鯉幟(こいのぼり)

 

鯉幟

 

 

 

                                         鯉幟(こいのぼり)

 

 私たちは過去、海外渡航する度に、鯉幟をよく持参致しました。日本文化を知って戴こうという趣旨と平和への願いからでした。多分2000旒以上はお贈り申し上げて参りました。殆どは小さな鯉幟でしたが、公共の場にご寄贈する場合は加須市から特別に取り寄せた大きな鯉幟も多かったように思います。何処でも皆さんは大変に面白がり、大歓迎され楽しく受け取って戴けました。普段行くリヨン・パリ・チューリッヒ・ニューヨーク・パースはもとより、コピンヌハーゲンや南アフリカ共和国やアラスカやチリなど世界中へ配って参りました。ただ一つだけ気になる場所があります。チベットのラサにいらっしゃるお世話になったガイドさんへ差し上げた鯉幟です。あれはどうされたでしょうね。元気よく、あのエヴェレスト(中国名はチョモランマ)が見える紺碧の大空に舞ってくれればいいのですが、一刻も早く平和裡に自らのアイデンテティが守られる暮らしが出来るように、ひたすらお祈りするばかりです。

 端午の節句のもととなっている故事は、紀元前277年汨羅(へきら)の淵へ身を投じた屈原(くつげん)の御話があったからではありませんか。屈原は楚の国の忠臣で王に種々の諫言(かんげん)をしたのですが、受け入れられず、逆に江南に流されてしまいました。そこを秦に狙い撃ちされ、楚の国は秦に滅ぼされてしまったのです。哀しみのあまり屈原は祖国に殉じて身を投じてしまいます。そのことで、屈原は忠君愛国の代表人物として、或いは自由・正義・人民・祖国を愛し抜いた人として、現代に至るまで変わらず尊敬され続けています。その屈原が亡くなった日が五月五日で、この日江水においてはボートレースが行われます。又この日水底に没した屈原を悼んで、竹筒にお米を入れて水中に投じて祀らう習慣が出来たところ、蛟竜(こうりゅう)が来てその食物を盗んでしまうというお告げがありました。そこで盗まれないように、蛟竜が最も嫌う楝樹(おうちのき)の葉に包んで五綵(ごさい)の糸で縛って水中に入れたのです。これが現在も日本でも五月五日の食物になっています。いわゆる粽(ちまき)の原型です。このように誇り高き漢族には漢族の特有のアイデンテティがあり、一方、人懐こくて純粋無垢で敬虔な佛教信徒であるチベットにはチベット族独自のアイデンテティがあるのです。

 今度来日される中国の胡錦濤国家主席は49年前の若かりし折、自ら先頭に立って指揮、チベットを徹底弾圧し武力制圧したその方です。その功績が江澤民(当時の国家主席)から認められ、今日まで出世階段を脱兎の如く上り詰めた方でした。本日3日チベット亡命政府から特使二人が派遣され、北京で6日まで非公式協議をすることになっていますが、中国政府のトップがトップですから劇的な進展は全く見込めないのです。国家を返せ、革命を起こすなどという過激な発言を、ダライ・ラマ十四世はどこででも、たった一度も話していないのです。チベット族特有の佛教文化のアイデンテティを守りたい一心だけで、完全に非暴力を訴える人です。その人を蔑視を籠めてダライ(ラマは尊称で、中国政府は一切尊称をつけない)反動的一派はなどと記者会見などで報道されるとつい哀しくなって来ます。従って殆どの希望を見出せないまま、私は同じ仏教徒として今朝早く起き出して、大日如来さま・弘法大師さまに深く深くお祈り申し上げました。せめて糸口を与えて戴きたいと。

 国家同士、先ずお互いのナショナル・アイデンテティを尊重することから平和的諸々の手段が講じられると思うのです。アフリカで展開されている中国とインドの資源をめぐる覇権争いも気になるところですが、当面オリンピックを控え、中国政府に自制と自重を求めたいと懇願してやみません。

 

中川一政

画家・中川一政先生の書

 

広告
カテゴリー: 文化 パーマリンク

鯉幟(こいのぼり) への8件のフィードバック

  1. 道草 より:

    「節は、五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、言ひ知らぬ民のすみかまで、いかで、わがもとにしげく葺かむと、葺きわたしたる、なほいとめづらし。いつかは、異をりに、さはしたりし。」(枕の草子)汨羅の屈原に起源を発する端午の節句は、日本では女性の日だったとか。硯水亭さんには釈迦に説法でしょうが、皐月は早苗月の略称で、農家にとっては田植えは一年の最大行事。従って、田の神を迎えるに当たり女は巫女となり、軒に菖蒲を挿し菖蒲湯を焚いて身を清めお篭もりをしたのが五月五日だったとか。この日は元々は女の日であり、それが「こどもの日」の祝日になったのは昭和23年で、私が小学校5年生の時です。「こどもの人格を重んじてこどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」と言われました。母の日でもあるわけです。いずれにしましても、寒村に疎開していた私の子供の時代には、鯉幟は買ってもらえませんでした。粽を食べながら柱につけた疵は、家が取り壊されるとともに消えてしまったことでしょう。長じて、我が家には女の子が二人。鯉幟にはさっぱり縁がありません。せめてチベットの空に、硯水亭さんらが寄贈された鯉幟の泳ぐことを念じております。こどもの日はいつも快晴とか。今日の祝日も朝から五月晴れです。お二人は今日も部屋で、旦那様は教授の横で「源氏物語」の読書三昧の一日でしょう。
    「鯉のぼり」  作者不詳
     
    甍の波と雲の波、重なる波の中空を、橘かおる朝風に、高く泳ぐや、鯉のぼり。
    開ける広き其の口に、舟をも呑まん様見えて、ゆたかに振う尾鰭には、物に動ぜぬ姿あり。
    百瀬の滝を登りなば、忽ち竜になりぬべき、わが身に似よや男子(おのこご)と、空に躍るや鯉のぼり。

  2. Unknown より:

    おはようございます♪鯉幟のお写真、美しくて楽しくて、つい見入りました。端午の節句のもととなっている故事についても興味深く拝読しました。毎年粽を食べるのは何故 ? などと思いつつも何となくそのままにしてきましたが、そういう謂れがあったのですね。道草さんには菖蒲湯の由来も教えて頂いて・・・硯水亭 Ⅱさんはきっと奥様とご一緒にお入りになるのでしょうね !
     
    町々に鯉幟が泳いでいる様子は何と素敵な風景でしょう。グランマが日本に住んでいたらきっと描いたに違いありません。その絵が目に浮かぶよう !我が家のお隣さんは男の子2人、下のおうちは男の子が3人いらっしゃるので、私は窓から見て楽しんでいます。(今日は雨模様なので鯉さんたちはお休みのようですが)
     
    聖火リレーの段階で混乱しているのですから、本番が心配ですね。オリンピックが真に平和の祭典となりますよう祈るばかりです。今頃チベットの澄んだ青い空に鯉幟が元気に泳いでいますように・・・

  3. 文殊 より:

           道草先生
     
     先生のおっしゃる通り、五月五日の日が男の子の節句になったのは中国から伝来し宮廷に入ったためでした。そしてそのまま武家社会に受け入れられて行ったのですが、いつしか国民全体の端午の節句になったのは実に新しく、武家政治が安定をした江戸初期頃で、それまでは全く違っていました。もともと農耕民族である日本人にとって田植えが最も神聖な行事であったわけで、田の神さまにおいで戴いて、男たちが笛や太鼓を打ち鳴らし、早乙女たちが神聖な田圃に入って稲を植えていったものです。黒澤明監督の映画「七人の侍」における最後の田植えの場面のようなものでした。田圃に入るために女たちは、その準備に入らなければなりません。旧暦五月五日はその準備のための日だったのです。この日は「女の家」とか「女の屋根」とか言われ、男たちは外仕事に出払ってしまい、菖蒲やヨモギで屋根を葺いた家の中で、女たちは身を清め、物忌みが厳粛に行われました。神聖な御田植えに行く女たちは植え付け(カマケワザ=感染呪術~豊作を約束させること)に臨むために大切な日であったのです。それこそ女たちは一日中大威張りでいられた日でした。これが本来日本人の旧暦五月五日の行事だったものです。でも武家社会が安定し、都市化が進み、農業に従事する者たちは戦場に駆り出されることが全くなくなり、士農工商が厳しく制限され、都市部と農村部をはっきり分けられて行ったのも江戸時代初頭頃から、一方の武家社会で盛んにあった菖蒲=尚武であることから、いつしか全体が男の子の節句になったようです。
     
