青い薔薇の物語

 

ブルーヘヴン

  河本純子作「ブルーヘヴン」 (フロリパンダ系)

 

青龍

  小林森治作「青龍」(ハイブリットティローズ系)

 

 

 

                       青い薔薇の物語 

 

                             <薔薇特集第二弾>

 

 

 フェルメールの「真珠の耳飾りをした少女」という絵をご存知だろうか。最近よく吉永小百合のテレビ宣伝の画像で賑わしている。あの絵で何が最も優れているかと言えば、無論フェルメールの光の分析で光り輝く瞳や唇の光彩は言うまでもない。この技法はポワンティエ(pointillé)と呼ばれ、フェルメールの作品における特徴の1つである。更にもう一つ大事なことがある。フェルメールの絵に見られる鮮やかな青は、「フェルメール・ブルー」とも呼ばれ、この青は、天然の青で、「ラピスラズリ」という非常に貴重な鉱石を原材料としている。ラピスラズリは、金よりも貴重であったといわれ、「天空の破片」とも呼ばれた。細かく砕き、乳鉢ですりつぶして粉末状にしたものを溶液に溶かし、上澄みを捨てて純化し、それを植物油脂で溶くことによって「ウルトラマリンブルー」は生成される。ウルトラマリンブルーは通常の青い絵具の百倍の値段がついたとされ、通常の画家はマントなどの限られた部分にしか使われない貴重な絵の具であったが、しかしフェルメールはこのウルトラマリンブルーをふんだんに使い、彼はなんと、ウルトラマリンブルーをドレスの下地に使うという、当時の常識としては破格の使用法を用いたのだった。そのお陰か、フェルメールの死後、彼に多額の借金だけが残った。

 日本人画家でフレスコ画の絹谷幸二は若かりし折、ヴェニチュアでフレスコ画を学んでいる。ヴェニチュアのパトバにある教会の礼拝堂に、ジョット作の巨大な壁画があって、それを何度も模写して勉強しているが、キリスト誕生から復活までを描いた大画面で、背景の天空にはやはりラビスラズリの青の絵の具がふんだんに使われていた。思えば、ギリシャの国民的な歌謡で、マルコス作曲の歌「フランゴシリアーニ」とは、マルコスの故郷シロス島のことで、カトリック教を信じている純粋な乙女への恋心を歌われているが、その島はすべて純白の壁の家々に、扉や窓はスカイブルーの色彩が施してあった。涙が出るほど美しかった。簡単に手に入れられない絵の具やエーゲ海の群青の色やスカイブルーの色彩は人類共通の夢の色彩なのだろう。何故なら地球そのものが美しいブルーの星だからか。

 

パステル

 鈴木省三作「パステル モーフ」(フロリパンダ系) =先日のお宅で撮影

 

ブルーライト

  伊東良順作「ブルーライト」(フロリパンダ系) =先日のお宅で撮影

 

  薔薇でもブルーの色彩の薔薇が欲しいというのは薔薇育種家の共通の夢で永遠のテーマであるのだが、それを最初に叶えてくれたのは2年前に酒造メーカー・サントリーから発表された青い薔薇であった。世間にあっと言わせた出来事だが、これはバイオテクノロジーによって作られたものであって、パンジーの青に着目し、それをバイオで薔薇に作用させ咲かせたものであった。厳密な意味ではさてどうだろうか。

 何故青い薔薇は不可能かと言えば、薔薇に必須の青の色素デルフィニジンが、どんな薔薇からも検出されないからである。ところがそれに敢えて挑戦した日本人がいた。

 そんな日本人は本当に凄いものである。岐阜県大野町の河本純子は青みがかった紅い薔薇に注目し、極力赤みが少ない薔薇を交配し、次第に青みの強い薔薇作りに挑んだ人である。20年間で蒔いたは種は実に10万個を超えるというから驚愕に値する。そうして漸く出来上がったのが「ブルーヘヴン」(写真最上の花 2002年作出)で、未だ青みが少ないようだが、今年66歳になる河本はこれからもまだまだ挑戦して行くだろう。中部国際空港開業の時、その薔薇は勝手にセントレア・スカイローズと名付けられ展示された。育種家の河本にとって断じて許せない、飽くまでも本人が名付けたブルーヘヴンであるのだと断言している。そうして汗もかかずに、作出した人の心も無視し、利用するのは如何なものだろうか。本人でなくても怒りをい禁じえないことである。

