潅仏会(かんぶつえ)

 

潅仏会

釈尊を筍に見立てた室礼さまのセンスの良さが窺い知れます 

 

 

 

                                     潅仏会

 

 

 今日は佳き日、嬉しいお釈迦様のお誕生日で、亡き主人の誕生した日でもある。朝早く出社する時、櫻の花びらが激しい風雨に曝されて、もはや三分の花しか残っていなかった。今日中に全部散って葉櫻になってしまうかも知れない。葉櫻も風情があって大好きであるが、無残にも散る櫻花を車窓から観て、于武陵(うぶりょう)の漢詩・「勸酒(かんしゅ)」を思い出していた。「勸君金屆巵 滿酌不須辭 花發多風雨 人生足別離」。これを95歳まで生きた井伏鱒二が名訳している。「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ」。大きなヤカンにお湯を沸かし、これからみなが出社するのを待っている。全員出社した頃合を見計らって、甘茶ならぬ櫻茶を振舞おうと思う。殆どの人はいつものことだと慣れているが、新入社員はどんな感想を持つだろうか。自利し利他する心を、今日一日の仕事の中で、この佳き日に観じて貰えればいいのだが。お昼には主人のお宅に伺って、甘茶の準備も整っておいででしょう、お祝いにお仏壇で般若心経とともに、主人が大好きだった四智梵語声明御詠歌を唱えるつもりでいる。そして改めて授戒の意味を考えてみたい。

 

   授戒

 菩薩十善戒を知る十箇条の戒めである 「菩薩十善戒」

   不殺生(ふせっしょう)
 「生きとし生けるものを殺さない」こと。すべての生けるものはみな同じ命を持ち、同じ命を皆が分け合っている。その生命をより良く生かしていこうという教え。一方でわたしたちは日々、多くの生きものの命を戴かなければ生きていけぬ存在で、その事実をしっかり見つめなめればならぬ。

   不偸盗(ふちゅうとう)
 「盗んではいけない」ということ。新しいものが満ちあふれる日々。大量生産・大量消費の今の時代は、我々に様々な欲望を刺激し、その刺激はやがて自分のものと他人のものの区別まで見失わせる。「ものを盗む」というだけではなく、それぞれの持ち味、長所なども含め、相応の徳分をも含めて奪われてはいけないことをさし示している。

   不邪淫(ふじゃいん)
 「不倫な関係をしてはいけない」ということ。売春、買春、援助交際に出会い系サイトと何でもありの昨今、後先を考えないで淫らな行為に走り、低年齢層まで浸透しつつある。昔日なら考えられないニュースも流れるが、男女の間柄はそういう問題ではなく、相手への気づかいや思いやりのない関係は必ず不幸へと崩壊するという意味。

   不妄語(ふもうご)
 「嘘をついてはいけない」ということ。世の中の色々なところで嘘、偽りがはびこり詐欺が横行し、驚くことに、騙されるほうが悪いとひらき直る人もいる。だがたった一度の嘘は次々と重なっていくもので、その嘘によって信用は一瞬にして崩れ去り、取り戻すには大変な時間と努力が要することとなる。

 以上の四つは『淫・盗・殺・妄』という一括りにされ、ことさら重要な位置におかれている。

   不綺語(ふきご)
 「お世辞など、無益なことを言わない」ということ。基本的にゴシップ、うわさ話は楽しいものだが、それは本当の話なのか。そのようなことを話す意味があるのか。もしかしたら、あなた自身が周辺の人からあらぬうわさがたてられているかもしれない。

   不悪口(ふあっく)
 「悪罵しない」ということ。日本語はとても美しい言葉だが、相手を不快にさせる言葉を遣えば、瞬く間にいさかいが生じる。逆に優しく思いやりがある言葉を遣えば、周りを和ませてくれる。

   不両舌(ふりょうぜつ)
 「二枚舌を使わない」ということ。食い違うことばかり平気で言えば信用も失い、場合によっては相手にも損害を与えかねない。おもいやりのある言葉で話そうと心がけるべきである。

