この世に善はない 人がそれをなすまでは

 

御苑

 

 

      この世に善はない 人がそれをなすまでは

 

 

 「この世に善はない、人がそれをなすまでは」と言い放ったエーリッヒ・ケストナーは徹底的にナチスに反抗した稀有な方でした。この一節は亡命を進めたれていた時分偽名で劇作や詩作をしていて、自分の本の焚書事件があり弾圧を受けていた時、不屈のケストナーが発した詩の一節です。今日は残念ながら、点子ちゃんやアントンやエーミールたちのお話ではありません。

 夕刻帰ろうとしていたら、秘書課の者が新聞を読みながら泣いているのです。どうしたのと聞いたら、そこには夕刊フジに書かれてあった光市母子殺害事件の被害者である本村洋さんが書いた記事が出ていました。そして泣いていた彼は言うのです。来年から始まる裁判員制度で、私たち一般人も裁判をする側に廻って人を裁かなくてはならないけれど、この本村さんの記事を読んですっかり考えこんでしまったというものでした。私も即刻読んでみました。400字詰めの原稿用紙に50枚に書かれた手記の一部で、明日発売の月刊誌『WiLL』に掲載予定の一部分でした。以下あの判決直後に書かれた本村さんの手記の一部です。

 『私は今回の判決に救われた。遺族のこれまでの思いを代弁してくれただけでなく、まさに真相を究明し、事実に即した判決を下してくれたのだ。私は、死刑制度というのは、人の生命を尊いと思っているからこそ存在している制度だと思う。残虐な犯罪を人の生命で、生命を尊いと考えていなければ出てくるものではないからだ。たとえ少年であっても、残虐な犯罪を許すことはしない。被告(編注・誌面では少年の実名イニシャル、以下同)の死刑判決によって、そのことが社会に示されたのだ。二度と弥生や夕夏、そして私のような思いをする人間を出さないためには、それが必要であると私は思う。私は被告に言いたい。死刑を受け入れることによって、君は自ら人生に意味を見出して欲しいと思う。もし、本当に罪を悔いているなら、残された生の中で、そのことを社会に発信して欲しい。そこまで悔い改めながら、それでも死んでいかなければならないことを、そして犯罪の愚かさ、司法の厳粛さを、社会に伝えて欲しい。それが君の人生を意味あるものにする唯一の道だと思う。時計の針は戻らない。だが、裁判で真実を捨てた君でも、まだそういう道が残されている。君への死刑が執行されるなら、結局、事件で三人の尊い生命が失われることになる。それから私は、君を含めて三人の十字架を背負って生きていくのである。

 人を殺した人間は、自らの命をもって償う。当然の道理である。そして、被害者も加害者も生まない社会をどうしたら築けるのか。これは社会の永遠の命題である。弥生や夕夏は、そんな社会を実現するために尊い犠牲になったと私は信じたい。私の九年間の闘い――将来、私が二人のもとに行った時、二人は、「パパ、よくがんばったね」と言ってくれるだろうか。私には皆目わからない。ただ私が二人へ言うことは決まっている。「弥生、ありがとう。夕夏、ありがとう。二人のお陰でパパは幸せでした。」という感謝の言葉である。私は、弥生と夕夏という素晴らしい家族を持った誇りと感謝を胸に、私自身も新たな人生を歩んでいきたいと思う』 (手記者 被害者遺族・本村洋氏 4月26日発売の月刊誌『WiLL』より 夕刊フジの抜粋記事 段落ありますが、スペースの都合で失礼にも勝手に段落なしに直した一文です)

 私もこの手記には大いに感動をさせられました。本村さんの書かれた一文一文が一途で、この誠実さや真実観がズシリと重く圧し掛かられてきたように感じられました。独りで裁判所内で、母子の遺影を抱きながら本村さんは頑張りました。少年法の壁、奇想天外な弁護団の主張、日本の司法を変革させたといわれるほどの長い道のりが、冷静に書かれてあると付記してあります。是非とも明日発売の月刊誌『WiLL』を購入し全文を読んでみたいと思いました。そして来年から導入が決まっている裁判員制度について、改めて深く考えてみたいものです。義務でも行きたくない人が何と80%以上と内閣府の調査でも明らかですが、逃げているだけでは何も始まりません。トルストイは「人が人を裁けるのか」とどこかで書いていたように思います。ケストナーが発したこの言葉の意味も相当に重たいです。特に量刑を決める場面では私たちは一体どうしたらいいのでしょうか。不安ですが、逃げてばかりはいられないでしょう。但し全国民がこの裁判員制度について深い関心を持っていることだけは事実のようです。今夜は櫻の樹の根もとに若々しく新芽を出している写真を、何らかの再生への祈りを込めてご掲載申し上げました。