 ところがまだまだ青い薔薇に挑戦した人がいた。栃木県佐野市の小林森治である。永年サラリーマンを通しながら、生真面目ひと筋に青い薔薇に挑戦した。足掛け40年の歳月も掛かっているが、出来た青い薔薇は「青龍」(写真二番目の花 2002年作出)と名付けられた。小林は河本とは10歳年上だが、一介のサラリーマンであり続けながら壮大な夢に向かって挑戦した結果であった。凄いのひと言であろう。「なせばなる、なさねばならぬ何事も」の精神であろうか。そこまで行くのに大変な地道な努力の軌跡があった。そして影響を与えた大きな人がいた。前の記事に出した谷津薔薇園々長であった鈴木省三である。明るいラベンダー色の薔薇「パステル・モーフ」(写真三番目 1987作出)の存在と伊東良順が精魂籠めて作った藤色の薔薇「ブルーライト」(写真四番目の花 1995作出)の存在が忘れてはならないだろう。「ブルーヘヴン」にしても、「青龍」にしても、こうした青みがかった薔薇がなかったら、恐らく勇気が出なかったのではなかろうか。そして作出も困難だったのでは。しかも河本のはフロリパンダと言って、日本のノイバラの原種のDNAが入っている。それだけでも嬉しい。小林のはハイブリット系だが、両者ともモダン・ローズ系で、DNAがそっくりである。河本純子と小林森治の功績は極めて大きいと称えたいものである。この忍耐強さと創意工夫の凄さは或る意味では日本人の最大の美徳であると思われてならない。青い薔薇を作出したら、ノーベル賞ものだと言われ続けているが、当人にはそんな名誉は全く頓着しないであろうと容易に想像出来る。青の要素デルフィニジンが多少でも多く検出されるに至るだけで、さぞや満足であるのだろう。

 既にオランダの世界最大である生花市場アールスメールでは、オランダ産の青い薔薇が登場しているが、それは青い薔薇の開発とは言えない。ベンデラという白い薔薇に青い染料を茎から吸わせて染めてあるからで、その青い色は、独特の深いブルーになっているが、日本のように自然交配の中で種や茎や根から育て上げた薔薇ではなく、飽くまでも人造薔薇でしかない。薔薇の原種を三つも持つ薔薇の国・日本は古くから薔薇があったわけで、今や薔薇育種家大国の日本にとって、その感覚は決して座視出来ないし譲れないことである。

 

青いバラ

  オランダ産「ブルーローズ」(モダン・ローズ系)

 

  皆さまどうでしょうか、これがオランダ製の青い薔薇であるが、人々の感性に合うだろうか。何か毒々しいし、如何にも人造らしい冷たさがあり、本来の品位に欠ける気がしてならないのは筆者だけか。否!この薔薇は青い薔薇とは世界に全く認定されていないのである。確かに日本だけではなく、世界中でブルー・ローズの熾烈な開発競争が続いているが、日本は一歩も二歩もリードしているのに間違いはない。日本人育種家の切ないまでの努力の賜物であるのだ。そこでお口直しに、皆さまにはもう一度河本純子さんにご登場願って、これも彼女が精魂籠めて作った「オンディーナ」「ミスティ・パープル」言う青系の薔薇をご紹介しておきましょう。永遠の憧れ、地球本体のブルーに近い美しいブルー・ローズが、正確に日本人の手によって世界で公認されるまでは、是非お元気で頑張って貰いたいものである。日本の古くにはバラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、万葉集「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌が詠まれており、早くから日本伝統の薔薇が存在したし、薔薇科の櫻は我が国花なのであり、これから満開になるズミの花も、秋咲きの誰もが好きであろう吾亦紅ですら薔薇科なのである。日本人と薔薇の関係はまだまだ奥が深いのである。

 

 河本純子作「オンディーナ」(フロリパンダ系)

 

ミスティー・パープル

 河本純子作「ミスティ・パープル」(フロリパンダ系)

 

