湖北・櫻行脚と九重櫻

 

琵琶湖・海津大崎の櫻

  朝靄の中の海津大崎の櫻

 

 

 

                    湖北・櫻行脚と九重櫻

 

 

 篠山城址の櫻を見ていたら、花散らしの花の乱。翌日朝には快晴になっていた。満開の櫻には強い雨は打撃を与える。地面には花びらがびっしりと散っていた。でも湖北の春は遅いだろう。まだまだ観るべき櫻の場所がありそうであり、湖北が七分咲きなら丁度よかろうと思っていたら、何と海津大崎がその七分咲きとの情報を得る。ならば出かけない手はない。 先ず琵琶湖畔の三井寺(総本山園城寺)へ。道々瀬田川沿いの櫻が花吹雪。残されし花も白く変色して哀れである。三井寺の春も幾らか遅いが、それでもまだ充分で、広い境内にたくさんの櫻が舞う。小鳥が飛び交い、鳴き声がにぎやかで、ひらひらと舞い落ちる花吹雪に、石段や小さな池に落ちる花びらの風情は格別だ。 

 ついでにすぐ近くの琵琶湖疎水まで徒歩でトボトボと歩く。ここの染井吉野は格別に見事である。それから少し後戻りして、近江大橋へ向かう。近江大橋を渡り、湖岸道路へ。この道は大好きな道で、今まで民俗の研究で何度も来ている。いつ走ってもそれぞれ季節や天候でそれぞれに興趣があり、飽きることはまずない。夏は沸き立つ白い雲、ギラギラと照りつける太陽に湖面が生き生きと輝き、水生植物公園みずの森にはあでやかな睡蓮の大群が咲き、秋にはコスモスが可憐に咲いて、比叡山に沈む夕日がたまらなく美しい。冬はユリカモメなどの渡り鳥が湖面いっぱいに。鴨はここの産に限ると「菊乃井」のご主人村田さんが言っていたような気がする。真冬には雪も舞い、寒さもきびしく春を待つ気持ちをより一層強く感じさせてくれる。

 湖国にもその春がようやく訪れていた。 特にこれ以上ない陽気。水の色はより青く、比叡から比良まで山もくっきり見えて、湖岸では雪柳・水仙・山吹などの花も咲き競い、春爛漫の季節となっている。既に京都では春が終わりを告げ、遅咲きの櫻の季節になっていた。琵琶湖大橋を渡り、北を目指す。やがて山の中腹がピンクの固まり。それもハンパな広さではない。到着したびわ湖バレーの広い駐車場は、山の斜面に設けられており高低差が酷い。だがそのまわりを櫻の木が埋め尽くしている。満開の櫻の花越しに大きな琵琶湖を望み、対岸には近江富士が見える。白髭神社を過ぎ国道から離れ、湖岸道路を道の駅しんあさひ風車村へと向かう。すると間もなく櫻並木が現れた。残念ながらまだ5分咲きくらいか。近年徐々に増やされているらしく、まだ若い木も多い。中には咲き始めの木もあり、あと一週間くらい先には満開になりそうである。だがこの櫻並木の長さには驚かされる。7~8Kmはありそうで、その中間にある道の駅には菜の花畑が広がり、素敵な雰囲気が醸し出されている。白木蓮の花があたり一面に香り、早くもチューリップの花も咲いている。

 今津町から酒波寺へ。山裾の静かで小さなお寺には満開の大きな櫻の老木が一本。エドヒガンザクラである。ひと足先に満開となる。花びらが小さく繊細だが、古風な派手さで、すこぶる気に入って素晴らしかった。この櫻の典雅さはどう表現したらいいのだろうか。訪れる人もあまりないようで、何か得をした気分になる。JRマキノ駅を右に見て、しばらく走った国道から少し入ったお墓に、一本の満開の櫻の老木。清水の櫻と書いて『しょうずの櫻』と読むそうで、こちらはアズマヒガンザクラである。ここは良く知られているらしく結構な人が多い。いかにも老木らしく威厳を感じさせている。丁度会津坂下町の杉の糸櫻に似たり。 

