お中元と暑中見舞い

 

博多・祇園山笠の長法被と京都の夏団扇

 博多祇園山笠の正装・長法被と京都・先斗町の芸妓さんの団扇配り 取り合わせは変かなぁ!

 

 

 

                                     お中元と暑中見舞い

 

 昨日から湯河原の温泉治療に来ている。ところが今回の宿泊先は渡辺淳一氏が「化身」を執筆した熱海・伊豆山の『蓬莱』という情緒あふれる料理旅館に泊まることにした。渡辺氏と同じ部屋の「小督(こごう)」の間にお泊め戴いている。能に出て来る「小督」とは、源仲国は嵯峨野に身を隠していた琴の上手「小督」を訪ねるように命じられる。帝を思い「想夫恋」の曲を奏でる小督を探し出した仲国は、帝の御心を伝える。そして小督からの返事を戴き、それを携え、名残の酒宴で男舞を舞い、都へと帰るという美しい能である。部屋内には5室あり、内風呂もあるが、たった一人の逗留では甚だ勿体無い。眼下に見える伊豆の海へと伸びる長い階段を登り降りしなければ、山の中腹にある露天の大浴場には行けないようになっていて、それもこの旅籠を選んだ理由の一つである。料理も実に美味しいし、伊豆の山海の食材や珍味が満載の素敵な料理である。廊下やそこここに、野の花がざっくり投げ込みをしてあるのもお気に入りの一つである。自分へのちょっとしたご褒美にしようとしたからで、妻や杏には申し訳ない。妻に電話したら安心して治療に専念してくださいと言われ、夕べはつい調子に乗って冷酒で独り酒。凄い夕立の後の涼風と海鳴りのリズムが心地よく、ゆったりと訪れる自然の睡魔に全身をゆだねる。不思議と温泉の中でなら、ヒョイヒョイと歩けるので何だか頗る体調がいい。普段辛い膝の屈伸運動も何故か痛みが出て来ない。マッサージも効いているのかも知れない。後数日間このお宿から湯河原に通って治療に専念すべきであろう。今日は午後2時に訓練が待っているから、それまでこの拙いブログを書くことにする。私の実家では30年前母が急死して以来、新盆が一般的な東京の習慣から、旧盆に切り替えた。母のお葬式とお盆があまりにも近かったせいである。従って今日はお盆の話題ではなく、最早死語に近い「中元」の意味と「暑中見舞い」の意義をもう一度見直してみたい。昨日、現在テレビの連ドラで有名になった月島では草市(くさいち=お盆用品・用具を売る市)があったり、今日が迎え火で、16日に送り盆をされるはずであり、少々気が引ける話題ではあるが。

 

            お中元のこと

 現在各デパートなどでお中元商戦真っ最中である。バレンテイン・デーや雛祭りや端午の節句、果ては母の日や父の日などは対象が限られているが、お中元やお歳暮はどんな階層や会社にとっても広く対象になり得るから、つい宣伝にも力が入っているのだろうが、その「中元」の持つ本来の意味を誰も考えようとしない。今や死語になりつつある。昔、中国では「正月一日、是れ三元の日なり」(『荊楚歳時記』)と言われ、「歳の元(はじめ)、時の元、日の元」だから、正月元旦を三元と呼ばれたものと説明されている。ところが六朝時代(265~618)中期頃から佛教の影響が甚だしく強くなり盂蘭盆会(うらぼんえ=お盆)が盛んに行われるようになった。更にそこへ道教神の一年を三分割する新しい思想が入って、上元(1月15日)、中元(7月15日)、下元(12月15日)という考え方が一般化するに至ったのである。一方日本では農業上の区切りの関係から、それまでの麦の収穫に感謝し、秋の五穀の収穫を祈願するために、古来から七夕の行事から始まり、祖霊をお迎えしお祝いをする行事が一般的で、正月のトシ神さまをお迎えする行事とともに、二大イベントであった。従って日を同じくする中元という考え方が受け入れ易かったのである。但し上元は中国でも日本でも重視されるのに対し、佛教が盛んにはならなかった中国では「中元」の考え方がそれほど重視されず、寧ろ日本において大いに重視される言葉となったのである。お盆本来の行事に付随して、お世話になった人々や大切な交際相手に贈り物をする習慣が定着し、正月前に行われるお歳暮とよく似た形式であったので「盆歳暮」という言葉さえあった。更に時代が下って、暮れの贈答品を「歳暮」というのに対し、夏の贈答品を「お中元」と呼ばれるようになったのである。

 中元の本来の行事は、上元の正月三が日は一家がトシ神さまにお供えし、トシ神さまとともに食事をするという意識から、おせち料理やお雑煮を食べ、屠蘇(とそ)を飲むのと同様に、中元では一族が集まって先祖祭をするために、うどんやそうめんなどをお供えし、祖霊とともに食事を取るのが普通の考え方であった。祖霊とともに飲食をした往時のお盆の行事は農耕民族として日本人は本来大家族主義で、一族が寄り合い持ち寄った食事をともにすることに意味があり、バラエティに富んだ食事を楽しめたものであった。そしてその集まりの根底にはいうまでもなく共通の祖霊信仰が働いていた。当然集まりに必要な飲食物として、白米・麺類・魚・果物などが持ち寄られ、共同の食卓に使われたのであったが、次第に時代の推移とともに「持ち寄るモノ」から「贈りとどけるモノ」に変化していったのである。そうなると必ずしも食べ物でなくてもよく、そうめん・そば・白米・米粉・お菓子などの他に、一族の祖霊祭に参加出来なくても、祖霊信仰に基づいた衣料・履物はお墓参りのために、又提灯や灯籠は夜間の精霊迎えのための贈答品として珍重されたのであった。特に家人が亡くなったばかりの新盆(にいぼん)の家には、精霊が我が家であることをよく分かるように、庭先に高い竿を立てて、それに提灯を下げ周囲をあかあかと明るくし、ご先祖さまが迷わないように配慮がなされていた。以上が中元本来の贈答品であるが、祖霊信仰と縁がなくなった現代では単なる食品だけではなく、衣料や電気製品や酒類や香辛料や果ては商品券に至るまで、デパートや商店街の思惑のままに多彩な贈答品になったのである。現代のお中元には本来の祖霊信仰は微塵もなく、意義は全く喪失してしまったのである。

