東大寺二月堂の修二会・お水取り)

 

おたいまつ

 

 

 

                   東大寺二月堂の修二会・お水取り

 

 

         『修二会』 (歌詞)

 

                                                                     作詩・作曲 : さだまさし

	春寒の弥生三月花まだき
	君の肩にはらり	良弁椿
	ここは東大寺	足早にゆく人垣の
	誰となく独白く南無観世音	折から名残り雪

	君の手は既に	凍り尽くして居り
	その心	ゆらり	他所にあり
	もはや二月堂	天も焦げよと松明の
	炎見上げつつ何故君は泣く	雪のように火の粉が降る

		走る	火影	揺れる君の横顔
		燃える	燃える	燃える	おたいまつ	燃える


	過去帳に	青衣の女人の名を聴けば
	僕の背に	君の香りゆらめく
	ここは女人結界	君は格子の外に居り
	息を殺して聴く南無観世音	こもりの僧の沓の音

	ふり向けば	既に君の姿はなく
	胸を打つ痛み	五体投
	もはやお水取	やがて始まる達陀の
	水よ清めよ	火よ焼き払えよ	この罪この業

		走る	火影	揺れる	あふれる涙
		燃える	燃える	燃える	松明	燃える
		走る	火影	揺れる	あふれる涙
		燃える	燃える	燃える	松明	燃える
 
      お水取りお水取りお水取り 
 

 東大寺二月堂修二会(しゅにえ)の行法はそもそも2月を美しいものにするという意味があった。正月を美しいものにするという「正修会」の行事は別にあって、三重県島ケ原村の正月堂や京都府笠置町の正月堂で行われている。弘法大師空海も参加したという東大寺二月堂の修二会は東大寺を建立した良弁和尚の高弟で、二月堂を建立した実忠和尚(かじょうと読む)が実施した行事で、あまねく天下国家の安寧を願う行事となっている。東大寺の二月堂のご本尊十一面観音菩薩さまに、僧侶たちが世の中の罪を一身に背負い、抜苦代受(ばっくだいじゅ=一般人に成り代わって苦しみを受ける)して、難行苦行の果てに、国家安泰等を祈る法要のことであり、一般にお水取りとよばれ、今年(2008年)で1257回目となり、開行以来たった一度も欠かされたことがない行法なのである。これはもともとは旧暦の2月1日から2月14日まで行われていた行事のことだが、2月に修する法会として「修二会」(追儺式 もしくは鬼追い式)と呼ばれていた。現在は太陽暦を採用して固定化し、3月1日から3月14日まで二月堂で執り行なわれるようになっている。

 天平勝宝3年10月東大寺、良弁和尚の高弟である実忠(じっちゅう)という僧が奈良の東に位置する笠置山々中竜穴の奥で、菩薩たちが行っていた有り難い行法を拝観して、これを地上にうつそうと、二月堂を建て、始められたのがこの祭事の始まりである。諸々尊々の天衆が行ってきたことを人間界でもやりたいと聖にお願いをした。しかし兜率天での一昼夜は人間界では400年にも相当すると言われ諦めなさいと断わらてしまう。しかしそこは実忠、断じて食い下がり、そういうことなら千遍もの行堂を走ることによって時間を縮められるということにしたらと、どうにか許しを得られた。大仏開眼の二ヶ月前のことであったという。

 お水取りには11人のお坊さんが出任する。この11人のお坊さまを「練行衆(れんぎょうしゅう)」と言い、12月、良弁僧正を祭る開山堂でお水取りに参篭する練行衆11名が発表される。 中には新参の者も当然いて新入と言われ、新入と新大導師(初めて大導師を務める僧)は他の連行衆より5日早く、2月15日より参篭する。二月堂修二会別火坊、ここに練行の準備や練習をするための僧侶が入り、日常使っている一切の火と分けて使われる為にこの名がついている。2月末までの期間、戒壇院において試別火・総別火という本行までの準備期間にあてられ、すべて暗記で行なわれる声明や所作の練習期間にあてられる。