 さていよいよ海津大崎へ。だが国道から曲がった途端、車が動かない。かなりの車の量と前後に観光バス。この道も何度も走っている。この先には卍型の交差点とその上狭い道。 そこへこの車の量と何台も続いた大型バスでは渋滞も止むを得ないはず。それならばと踵を返し国道303号線へ、奥琵琶トンネルを過ぎてからの逆の道で海津大崎を目指すことにした。思った通りこちらは順調に湖岸に出れる。出た!あっと驚くような見事な櫻並木が続いている。櫻の時期に来たことはあるが、その時少々早かったらしく少しばかり物足りなく感じたものだったが、今回は見事に満開。やはり湖北の春は遅かった。そして五分咲きと満開ではかくも違って見えるものなのかと驚嘆する。更に湖水の青さにも驚かされる。それまでこんなに青い琵琶湖を見たことがなかったような気がする。

海津大崎の櫻

  途中、観光バスとすれ違う度に少しばかり車が混みあい、やがて狭いトンネルでかなり渋滞。ついに動かなくなった。しかしここでは満開の櫻と美しい琵琶湖、そして竹生島をバックに軽快なヨットが浮かぶ風景。前に来たときは車も少なく、観光バスも見られなかった。今日は駐車場に車を止めて少し散歩する予定であったのだが、これでは何か勿体無い。やがて満車の駐車場は次第に少なくなり、皆、海津大崎を去って行った。駐車場にクルマを置いたまま、再び花見を。奥琵琶湖パークウェイから、つづら尾崎展望台の先まで大方15Kmに、櫻の木が植えられており、それが今見事に満開の時期を迎えているだろう。今回は観ないことにし、マキノで翌日のモーター・ボートをチャーターしに行く。車中泊。そして翌朝早く湖面へ。湖水から観た海津大崎の櫻の幻想的な美しさったら他に類を見たことがなかった。染井吉野でこんなに興奮したことがなかったように思う。思い出の海津大崎である。(海津大崎の櫻並木は、昭和11年6月に大崎トンネルが完成したのを記念して海津村(現マキノ町)が植樹したもので、延長約4kmにわたって、樹齢約70年を越える600本の染井吉野が咲き誇るその見事な様は「日本さくら名所100選」として奥琵琶湖に春の訪れを告げる代表的な風物詩になっている)

 その日船を下りてから、一目散に京北町へ。常照皇寺の九重櫻へひた走る。山里の風が心地いい。何だかひんやりする御寺に入ると、何とまぁ九重櫻も満開であった。この満開は海津大崎とほぼ同じ頃なのだろうか。それまでは仁和寺の御室櫻の満開だけを頼りにしていたが。でもよかったぁ。花のつき具合・上品な色香・枝ぶり・樹勢、どれをとっても超一級であり申し分がない素晴らしい櫻だ。枝割れしよれよれの御車返しの櫻を見向きもしないで、九重櫻の樹に抱きついたり、樹に耳をあて水の気配を聞いたり、いっぱいに広がる樹の下の苔にへたりこんだり寝たり、その日昼食を取ることも忘れて、日がな九重櫻と過ごした。閉門時間がどんなに辛かったことだろう。さらば九重櫻よ、長生きしろよと! (以上海津大崎と九重櫻は五年前の日記から引用す)

 

九重櫻

 京都・京北町 常照皇寺の天然記念物『九重櫻』

 

 実は少々がっかりさせるお話ですが、京都には年代ものの古木名木が割と少ないんです。戦乱で明け暮れた大都市だったからでしょうか。でも日本一櫻の似合う町に相違ありません。奈良には古木名木がずらりと揃っています。京都から見たら、鄙びの古都ということになるのでしょうか。

 櫻灯路『京都の櫻、櫻、櫻』ご参照賜りたい。合わせて古都奈良の櫻『奈良 清浄なる櫻』もお読み願えれば幸いです!更にもう一つのお願いがあります。日米の架け橋となった櫻物語で欠かせない女性エリザ・シドモアさんのお話『ワシントンD,C、の櫻物語』を是非お読み戴ければ幸甚です!

