野ばら

 

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                    野ばら

                   <薔薇特集第三弾>

 

 ゲーテ(1749~1832)の詩『野ばら』は、フランスとドイツ国境・アルザス地方の民謡を参考にして、青年ゲーテが作詩したものである。20歳時のゲーテは大学で勉学に励んでいたが、その時、恋人の可愛い娘フリーデリーケと激しい恋の中にあった。しかしゲーテは彼女からの執拗な求婚からどうにか逃れようと、彼女との関係を断腸の思いで断つのだが、それ後ゲーテが抱く良心の呵責の念はずっと消えることはなかった。この詩には、そんなゲーテの苦しい胸のうちが滲み出ている。特に2番3番にはそれが顕著に出ているのだろう。

             『Heidenröslein』
                       Johann Wolfgang von Goethe

          Sah ein Knab’ ein Röslein stehn,
          Röslein auf der Heiden,
          War so jung und morgenschön,
          Lief er schnell, es nah zu sehn,
          Sah’s mit vielen Freuden.
          Röslein, Röslein, Röslein rot,
          Röslein auf der Heiden.

          Knabe sprach: Ich breche dich,
          Röslein auf der Heiden!
          Röslein sprach: Ich steche dich,
          Daß du ewig denkst an mich,
          Und ich will’s nicht leiden.
          Röslein, Röslein, Röslein rot,
          Röslein auf der Heiden.

          Und der wilde Knabe brach’s
          Röslein auf der Heiden;
          Röslein wehrte sich und stach,
          Half ihm doch kein Weh und Ach,
          Mußt’ es eben leiden.
          Röslein, Röslein, Röslein rot,
          Röslein auf der Heiden.

  手塚富雄の直訳を参照すれば、次のような詩歌になる。

             『野ばら』

          野にひともと薔薇が咲いていました。
          そのみずみずしさ 美しさ。
          少年はそれを見るより走りより
          心はずませ眺めました。
          あかいばら 野ばらよ。

          「おまえを折るよ、あかい野ばら」
          「折るなら刺します。
          いついつまでもお忘れないように。
          けれどわたし折られたりするものですか」
          あかいばら 野ばらよ。

          少年はかまわず花に手をかけました。
          野ばらはふせいで刺しました。
          けれど歎きやためいきもむだでした。
          ばらは折られてしまったのです。
          赤いばら 野ばらよ。

 なるほど手折ればとは恋人関係を絶つということになるだろうか。瑞々しい青年期の恋物語となるのだろう。日本では『野ばら』は合唱曲として有名で、中でも興味深いのはシューベルト作曲の『野ばら』とウェルナー作曲の『野ばら』は微妙に詩文が違って翻訳されている。しかも翻訳者は近藤朔風ただ一人であったから、尚さら面白いのである。

             シューベルトの「野ばら」

           童は見たり 野中のばら
           清らに咲ける その色愛でつ
           あかず眺むる
           紅におう 野中のばら

           手折りて行かん 野中のばら
           手折らば手折れ 思い出ぐさに
           君を刺さん
           紅におう 野中のばら

           童は折りぬ 野中のばら
           手折りてあわれ 清らの色香
           永久にあせぬ紅におう 野中のばら

 

             ウェルナーの「野ばら」

            童は見たり 荒野のばら
            朝とく清く 嬉しや見んと
            走りよりぬ
            ばら ばら赤き 荒野のばら

            われは手折らん 荒野のばら
            われはえ耐えじ 永久に忍べと
            君を刺さん
            ばら ばら赤き 荒野のばら