 2月18日、二月堂南出仕口にて修二会の灯明に使う油量りを行う。量は昔ながらの東大寺升で量られる。この頃より準備に忙しくなってくる。箒作りやしめ縄作りである。 別火が始まると荷物が運び込まれ御祓いをして身を清める。別火前半は試別火、後半は総別火がしめ縄で結界を張り行われる。別火は本行に備えての精進、内陣の掃除、御輿を洗い清める。一つ一つ厳粛な準備が続く。練行の無事を祈り縁のある諸堂を巡拝する。この後試みの湯で心身を清める。しめ縄を張り結界を張り清浄を保つ。夥しい準備で、作り物や修理を参篭の僧侶総出で作業に専念する。差懸(さしかけ=下駄)の修理、内陣で履く修二会独特の履物などである。

 椿の造花、南天の生け花、紙衣、法要に使う灯芯を作る。数少ない華やかな作業である。灯芯をそろえ、行で用いる灯芯を揃え分けられる。お供え物の餅をつくられるが、1230面も作るので大仕事である。総別火に入ると一般の人の立ち入りは一切禁止となり、しゃべることが厳禁とされる。その日から土踏まずといい別火から出ることも一切許されない(地上におりてはいけない)。各々一層の精進に励み、厳しい規律のなかで修二会にそなえ最後の磨きをかける。貝の吹き合わせと言い、ほら貝のお稽古もある。てしまの縁断ち(へりたち)と言って、 中世以来の修二会独特の別火坊と別れるしきたりがあり、追い出し茶を飲み干し別火坊を出て、14日間にわたる二月堂での修二会の本行にたち向かう。深夜2時、今まで使っていた火はすべて消し、火打ち石で浄火を灯す。お松明の火種となる火で、これは一年間大切に使われていく。一徳火と言う。

 3月1日~14日「二月堂 修二会 お水取り行法」とは先ず大中臣の祓(おおなかとみのはらい)の行が修される。まるで神道と見紛うような行であり、本行が始まる前日の夕刻に行われる。俗に天狗寄せとよばれている。 天狗寄せには昔、毎年修二会の始まる頃から天狗が現われ嵐を起こし法事の邪魔をしたので、天狗達を集めて祓い清めたという伝説によって行われている。

 授戒(じゅかい)とは修二会期間中の作法や戒めを確認し決して破らないように予め戒めておく。食堂作法(じきどうさほう)に至っては食事は1日1食しか正式には食事ができないことになっており、一汁一菜ですべての人々のために祈りを捧げつつ無言で食事が行われる。食事を終えた練行衆は食堂退出の際、懐紙に包んだご飯を向かいの若狭井の屋根に投げ、生飯(さば)として鳥たちに分け与えられる。昼ご飯をとると、一日の行が終わるまで水一滴すら飲めない厳しい掟である。開白法要(かいびゃくほうよう)が修され、1日を六回に分け、この六つの時間に合わせて法要をする。これを六時の行法と言い、六時の行法のうち、その年の一番始めに行われる日中の行(3/1早朝)のことを特に「日中開白(にっちゅうかいはく)」と言われている。その行は昼間の「日中」(にっちゅう)、夕方の「日没」(にちもつ)、夜の初めの「初夜」(しょや)、真中の夜の「半夜」(はんや)、夜の終りの「後夜」(ごや)、夜明けの「晨朝」(じんじょう)、とそれぞれが呼ばれ、これを3月1日~14日まで実に毎日繰り返し行われている。六時の作法とも呼ばれる。三度の案内とは、ちょろ松明を掲げ、参篭宿所と二月堂の階段を三度駆け上がり、駆け降りることであり、一度目は時刻を聞きに上がる。二度目は練行衆が上がっていくことを予告をする。三度目は練行衆が上がっていくことを知らせることである。5日と12日二日の初夜19時頃から読み上げられる神名帳(じんみょうちょう)の奉読があり、神名帳に日本全国60余州に鎮坐する490ケ所の明神と14000余ケ所の神々の名や大仏殿建立に尽くされた方々が書かれ、それを読み上げ修二会の行法を照覧あれと神々に勧請している。19時頃の「初夜」と23時頃の「後夜」に大導師の祈願と咒師の四王勧請があり、大導師の祈願は、国家の安全、世界の平和、人類の幸福を祈る作法で、咒師の四王勧請は、大導師の祈願を完全なものとする為、金襴の帽子を被り、金剛鈴を振って、内陣の須弥壇の回りを差懸で床を踏みしめて廻り、大音声に四天王とその眷属を勧請する作法で、一般参詣者も礼堂でこれらの所作を垣間見て、音声を聞くことが出来る。鎌倉時代神名帖を読んでいると、不審な女性が現れ、何故呼ばぬと詰問されたために、慌てて「青衣の女人(しょうえのにょにん)」として書き加えられ、僧重源の二つ前にただ一人の女性が入っている。