広告
カテゴリー: 季節の移ろいの中で パーマリンク

青い薔薇の物語 への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    かつては牡丹が百花の王者とされ、極めて尊重された時代があったようですが、今は薔薇がその王座を奪取したようです。それはやはり、薔薇の美しさが最も愛でられるからこそなのでしょう。そういえば、梅・桃・桜など日本の代表的な花の多くがバラ科のようです。苺に吾亦紅などもそうだとか。青い薔薇の当初の花言葉が「不可能・あり得ない」だったのが、開発が進むと「奇跡・神の祝福」に変わったとか。素人の戯言ですが、青薔薇の次は黒薔薇でしょうか・・・。青い薔薇がより本物の青に近付けば(人工色は御免です)、赤・黄・青の三原色から黒い薔薇の生まれる可能性もあるのでしょう。余談ですが、鈴木省三氏が子供の頃に父親が買って来た赤い薔薇を見て、それが氏と薔薇との初めての出会いになったとか。40年後に、宮沢賢治が設計した花巻の「南斜花壇」の跡地をバラ園にする依頼が鈴木氏にあり、賢治の愛した薔薇と称して1本の薔薇が送られて来た。その薔薇こそ40年前に初めて見たあの薔薇と同じ品種と気付いて、自宅の書斎の一番近い所に植えたそうです(『青いバラ』最相葉月より)。「青いバラを巡る旅は、ノヴァーリスの『青い花』のように、老人に導かれつつ続けていく、はるかな「内面の旅」なのである(『同』)。限りなき人間の叡智と努力に称賛を惜しまぬものです。
     
    「戀人を抱く空想」   大手拓次
    ちひさな風がゆく、ちひさな風がゆく、おまへの眼をすべり、おまへのゆびのあひだをすべり、しろいカナリヤのやうにおまへの乳房のうへをすべりすべり、ちひさな風がゆく。ひな菊と さくらさうと あをいばらの花とがもつれもつれ、おまへのまるい肩があらしのやうにこまかにこまかにふるへる。

  2. 文殊 より:

                 道草先生
     
     おはよう御座います。わざわざたくさんの資料をお調べ戴いて、本当に恐縮です。実直な先生のお人柄です。このような他愛ないブログの記事に全身全霊をもって、きちんと書いて戴き、今回も特別に感激しております。青薔薇の花言葉の変遷はその通りであります。現在日本人育種家の青い薔薇には薔薇には不可能と言われた色素が若干認められています。本当に凄いことだと頭が下がります。個人的に贔屓している相原バラ園のリストにはかくも多くの薔薇が毎年咲きます。薔薇のことを書き出したら、止まらなくなるはずです。青い薔薇は不可能と言われておりまして、世界の有名な育種家が挑戦しているのですが、日本人の河本さんなどの青い薔薇が一歩リードしています。
     
     実は黒薔薇が真っ黒ではなくても、現在2種類の黒薔薇があります。京成バラ園芸で1988年に創られた黒真珠という品種とアラン・メイヤンさんがパパであるフランシス・メイヤンさんのために1963年に創られました「パパメイヤン」というのがあります。黒真珠は濃深黒色の美しい薔薇で、先日の薔薇の写真の最後に貼り付けた薔薇です。パパメイヤンは真紅の薔薇や他にもパパメイヤンと名付けられた薔薇があるのですが、一般的にパパメイヤンと申し上げますと、ビロードのような黒赤色の方を指すようで、これは一般的に黒薔薇の代表格となっています。
     
     鈴木省三氏と宮沢賢治との関係は初めて知りました。そうでしたか。南斜花壇に咲くその一本の薔薇とはどんな薔薇なんでしょうね。興味が尽きません。確かに他の薔薇は表向きにいい薔薇ですが、河本さんや小林さんが開発した青い薔薇は内省し鎮魂する魂の薔薇なのでしょう。省三氏の内輪のお話も大変興味のあるお話です。
     
     大手拓次さんの詩は繰り返しがあり、それが特別な効果をあげていて、大変好きな詩人です。でも先生が青い薔薇のためにかくもお調べ戴き、私にとっても大好きな詩人の詩を書いて下さって、どんなに嬉しいことでしょうか。本当に有難う御座いました。心から深く御礼を申し上げます!
     

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中