或るメッセージと無縁仏と櫻と

 

山高の神代櫻

日本一古い樹齢2000年の山梨・実相寺にある神代櫻(江戸彼岸種)

 

 

 

 

              或るメッセージと無縁仏と櫻と

 

 

 今年も華やかにワシントンでさくら祭りが開かれました。財団法人日本さくらの会が主催し、代々の衆議院議長が理事長を務めるこの会とワシントン市民が中心になって行われているのです。そこで歴史的な日にちなんで財団独自で制定された日が、3月27日「さくらの日」にしているわけですが、この日はワシントンのポトマック河に日本の櫻が植樹された記念すべき日(1912年3月27日)である意味が籠められているのでしょう。そこで日米の架け橋になった一人の女性の物語は我が主人の原稿『ワシントンD,C、の櫻物語』で明らかです。そのエリザ・R・シドモア女史が苦難の末日本にやっとやって来て、当時日露戦争であったことから、日本人は捕虜の扱いをどうしているのだろうと新聞記者魂を発揮し、松山にあったロシア人捕虜収容所を見学しに行き愕然とするのでした。余りにも美しい武士道で捕虜は整然と扱われていたからです。早速世界に向け発信し、日本人の美徳を称えたのでした。更に日本を隈なく見聞し歩いて、日本人の櫻に対する姿勢に深く感動し、いつか当時汚れていたワシントンのポトマック河に櫻を植えたいと大きな夢を抱きました。東京市長であった尾崎行雄の尽力もありまして、二度目で漸くシドモアの夢が開花したのですが、そのシドモア女史が日本の子供たちに宛てた書簡があるのです。以下の通りです。

 

      日本の子供たちへ     ミス・シドモアからのメッセージ

 明治17年(1884年)の秋、首都ワシントンに住み世界地理の研究をしていた私は、横浜の米国領事館に勤めている兄ジョージを訪ねました。乗っていた汽船は台風に遭い、散々でしたが、これが日本を訪れた最初です。27歳の時でした。その後、たびたび日本を訪れ、母キャサリンも横浜に住むようになり、いっしょに国内を旅行したり、春夏秋冬の自然に触れたりしながら、日本の人びとと楽しく交流するようになりました。

 当時、日本は列強の脅威に晒され、不平等条約を押しつけられながらも、大人たちは独立精神が旺盛で勤勉でした。そして子供たちは教育程度が高く、貧しくても明るく、正義感に溢れていました。私は、すぐに日本と日本人が大好きになりました。きっとこの島国は、世界の中で最も理想的な国になるに違いないと思いました。

 私は、旅行記(『日本での人力車旅行』1891年刊、『西回り極東への旅』1893年刊)を書いて、これらの日本の風景と文化を欧米に紹介することにしました。鎌倉、箱根、東照宮の日光、茶摘みの静岡、そして名古屋、奈良、大阪、神戸、宮島の浮かぶ瀬戸内海、長崎へと脚を運び、さらに富士山に登ったり、温泉に入ったり、東京の園芸や京都の工芸に携わる人びとを訪ね歩きました。そして四季折々の風情ある景観に接するうちに、霞たなびく山麓や水辺に咲くサクラこそは、日本の優しい心を語っていると感じました。

 特に、隅田川河畔で〝向島の櫻”を見た瞬間、水環境悪化に悩む首都、ポトマック河周辺のゴミ埋立地に日本の櫻を植えたいと念じました。"サクラは水質汚濁の浄化作用があり、川辺や井戸の側に植えてきた”との日本の言い伝えを強く感じたからです。

 日露戦争や第一次世界大戦では、敗北した敵軍捕虜を優しく扱った日本将兵の姿は、国際赤十字の博愛精神に繋がる素晴らしいものでした。その時の感動を、私は、記録小説(『ハーグ条約の命ずるが如く』1907年刊)に著わしました。同じ頃、櫻を日本固有の花とし、騎士道精神の象徴として語るドクター・ニトベの『武士道』が世界のベストセラーとなり、いよいよ日本の心、サクラを母国に植える意味合いが強まったと思いました。

