舞と踊

 

   武原はん武原はん地歌舞武原はん

 

 

                               舞と踊

 

 

 能を習った者は誰もがの差を知っている。舞は跳ねないが、踊は跳ねる差があるのだと。だが明治ご維新の頃「Dance」という外来語が入って来てから、舞と踊の違いがなくなって、どれもDanceでひと括りにされてしまって、その相違がなくなったのである。現在でいうなら、合併した都市が平仮名や由緒がなくなった地名を名乗るようなものだ。そもそも舞は幸若舞とか能舞とか延年の舞とか、能を含めた古い芸能を指す時が多く、踊は踊り念仏盆踊りで代表されるように中世の仏教芸能から端を発し、歌舞伎や日本舞踊で集約された永い伝統の歴史がある。

 ただ能にだって飛んだり跳ねたりする曲がある。代表格は「石橋連獅子(しゃっきょうれんじし)」であろう。舞踊にだって、全く跳ねない舞のような踊が連綿としてある。京舞の先代四世・井上八千代の老女物や巻頭写真に掲げた武原はん」という上方舞などである。但しその区別は能には一定の型があって、踊には型がないように思われるのは早計だろうと思う。多くの踊は魂振(たまふり)であり、舞には鎮魂(ちんこん 或いは たましずめ)の役割が多いのは確かに事実だ。能の型が彼女たちの舞踊に多大な影響を与えたこともある。従って現在では舞と踊の区別をするのは甚だ得策ではないが、爾来それぞれに伝統があったことだけは厳密に申し上げておきたい。

 日曜日に父と、亡き母の墓参に行って、紅いカーネーションを届けた。粉糠雨(こぬかあめ)がそぼ降り止まず、お墓の真後ろに植えた江戸彼岸の樹が堂々と大きくなり、青々とした櫻若葉で覆われていた。多分母は、亡くなった後初めての真紅のカーネーションを貰って歓んでいたのだと思う。実家に帰って、父がいそいそと山登りする準備をしている間、ちょうどテーブルにあった父が大好きな武原はんのDVDを観た。第二巻の「雪」だ。静かに流れるような舞姿。凛としている。動く日本人形と謳われたはんの舞にしばしうっとりとして観とれていた。12歳の若さで徳島から大阪へ来て、上方舞の山村流で舞踊を習いつつ、芸妓として座敷に出ていた。28歳にして、何とあの青山二郎と結婚し上京。この男は我が中学・高校の大先輩で、目利きとして特別に有名で、小林秀雄・河上徹太郎・中原中也・永井龍男・大岡昇平などが、所謂「青山学校」の生徒で、白洲正子や宇野千代などが弟子だったと言うから凄い御仁である。然し武原はんは間もなく離婚し、「なだ万」などの女将を経て、芸道一直線。生涯自分の芸を磨き続けた人だった。西川鯉三郎や藤間勘十郎などにも師事。独自の芸風を確立し、全面ガラス張りの稽古場で、自分の師匠はガラスの中の自分であるとの信念を貫いた人であった。60歳には60歳の芸があり、80歳には80歳の芸があると言っていた。世阿弥の「時分の花」ということであろう。画家の小倉遊亀や野島青茲など多くの日本画家が、はんの瞬間の美を写し取っている。平成13年95歳で亡くなるまで現役を続行、この世のものではないとまで言わしめた至極の芸を披露し続けた。お座敷芸を芸術の最高到達点まで高めた人であり、文化功労賞にも輝いている。はんの「雪」こそ、舞と踊の融合を見事に果たし得たのではないだろうか。

 今頃父は立山のどの辺にいるのだろう。頂上は未だ雪の中であろう。山を登りながら、武原はんを思い出すことがあるのだろうか。そう言えば母は若柳流を習っていた。父は仲間と一緒であるとは言え、危険な春山登山である。雪崩などに遭わないで帰って来て欲しい。後5年で80歳になる父である。母が亡くなってからずっと独りを守り、深田久弥や新田二郎の本をこよなく愛し、峻厳な峰々と踏破して来た。日本百名山をすべて登頂するまで、未だ16の山々が残っている。偶には一緒に登ってあげたいものだが・・・・。父の夢を果たしてあげたい。

 

   松岡正剛の千夜千冊 武原はん著『武原はん一代』

  静岡県浜松市の料理旅館『吉野屋』は、はんの舞姿を描いた野島青茲の実家

 

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舞と踊 への6件のフィードバック

  1. 良枝 より:

    こんばんわ。
    つい最近NHKではんさんの特集番組やってましたね。
    年齢不詳の美しさ
    力強く、妖艶な。
    日本の女性は美しい。
    これ、資生堂つばきの
    キャッチコピーでしたっけ。
    目指すはここなのでしょうね・・。

  2. 道草 より:

    昨日の午前中は暖かい五月晴れでしたものの、午後から曇り始めて夜半には雨になりました。気温もかなり下がりましたが、今朝はまた一転して好く晴れています。この様子では、明日の晴天の葵祭となりそうです。私の父は56歳で亡くなりました。今の私はその年齢を遙かに超えております。硯水亭さんの父上はその私よりずっとご年輩ですが、100名山踏破が目標とか。ただ恐れ入るばかりです。立山で幾つ目なのでしょうか。ずっと昔に登山を止めております、怠惰な私の日々ではあります。父上の生き様から、沢山の生きる勇気を与えて頂きました。
     