   不慳貪(ふけんどん)
 「むさぼらない」ということ。物質社会に生きるわたしたちは、生活を便利に、快適にしてくれる「物」によって豊かさを享受しているが、逆にいえば物が溢れ、物に執着し、そういった物無しには生きていけないともいえるのではないか。「お金さえあれば何でも幸せに暮らせる」と多くの人が勘違いしている日本で、今、何が求められているのか深く考える必要があるように思う。

   不瞋恚(ふしんに)
 「怒らない」ということ。ムカツイたり、キレたり、暴力をふるったり・・・。その怒りはどこからくるのか。悪いのは本当に相手だけなのか。一時の怒りに我を忘れると、取り返しのつかない事を起こしかねない。

   不邪見(ふじゃけん)
 「間違ったものの見方」ということ。常に自分は偉く正しいけれど、「周りの奴は馬鹿だ」と思っている人がいるが、悪いことにその恨みは倍になって帰ってくる。多くの方々にも二,三は見受けられることで、間違った考え方をせず、正しい判断を心がけたいものである。

 以上のように、人が生きていく上で重要な事柄が戒めであり、内容は至極道徳的なことばかりだが、「当たり前のことばかり」という言葉の一つ一つを守ろうとするには非常に困難で大変である。しかし、常に心のどこかでこれらの戒めを思うことで変化が現れ、「授戒」とは「良い心」を育むことになろう。これが悪い因縁を断ち切る『六波羅蜜の修行』の一つにも通じているのだから。

 

        花祭り       光太郎字       カサブランカ

 甘茶掛けの作り物(室礼さまより)・高村光太郎が花巻の山荘で書いた心経・主人の仏壇にいつも飾ってあるカサブランカ(野の花さまより)

 

 それにしても北京オリンピックの聖火リレーで世界各国に飛び火し大問題になっているチベット問題について、中国との関係を重視するあまり日本政府は何一つも発言しないのだろうか。最低でもダライ・ラマ十四世と対話して下さいとお願いすら出来ないのだろうか。貧乏でも豊かな佛教的精神文化を、圧倒的戦車隊で多数の人民を抹殺し文化を蹂躙しているのは誰なんだろうか。都合よく国家反逆罪なるものを作ったのは誰なのだろうか。無謀な戦争を始めたがるアメリカにも覇権主義を実行する中国にも、一つもノーと言えない日本国政府って何者なんだろうか。多額の税金を納めながら私が何も言えないとしたら多分由々しき問題であろう。お釈迦様の誕生日に私は誓いたい。ビッコ引きながらでも中国大使館に断固行くことを、そして最低の対話をすべきだと文書を出して来ることを。武力を行使しないことを。お釈迦様大日如来さまお大師様そして我が主人、どうかそれにお力をお貸し下さい!

 

櫻茶と櫻茶筒

櫻茶と櫻茶筒と櫻菓子箱

 

 

    上記お写真二葉(椿と筍)は室礼(しつらい)さまからお借り致しました、どうも有難う御座いました!

    尚主人自身が書かれた潅仏会の記事も御座います。櫻灯路『花祭り・釈迦物語』をご参照賜りたく!

 

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潅仏会(かんぶつえ) への1件のフィードバック

  1. 文殊 より:

     
        道草先生
     
     私の使命は主人の遺志をついでゆくことです。それに何一つ疑いがありませぬ。今後ともよろしくご指導ご鞭撻下さいまするようお願い申し上げます!!
     
     
         道草先生よりのメール
     
    「いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」(『スッタニーパ』)。子供の頃に読んだ「釈迦物語り」はうろ覚えながら、本日、心して櫻灯路師の『花祭り・釈迦物語』を読ませて戴きました。その記載「4月8日 潅仏会の日 私は生まれた  今年で不惑の年 これも何かの因縁であろう  人の為に生き 人の為に死にたいものだと 限りある人生を 今静かに改めて思い描いているところである」に改めて涙を禁じ得ません。その意志を継がれた硯水亭さんの心意気や善し、と。
     

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