 

広告
カテゴリー: メモリー パーマリンク

この世に善はない 人がそれをなすまでは への6件のフィードバック

  1. 銀河ステーション より:

    人が人を裁く難しさ…僕も逃げだしてしまいそうな心をもった一人です。本村さんの手記には、心が震えます。テレビでも、何度か本村さんの姿は拝見しましたが…、これだけの悲しい事件を通過されながら、単に自分の私怨のためでなく、もっと大きなもののために、こみ上げる感情をこらえつつ、戦っておられる姿に敬服するしかありません…。死刑…、そんなにも重い裁きを受けなければならない人が一人もいない世の中になればいいのに…と誰もが思っているのでしょうが、あまりにも辛い現実の世界です。こんなとき、亡くなった方が生き続けるあの世があってほしいと心から思います。そして、本村さん親子が、再び、万感の思いで抱き合える日が来る事を願わざるをえません。

  2. 良枝 より:

    本村さんの手記をみて泣いた一人です。
    正直なところ、
    9年前からだんだんと顔つきが変わってく様子を見て、
    この方は判決後に燃え尽きてしまうのではないだろうか・・
    と思っていたことさえあるのです。
    しかし、3人の十字架を背負って生きていく と、
    「生きていく」という箇所をみて、
    なんとも言葉にできないほどの衝撃を受けました。
    この決意を前にして、
    私も裁判員制度から逃げるわけにはいかないと
    改めて感じました。

  3. 道草 より:

    事件当時の本村さんは、「本人が死刑にならずにいつか出て来たら、自分の手で殺す」と、発言していました。遺族の心情としては当然で、私が同じ立場になればその気持ちになると思います。それが月日の経過によって、「加害者は法の裁きを受けて死刑になることにより、犯した罪を償ってほしい」と変化しました。遺族としての苦悩を乗り越えた凄い人間的成長だと思います。その根底には、「人の命を奪った者は、自分も命を捧げることにより贖罪すべき」との考えが貫かれていて、これも私は正論と考えます。片や今回の弁護士達は、初めに「死刑廃止」ありき、で裁判を利用したとしか言えません。死刑廃止は理論として唱えるのは勝手ですが、それを今回の如き裁判での実例を利用するなど、非見識以外の何ものでもありません。彼らの行為は、被害者とその遺族はもとより、加害者さえも人間として扱わない結果となりました。その証拠に、魔界転生だとか空想漫画まで持ち出して失笑を買っています。結果として、他のまともな死刑廃止論者まで奇異な目で見られる事態を招いたと言えます。昔「12人の怒れる男」という映画がありました。ご存じでしょうが、アメリカの陪審員制度の物語りです。他の11人の陪審員が「guilty」としたのを、1人(ヘンリー・フォンダ)が「Not guilty」と投じて、それから真剣に審議を進めて行くストーリーでした。これは冤罪を晴らす内容でしたが、考えれば人間が人間を裁くことは、如何に真摯に対処すべき事であるか、人間が人間を裁くのは斯くも厳粛な事なのか、を痛感させられる映画でした。裁判員制度が導入されれば、果たして日本人は、情を絡めずに客観的に正論を積み重ねることが可能なのか。換言すれば、如何なる場合でも我々が真に人間として対処し得るのか、を試される事にもなると思います。私は、一度は裁判員に選ばれたいと考えるところです。

  4. 文殊 より:

           銀河ステーションさま
     
     一般的には裁判員制度を逃げ出したいという方は多いようですが、夕べこの法律を寝ずに勉強致しました。色んな立場があるなぁと痛感されました。何故あの法律が出来たのか、そこから理解を進めて行くべきかも知れませんね。国際的には既に多くの国々で始まっていて、開かれた裁きの場というのがその大切な目標のようです。今回の裁判だって、ややもすれば非公開になっていたのです。そういう意味から言ったら、やむを得ぬ制度かなぁとやや変化致しました。更に早速WiLLを購入して本村さんの心情を詠ませて戴きました。この短い文章では明らかになっていない、例えば報道の問題だとか、怒りに満ちた告発があります。何度も泣きそうになりました。だって、この方は物凄く誠実なんですから。
     
     きっとあの世で本村さんご夫妻が再会し、歓びのハグをして頂いたらどんなにいいでしょう。尊い犠牲でした。私たち日本人は現実を逃げることなく、前へと歩幅を進めて行かなければならないでしょう!
     

