源氏物語と能と

 

ゲンジスミレ

 ゲンジスミレ 山梨など決まった地域にしか咲かないスミレで 裏が紫 源氏物語を思い起こさせる菫

 

 

 

                  源氏物語と能と

 

 

 能の現行曲は250番ほどありますが、意外に源氏物語を出典とする能は少ないように思われます。『半蔀(はじとみ)』『夕顔』『葵上』『野宮』『須磨源氏』『住吉詣』『玉鬘(たまかずら)』『落葉』『浮船』『源氏供養』『碁』『夢浮橋』など、これしかありません。中でも最も人気が高いのは『葵上』でありましょう。私は個人的には『半蔀』が大好きですが、能のドラマトゥルギーでは「平家物語」の方が圧倒的に似合っているらしく、何と平家からの出典は30番にも上っています。その他「伊勢物語」や「今昔物語」などからの出典が多いでしょう。更に源氏物語の原本そのままから改作された能は殆ど皆無と言っていいかも知れません。源氏物語の周辺へのドラマが多いのです。その証拠に「葵上」などは葵上は登場せず、六条御息所が怨念の限りを尽くす般若面をつけて登場したり、必ずひとひねりされてあるのです。これだけの能で、『源氏物語』を全部通して知っている顔は決して出来ません。そこでこの連休中に、源氏物語本体を読む覚悟を致しました。以下少々ばかり能における源氏物語のさわりを要約致しました。三番のみにて失礼します。

 

  葵上

    光源氏の正妻、左大臣家の息女の葵上は、物の怪にとりつかれ重態でした。回復させようと様々な方法を試みますが、うまくいかず、梓弓(あずさゆみ)の音で霊を呼ぶ「梓の法」の名手、照日(てるひ)の巫女を招き、物の怪の正体を明らかにすることになりました。ところが巫女の法に掛けられて姿を表したのは、元皇太子妃で源氏の愛人の六条御息所(みやすどころ)の怨霊でした。御息所は、気高く教養深い高貴な女性ですが、近頃は源氏の足も遠のき、密かに源氏の姿を見ようと訪れた加茂の祭りでも車争いで正妻の葵上に敗れ、やり場のない辛さが募っていると訴えます。そして、葵上の姿を見ると、嫉妬に駆られ、後妻打ち(うわなりうち)〔妻が若い妾(めかけ)を憎んで打つこと〕で、葵上の魂を抜き取ろうとします。家臣たちは、御息所のあまりの激しさに恐れおののき、急ぎ偉大な法力を持つ修験者(しゅげんじゃ)横川(よかわ)の小聖(こひじり)を呼びます。小聖が祈祷を始めると、御息所の心に巣くっている嫉妬心が鬼女となって表われます。恨みの塊となった御息所は、葵上のみならず祈祷をしている小聖にも襲いかかりますが、激しい戦いの末、御息所の怨霊は折り伏せられ、心安らかに成仏するのでした。題名は「葵上」ですが、実際には葵上は登場しません。舞台正面手前に1枚の小袖が置かれ、これが無抵抗のまま、物の怪に取りつかれて苦しんでいる葵上を表現しています。物語の中心は、鬼にならざるを得なかった御息所の恋慕と嫉妬の情です。御息所は元皇太子妃なので、鬼に変貌しても、不気味さの中に品格を表す必要があります。特に、前場の最後、扇を投げ捨て、着ていた上着を引き被って姿を消す場面では、感情の盛り上がりをいかに表現するかと同時に、高貴さを損なわない動きの美しさを要求される難しい能です。この作品には、『源氏物語』らしい雰囲気を醸し出すための様々な仕掛けが施されており、前半では、見せ場の謡に、『源氏物語』の巻名が散りばめられていますし、また御息所が葵上への嫉妬に悩む直接の原因となったのは、賀茂の祭の車争(くるまあらそ)いに破れたことであるという室町時代の解釈を反映して、御息所は前半破れ車に乗って登場するという設定になっています。

 

