れる運命にある言葉ですが、実はそれはひと昔前のことで、現在それらの復刻の動きがあるんですよ。和なるモノへの再考とか再挑戦とかで、皆さんそれぞれの部署で、死語にしない奮闘があるんです。
     
     >新しい美しさを発見する新鮮な「眼」も必要なのでしょうね
     
     まさにその通りでして、眼だけではなく、実際に再現しようという動きがこのところ多く感じられるのです。それは日本文化に対する再評価でしょうし、襲なんかは実に美しい襲です。同系の色彩でコーディネイトする技法はむしろ現代的でもあるのですから。そんなことが私の願いの本分なのです。お料理の世界が最も先鋭に際立っているでしょうか。これからもそれらの動きを注意深く見て行きたいものですね。Hayakawaさまにはこのような雑多な知識はお邪魔かなと常に恐れていることですが、読んで戴くだけでどんなに嬉しいことでしょうか。そろそろひいな祭りのことなどを書きたいなと思っています。又伺わせて下さりませ!
     

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