 これまで何度も却下されてきた積年の思いを友人のヘレン(タフト大統領夫人)に提案しました。そして、ついに日本の友人たちの協力を得て、櫻を東京市長より寄贈して頂き、日米友好の植樹式がポトマック公園で催されました。明治45年(1912年)春弥生、私が55歳の時でした。その後、この沢山の櫻の苗木は、日本の心を象徴するように清澄で優雅な花を毎年咲かせることになりました。

 そして櫻の国日本は、戦争防止を実現するために国際連盟(注;現在の国連とは違う)のリーダーとなって活躍するようになり、私もジュネーブへ移り積極的に協力いましました。

 新世紀を迎えるこれからも、日本は国際社会の中心的存在となり、世界とともに強い責任と高い理念をもって歩んで行くと信じています。初めてこの地を旅した時、豊かな水と緑に育まれた子供たちの純朴で明るい笑顔が、とても素敵でした。今も変わりないことでしょう。フレー・ニッポン!

                                                                        永久(とわ)の花の季節に

 

 この文章は、シドモア女史最晩年の文章です。主に明治時代の日本をご存知でしたが、どんなに日本を愛していらっしゃったのでしょう。皆さまも充分にお分かり戴けたことでしょう。そしてこんな心の応援歌に、私はいつも感動して泣けてくるのです。まさしく日米友好のシンボル的存在の女史でした。1924年アメリカ議会が「排日移民制限法案」を通過させると、シドモア女史は憤然としてワシントンを去り、二度と故国の土を踏むことはありませんでした。スイスのジュネーブへ移住し何くれとなく日本の活動を助けたのです。広大なワシントンのシドモア邸は世界戦争の防止を念願する人々で溢れ、数多くの方々が集まったと言われています。中には新渡戸稲造博士の姿もありました。母国に思いを残しながら、シドモアは1928年11月3日についに帰らぬ人となりました。72歳に及ぶ波乱の生涯でした。ニューヨーク・タイムズは彼女の死を大々的に報じました。現地での追悼式には当時ベルンにいた吉田茂大使が駆けつけ、追悼の辞を捧げました。翌年シドモア女史のご遺骨はその死を惜しむ日本国政府の配慮でスイスから日本に迎えられ、横浜山手の外人墓地にある、母と兄の眠るシドモア家の墓地に埋葬されました。納骨式には内外の著名人100名ほど参集し、埴原前駐米大使の司会で、新渡戸稲造博士が英語で弔辞を読み上げ、弊原外相のメッセージも代読されました。11月27日付けの東京朝日新聞は「奇しき縁の米婦人、遺骨を日本の土に」という見出しで、彼女の死を惜しみ、日本で手厚く埋葬されるにいたった経緯を報じています。対日理解の促進が讃えられ、後日日本国政府から勲六等宝冠章を授与されるのでした。でもどうでしょう、そんな叙勲より、シドモアさんは子供たちへのメッセージを、今こそ読んで貰いたいのではないでしょうか。

 

淡墨櫻の根

根尾谷の淡墨櫻 幹の部分写真 樹齢1500年(江戸彼岸種)

 