    「山頂」   串田孫一
     
    まあここへ腰を下ろしませう疲れましたかここが針の木岳の頂上です水ですか ぼくはあとで貰ひますこの光る真夏の天の清冽ぼくたちはもうその中にゐるのですしいいんとしてゐるこの筒抜けの深さ何だか懐かしいやうな気がしませんか七絃琴と竪琴が奏でてゐるこれが天体の大音楽かもしれないあそこの左のそいだやうな平らなところええ 雪がところどころに残ってゐるあそこあれが五色ケ原きつと黒百合が伝説風の顔して咲いてゐる明日の朝は早くこの黒部の谷を越えて日暮までに辿りつきませう小屋にスキーがあつたら滑れますそれから赤く荒れた浄土を越えて正面ののびのびと大きいのが立山ですその右の黒い岩峰の群あれが剣岳あそこまで遥かな山旅ですがゆつくり歩いて行きませう岩魚を食べ 雷鳥を見て雛をつれて偃松のある岩尾根にゐます寒ければ上衣を着たら……何を考へてゐるのちよつとこつちを向いてゐみて今日一日でほんたうに日に焼けましたね今かうして連なる峰々を見てゐると夢の中の憩ひのやうでもあるけれどこんな山肌の色を見たことや淋しい谷を霧に濡れて歩いたことがあなたをやはらかく救ふ時があるでせう取りつきやうのない寂しさの中を蟻になつた気持ちで歩いたことがあなたを元気づけることがあるでせう天へ飛び立つて行くやうな歓喜と永遠なるものに包まれてしまつた哀愁とそれが儚い人間には必要なのです冷たい水もう一杯のみますか

  3. 文殊 より:

           りんこさま
     
     仕事やリハビリですっかりお返事が遅くなって御免なさいね。
    そうそう、NHKの四月二十四日に放送になったようです。
    僕は一度だけ、はんの最晩年を父と一緒に観ました。
    それはそれは凄い芸でした。自分の芸を跡継ぎするものがいないと、
    言いながら、たった一人だけ養女にとっています。名を幸江と言いますが、
    彼女も又独立派の芸能を極めようとしています。
    自身の芸は一代限りと言った潔さがは凄いものですね。
    DVDを観て、更に一層凄い芸だと再認識した次第です。
    詩人も舞踊家も同じでしょう。生涯ただ独りです。
    りんこさまの詩もただ独りのものかも知れません。
    どうか今後とも頑張って、自身の御文に自信を持って
    頑張って戴けることを、心から念願しております。

  4. 文殊 より:

           道草先生
     
     父の今回の立山行きは84箇所目の山行きです。何としても死ぬまでには百名山を登山したいと頑張っております。日ごろトレーニングを欠かしたことがありません。連日重い荷物を背負って、8キロ~10キロを歩いています。そこに何があるのか、実は僕には分かっていませんが、父の日ごろの鍛錬を見て、必ず踏破出来るのではないかと。父とは僕が高校生から大学生の始めの頃に至極極端な言い争いがありました。母のことが中心だったのですが、今は後悔しています。父はたった一人であり、僕にとっては掛買いのない御仁です。僕が若い折に、論語の音読をやらされたことも大いなる不満の一つですが、今は感謝しています。叔母と二人で、実家を守っていますが、代々は久留米藩のトップの血筋で、豊臣秀吉のめでたい聞こえがあった家系です。世が世であれば、僕も若君さまであったのでしょう。でも今はそんなことが通用する時代ではありません。今、先祖が松下治助と言っても誰も知らない時代になってしまったからですが、ただたった一つの誇りがあります。亡き主人に仕えたことです。亡き主人の御意向に沿うように、今後益々精進して参りたいと存じています。久し振りに串田孫一さんの詩を読ませて戴き、感動しています。まさにその通りなのでしょう。今週末に父が帰って来ますが、帰ってくるまでが心配でなりません。まだ右脚に重心を掛けられない情けない男です。そう言えば葵祭りでしたね。今日も本当に有難う御座いました。

  5. (Kazane) より:

    硯水亭さん、こんばんは。ここ数日、冬に逆戻りしてしまったような気候ですね。
    やはり奥様が帰られてしまったからかしら…なんて(^^)お父様、すごいですね。何か目標を持って暮らしている方は、やはり気持ちもお若いですよね。 リハビリはいかがでしょうか?なかなか大変だと思いますが、焦らずゆっくりとがんばってくださいね♪明日は久しぶりに、爽やかな青空に出会えそうですね!

  6. 文殊 より:

           風音さま
     
     やっぱり悟られましたね、そうそう彼女が帰ってから急に寒くなって、又暖房をつけたり
    大騒ぎ致しました。でも我慢してリハビリを頑張ったお陰で、今日は本当にいい日よりになりましたね。
    風音さんの大好きな素晴らしい天候です。こんな時風音さんがお休みであったらいいのになぁと。
     
     父は元気いっぱいです。何としても日本百名山を踏破したい夢があるから、気持ちが張り詰めているのでしょう。
    殆どの同級生が亡くなったか、痴呆症になったか、そんな淋しさもあるようですが、愛する妻に長生きして、あの世で
    いっぱい素敵な人生を語ってあげるんだと言っております。何だかけな気で、つい父を応援してしまいます。
     
     リハビリは思った以上に苦しいです。あんなちょっとしたことでも、案外感嘆に歩けなくなるものですね。
    初体験ですので、驚くことばっかりです。特に階段の上り下りなどに苦労しています。階段を昇降する時は
    片足ずつ一歩一歩です。まだ怖くて、右足の重心が掛けられません。焦る気持ちがないわけではないのですが、
    こうなったら徹底的に治そうと、ただそれだけです。頑張ります。僕の分まで風音さんがお外に出られるように、
    心から祈っています。いつも心優しいお気遣いを深く感謝します。有難う御座いました!
     

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