憂き目もさめぬ夢のひとひら

 

どくだみの花

 

 

 

 

                               憂き目もさめぬ夢のひとひら

 

 

  梅雨のこんな日の午後、研究室の外にドサッという大きな音が響いた。窓を開けてみると、女が一人、どくだみの花が群生している中に、うつ伏せになって倒れている。院生の子供たちと、直ぐ戸外に出て駆け寄ってみると、何と義妹ではないか。直ちに救急車に通知し警察にも連絡し、救急隊員から、一瞬に収容してもらうが、首の骨折だったのか既に息絶えていた。鼻や頤付近から出た大量の血だけがドクダミの花を汚している。警察が来て反対側の建物の屋上を調べる。靴が揃えて脱がれてあって簡単なメモ書きも添えてあったという。即日自殺と断定され、同日未明、同じ校内にある大学病院から遺体を運ぼうと、それもKがみている院生の数人だけでせざるを得なかった。少し離れた場所の教養学部にいる主人に連絡をとってみたが、行き処不明につき止む無く義母に電話し、大学病院の裏手にある官舎の自宅に運ぶことになる。院生全員が白布で包まれた遺体を担架に乗せたまま自宅に運び入れようとしている。義母は淡々としていて、座敷を片付け布団を敷いて待っていた。不思議なことだが特別泣こうともしていない。

  その夜遅くなって主人が趣味のハングライダーを抱えて帰って来た。お坊さんの手配やら葬儀の相談やら誰とどうしていいものか分からないまま、Kは必死になってあれやこれやっていたのだが、そんな主人と今更口論する気力も残っていない。義母も相変わらず表情一つ変えず縹渺としている。帰って来た主人は既に聞き及んでいるかのようで、ムスッとして帰るなり黙り込んだままで、妹の亡骸に一瞥をくれると直ぐ自室に入ったきりである。仕方なくKはこの勤務地から数百キロ離れた遠い実家に電話する。どうすればいいのかどうしてだろうかなどと、何をどう話したのかよく覚えていない。返って来た実家の返答は殆ど当たっていないように思われ、ただ父が明日飛行機で来るということだけは微かに脳裏に残っている。

  義妹の遺体にひと晩添い寝をして夜を過ごす。葬儀屋が来たのだろう、最低限簡素にして飾り付けられた遺体を居間中央奥に安置し、その部屋には誰一人としていない。親も兄妹もないのだろうか。それが悔しく、涙さえ出て来ない。義妹は東京の大学に行って三年、詩人になる夢を密かに夢みていたのだろう。東京での暮らし向きはどんな生活だったのだろうか。Kは文京区護国寺近くの国立女子大を卒業して、東京には馴染みがないわけではない。そこで大学院を終え、更に京都大学で医学のドクターを取得し、また英国・ケンブリッジ大学医学部のドクターまで取得して、現在は地方大学医学部の准教授となっている。学生に教える厄介さを感じつつ、ただ研究することだけが唯一に報われることであった。そしていつしか新しい勢力の微生物学研究者として、日本では著名な研究者になっている。Kは深い溜息をつぎ、お線香を絶やさずにし、まんじりともせずここ最近のことを呆然と思い出している。それも先ほど義妹の部屋に初めて入って机の近辺を見、乱雑で汚く足の踏み場もない状態の中を、この五年という永い彼女の鬱病の軌跡だけが透けて見える。異常なほど多く散らばっていたノートには数多くの詩篇のようなものが書かれてあったが、無論読む気にはなれなかった。

  夜が更けるにつれ、眼が冴えて来る。お線香だけは無意識のうちに絶やさずにしていた。奥の間にいる主人は教養学部という性格なのだろうか、教えることだけが異常に好きであり、そこがKとは決定的に違うところであるが、結婚後直ぐ生まれた一人息子が誕生して以来、単なる同居人であるに過ぎない。勿論Kの立場だってそうだが、毎週泊り掛けで出掛けるハングライダーが唯一の趣味を持つ平凡な男だ。酒もタバコも一切やらない。母親はとっくに母親の威厳を失い、どこに転勤があってもどこにでも付いて来て同居させて貰うだけで充分である。だが一人息子は妙に義母に懐いている。今夜も一緒に寝ているのだろう。但し目の前のマグロのような義妹は自分の兄にだけ心を打ち明けるのが殆どで、Kとは会話一つした記憶がなかった。繊細な子で、普段殆ど口も利かない義妹だが、兄とだけは饒舌に喋り、何も知らない人が見たら恋人同士に見られるらしい。一度、先生のご主人が若い子と一緒で仲良くイチャイチャとしていたと告げ口があったぐらいである。だが二人の関係に、殊更問い詰める気はさらさらなかった。普段から尋常ではないことだけは確かだと何処かで変に妥協していたのかも知れない。Kにとっては兄を慕う妹、ただそれだけでいい筈であった。でも・・・・・・・、何故敢えて私の研究室のまん前の校舎を、自分の死に場所に選んだのだろう。本人にとって深刻な中(あ)てつけだったのだろうか。でも何故どうしてと、何度も頭の中は空転するばかりで、それだけがどうしても腑に落ちなかった。