 

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湖北・櫻行脚と九重櫻 への4件のフィードバック

  1. 道草 より:

    美事な櫻紀行に言葉もありません。佐野藤右衛門が、「櫻は下から見るのが良い。何故なら、櫻の花は下向きに咲いているから。蕾の間は上を向いていて太陽を一杯に浴び、そして、咲く時は櫻は下を向く」、と云うのを聞いたことがあります。また、硯水亭さんは、「櫻は花だけでなく、その樹木を見るべき」、と仰っています。まさにこれらは、真に櫻を理解し愛してやまない人の至言でしょう。>琵琶湖疎水まで徒歩でトボトボと歩く。ここの染井吉野は格別に見事である。<>湖水から観た海津大崎の櫻の幻想的な美しさったら他に類を見たことがなかった。染井吉野でこんなに興奮したことがなかったように思う。<>九重櫻の樹に抱きついたり、樹に耳をあて水の気配を聞いたり、いっぱいに広がる樹の下の苔にへたりこんだり寝たり、その日昼食を取ることも忘れて、日がな九重櫻と過ごした。閉門時間がどんなに辛かったことだろう。さらば九重櫻よ、長生きしろよと!<これらの表現に、正に心底から櫻を愛でる櫻博士としての真骨頂を知り、感動すら覚えます。また、「日本のさくら名所100選」を見ますと、南北に丁度50本ずつが制定されています。北海道日高郡の櫻にも沖縄名護市の櫻にも会いたい、と痛切に思うに至りました。加えて、櫻灯路師の『京都の櫻、櫻、櫻』 『奈良 清浄なる櫻』を拝読し、如何に私が櫻知らずであったかを、今更の如く痛感しております。ここに挙げられております銘木を幾つ知っているのか。私はまだまだ長生きをして、この世に与えられた宝物に会いに行かねばなりません。『ワシントンD.C.の櫻物語』は、師の痛恨の記録でしょう。思わずほろりとしました。いつの日か、私にもエリザ・R・シドモアさんの櫻を観る機会のあることを願って生きて行かねばなりません。今日は朝から好く晴れ上がりました。京都の櫻名所はまだまだ賑わうことでしょう。明日は常照皇寺へ行く予定です。九重櫻に逢うのは何年振りでしょうか。
     
    「桜」    八木重吉
     
    こんな桜や草花を毎年見ていつまでも生きていたいものだ

  2. Unknown より:

    こんにちは。
    朝霧の中の櫻のお写真、とても素敵ですね。活き活きとしたに日記も。
    私も『京都の櫻、櫻、櫻』 『奈良 清浄なる櫻』を拝読し、頭も心も様々な桜色にすっかり染まりました。
    それから『ワシントンD.C.の櫻物語』もゆっくり読ませていただきました。櫻をめぐるなドラマとご主人の決断・・・たくさんの人々の思いが心にずっしりと受け止められました。
     
    苗木といえば、三春の滝桜がザルツブルグに贈られるそうですね。カラヤン生誕百年を迎えるのを機に、ということです。
    櫻とカラヤンですって !
    ニュースを知った時、硯水亭 Ⅱさんはどんなにお喜びのことかと思いました。
     

  3. 文殊 より:

             道草先生
     
     先日「夢の中の吉野」を書いた日は平野神社でサクラ祭りだあった日です。無論何日間か続きますが、先生は櫻の本場にいらっしゃるのだから、何としてでもそれをお伝えしたかっただけでした。もし私が80歳まで生きるとしたら、後35回しか櫻を見ることが適わず、更に櫻山を建設してもその完成を見ることはないでしょう。でも櫻の精に本当に目覚めるのでしたら、老若男女関係ないでしょう。櫻には不思議な霊力があると信じています。私の死生観にもなるのですが、霊魂を信じ、その霊魂はただ後々の身内にだけ伝えられて行くのでしたら嫌ですね。もっと大きな巨大なパワーになって欲しいし、宇宙のなりたちに根源から同化して欲しいと願っているのです。花びらを見ると人は後は見向きもしませんが、それはそれでいいのですけれど、樹木は一年中生きているのですし、先生に是非観て頂きたい三大名櫻や岡山県落合にある醍醐櫻も是非御覧頂きたいのです。樹からパワーを戴けるはずですし、死ぬことは新たに生きることだと強く教えられるのです。櫻は死の同義語ではありません、永遠に生きる誓いの樹木です。主人がいかに櫻のもとへ散骨しれたいかお分かりで御座いましょうか。本居宣長の墓所(おくつき)には今も絢爛と山櫻が咲き誇っています。櫻はたった一人のためにあるのではなく、日本人すべての方々にあるのでしょう。
     
