古都・春近くして 花ごしらえ

 

                 修二会東大寺糊こぼし(椿)の造花

 

 

 

 

                 古都・春近くして 花ごしらえ

 

 

 先日23日(土)、東大寺二月堂のお水取りに使われる花ごしらえが行われた。お水取りとは二月堂のご本尊である十一面観音世音菩薩さまに、選ばれた僧侶たちが開山堂にお籠もりして御身を清められ、本行に至り、世の中の人々が背負う苦悩を一身に申し受け、抜苦する難行苦行であり、同時に国家安泰を祈願する行事のことである。様々な事前の作業があるが、本行入りを前に、花ごしらえが東大寺戒壇院の別火坊で行われ、お水取りで知られる修二会(しゅにえ)の本行入りを前に、二月堂内陣の須弥壇を飾る椿(良弁椿の模倣か)の造花を作る。行に籠もれる練行衆(れんぎょうしゅう=別火精進して潔斎をする11名の僧侶)と呼ばれる僧侶たちが、この日朝、大広間に集まり、茣蓙の上で花造りの作業するものである。木片の芯に黄色い紙を巻き付け、花びらに見立てた赤と白の和紙を張りつけて花を完成させる。僧侶たちが一つ一つ手作業で丹念に仕上げた造花が次々と器に盛られると、大広間はパァ~~~ッと春が訪れたような華やいだ雰囲気に包まれる。古都奈良に春告げをするお水取りの本行は、3月1日から2週間にわたって続く。

 通常お水取りの準備期間は新入りと新大導師が2月15日から入り、他の連行衆の僧侶は20日からで、総計の人数は11名となり、通常使われる火でさえ別にし(別火精進<べっかしょうじん>という)、厳しい戒律のもとで精進潔斎をしながら、黙々と準備がなされる。花ごしらえは質素で地味な準備作業の中において、唯一の華やいだ作業であろうか。若狭から二月堂まで地下水脈で繋がれて流れ着いた若水(わかみず)を十一面観世音菩薩さまにお供えして祈願する行事である。そこからお水取りと言われている重要な祭事で、今年で実に1257回目を迎える古色蒼然たる行事である。

 もう早いものであれから一年にもなる。Goo Blogの『硯水亭歳時記』を書き出したのは3月9日。四国巡礼の旅を重く決断し、二ヶ月の休暇を戴いて旅に出てから、早既に一年近く前にもなる。最初の目標はこのお水取りであったことが何故か我ながらいじらしい。死にたいぐらいに苦闘し煩悶した時期もあった。でもどうやら亡き主人の思惑にズッボリはまったようで、櫻山計画を引き継がなければならない大きな決断の時期でもあった。飽きれば飽きたでもいいんやと思いたいぐらいに、心行くまで櫻の花を観たかったし、我が身に課せる苦行もしたいという強い願望が本音であった。お遍路の杖はお塔婆である。私はそれに掛けたと思う。日程上全行程を歩き切ることは出来なかったけれど、所々で非常に印象的なことが多く、多分終生忘れられないであろうという旅であった。山頭火もいたし敬愛するたんぽぽ堂の坂村眞民先生もいた。風の中に野風増を歌った河島英五もいた。そして何よりも至るところに大好きな弘法大師さまがいらっしゃった.。だから淋しくはなかった。櫻から櫻へ、寺から寺へ尋ね歩きながら、痛く貴重な時間を過ごせたようだ。その後この一年内に結婚もし子供も出来た。幼少時分に論語の音読を強要した父は、今は何かとてもいい父親になっている。幸運にも妻に恵まれたのかも知れない。幽妙なる女人の魅力を、こんな形で愛したことは嘗てただ一度もなかったことである。お蔭様で幸運が続いた。それでも暮れのインフルエンザで突如入院したことは全く余計なことであった。だがまぁまぁ致し方ないことなのであろう。天から偶には休めという声があったのだろう。私にとって激動の一年と言えば言えるのだった。だが先ほど京都駅で別れた妻はそれこそ元気そのものであって、風邪を引かないように可笑しいほど留意しマスクをしたり嗽を欠かさずしたりで用心している。一人楽しく胎教に勤しむ妻の姿は何とも微笑ましいものである。そうして私は完全にこの先の先まで引き継がれたことになろうとは。それがこの一年であったように思う。今日の午後北野神社境内で催された芸妓さん野点の大茶会で薄茶を一服ずつ二人で戴いた。何故か漸くほっとした。神官の皆さまが梅花祭なのに、本物の菜の花を冠につけていたのがとても新鮮な驚きで美しかった。あちこちに残雪が残る寒い京都の冬に、強引にそろそろ別れを告げているかのような梅花祭。最初苦しかったあの旅路に出たのは、もう直に一年になる。初じめお水取りを目指していたのだから。

  http://blog.goo.ne.jp/sakura-sakura_1966  Goo Blogでの最初の『硯水亭歳時記』 

 