 さらに物語は続きますが、時は流れてかつて親日家だったこの一族には兄妹ともに独身であったために、シドモア家は途絶え、この墓石は結局無縁仏扱いになっているのでした。明治時代までは美しい武士道精神がまだまだ横溢してあったのでしょう。あんなに誉めて戴いた美徳に満ちた日本軍はいつしか完璧に消え失せ、時が経つにつれ極限まで残虐な暴走が続きました。そうして人類史上最悪の原爆投下ですべてが崩壊し悪夢は終わったのでしたが、シドモア女史はそれを一切知ることはありませんでした。ご本人にとって知らなくてよかったとせめて胸を撫で下ろしていますが、日露戦争から太平洋戦争の大敗北までたったの40年!40年でしたい放題だったのですから、軽薄で虚偽や残虐に満ち横暴が平然とあったのです。騎士道と称えられた軍部の面影は微塵もなく、そうして戦後経済力だけが突出し、モノに溢れ、ありとあらゆることが平然と行われ大混乱して現在に至っています。精神文化はフニャフニャし続け、現在の日本は一見すると平和ですが、ただ漫然とした平和だけであってあらゆることが出鱈目すぎます。中には少しずつ古き佳きことへの回帰があるようで、眞に敬服に値するものがあるのですが、ひとえに教育の現場や地域住民の意識の向上が大切なことなのでしょう。官僚の腐敗も目に余るものがあります。自浄能力がないのでしょうか。情けない話です。

 外人墓地を訪れる観光客の方々はいても、シドモア女史の墓地に立ち止まる人影はなく、日米友好の櫻を見事に咲かせた彼女の功績は時代とともに忘れ去られて参りましたが、1961年に有隣堂から彼女の著書「日本・人力車旅情」と題されて出版されました。どっしりした装丁で、表紙には純日本的な情景が描かれ、挿絵もたくさんあって、シドモア女史の思いの丈がヒシヒシと伝わってまいります。これを切っ掛けに、もっとシドモア女史を知るべきだと、横浜在住の有志を中心に「シドモア櫻の会」が発足致しました。第一回は昭和62年で、ワシントンにちなんで3月27日に開催され、記念碑の除幕と櫻の苗木の植樹がなされました。以来毎年櫻の花咲くこの時季に行われるようになったのですが、第五回目には何とポトマック河から里帰りした櫻が墓石のわきに植樹されたのです。それから彼女に対する反応が年々強くなって来ています。ワシントンの櫻と言えば、当時東京市長だった尾崎行雄の名前だけがクローズアップされますが、その架け橋になった一人のアメリカ人女性がいたことをしっかりと胸に刻んでおきたいものです。でも地下でご家族とともに、大好きな日本で安らかにシドモアさんは眠っていることでしょうが、彼女たちを決して無縁さまにしてはなりませぬ。日本人が責任を持って彼女ご一家の墓守をしないでどうするんだと強く感じます。故国は今やサクラの国・日本ですよと、彼女たちの霊位に向かって大きな声で語りかけてあげたいのです。

 

三春の瀧櫻

福島・三春の瀧櫻 樹齢1000年(江戸彼岸種) ココを見れば現在の開花情報が刻々と分かります

 

 今日の櫻の写真はシドモアさんが見ることがなかった日本三大名櫻を、彼女への追悼の意味を籠めて出しました。日本にはまだまだこれらの櫻にひけを取らない素晴らしい櫻がいっぱいあります。折に触れご紹介申し上げます。それと最後になりまして恐縮ですが、シドモアさんに心から賛同し、当時ニューヨークにいて絶大な協力を惜しまなかった科学者の高峰譲吉博士のことも忘れられない方です。又先日NHKで、アンジェラ・アキさんがシドモアさんのお墓の直ぐ脇にグランド・ピアノを持ち込んで「サクラ色」という自作の楽曲を歌っていました。御覧になられた方が多かったのではないでしょうか。アンジェラさんはご結婚間もない方で、身体全体を使って素晴らしい歌声でしたね。実に感動的な場面だったと思いますし、シドモアさんもさぞや歓ばれたことでしょう。

 

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或るメッセージと無縁仏と櫻と への5件のフィードバック

  1. 良枝 より:

    こんばんわ。りんこです。
    素敵な桜の写真ですね。
    大きな幹にぎゅっとしがみついて
    耳を押し付けてしばらくじっとしていたくなります。
    桜染めは桜の皮を使うのにピンク
    という話を聞いて桜の幹をいとおしく感じるようになりました。
    目に見える花が咲いていなくても
    体中桜色のさくら。
    素敵です。
    シドモア女史の目に映った日本の未来って
    どんなだったんでしょうか。
    今、私が「日本の子供たちへ」を読んでどう思うのか。
    それが今できる私のすべてかな。
    だって、今日本に生きているほとんどの人って
    シドモア女史から見たら
    子供なんですもんね 笑

  2. 道草 より:

    再び感動的な物語りを拝読して、改めて心の洗われた感を禁じえなません。ポトマック河畔といえば昔に読んだ、子供の頃のジョージ・ワシントンが桜の木を切った逸話しか知りませんでした。その背後にはかくも人間の尊厳を再認識させられる素晴らしいストーリーがあったのか、と今更ながら襟を糺す思いです。高峰譲吉博士にしても、ジアスターゼの発明者としての認識しかありませんでした。それが、これだけ櫻の普及に貢献しておられたと知り、その不認識を恥じております。
    かつての日本は、そして前にも硯水亭さん書いておられましたように、日本の子供は世界に誇れるばかりに素晴らしかったとの事。この史実を我々日本人の総てが、今一度、思い直し対処して行くべし、と痛感致します。思うに為政者や教育界の貧困と脆弱は目に余るものと、真に慨歎せざるを得ません。「櫻」は人類の依って立つ智慧と情愛と意思の象徴として、かくも素晴らしい素材であり、それが日本の国花でもある。この事を私達は誇りに思うとともに、何物を以ってしても本当に大切にして行く必要のあることを痛切に観じます。
    ここに挙げられている日本3大櫻の、なんと凄いことか。その樹影に接しただけで、正に感涙の思いや切です。樹齢1千年2千年を超える櫻。人間の歴史や人智を遙かに凌駕した、悠久の存在にさえ思えます。櫻はこれからも5千年1万年・・・と生命を永らえて、人間の微細な営みを見守り続けて行くでしょう。限りある儚き人間は、その生ある間にその久遠の櫻の思念に応えられ得るのか。素晴らしくも入魂の文章を読ませて戴き、有難うございました。
     
    「ひとすじの花」   八木重吉 綺麗な桜の花を見ているとそのひとすじの気持ちにうたれる

  3. 道草 より:

    八木重吉の詩の行が輻輳しました。差し替えて下さい。
    「ひとすじの花」   八木重吉
    綺麗な桜の花を見ているとそのひとすじの気持ちにうたれる

  4. 文殊 より:

            りんこさま
     
     櫻色の染色は櫻の樹皮を使うのですが、櫻鱒っていうお魚の燻製にも使われます。
    櫻の香りはほのかにして絶品の味になるのです。樹皮は木器の表皮にも一般的には多く使われます。
    樹は表層と表皮しか生きていないのです。年輪がある部分は生きていないんですよ。だから表面は
    凄く大切なんです。櫻切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿って昔から言われていますが、櫻は表皮以外はもろい
    樹なんです。だから女性に対する姿勢と同じで、大切に思いながらお付き合いをしなければなりません。
    どうか今度櫻に出会ったら是非櫻の表皮をなでてあげてくださいね!
     
     シドモアさんのことを思う時、最近評判の『国家の品格』を思い出されます。
    著者の藤原正彦さんは『武士道』のよさを説いておいでですが、シドモアさんが
    松山の捕虜収容所で見た光景は、まさにこの武士道の精神ではなかったでしょうか。
    武士道は殺しあうことではなく、お互いの尊厳を尊重する風潮もあるようです。
    小泉八雲も同じようなことを力説しています。美しい日本、何て不思議な国家だろうと。
    外人から指摘されるまでもなく、私たち自らが手近かなところから始めるべきでしょう。
    もはや遅いでしょうか。余りにも平和なのに残虐で狡猾な事件・事故が後を絶たないですね。
    私たちや子供たち、みんな含めて信じて頑張って参りましょう!今日も有難う御座いました!
     