            童は折りぬ 荒野のばら
            野ばらは刺せど 嘆きと仇に手折られにけり
            ばら ばら赤き 荒野のばら

 この2曲はよく知られていた『野ばら』だが、平成17年2月に亡くなられた元信州大学教授の坂西八郎は、昭和36年に3番目の曲の『野ばら』(ライヒャルト作曲)に出逢った当時、室蘭工業大学でドイツ語の教鞭をとっていた頃だった。日ごろから他にも曲がありそうだとウスウス感づいていたが、まさか本当にあったのかと、本人自身が相当驚いたようである。それから世界中にある『野ばら』の曲を集めようと決心し、思い当たるところに手紙や訪問などを繰り返し、26年間で実に88曲を収集することが出来た。ヴェートーベン、ブラームス、スヴェードボム、シューマン、テリーなどもそう、ドイツやオーストリアやイギリスやポーランドなど欧州を中心とした数多くの国々の作曲家を、ゲーテの詩は魅了していたのだった。そして平成2年7月(1990)に、坂西が集めたすべての野ばらの曲、全88曲の演奏会がドイツ・ハイルブロンで行われた。ドイツの人々も初めて聴く驚きの『野ばら』であった。世界で唯一の『野ばら』専門の曲の収集家として多大な功績を認められ、1993年7月にドイツ連邦共和国功労勲章を授与されたのであった。生涯で集めた曲は何と全91曲で、実に40年間も掛かっている。『野ばら88曲集』や「楽譜『野ばら』91曲集」などの著書が残されているが、集大成として「野ばらの来た道」(2005年8月 響文社刊行)があり、現在は雅子夫人が楽譜のすべてを保存・保管している。坂西の予想では全部で154曲もあるそうで、薔薇に関係する日本人として誇り高きことであろう。

 下記に貼り付けた薔薇の主人公である多くのプリンセスには、大変失礼だが、みなそれぞれに悲劇性があるように思えてならない。ここをクリックして戴ければ『野ばら』の曲のうちで81曲が収められている。Windows Media Playerで直ぐ直結し聴こえて来るはずであり(但し当ブログでは現在さだまさしの『案山子』をバックに流しているのでご遠慮なく切断してからお聞き下さい)、美智子皇后には一時酷い誹謗・中傷が週刊誌などで書かれて酷い目にあった。どれだけ心が痛かっただろう。一国民としても辛く、又ご本人のご心情は察して余りある。秩父宮妃殿下も、宮殿下のご夭折に遭い、早くから淋しさに耐えなければならなかった。雅子妃殿下は現在ご不幸にもご療養中である。ダイアナ妃は離婚後あの残酷な不慮の事故死があったし、グレース・ケリー・モナコ妃も同じく交通事故で呆気ないご最期であられた。早くに母を失ったキャロリーヌ・モナコ王女だって、どこか哀しみに満ちている。その中で愛子さまだけは小学校にご入学されたばかりで、無垢な妃で前途があるかに見たいものである。どうかお幸せであって欲しいと心から切に願って、『野ばら』の曲をお捧げ申しあげたい。最後に忘れてはならない薔薇がある。アンネ・フランクの薔薇である。小さな窓から覗き見えたこの薔薇はアンネにとって世界一の一瞬の幸福であったに違いない。アンネは別にして、いずれの姫君も斎宮や斎院の哀しみに、どこか似ているように思えてならない。心からお幸せを願いつつ。

 

               プリンセス・オブ・ミチコ    プリンセス・チチブ

                         プリンセス・ミチコ                        プリンセス・チチブ

         薔薇・マサコ・エグランティーヌ     プリンセス・アイコ

                     マサコ・エグランティーヌ                             プリンセス・アイコ

  ダイアナ・プリンセス・オブウェールズ  プリンセス・ドゥ・モナコ  キャロリーヌ・ドゥ・モナコ

            ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ                  プリンセス・ドゥ・モナコ                   キャロリーヌ・ドゥ・モナコ

 

アンネの思い出

アンネの思い出

 

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野ばら への4件のフィードバック

  1. Unknown より:

    硯水亭さん
    こんにちは♪
    薔薇尽くしの記事、毎回楽しく拝見、拝読しています。今日は拝聴も・・・たくさんあるのですね ! これらは後のお楽しみ。
    少しずつ聴かせていただきますね。
    お隣の町の夕方のチャイム(子供たちに帰宅時刻を知らせるためのもの)今は『ゆうやけこやけ』なのですが、6月になると『野ばら』に替わります。なかなか洒落ていますよね。
    幼い人たちの心の中に懐かしい旋律として記憶されるのだと思うとステキです。
     
    プリンセスたちの薔薇はそれぞれに哀しみを思い起こさせますが、お花自体は美しいですね。
    我が家のダイアナも本日3輪目が開花しました。クリーム色かピンクへのグラデーションがふわ~んとして可愛い。
    ノーブルというよりは、のーんびりした癒し系(笑)です。
     
     

  2. 道草 より:

    小学校で習った「野ばら」はウェルナー作曲だったと思うのですけれど、その後はシューベルトの曲の方が、歌詞も合わせて私には馴染みがあるようです。どちらも曲は似ていると記憶していますが、やはりウェルナーはシューベルトの影響を受けたのでしょうか。それにしても、これだけの数の作曲作品があるとは、ゲーテの詩が余程気に入られたのでしよう。ベートーヴェンも「野ばら」を作曲したものの未完に終わっているとか言われておりますが、この当たりは硯水亭さんの分野でしょう。
    若かりし頃から(今もお若いですが)既に91曲総てを聴かれたのでしょうか。夕ひばりさんが後に継いで、「野ばら」博士の学位を修得されることでしょう。不肖私は、銘酒が入りますと艶歌の方へ傾く傾向(言葉が重複しました)がありますので・・・。
     
    「野茨(ばら)の道」    大木惇夫  夕闇に花しろじろし野茨の細道、にほひの道、われやひとり行きつもどりつ、行きつもどりつ、貧しくはあれ何となき幸をおもふ、明日は弟も来るといふ。弟が来なば、明日も晴れなば、この細道に伴はめ、五年ぶりに手をとりてやらめ、弟も、よき若者となりたらむ、何か しあはれも知りたらむ、そはとまれ野茨の道は、まして丘への細道は、兄と弟がすれすれて行くにふさわし、ほつほつと語るによろし。

  3. 文殊 より:

           夕ひばりさま
     
     お早いお着きで、超ウレピイです。薔薇のお話は夕ひばり姉ちゃまに敵いませんが、何とか書かせて戴こうかと思ってるんですよ。薔薇特集を後、どうでしょう、3記事もあったら飽きて来ますかねぇ。薔薇は何故興味があるかと申し上げますと、櫻の苗床には薔薇の肥料が頼りなんですよ。だからなんです。櫻には山櫻にしても江戸彼岸櫻にしても蝦夷山櫻にしても、みな薬品が必要がない品種です、自助努力が出来る樹なのでしょうね。ところが染井吉野のお世話には薔薇の育成の経験がどうしても必要になって来るのです。園芸品種で、自らの実生で生えないからでしょう。でも一気に染井吉野が駄目にならないように、薔薇の生育状況や消毒には特別な暗示を受けています。だから薔薇には恩義を感じているのです。御免なさいね、いつも同じような記事ばっかりで!
     
     プリンセスたちのお花はみな美しいし、育種家で美しい薔薇が出来た時、必ず王家の姫君を思い出して名前をつけるそうです。だから決して、これはどうかなぁと言う薔薇はないのです。綺麗な薔薇には棘があるとよく言われます。姉ちゃまも昔、失礼今もそのように言われているのではありませんか。でも美しいからこそ、どこか秘めたモノがありそうで、何だか辛くなって来るんです。綺麗なモノもほどほどですね。我が妻はまだまだそこまでは行きませんが、密やかなオールド・ローズにしておきましょう。今日も有難う御座いました!
     

  4. 文殊 より:

           道草先生
     
     そうです、殆どはウェルナーの音程に馴染みがあるでしょう。でも先生、お互いに似合わないのは止めて演歌の世界で行きましょうよ。演歌はいいですよ。ポルトガルのファドのように日本の素晴らしい文化の一つです。最近氷川きよしの玄界灘を謳った歌がありましたね。あれっていいですねぇ。大好きです。そう言えば、三波春雄が歌った長い歌は誰か跡継ぎはいないんでしょうか。淋しい思いをしています。三波さんは終戦で帰国し、あの華やかな世界にあって、懸命に反戦運動に寄付をしていた御仁です。多分総資産の半分は反戦運動に費やされたでしょう。陰ながら応援しているものとして、たわらばしげんばとか、赤穂浪士とか大好きです。あの歌をカヴァーする人が出て来ないかなぁと心待ちにしています。
     
     ゲーテの詩は単なる失恋の歌ではなく、温厚な人々によって鎮魂の歌になったのでしょうね。そこが素晴らしいと思っています。それにしても大木惇夫 さんのノイバラの歌って凄いですね。何が凄いかと申し上げれば、それを探しうる先生の凄さでしょう。今度も感心致しました。感謝感激であります。本当に有難う御座いました。タイガース苦境のようです、応援よろしくお願いします。巨人はあっさりとライオンズに負けています。今のような若手で構成されるなら応援する甲斐があるというものです。どれでもいいから取っ手来るような巨人は好きではありません。御酒過ぎませんように!
     
     

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