     端午はもともと端の午(うま)の日であり、毎月最初の午の日をいったのですが、「午」と「五」が同音であることから、三月三日が上巳の節句と言ったことに呼応して、同じ数字が重なる日ということで、五月五日を端午の節句と呼ぶようになったようです。ですから五が重なりますので「重五」とも言われておりました。
     
     中国ではこの日を浴蘭節(よくらんせつ)と呼ばれています。蘭のお風呂に入って、その芳香を楽しむ日ということです。蘭の芳香は瘟気や邪気を退けると信じられておりました。何せ中国でもお天気がいい日が続くので、菖蒲酒を楽しんだり、薬草摘みなどをしながら、野山で遊んだ習慣もあったようです。そのまま平安時代に日本に伝わって来たのですが、宮廷では可能であったことが武家社会になると、蘭の花自体極めて珍しいことになり、中国式に混合した形で、日本では蘭に代わって菖蒲が主役となりました。菖蒲酒とか菖蒲人形は中国から伝播したものですが、日本ではもともと菖蒲が邪気を祓うものと信じられていたせいか、圧倒的に菖蒲が主役の座を勝ち取ったと言えましょう。ヨモギとともに菖蒲で屋根を葺き、邪気や火災から守り、菖蒲で鉢巻をしたり、菖蒲刀でチャンバラをしたり、女の子は菖蒲で髪の毛を飾ったり、心身を清めるために菖蒲湯に入ったりして、まさに菖蒲尽くしであるわけです。
     
     鯉幟は武家のしきたりになってから、戦場で馬上で矢留めとして使った幟や吹流しなどの戦争の道具が勇ましく飾られました。鯉幟は言わば武家のしきたりの賜物であったわけです。武者人形や甲冑を飾ったのもそうした縁起を担いでのことだったのです。鯉は出世魚でもありますから、真鯉や緋鯉などもそうした現象の中で成育して行った文化でしょう。私たちが世界中に配って歩いたのは、戦争がない平和の象徴としての鯉幟でして、世界中にある邪気を祓おうというものでした。時々海外の方々から今年も風の中で泳いでいるとお便りを戴いた時、どんなに強く嬉しいメッセージを受け取っているのでしょう。各支部には世界中で鯉幟が今もはためいていることと思います。チベットに鯉幟がはためくことを心から祈っています。今日も有難う御座いました!

  4. 文殊 より:

             夕ひばりさま
     お姉ちゃまにおいで戴いて感謝感激です。ねぇ、いいですよね。海外ではどこでもびっくりされるんですよ。皆さんから大喜びされます。早速ご自宅の窓から吹き流してみたりで大騒ぎになります。大空に威風堂々と泳いでいる出世魚の鯉の姿は特別に天晴れですね。今でも時々差し上げたお宅からメッセージを頂戴することがあるんですよ。その時何て幸せなんだろうと、いつも私たちは確信したものでした。鯉幟は言わば、農村文化から都市型文化になって以降の産物です。戦争がなくなってから、戦場で使われる矢をはねのける武者の背中ではためく幟や吹流しがもともとの源流です。ですから定着したのは江戸時代初頭だと想定されています。それ以前は道草先生説と同じで農村文化中心の中では特別に女性が大事にされた日だったのです。経済の中心が農村部から都市部に移った徳川封建体制と大いに関係がありそうです。各藩の政治経済は、その殆どが城主のいる城下町に集められてから、今日のような端午の節句の形が定着したものと思われます。
     
     昭和23年7月20日制定の「国民の祝日に関する法律」によって、五月五日を子供の日に定められましたが、何故男の子の節句だけをそうして制定したのか、どうせお役所のやることです。そういう気遣いや国民の戸惑いまで計算されていなかったのでしょう。何となく僕は今でも違和感がないわけではありません。その後の祝日の改正があっても、子供の日だけは論外にされていますし、現代日の設定自身、勤務の都合に変更され、何の意味だあるのだろうかと疑いたくなって参りますね。でも少しだけ誉めてあげましょうか。実はこの子供の日は五月五日の子供の日から十一日までの一週間を児童福祉週間を設けられています。母の日は、実はこの子供福祉週間と関係があるのです。五月の第二日曜日を母の日になっているのですが、この福祉週間の延長上に最後を飾るものになっているようです。
     