  5. 文殊 より:

           道草先生
     
     高峰譲吉博士をご存知だったとはさすがに先生です。実に素晴らしい先生でした。最近流行っているアドレナリンもこの先生の発見だったんです。凄いものです。シドモア女史がアメリカで櫻の木を植えたいとあちこちに手を回し盛んに運動をしている頃、高峰先生はニューヨーク在住しておりました。熱意を籠めて話すシドモアさんと逢い、彼女の精神にすっかり動かされたのですが、それで感銘を受けた博士はただちに東京市長・尾崎行雄に連絡し、直談判をしたのでした。ポトマック河の櫻には数多くの方々が関わっていました。特に船会社の日本郵船は木を運ぶ運賃を一切受け取りませんでした。西から東まで列車で運ばれたのですが、最初の苗木は残念ながら害虫がいっぱいいたものですから、直ぐに焼却処分されてしまいます。それを知ったシドモア女史は再び尾崎市長に懇願するのですが、尾崎も尾崎でした。快くもう一度、今度は虫がつきづらい櫻の苗木を送ろうと硬い約束をするのです。尾崎も武士道を実践していたのでしょうか。今度は静岡で苗を作ります。そうしてやっと出来た苗木は立派な苗木でした。もう一度日本郵船にお願いをして、やがて記念植樹にこぎつけるのです。関わったすべての人々に、シドモア女史はどんなに感激したことでしょう。
     
     あの忌まわしい排日騒動があってから、シドモア女史は国際連盟があるジュネーブに移り住むのですが、日本は立派な常任理事国であったのです。その時の外相松岡は、アメリカの石油の禁輸を理由に国際連盟を脱退します。それからです。雪崩をうちかのごとく戦争へ一直線に進んだのは。今では考えられないことですが、国会で誰一人とも戦争反対するものがいなかったのです。資源のない日本はどんなに資源国を欲しかったことでしょう。特にインドネシアの石油に眼をつけ、アメリカに先制攻撃をくわえ、ご承知の太平洋戦争に突入するのですが、国際連盟に踏み止まっていたならばと、タラレバの話になってしまいますが。
     
     日本人は櫻とともに生きて参りました。櫻はよく面倒を見なければなりません。古代から櫻狂いのものが大勢いたでしょう。農村部では特別な花でした。武家の花になるのはそれからずっとずっと後で、平安末期の源平合戦まで遡ります。刀の鍔や鎧や馬の鞍の装飾に好んで使われました。以来ずっと近代まで一部特権階級の花であったのですが、江戸になると、庶民も花見が出来るようになります。長屋のハッツァン・クマサンも花見をしました。沢庵付けを玉子焼きに見立てたり様々に工夫をしながら花見をしていたのです。でも明治ご維新からどこかごく一部が狂って来た部分があったのでしょう。明治政府は相変わらず薩長連合で固められていました。司馬遼太郎の「坂の上の雲」では、悲哀に満ちた藩閥の悲劇が否応なしに出て参ります。そしていつしか特攻魚雷「回天」の隊員に教えるべく、良寛さままで登場したのです。馬鹿で愚かなことです。
     
     戦後60年過ぎて、再び何やら櫻ブームでもあります。古木名木が取り分け尊重される風潮が出来たのでしょう。古木名木のせいではないのです。それは軽薄なる近代日本人の馬鹿さ加減です。野山や里山にひっそりと咲く櫻も、数千年と生きた櫻も同じだと私は思います。日本人はよきにつけあしきにつけ櫻とともに生きて来たのですから。櫻はお守りせないかんのです。手入れしなければならんのです。櫻の国・日本に生まれた以上、それは絶対的な使命だと信じます。櫻の本当の姿を知らないで、櫻を観光化し馬鹿騒ぎし、眞に可笑しいです。いい意味で、日本人はみな櫻に寄り添って生きていけばいいのです。と、私は硬くそう信じています! 

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