 初夜上堂の時、大松明は毎日10本ずつ上げられる。(3/12は11本) これは14日間(3/1~3/14)は毎日続けられるのである。

<走りの行法>
 天上界の一昼夜は娑婆界の四百年にあたるといわれ走らねば追い付けない仏の世界に身を持って体当りする難行苦行である。

<咒師(しゅし)の作法>
 心身を清め行法にはげむ場は清らかでなければならない。よって悪魔や鬼神の侵入をふせぐ行法である。

<小観音(こがんのん練行)出御>
 修二会の本殿の観音御輿を迎える作法。安置され香炉、灯明、餅等が供えられる。

 

   修二会修二会修二会

 

<3月12日 お水取り本番>

  昔、実忠和尚が十一面悔過法要中に、全国の神の名前を唱えて勧請した時、若狭の国の遠敷明神(おにうみょうじん)だけが、遠敷川で魚をとっていたために勧請に遅れたので、その責任をとって明神が、「遠敷川から水を送る」と言った。すると、若狭井戸のところから二羽の黒白の鵜が飛び立ち、そこから霊水、閼伽井水が湧き出たという。「お水取り」の名称は、3月12日の真夜中、すなわち13日の早暁、三時頃に行なわれる行事に由来する。二月堂下の閼伽井屋(若狭井戸)から本尊にお供えする香水を汲み上げるための行法を「お水取り」と呼ばれ、伝説では、この日にしか、お水が湧いてこないことになっている。この日汲み上げられたお香水は、翌日須弥壇の下にある香水壺に移される。この香水壺というのは、千有余年の間、毎回補充される根本香水の壷と、それから去年とか一昨年に汲み上げられた香水を入れてある香水壺というのがある。東大寺のお水取りの行法は、一度も欠かされたことがない行法「不退の行法」であり、根本香水というのは、千二百何年前からのお香水が入った壺ということになる。その根本香水を少し、新しい香水壺にわけ入れる。何万分の一かは、その根本香水が、新しいお香水の中にも入ることになり、その新しい香水も千何百年前からのお香水の要素の入った香水となる。また毎年毎年少しづつ、その年の香水を注ぎ足し注ぎ足しの繰り返しで出来たのが、その根本香水である。

 朝早くより多くの信者や群衆であふれ後は映像を観ていただければ分かる様に11本のお松明が次々と上堂、二月堂の欄干に集まった群衆に火の粉を浴びせかけられる。天をも焦がす勢いの大松明に歓声だけが夜空に響く最も華やかなシーンである。修二会も豪華な”お松明”と神秘的な”お水取り”でクライマックスに達する。篭松明はお水取りの主役であり、水の祭りでもあり、火の祭りでもある。この篭松明は童子たちによりかなりの時間をかけて作られ、松の木をつるでしっかりしばりその上に杉の葉をかぶせ、最後に桧の薄い板で篭目に編み花のように仕上げられている。

 午前2時、本尊十一面観音菩薩さまに供える香水(こうずい)を汲みあげる。香水は供えられるだけでなく信者にも配られ一年間信仰の水として使われる。一ヵ月余りにわたり続けられていた修二会も終わり朝から大涅槃画像をかけられ最後の法要をすませる。全24日間世界平和を祈ったことになり、この日は達陀(だったん)の妙法で使われていた帽子を子供にかぶせてもらうと病気もせず、健康に育つと伝えられているのでお母さん達が子供を連れてあつまる。大仏は国家安泰を願い、二月堂の十一面観音菩薩さまは民衆とつながっている。練行衆はその仲立ちのため死に物狂いで行法に精進する。それが不退の行と言われる由縁である。