     無論北アメリカの一女性がウェブスターの教会員だった方が亡き母に送るために白いカーネーションを教会に持って来て、皆さんに分けたのが最初とされていますし、1908年来この同じ日を国際母の日として提唱されて来たものですが、日本でも大正二年(1913年)以後行われるようになったのは事実のようです。尚父の日は1940年にアメリカのドット夫人が提唱し、六月の第三日曜日になったのは当然ご存知のことでしょう。
     
     妻と二人でいる時は静かなものです。物音一つ致しません。彼女は本当に本と向き合うのが大好きな人ですから、すぐそこにいるだけで最高にハッピーです。食事のときだけおしゃべりが出来ます。毎夜一緒に入浴するのが何よりも楽しみです。僕が二人分を丁寧に洗ってあげています。ドライヤーもそうです。世話やきですかね。迷惑している様子は全くないようですが。昨日会社に出たついでに菖蒲を買って参りましたので、今夜は三人で菖蒲湯を楽しみましょう。お臍が随分大きく出て参りました。可愛くて仕方がありません。ハッピーです。
     
     昨日ニューヨークの支社と連絡を取りましたら、やはり鯉幟がブロードウェイ近くの当社支社の窓から五匹の真鯉・緋鯉・吹流しが泳いでいるようです。グランマなら当然描いてくれていたでしょうね。ターシャもね。ラサには何度連絡しても電話が通じません。心配でなりませんが、今は祈ることしか出来ませんので、日課として読経を続けています。さぁそろそろ晩御飯の準備を致しましょう。当家のシェフは僕ですから。今夜はワサビ葉を茹でて短冊に切り、オリーブ油で鷹の爪とニンニクをからめ香りを出し、昆布茶(横着?ププ)を入れたパスタに致します。パスタは彼女の大好物ですから。今夜はあっさり目に!スープは南瓜のスープです。これはちゃんと裏ごし致します。今日もおいで戴き有難う御座いました!合掌!
     

  5. 良枝 より:

    こんばんわ。りんこです。
    こいのぼりがいろんな国の空を泳ぐ姿。
    かわいいなぁ。まんまるの口とまんまるの目。
    チベットのこいのぼり
    吹流しがエベレストに上ったら
    その子は里帰り気分かなぁ。
    チベットにもありますね
    吹流し 笑
    大空に舞い上がる
    ひとつの文化「こいのぼり」
    のように
    どの国の空にあっても
    どの国のどの各個人も
    本当の意味で誇り高く生きられるような
    時代が
    早く来るといいですね。
    その姿は
    とても美しい。

  6. 文殊 より:

              りんこさま
     
     中国留学されたりんこさんに、何だか悪いことばかり言っているようで、本当に恐縮で御免なさい!でも本来僕は中国を非常に親近感を持っているのですよ。僕が愛する弘法大師さまは、中国の高僧・恵果からすべてを伝授されたのですし、日本文化を語るのに、中国抜きでは一つも御話が出来ないのです。空海が渡航した時、中国の時の為政者は密教を弾圧し、道教を推し進める考え方でした。だから慧眼のあった恵果和上は、中国人にではなく、一介の留学生に過ぎない日本の空海にすべてを託されたのでしょう、密教の秘伝や秘儀などあらゆることを授けたのでした。恵果和上の国籍を問わない広辺なる凄い智慧が働いたのでしょうね。それなくして真言宗は成立しないばかりか、日本仏教史上多大な影響を及ぼした密教は伝来しなかったはずです。西遊記のモデルになっている僧・玄奘三蔵もそうですね。彼が果たしたとてつもない努力のお陰で、私たちに佛教が正確に伝えられたのですから。薬師寺に彼を顕彰するお堂があるのも、その為です。そこには平山郁夫画伯が描いたエヴェレスト・バーミアン・シルクロードという壮大な壁画が描かれています。中国は紛れもなく日本の師匠であり兄貴分で、尊敬すべき国家なのです。それを日本自身が幕末の好戦的な薩長連合意識の延長上、薄氷を踏む思いで日露戦争に勝利したことをいいことに、神の国になってしまって、それからたった40年で原爆を落とされ、日本は人類史上最悪の不幸のどん底に落とされたのでしたね。乃木希典という方が軍神と崇められたのですが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」では放蕩の限りを尽くすでくの坊の乃木が描かれ、近代日本の恥部を思い切り曝け出しています。そしてあの盧溝橋事件や南京事件など数々の虐殺や好戦的な日本には、僕は断じて我慢なりません。中国の教科書にはその数十倍もの被害を描かれ、愛国心を煽っているようですが、言われても仕方がないことで、今こそ未来志向で今後あのようなことは二度と起こさない決意と誠意を、納得するまで中国に対して丁寧にしなければなりませんね。だからこそ、日本と中国が永遠の友情関係にありたいからこそ、中国の現在の為政者がしていることに「ならぬものはならぬものです」とお諌めしたり、きっちりと反論すべきはすべきでありましょう。その影には幾億人のも人民がいるのですから。
     