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古都・春近くして 花ごしらえ への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    1250年以上絶える事なく続く、東大寺二月堂の「修二会」(お水取り)は、「二月を美しいものにする」と言う意味があるとのこと。そういえば、正月を美しいものにすると言う「正修会」の法会も別にあって、京都の笠置町に正月堂と呼ぶ御堂があり、芭蕉の句碑「春なれや名もなき山の薄霞」が建っていると聞きます。この当たりは硯水亭Ⅱさんの分野でしょうから・・・。「花ごしらえ」は新聞の記事で読みました。練行衆と呼ばれる11人の僧侶が500個の椿を作るとか。この造花は、伏見の紅花で染めた和紙を使うといつか聞いた記憶がありますが、どうなのでしょう。――関西では一般に、奈良のお水取りのおこなわれる三月十二日前後には、かならず寒さがやって来るものと信じられていた。お水取りだから寒いはずだとか、お水取りが近いから寒くなるだろうとか、そのような言い方をされた。実際にお水取り前後には関西一帯に寒さがやって来た。関西ばかりではなく、日本列島全体を寒波が襲うことが多かった。そして、お水取りがすまないと春はやって来ないと言われているが、実際にそのとおりで、お水取りが済むと、日一日、陽の光も違ってき、長くためらっていた春は足早に近付いて来るのである。(「お水取りと私」井上靖)。やがてお水取り。「水取りや瀬々のぬるみも此日より」(大島蓼太)。そして、本格的な春。硯水亭Ⅱ家にも、今年は本当の意味で新しい春が訪れることでしょう。
    「ねがい」   坂村 真民
    ただ一つの花を咲かせそして終わるこの一年草の一途さに触れて生きよう

  2. 文殊 より:

           道草先生
     
     今日和!お水取りは方々からの参加があります。例えばお松明で使われる松明も、別の伝統ある場所から運ばれて来ます。練行衆だけではとてもあの大きな祭りは困難でしょう。大変興味深くいつも注意深く見させて戴くポイントは修験者の要素が多く入っている部分です。古代神道の心得が脈々と流れている部分です。紅は奥羽で造られたものです。伏見はその重要な地点で、和紙は越前からと聞いています。二月堂の若水を採る井戸は若狭からご神事によって送り込まれたお水です。正月さまの行事は真新しい年の始めのご法要ですが、二月になると追灘式が中心となり、全国各地でそれに似た行事がたくさんあります。「韃靼(だったん)」と言われる大地踏みのような形は山形県鶴岡在の春日神社で行われている王祇祭の翁の儀式によく似ています。そんな事柄を総合的に判断申し上げますと、全国の寺社仏閣の名前を読み上げる式次第がお水取りの中にありますから、多方面から気が遠くなるような多くのご協力があったから一度も途絶えずにやれて来れたのでしょう。ここまで来れば単なる国家権力とだけ位置づけられないように思われます。
     
     井上靖さんの文章の中にある通り、確かにお水取りの直前は非常に寒く、あの烈火のように燃え上がるお松明を雪がパラパラ降る中で何度も見ておりますから、文章の中身を実感しています。そうして不思議にお水取りが終わると、あっという間に春が到来するんですねぇ。東大寺の良弁椿や白毫寺の五色椿など奈良の三名椿が挙って満開になってくれます。それにしてもまだまだ寒い京都でしたですねぇ。雪が降ると不思議に行きたくなる御寺は禅宗関係の殺風景な御寺です。大徳寺や妙心寺などにです。鎌倉の禅寺も皆一応に殺風景ですが、真冬には堪らない魅力を発揮してくれるものですね。先生のお宅にも素敵な春が訪れまするよう、心よりお祈り申し上げます。
     
     お蔭様で、久しぶりに読ませて戴いた眞民先生の「ねがい」に、ぐっと来ました。あわせて道草先生からの強く暖かいメッセージが籠められていると思います。何から何まで本当に有難う御座いました!
     

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