勿忘草のこころに託し

 

CIMG0391 の補正

 

 

 

                               勿忘草のこころに託し

 

 

 ブログやネットでお知り合いになった方と、今までたった一人もお逢いしていなかったのが私の変な自慢の一つでした。でも日曜日の午後、最近あれこれネットや電話で議論している方と逢わざるを得ず、品川駅近くのホテルで初めてお逢いしました。三時間討論致しました。橿原神宮にお参りするのに、靖国神社についてはどうして不満があるのかということでした。決して不満ではないのですが、本来日本人すべての人たちから愛されて然るべきだと論陣を張りました。多分この記事も注目して御覧になっておられると思います。だから隠さずにしっかり表現申し上げます。靖国神社はお国の為に尊い命を犠牲にし戦場で散った方の御霊(みたま)が祀られているところだと心得ております。戦場に行くことがなかった東条英機以下数名の方々は指示・指令だけしていたのだから、靖国神社で祀られる資格はないのではないかと、そう申し上げました。最近東条英機のお身内の方が、靖国に入って当然だといわんばかりですが、もし私が東条英機の身内だったら、自分で東条神社を作っていたでしょう。誰か裁かれるべき人が必要だったとしたら、名誉あることではなかろうかと。赤坂にある乃木神社と同様に。一方的な軍事裁判であったにせよ、どちらにしても誰かが必ずその責任の犠牲による誉れを受け取るべきだと。私は戦犯との合祀には絶対反対だと。などなど喧々諤々、様々に真剣な討論を致しました。先さまは戦犯は断固誰一人もいなかったと主張しておられました。

 時にちらちらとド満開の櫻の庭園を観ていました。「若櫻万朶(ばんだ)の命櫻かな」という回天の特攻隊員の句をふと浮かべて胸がつまっていたのです。国を思って亡くなった方々への弔意を表現するのは国家の責務だと思いました。靖国の櫻のもとで逢おうと互いに誓い合って花と散った若い命も数限りなくあったのです。でもだからといって、大音量で威嚇するように国家や国旗を掲げ街宣活動はどうかと思うと申し上げました。議論は大いに伯仲して結構ですが、言論統制するような国家や狂信的な集団だけは必要ないです、とはっきり。最近ドキュメンタリー映画『靖国』が上映直前になってドタキャン中止されたのも、何か可笑しいのではないでしょうか。監督は中国人の方ですが、日本に住んでいて日本に対するラブレターのつもりだと言っておりましたし、文化庁の後押しで作られた映画な訳で、何故どこからどう圧力があったのでしょう。愁うるべき哀しい事態です。更に私は本来日教組が嫌いなのですが、会場の貸し借りを巡ってプリンスホテルと揉めています。共産主義はつまりはひと握りの管理者の権限に集約してしまう危ない要素があって嫌いな思想(今では資本主義社会でも共産主義或いは社会主義の要素も多く取り入れないと福祉など多方面でやっていけませんが)ですが、だからといって会場の賃貸を一旦受け付けておきながら、日教組を断ってしまうとは情けない話で、多分それもどこからかの圧力があったからでしょう。そのホテル側における豹変ぶりには全く同意出来ません。重要なのは誰にとっても表現の自由や会合の自由や結社の自由が保全され保障されているということです。勿論公序良俗が前提ですが。

 結果から申し上げますと、彼らとはどこかで分かり合えて別れたと思っています。私が申し上げた2,26事件の北一輝論のどこかが彼らの琴線に触れたからでしょうか。無論彼らは金銭を要求するような超法規的な団体ではありませんでした。運がよかったからでしょうか私が話し相手だったからでしょうか。彼らを武士のハートを持った方だったと評しておきましょう。申し訳ないのですが、責任ある身なので自宅も会社もお教え出来ません。私もビッコひきながら相当怖かったのですが、話し合いをして今は大変よかったと思っています。当社屈強のセキュリティ三人と一緒でしたが、お相手からの脅しは一切ありませんでした。私は単なる自由主義者でしかなく、神道も大切にする佛教信者でしかありません。然も政教分離主義者です。心の問題としてお釈迦様が最期に仰った『自帰依自灯明 法帰依法灯明』を心から信じています。自ら潔く佛教に帰依し、自らが佛法を護持し、自らを解決しようとする、今やそうするしかありません。

 ここで一つだけ心底から謝罪したい方がおいでです。実はこの十日間酷く辛く忸怩たる思いの日々でした。その不安を少しでも打ち破りたいと、ちょっとの時間を見つけては必死の形相でブログを書かせて戴き、我が心の脆弱さと不安解消に相努めました。実際何も分からない時点では、私の大切な方を何としてもお守りしたかった一心で、一切没交渉にしてしまいました。ところが日々の努力が日に日に実りそうになり、先ほどの電話で最後の終了と致しました訳です。いつもいつも本ブログでお励ましを受けている大切な方で、今回のことで心から深くお詫びを申し上げますとともに、遅きに失した感があり、調子のいいお話ですが、再びお付き合い願えれば幸甚と存じてます。心からご心配をお掛け申し上げました。でももう大丈夫です。ここのコメント欄でも本来はお互いに自由な発言をする場であるべきでしょう。

 当家で毎年増え続けている勿忘草の鉢植えは今年も三鉢増えました。その幾つかを自宅の机上やあちこちにに置いてあります。幽かに香りがします。今日の東京は雨。明日も雨。櫻が可哀相です。すっかり散ってしまわないか心配でいたたまれませんが、散ることは運命です。櫻が未だ咲いていない裏日本の一部や北の大地など地方の方々に心から思いを致しつつ、こちらの櫻が終わり次第、漸く静かになった頃、今度はあなたがたが主役で、あなたがたの主役の櫻が爛漫と咲くのだと、この勿忘草が渾身の心を籠めて伝え語っているでしょう。抽象画のような撮り方をした写真もおまけで掲載申し上げました(世間では↓を失敗作というらしい、プ)。お休みなさいませ!

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勿忘草のこころに託し への1件のフィードバック

  1. 文殊 より:

         道草先生  申し訳御座いません。少々編集をさせて戴きました。私へのお心遣いだったものですから!むしろこちらの方がご心配をお掛け致しました。正直少々怖かったのですが、真正面から当たればと、腹をくくった結果でした。同じ人の子ですものね。話せば分かり合える部分があるのでしょう!今後ともよろしくご指導をお願い申し上げます!      道草先生からのメール私の叔父も、23歳で若き命を戦場の塵埃の如く散らせております。靖国神社が現在の体制である限り、私は奉賀することは出来ません。まだ幼かった私を可愛がってくれた叔父の、あの優しい笑顔を私は今でも覚えております。菩提寺に叔父の墓はありますが、墓の中には国から返送されて来た遺品らしき物しか入っておりません。それも、本当に叔父の持ち物だったかどうか、確たるものはありません。叔父の霊が奉られている靖国神社へ、私は生きている内に一度は参拝出来る日の来ることを願っております。「忘れな草」   リヒャルト・デーメル兵器工場の忘れな草 人々はここで何をしなければならないか小川のそばの建物の裏には ひと知れず平和がひそんでいるのだろうか。ハンマーがかたい音をたてて大きくひびくがたん がたん仕事をやりとげろ 鉄は灼熱し 湯はたぎる熔鉱炉の火が新しくなると 黒い手はかがやくしかし ときどき すすけた顔が 空色の花のむれを静かに見るそのとき あれ 建物のうしろで歌う声のようなわたしを忘れないで。

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