     チベットには幡という吹流しのような旗が数多くあります。エヴェレストはチベットの人たちには神の山です。チベットの方々は経済的格差など全く問題にしておりません。貧乏でも心豊かであれば、チベットの方々は何一つ文句を言う方々ではありません。私たちはラサ市内を何度も徘徊し、今でも彼らの心情が我が胸に大きく感動として残っています。きっと文化の蹂躙だけは我慢ならないのでしょう。私たち日本人は日本人の務めとともに、中国政府にはちゃんというべき時は発言すべきでしょう。それはそれで、これはこれなのです。オリンピックの時こそ、国家のあらゆる水準が見られる絶好のチャンスなのですから。りんこさんの経験を必ず生かしましょう!僕は心底からりんこさんに期待しているし、連携を取りたいものだと信じています。平和で皆仲良くなれる日が来ることを諦めてはいけませんね。頑張りましょう!エイエイオ~~~~~!
     
     

  7. より:

    硯水亭さまのお書きになった記事を読ませていただき、我が上司に聞かされた次のような話を思い出しました。戦後間もなくの頃イギリスはScotlandの方へ行ったとき、ホテルのバーで日本軍と戦ったというイギリス人と呑む機会があったそうです。同行の日本の方は昔ビルマだったかイギリス軍と戦った日本兵であったので、イギリス人の仕返しを恐れていたそうです。ところが話が進むうちに、「貴方は自分の祖国のために戦ったのだろう。立派な日本人ではないか。おれは祖国の為に戦った人を尊敬する」という意味のことを言われたそうです。おかげでお互いにfriendとして話が盛り上がったので我が上司は friendly enemy という言葉を言い出し、これを Oxford 辞典に載せて貰おう、と持ちかけ話が弾んだとの事でした。テーマが少しずれるのかもしれませんが、個の尊重、という大切さとは結びついている気がします。韓国のビジネスマンと昼食時、過去にこだわった話ばかりするなら俺は商売しないよ、というと、彼は、俺は未来の為にビジネスをしに来たと返事してくれ、楽しい付き合いをさせて頂いた経験があります。

  8. 文殊 より:

           Mfujinoさま
     
     ご立派な上司の方がおいででしたね。私たちも数多く同じようなことを体験しています。特に香港支社で損保の会社を立ち上げる時痛感致しました。香港でさえそうでしたから、北京や上海でも同じような苦労があったのでしょう。古老の方々は寧ろ扱い易いと言ったら失礼ですが、案外違和感が少ないのです。現在の若い人たちの方が異常な反応を示す場合があります。それは中国共産党の指導で作られた愛国心からです。多分これは諸刃の刃となっているのだと理解していますが、どの国家も愛国心を強調されるようですが、愛国心とひと括りにされますと、やはりどこかに障害が出て来るものなのでしょうか。何だか可哀想な気になったものです。過去に数多くの戦争をお互いに体験したヨーロッパ各国の愛国心は大人ですね。いみじくもMfujinoさんのご上司の方のお話が出て参りますが、まったくその通りでして、私のブログもよく愛国心発揚のブログだなどと揶揄され書かれる時があるのですが、自国の文化の底を知りたいことと、右翼を助長するようなこととは断じて違うものだと信じています。本居宣長が右翼だと誰がいうでしょうか。いえいえMfujinoさまがおっしゃることは的を得たご発言だと思っています。国家の尊重以前に「個」の尊重があって当然なことでしょう。但し過去への清算は、他国がやるのではなく、自国で自らが厳密にやって然るべきことでしょう!自らの将来のために!
     

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中