  5. 文殊 より:

          りんこさま
     
     貴女の感性も立派です。おっしゃる通りですね。
    今日買ってきた本誌を読んで又一層本村さんに対して認識を新たに致しました。
    凄い闘いだったと思います。是非本誌でもご確認下さりたく存じます。
    本村さんの顔は確かに変化して参りましたが、でも断然いい意味で変化して来たのだろうと思います。
    あんなに愛して、その愛情の中から恵まれた娘で、あれがある時一瞬のうちに崩壊してしまうのですから、
    決して許せないですね。一度せめてお嬢さんだけでも残しておけなかったかと自問自答したことがありましたが、
    今となっては愚かしい考えだったと深く反省をしています。
    本村さんの文章にはご本人でしか書けない苦悶がありありで、
    本当にこの先、何とかして新たに生きていって欲しいと念ずるものです。
    裁判員制度を逃げないと言ったりんこさんは立派です。私も逃げないと
    改めて確信した次第です。今日も有難う御座いました。
     

  6. 文殊 より:

            道草先生
     
     まったくその通りですねぇ。本村さんは一貫して立派でした。遺影を持ち込んでいいことになったのも、この本村さんの訴えが突き動かしたことでしたね。いや寧ろこの人の真摯な姿勢がこの裁判をかえたと言ってもいいかも知れないですね。多分大きく影響を与えたのでしょう。そう信じています。今朝WiLLを購入しに行き、22ページにわたる全編を読んでみましたが、紛れもなく本物の真摯さで、胸が何度もえぐられた思いが致しました。我々が普段知りことが少なかったBPOの存在とそのブレにも言及していらっしゃいました。被害者の心情が裁判を左右するかも知れないから報道規制をしようとしたり、実に驚くべきことも多かったようです。
     
     もしも私に置き換えてみたら、先生の大いなる義憤はまったくその通りで、私などは裁判終了しなくても、何をしてでも殺しに行っていたかも知れません。でも本村さんは怒りは怒りとして冷静沈着に貫かれたと思っています。どこからその自制心が来るのだろうと不思議にさえ思う時だってあるのです。あの事件はあまりにも被害者にとっては耐え難い事件でした。既に亡くなった方に普通暴行をするでしょうか。あまりにも理不尽が目立っています。それがある時から天国へ召されるための儀式だと証言をかえたのですから、やはり弁護団の罪は重いでしょう。あり得ないことです。逆にそれが死刑判決の決心を強めたのでしょう。ああした死刑廃止論者が現裁判に、当てはめることに相当な違和感があり、無理難題だらけです。
     
     実は私も裁判員制度は嫌だなぁと単純に思っていた一人でした。でもこうした一連の本村さんの行動を見詰めるのつけ、それが充分な必須の行動だと信じるに足りるようになってきたと考えます。司法の世界の中だけで生きて来た人間では、どこか歪曲された世界だってあるのではないかという怖さです。以前当社の顧問弁護士から伺った話ですが、判事の人たちは私たちが読まないような猥褻で世辞にたけた雑誌を大いに読んでいるというのです。つまり専門職とのバランスをとっていなければ、正常な判断を下せないとも。なるほどそうかと思いました。そこでやはり一般人の常識や一般人が持つ正論が生かされるような気がしてなりません。裁判員制度がすっかり定着するまでは様々な試行錯誤があるでしょう。でも過去の判例を見ても、どうしてそうなったのか疑いたくなる判例もあり、一般人の持つセンスを軽視出来ないものでしょう。私もそうしたチャンスがあったら、真摯に参加してみたいと存じます。最も迷うのは量刑を決める時でしょうが、日本人の正論と良識を心から信じたいです。今日も大変貴重な御意見を有難う御座いました。
     
     「12人の怒れる男たち」はグリゴリー・ペック主演の割と地味な内容の映画でしたか。あそこにはアラバマという人種差別の激しい地方で起きた裁判の映画だったように記憶しています。主人のフィルムギャラリーで見たことをうっすらと覚えておりますが、又ビデオ・ショップでレンタルしてでも是非見たい作品です。お知らせ戴き、本当に有難う御座いました!
     

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中