     毎年3月27日という日は、1912年3月27日、ポトマック川で華やかで盛大に櫻の植樹式を挙行された日です。勿論シドモアさんの姿が晴れ晴れとされてそこにありました。それを記念して「さくらの日」となっているのですが、当社亡き主人は多く夭逝された方々に櫻を献花したい一念から『櫻忌』が催されています。櫻に纏わる膨大な話があるのですが、一つ一つがとても感動的で、櫻の持つ魔力を感じないではいられません。横浜外人墓地では毎年3月27日に、シドモアさんの墓地に咲く花のもとに集まる集会があります。「横浜シドモア桜の会」と称されていますが、かつて大の親日家だったシドモアのお母さんとお兄さんとシドモアと三人が永眠しています。毎年櫻が咲くのをどんなに待っていてくれるのでしょう。尚シドモア家は誰も結婚しなかったために、これらのお墓は無縁さん扱いになっていますが、私たち日本人が彼女たちの霊魂を永遠に守って行くべきでしょう。どうか先生!長生きしていっぱい櫻を観てください。奥様もご一緒にどうぞ!

  4. 文殊 より:

             夕ひばりさま
     
     今日書ければシドモアさんの後日談でも書こうかなぁと思っていたところでした。カラヤン生誕記念植樹を、瀧櫻でされること、大変嬉しくご情報を頂戴致しました。カラヤンは親日家でしたから、来日数も一番多く、ソフィア大学や早稲田大学の学生相手に、指揮棒を振るったこともあったんですよ。身長は160センチ少々と小柄な人ですが、指揮台にあがると、ガラリと変貌し巨大なハーモニーの魂に変貌してしまうのですから、凄いものでした。日本人小沢征爾を大変可愛がっておられ、小沢征爾も大きな影響を受けています。時には譜面を無視してでもその曲の解釈を楽団員に強要する独裁者カラヤンなんですが、誰一人としてカラヤンを嫌った人はいなかったようです。尚同時代に生きたフルトヴェングラーの指揮も素晴らしいですよ。比較しながら聞くのも一興です。
     
     瀧櫻周辺には駐車場が三千台も止まれるように出来ていますし、市内のあちこちには瀧櫻の子孫が既に立派に根付いています。あのような有名な桜を観に行くためには、東京を最低三時には出て、現地着五時か六時頃を目標にして行けば、悠々と御覧になれます。そして瀧櫻の子孫の販売もしていますから、実は私の実家にも植樹してあるんですよ。まだ十年しか建っていないので、鑑賞するためにはまだまだ先になりますが。
     
     ドイツとは日本は深い関係があります。特に医学では最も深く結びついているでしょう。それで東西ドイツの壁が崩壊した時テレビを通じて多くの三女金を募集して、壁の跡に植樹して回ったのですが、残念ながら結果から申し上げますと、失敗だったかも知れません。と、いうのは壁の跡には無数の毒薬があって、それは国境を越えないために東ドイツが施したものでしたが、幾ら深く掘って植樹しても枯れてしまうのです。約10000本植えたでしょうか。結果今でも生きているのはたった300にしか育っておりません。ドイツでは何とか日本人の好意を汲んで、櫻の樹を植えたいという運動が現在なされていますが、壁に拘らず良好な土壌に植えて欲しいと願っています。カラヤンも二回もナチの党員になった人物でしたが、名前だけのナチでしたから、戦後不問にされたのでした。高村光太郎はじめ多くの日本の芸術家も同じ運命だったのでしょう。繊細で気高い精神の持ち主であったカラヤンはどんなに歓ぶことでしょうか。今からワクワクしますね!今日も本当に有難う御座いました!
     

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