 この記事冒頭に出させて戴いたさだまさしの歌にはお水取りの全貌が端的に内包されており、激しいロック調の歌に不倫かも知れない男女をあえて登場させ、人間の業と激しく対決するお松明の清らかさを浮きあがらせ、何とも素晴らしい歌詞であり歌唱となっているのである。ご機会が御座いましたら是非一度!そうして二月堂のお水取りが終わると、古都も愈々春本番となり、櫻の花が爛漫と咲く春がやってくるのである。

                                                               (以上参考文献は多数あり)

  糊こぼし土鈴修二会修二会

私は去年旅の初めとしてお水取りに参加させて戴いたが、今年はお香水の日である13日に膝の手術が待っている。自己中心で恐縮だが、成功するように南無観世音と心中で祈っていたいものである!

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東大寺二月堂の修二会・お水取り) への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    お水取りの前後には雪が降ると謂われてり、事実、そんな年もありました。今年は、昨日今日とまるで四月上旬並みの気候とのこと。早朝の散歩は素足で十分の暖かい陽気ではあります。「お水取り」の詳しい記事ですっかり勉強させて戴きました。この東大寺の儀式に先駆けた三月二日に、今や話題の小浜市の神宮寺で「お水送り」の行事があるそうです(私が申すなど蛇足ではありますが)。 
     「昔々、東大寺に実忠和尚(じっちゅうかしょう)という偉いお坊さんがいやったそうな。その実忠和尚さんがある日、笠置の山で龍の穴を見つけ、中を覗いてみると菩薩さまが集まって、厳しい修行をしてやったそうな。奈良に帰った実忠和尚さん、東大寺の東側の丘に二月堂を建てやって、坊さんたちを集め、龍の穴で見てきた、厳しい修行をしやったそうな。それが修二会という行のはじまりなんよ。 そのときに、実忠和尚さんは全国の神々を集めやったそうな。けど、若狭の国の遠敷明神(おにゅうちょうじん)だけが、来やりませんのよ。 神さまたちがどないしやったんやろと、えろう心配しやってたところ、修二会も後2日で終わろうかという、12日になってようやく来やったそうな。遠敷明神さん、頭をかきかき『すまぬ、すまぬ、釣りに夢中になってしもうてつい遅うなってしもうた。お詫びに、香水を奉げまするのでお許しくだされ』といいやって、お祈りしやったところ、あら不思議…。 お堂の傍らの岩が割れて、何と中から黒と白の鵜が飛び出し、清水が湧き出てきやった。以後、毎年修二会のために、若狭から香水をお送りする、と約束しやったそうな」。修二会で汲む「お香水」は、若狭鵜の瀬から地下水脈を通り十日間を掛けて二月堂の「若狭井」へ届くと謂われています。天平年間から伝わる壮大なロマンです。お水取りの終わる十四日には天候の崩れる予報が出ております。果たして雪は降りますかどうか。硯水亭さんの膝の回復を願いつつ春迎酒と致しましょうか。「春なれや名もなき山の薄霞」芭蕉。

  2. 文殊 より:

            道草先生
     
     おっしゃる通りで、2日に若狭からお水送りがありますね。先生の文章にコンパクトによく纏められていらっしゃると思います。お松明はどこどこ産で、竹はどこどこ、藁はどこと言ったように、それぞれに近辺の地元の方々が数多く参加していらっしゃるんですね。そこが東大寺さんのいいところなのでしょう。比較的京都の御寺は個人の救済ですが、古都・奈良の仏教はその成立からして天下国家的スケールの信仰が多いかと思われます。詳細に調べれば調べるほど、まだまだ多くの事実が隠されているようで、さすがと思われます。
     
     既に多くの観客の皆さんが集まっておいでの頃でしょうか。今夜は思い切り火の粉を浴びて、皆それぞれに思いを抱いてお帰りになられることでしょうね。去年私は心もとない旅の出発でしたのに、一年を経て結婚はするわ子供が出来るわで、心中穏やかではありません。更に責任が増大したわけでして、天平の昔から続いて来たこの大きなお祭りからパワーを戴いて、明日以降も頑張ります。今夜9時には消灯ということですから、果たして眠れるのでしょうか。安定剤か何かがないと多分眠れないかも知れません。先生には遠いところからお酌でも申し上げます。ささ、どうぞどうぞ!
     

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