 野宮

 晩秋の9月7日、旅僧がひとり、嵯峨野を訪れ、伊勢斎宮の精進屋とされた野の宮の旧跡に足を踏み入れます。昔そのままの黒木(皮のついたままの木)の鳥居や小柴垣を眺めつつ参拝していると、榊を持った上品な里女が現れます。女は、僧に向かい、毎年必ず長月七日に野の宮にて昔を思い出し、神事を行う、ついては邪魔をしないで立ち去るようにと話します。僧が、昔を思い出すとはどういうことかと尋ねると、かつて光源氏が、野の宮に籠もっていた六条御息所を訪ねてきたのがこの日だと告げ、懐かしそうに御息所の物語を語ります。そして、自分こそが、その御息所だと明かし、姿を消してしまいました。別に現れた里人から、改めて光源氏と六条御息所の話を聞いた僧は、御息所の供養を始めます。すると、牛車に乗った御息所の亡霊が現れます。御息所は、賀茂の祭りで、源氏の正妻葵上の一行から、車争いの屈辱を受けたことを語り、妄執に囚われている自分を救うため、回向して欲しいと僧に頼みます。野の宮での源氏との別れの記憶にひたりながら、御息所は、しっとりと舞い、過去への思いを深く残す様子で、再び車に乗り、姿を消しました。「野宮」は鬘物のなかでも、大曲とされています。源氏物語に材を取り、主人公は六条御息所です。秋の嵯峨野の哀愁に満ちた風情のなか、昔を懐かしむ御息所の深い切なさや、辛く悲しい恋の妄執といった心のうねりを、優雅にしっとりと、そして品よく描いた曲です。六条御息所は、「葵上」でこそ、生霊になるほどの嫉妬心の持ち主として描かれましたが、源氏物語では、知性と教養溢れる魅力的な淑女とされています。そのように高貴で聡明な女性でも、寂しい境涯に置かれ、心の奥底で嫉妬、妄執を養うこともあるのです。人の世に生きることの悩みの深さ、思いの深さが沁みて来るように出来ています。

 

 半蔀

 京都、北山の雲林院に住む僧が、ひと夏かけた安居(あんご)の修行[夏安居(げあんご)とも。九十日間籠もる座禅行]を全うする頃、毎日供えてきた花のために立花供養を行っていました。すると夕暮れ時に女がひとり現れ、一本の白い花を供えました。僧が、ひときわ美しく可憐なその花の名は何か、と尋ねると、女は夕顔の花であると告げるのでした。畳み掛けるように、僧が女の名を尋ねると、その女は、名乗らなくともそのうちにわかるだろう、私はこの花の陰からきた者であり、五条あたりに住んでいる、と言い残して、花の中に消えてしまいます。里の者から、光源氏と夕顔の君の恋物語を聞いた僧は、先刻の言葉を頼りに五条あたりを訪ねます。そこには、昔のままの佇まいで半蔀に夕顔が咲く寂しげな家がありました。僧が菩提を弔おうとすると、半蔀を上げて夕顔の霊が現れます。夕顔の霊は、光源氏との恋の思い出を語り、舞を舞うのでした。そして僧に重ねて弔いを頼み、夜が明けきらないうちにと半蔀の中へ戻っていきます。そのすべては、僧の夢のうちの出来事でした。夕顔は、光源氏の恋人のひとりです。京の五条あたりでふと目にとまった、身分もわからない、夕顔の花のように可憐なこの女性に、源氏はいたく心引かれ、情熱的に愛します。しかし、それも束の間、連れ出した先で、夕顔は物の怪に取り殺され、短い恋は終わりを告げてしまうのです。この能は、この源氏と夕顔の恋物語を基としていますが、物語を描くよりも、夕顔の花そのものの可憐さに、はかなく逝った夕顔の君のイメージを重ね、花の精のような美しい夕顔を造形しています。すべては僧の夢、という結末につながる、幻のようなしっとりした優美さが際立つ能になっています。

    能半蔀  能葵上  能野宮  胡蝶の舞舞楽胡蝶

 