  夜がしらじらと明けて来る。山風がひんやりとして初夏とは思えない涼しさ、そうだ眠っている場合ではない。結婚以来何があっても三度の食事を作って来たし、今更変えるはずもない。洗濯もキッチンも何一つ言われないように意地があった。義母や長男のことや、そして主人のことや、家のことだけで山ほどのことがある。学問を続けて行くために決して一つも等閑(なおざり)にしたくはなかった。自宅と研究室はたった300メートルしか離れていない。それは救いで、研究室と時々抜け出せた。そんな鷹揚なことがあって、意地を貫くことも出来た。Kは改めてそれを覚悟すると、情けなさと到底許せない不甲斐無さをグイと胸の中に押し込めた。そうこうしているうちに早朝から葬儀屋が来て、祭壇を作るという。そうだった、夕べ通夜も葬儀のこの社宅から出すと言ったからだ。9時過ぎだったろうか、主人が自分の部屋からノッソリと出て来たと思ったら、いつもの通り鞄を片手に家を出ようとしている。さすがに堰を切ったように、「今夜は通夜、明日はお葬式、一体どうするつもりなのよ。可愛がっていたあなたの妹のことでしょ!あんまりだわ」と言うなり、そこにへたり込んでしまった。一睡もしていない疲労からで、混乱していたり涙が出たためではない。主人はひと言それを聞くなり出て行ってしまった。そして通夜にも葬儀にも帰って来ることはなかった。

  昼過ぎ、Kの実父が尋ねて来て、淡々と通夜の準備が行われた。驚くことに主人の関係者や故人の友人などたった一人も来ることはなかった。義母は喪服に着替え、相変わらず飄々として立っていた。ただやって来たのはK管轄の医学部長やKの関係筋だけで、別に受付することもないのに、Kの教え子たちだけが通夜にも葬儀にも全員が立ち会った。お花が一つも出ず、今まで殆どKが見た事もない葬儀であった。Kの実家は一角の家柄で、すべての留学の費用など父が出している。所謂お姫様であったのだ。そして実家の祖母が亡くなった時どれほどの多くの参列者や花に囲まれたことだろう。それがどんな因果でこのような仕打ちを受けなければならないのか。私に足りないことがあったのだろうか。あれこれ考えるうちに、すべてがあっと言う間に終わり、実父が帰る時、不憫に感じた娘に「貴女が帰る家はあるからね。飽くまでも手伝ってくれた院生たちに対し取り乱したりしてはいけないよ。旦那はきっと哀しみのあまり、貴女に顔向け出来ないでいるだけだから」とそっと肩を抱いた。その時初めて涙が溢れて来て、止まることがなくどうすることも出来なかった。

 それからその年は何と言うこともなく過ぎ、家族間の会話が全くないばかりか、しらけた雰囲気のただ中で居た堪れず、次ぎの年の春、その大学を辞し、予てから誘いのあった東京の大学に活躍の場を移して、完全無欠の独り身を守って研究にだけ執心し、義母のところに置いて来た息子の成長を楽しみにしている。息子が結婚したら、彼女も離婚しようと密かに心に決めている。不思議なことだが、逆にそうした独り身の生活がどんなに開放感を感じていることだろう。

 

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 主人最晩年の絵 『櫻の根元に花が咲く』

 

    この話を申し上げるのに随分迷いました。現在進行形でご活躍中の彼女に対して果たして出していいものかと。でも先日妻と一緒に品川駅頭で出逢った時、彼女は清々しい表情をしていました。この文章は概略事実に基づいているのですが、彼女への配慮のために経歴など若干フィクションを加えています。彼女は私の小学校の同級生で、幼少の頃から極親しい間柄です。苦痛の多かった結婚をしていた昨日にグッドバイを告げ新しく旅立った彼女は、私たち夫婦に、それは私の人生そのものであったからだと大らかに告げたのです。私たちは心から応援したい気持ちに沸き立ちました。今までのことは今までのこと、新たに頑張っていらっしゃることに、すっかり共感出来たからでありますが、彼女はこんなことも言っていました。結婚を決めたことは同じ大学の同僚であることで安易だったと、まさか様々な事実があるとは思ってもいなかったと。でもそんなことは過ぎ去ったことよと。過去だってそう、未来だって、結構多くのことが隠されているかも知れないのよと。事実そういう経緯で深刻に考えた挙句書かせて戴いたのであります。楽天主義でしょうか、それに見合う我が亡き主人の絵がないかと探してみたら、主人自身が夭折の覚悟を決めたかのような、このような櫻の絵葉書がありました。季節は違いますが、昨日は昨日、明日から明日、又出発出来ればいいのよと力強く彼女自身がおっしゃった彼女の心情に意を強くし、このお話を書かせて戴きました。又私はそれぞれに哀しみや苦痛があるのだろうなと、不思議なことなのですが、彼女を取り巻くあらゆるご主人さまやお子様やお婆ちゃんまですべての方々に深い鎮魂の情を抱きました。更に我が亡き主人のフィアンセと経歴が実によく似ています。あの方はどうしているでしょうか。彼女に対しても深い鎮魂を心からお送りし、お祈りしたくなったのであります。最後の夢のひとひらはどなたにも深い鎮魂がきっとありますように、今日、すべてに対して鎮魂を祈る日にしたいと思っています。どうぞ皆さんがお幸せになって戴きたくて、それだけがただ一つの願いです。私たちだけが幸せになることはあり得ないのですから。

 

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憂き目もさめぬ夢のひとひら への2件のフィードバック

  1. 道草 より:

    人間は一人でも生きて行けるのかどうか。硯水亭Ⅱさんは、良き伴侶と共に素晴らしい人生を送られることでしょう。友人のKさんはどうでしょうか。自己の意思で再出発されたのですから、確たる人生を歩まれることに間違いありません。かつて、ご主人や友人にも見放されたかの如き義妹に、たった一人の情けを示されたのですから、そんな人なら支えてくれる人もいるでしょうし。現に、親友の硯水亭Ⅱさんも居られるのですから。若くして独りで死んでいったKさんの義妹に鎮魂の念を捧げ、唯一人心を捧げられた優しいKさんの前途に幸あることを祈ります。今朝は梅雨の中のひとときの晴れ間、眩しい太陽が顔を出しました。
     
    「一年草のように」   坂村真民
     
    生も一度きり死も一度きり一度きりの人生だから一年草のように独自の花を咲かせよう

  2. 文殊 より:

          道草先生
     
     このお話を書かせて戴くのに、大変気が重かったんです。単なる暴露記事ではないかと。でも野辺の送りも何もかも彼女がしました。彼女は誰かに伝えたい意思があって、私だけにそれら一切を告白したのですが、話が終わりましてから、私は何か皆さん全員の方々にそれぞれの不憫なものを感じたのです。話終わった彼女に、人それぞれに哀しみがあるのかなぁと伝えました。そしたらきっとそうよねと、いじらしく彼女がいうではありませんか。私だけが偉いわけでもないわとも。故人も旦那さまも義母さまも息子さんも、皆それぞれに不憫なのです。私と妻は自宅に帰ってから、二人で祈りました。必ず何かがあるのだろうから、僕たちは常に率直でいようねと。
     
     K教授は以前よりずっと立派な人になっていました。今必死になって、あれこれを考えずに学問に研究に打ち込んでいます。それが彼女にとって残された唯一の救いなのでしょう。今後益々彼女のキャリアが立派になって行くことを期待してやみません。学問の先輩として、妻に紹介したのですが、学問だけでは駄目でどんな小さなことにも気働きすべきよね、と明るく語っていました。私にとってどんなに嬉しかったことでしょう。恋することも結婚することも再び考えることが一切なくなったそうで、彼女は言わば尼僧になったような気分らしいのですが、必ずもっともっと素敵な教授になって行くだろうと確信しています。そして日本に偉大な足跡を残すのではないかと、そう感じられてなりません。妻は彼女の姿勢に強く感銘を受け、これからもご指導よろしくお願いしますと挨拶していました。
     
     坂村眞民先生の詩を有難う御座いました。全くその通りですね。私たち二人、仲良く揃って、かくのごとき人生を大切に歩んで参りたいと存じます。有難う御座いました!
     

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