 素晴らしい皐月晴れの連休に、妻と二人で静かに本を読んでいます。松栄堂から購入した御香が聞こえて来ます。妻は「沙石集」や荻野三七彦博士や中村直勝博士の論文など難しい本で、私は「源氏物語」を。瀬戸内寂聴か谷崎潤一郎の現代語訳の本を買って来て読もうとしたら、妻から「原典主義じゃないといけませんよ」と釘を刺され、おろおろ致しました。「分からない部分があったら、何でも教えますから」と。仕方なく書架にあった原典を読み出しましたが、これがなかなか進みません。昨日から掛かってやっと「若紫」の段まで来ています。でも少しずつ慣れ、光源氏を取り巻く人間の相関関係も何とか謎ときしながら理解しつつ、一千年前に出来たこの稀有な小説を心から楽しんで読んでいます。確かに今までは能楽に取り上げられた一部分しか知らなかったので、ちょうどいいチャンスだったようです。

 春野菜のパスタとアサリのスープで、簡単なお昼に致しましたが、妻は「光源氏は18名ほど関係した女性がいたけれど、あなたは今まで何人いましたか」とさりげなく風雲急に。どきっとして死ぬかと思いましたが、残念ながら、お互いに笑って終わりました。恥ずかしながら、厳密に言って初恋はこの年にして妻が最初でした。若い頃からの仕事で全くそれどころではありませんでしたのです。妻もどうやら最初であったようで、分かっている癖に!「つまり何人も異性の相手がいないと人間は満足しないのかなぁ」と誰に言うでもなくのたまうものですから、「それは人によりけりで、それはそれでいいんじゃない」とぼそりとコッショリ反論致しました。「私は源氏の中で言うと誰になるのかなぁ、紫上か葵上か、どう思いますか?」。まだ全部読んでいませんので、何とも返答に窮していると、「どっちでも嫌かも。案外花残里がいいかも」と笑いながら自由奔放。読み終わっている御仁には適いません。まぁそれを探り当てるのも今後の楽しみの一つです。18人と言う恋人が多いものか少ないものか、それも今後興味の尽きないところで、でもどうでしょう、この物語に出て来る女性たちの素晴らしさと気高さ。容易ならざる者へ逆にグングン興味を引かれる光源氏の習性。日本語の美しさ。連休中に堪能しながら読了出来ますかどうか。さてこれから取り敢えずお茶に致しましょうほどに。と、まぁこんな調子の他愛ないスローな生活が大好きです。

 

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源氏物語と能と への6件のフィードバック

  1. 良枝 より:

    こんばんわ。りんこです。
    源氏物語を日常的に語れるなんて
    ほんとうらやましいですね。
    私も源氏物語はちゃんと読めていないのです。
    学生時代の古典以来読めてないなぁ。
    徒然草は何回か読んだのにな 笑
    中国の古典に紅楼夢というのが
    ありますが、
    これも興味あります。
    男性は三国志のほうがお好きでしょうか。
    かくいう私も横光の三国志を部屋に全巻
    そろえていますが 苦笑
    紅楼夢はまだ手にしてませんが読んでみたいのです。
    なんとなく、源氏物語のイメージで捉えていますが。
    それにしても、
    奥様とのやり取り
    本当に和みますね。
    あぁ、うらやましいなぁ。
    また、何度でもそんな
    和みを載せてくださいね
    って、お願いしていいのでしょうか?
    お二人の大切な時間ですね 笑
     

  2. 道草 より:

    今日から五月。周りはいっそう清々しく、少し歩けば青葉若葉に噎せるばかり。今夏の硯水亭さんは櫻紀行を胸中に秘めながら、香の君と御二人で睦まじくも読書三昧。書誌学教授直々の薫陶を得て、さぞかし収穫多き日々となることでしょう。硯水亭こと又の名はもちろん櫻源氏。従って奥様の追及には、隠さず照れず総てを曝け出さねばなりませぬ。それが愛妻への誠意でもあり授業料でもある・・・な~んて。登場女性の好みから申しますと、優し過ぎるばかりにも心優しく愛らしい夕顔(夕顔を扇にそへるやさしさに我の心はまた揺れ動く)か、はたまた、哀しいまでに身の程を弁えた空蝉(惹かれても夫ある身と空蝉の思い悩める恋ぞ哀れに)か・・・。さてこそ、奥様はどの女性でしようか。紫の上や葵の上はなるほど源氏の理想とは言え、やや気位が高く、やはり、優しい人柄でなお控え目な花散里(優しさに包んでくれし人柄を頼みて託す花散里の愛)こそふさわしいようです。ご命名もずばり、櫻散里(はなちるさと)かと。もちろん、物語の姫より実物は容色の遙かに優れておられることは、申すまでもありません。いずれにしましても、原文で読破の心意気、ただ感服あるのみです。私も高校時代に谷崎源氏を購入して読み初めましたものの、3分の1程度で諦めました。奥様の御目からすれば、翻訳物などに関わった劣等性と写ることと、今更のごとく恥じ入っております。私のGWは、母校の記念誌編集で追われそうです。せめてたまには、宇治十帖の背景の宇治川辺りを散策して、気分一新を図ろうかとは思っております。「橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ」(浮舟より)。

  3. (Kazane) より:

    ゆったりと流れる時間の中にいるお二人。いいですね~。そして、穏やかで幸せな空気感の中にいる硯水亭さんの心をドッキリさせてしまう奥様の一言(^^)何だか、お二人の様子が目に浮かぶようです♪源氏物語を原文で読まれているのですね。私など、現代語訳でも読破していません…。ブログで知り合った硯水亭さん、道草さん、夕ひばりさん…、人生の先輩の方々を見習って、私ももっと勉強しなくては…と思ってはいるのですが。なかなか…。残りの休日、のんびりとお楽しみください♪私もあと1日出勤すれば4連休です(^^)

  4. 文殊 より:

              りんこさま
     
     本当に遅くなって御免なさいね
    時の経つのを忘れて没頭し、食事も半端なままで終わらせていました。
    現在ようやく「葵」に来たところです。妻は何事も時間厳守で、普段の蓄積を
    大事にする人ですから、今夜は少々早めに10時半に休んでしまいました。
    連休中はお手伝いさんもお休みですから、お休み前に買って戴いた分で
    二人でどこにも出ず暮らしています。「紅楼夢」は三国志・西遊記・水滸伝と合わせて
    中国古典四大傑作ですね。いずれ僕も読んでみたいです。大いに興味ありでしょう。
    でも源氏物語とはいささか違うでしょう。中国らしく登場人物も400人以上もいるのですから、
    やはり中国的な部分があるのでしょうね。少しだけかじったことがあったので。
    凄いストーリーだと思っています。中国の中にある「情」の文学の最高傑作でしょう。
     
     りんこさん、僕たちは少し変わっている夫婦かも知れませんよ。
    僕は妻がしたいようにさせるのが本義だと思っているし、妻はそんな僕に
    すっかり信頼しているようで、喧嘩する材料がないんです。ハタから観たら
    詰まらな夫婦かも。妻は妻の部屋を造っています。今回の勉強の材料は
    京都から宅急便で送られたものですが、御飯の時だけはいつも面白く
    色んな話題に花が咲きます。今夜は次の論文の構想で、実に面白かったんです。
    食べるのを忘れるんじゃないかと思いつつ、あっさりと混ぜ御飯を作って食べました。
    色々なご夫婦はあるでしょうが、僕たちは僕たちなりの夫婦でありたいと願っています。
    そんな意味から申し上げますと、やっぱり結婚ってなかなかいいものですよ。
    りんこさんは特別に繊細な人ですから、それなりの素敵な男性が現れると信じています。
    本当にお返事が遅れて御免なさいね。ではお休みなさいませ!
     

  5. 文殊 より:

             道草先生
     
     あはははは!先生ったら、大真面目なお顔で上品な冗談がいっぱいちりばめられていて、とても痛快です。本当にいつもお優しい眼で見てくれておいでで、感謝するのみです。ずっと古語辞典と首っ引きでして、頭がこんがらがると、おそるおそる妻の助けをピーポーパーポ致します。私は勉強が好きだから、他に何も出来なくてと妻は言いますが、元気で頑張ってくれることが私には一番だと思っています。でも不思議ですね、だって一室の中に籠もっていて、ろくに口も利かないで、それで満ち足りるのですから、有難いことです。
     
     洗濯も私がするのですが、でも下着だけは決してさせません。それだけは自分でやっています。乾燥機の中にポンでおしまいですから、普通簡単なんですが、最低自分がなすべきことは何かとだけは考えているのでしょうか。特別遠慮することもなく、さりとて自分本位でもなく、さりげなく何かと気付いてくれますから、私には過ぎたる妻だと思っています。時に部屋の中で運動もしています。私のルームランナーを使って走ってみたり、オイオイ大丈夫かいというと、何も心配ないからと。すっかり安定期に入って元気いっぱいです。来週から私の方は又リハビリが始まりますが、膝の周辺の筋肉の強化からやっています。まだ怖くて立てません。ねじ曲げる時に痛みが走りますから、焦らずやって行くしかないんでしょうね。
     
     今回の連休ではとても宇治十帖まではいけそうにありませんが、ただ読む方法を理解し、どこをどう調べればいいのかとか、読む根気をつけたように思われます。それとやはり原文がいいかもと再認識しております。芭蕉の奥の細道の文章もそうですが、やはり名文は一つも余分な部分がなくて、素晴らしいのです。更に生意気ですが、クダクダとした説明らしいものがないのも最高にいいのではないかと存じます。ストレートに伝わって来るような気がシテいます。いつも先生の文章で感じさせられることでもあります。先生もこの連休は何かとお忙しいでしょうけれど、タイガースが悠々と勝っていることだし、心情的には愉快にお過ごしになられることでしょう。今日も本当に有難う御座いました!
     

  6. 文殊 より:

          風音さま
     
     今日は夏のような暑さだったのでしょうか。私のところはペントハウスで、思い切り風が吹き抜けてくれますから、開けっ放しにしておくと寒いぐらいになるんです。でも気分転換に、ちょこっと屋上庭園に水遣りをしました。植物たちもみんなキラキラして元気いっぱいで嬉しいかぎりでした。夕御飯は妻が作ると言ったのですが、そこに妻を待たせておいて、お炊事をするのがメッチャ楽しいのです。今晩は竹の子御飯と茄子と豚肉の味噌炒めと春菊の胡麻和えと朝漬けておいたキューリと白菜の浅漬けでした。ニコニコしながら、妻と食べるひと時は何にも変えられない歓びです。和服の妻がフラリと脇を通る度に、いい香りがして参ります。パリで、私がエッセンスをブレンドした香水が好きなようで、どこか一部に必ずつけているようです。御香も焚いているんですよ。妻の部屋にコッショリとしのばせています。
     
     私の妻は不可思議な生き物です。私が可笑しいのですが、時々オトコらしく情欲が湧くことがあるのですが、彼女の傍にいると、心の底からそれが浄化されてくれるのでしょうか。不思議に私は静まりかえり、つい頬を撫でる程度にいつもはしてしまいます。京都の義父からは産道を広げるために、アレをしてないといけないとかお酒を飲んで無遠慮な電話があった時、先方もワイワイガヤガヤでした。妻はプンプン怒って、そんな卑猥な電話だったら親子の縁を切るからとか、穏やかではありませんね。それも義父の愛情表現なのだと思っていますが、私は少なからず怖くて出来ません。その代わり、妻が寝ることにしっかり抱っこすることと熱いいキッスだけはしています。その枕元で、海外の話をしているうちに、妻はコトリと寝てしまいます。そんな他愛ない日々です。ままごと遊びでいいと思っています。
     
     勉強中って言うかお互いに読書中は妻は自分の部屋で懸命に頑張っています。私は自分の机とか、リヴィングのテーブルとか、時々代えますが、でも真剣に読んでいることは変わりなく、傍に妻がいるだけで満ち足りているのです。女人不可思議なり!今夜も有難う御座いました。(注;風音さんと先輩後輩ではありません。風音さんは僕の絶対の同僚です) 連休中何ごともなく、ご無事でお過ごしくださいね!
     
     

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