 

歌川広重筆

 歌川広重筆 溜池山王の杜図

 

      暑中見舞いのこと

 暑中見舞いとは、夏のなかでも最も暑い土用、つまり立秋(今年は8月7日)の前の18日間(今年の土用は7月19日、但し土用の丑の日は7月24日にあたる)に、平素親しい間柄同士で贈り物をやりとりし、暑さを慰めあうという意味合いから始まっている。土用の間の行事だから、「土用見舞い」とも言われた。ちなみに土用とは土旺の転化と考えられ、土の旺盛なとき、つまり季節季節(土用には春・夏・秋・冬それぞれがある)の「気」が、最も盛んな18日間を土用と言ったのである。夏バテしないようにウナギを食べる習慣は江戸時代から始まった「土用の鰻の日」で、発案者は本草学の才人・平賀源内であるとか、文政年間の神田和泉橋のウナギ屋春木屋善兵衛であるなどと伝えられているが定かではない。「土用蜆(どようしじみ)」も同じ理由で、夏負けしないようにと(「土用蜆は腹の薬」)の習俗から来ている。他には「土用にお灸」をするとよく効くとか、暑気あたりを避けると言われた「土用餅」は、真夏についたお餅にあずきを入れたり砂糖を入れたりするとパワーがつくと信じられていた。暑さを代表する土用の期間に、当然本人自身も気遣いをするが、他の方々にも贈り物をしたり、暑さの労をねぎらったりするのが人情というものだろう。日本の夏は蒸し暑く、暑さをしのぐのにひと苦労するからである。但し暑中見舞いはお中元とだぶってしまうので、贈り物のほうは次第にお中元に吸収され、暑中見舞いは団扇(うちわ)などの簡素な手土産程度になり、暑中見舞い状の発送で済まされるようになって、今や年賀状と同様に国民的な習慣となっているようである。

 

讃岐のうちわ

  京都の団扇屋「小丸屋」さんから、その製法を伝えられた高松藩御用達の讃岐団扇

   

      土用休みのこと

 日本の夏は本当に蒸し暑い。大陸の場合湿気がないから、喩え摂氏40度を越えても、しのぎやすくそれほど暑さは感じないが、三十数度でむしむしする不快感が堪らない。そんなとき「土用干し」といって、特に土用の期間に衣服や書物などを日光の下でさらすのも、湿気からカビが生えたり虫に食われたりするのを防止する習慣があった。前述した通り、「土用餅」を食べる習慣も夏バテ防止策で、餅を食べるとパワーがつくと言われ、佐渡地方ではヨモギを入れたりする。又「土用休み」といって、この期間を休みにするという習慣も行われていた。年中休むことがなく行われる芝居興行を休むのも「土用休み」であり、この習慣の呼び名が有名になったのは芝居を休むことから始まっている。芝居も打てないほど蒸し暑いのである。但しいわゆる「薮入り」とは全く意味が違う。又この期間に「土用波」というのもある。台風シーズンの幕開けで、この波が立つと、残暑といい、残暑はこのことから始まる。土用波が来てもまだまだ蒸し暑いところから、残暑見舞いという言葉も始まっている。土用をはさんで、「暑中見舞い」も「残暑見舞い」も日本独特の習慣である。

 旅館に特別発注した金目鯛のバラ寿司を頬張りながら、ようやく書き上げたようである。これから暑さ本番に向かう折、「吊り忍ぶ」をつるしたり、「風鈴」をつけたり、庭先にお水をまいたり、様々な工夫が必要な時季になりつつあるのだろう。さて温水プールで今日はどのくらい歩けるのだろうか。タクシーでここから15分、楽しみである。

 

水菓子

  お伊勢近くの水菓子屋さんで

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お中元と暑中見舞い への4件のフィードバック

  1. 道草 より:

    涼しい温泉地の湯治は如何ですか。日々恢復の効果著しいことでしよう。ご家族を離れて淋しいのも今暫らくのご辛抱と言うもの。京都は連日の夏日で茹だっております。一昨日は、荒神口の鴨川辺りであった中学(周山)の同窓会へ出掛けて来ました。東久邇宮邸宅で、香淳皇后(昭和皇后)も幼少の頃暫らく過ごされたとか。 京都市指定保存樹の椋の大木もあって、中々の景観に優れた所でした。久し振りで、古里の恩師や旧友達との交歓に暑さも忘れたことでした。古里を遠く偲びつつ、山鉾巡業をあと少しに控えて祇園祭一色の市内散策も堪能した次第です。
    「祇園祭や地蔵盆の後に、足洗ひというて、やく出かけたものである。橋の西詰にあつた料理屋から下りると、「おいでやす、どんと奥の方へお通りやして……」と、仲居が迎へてくれる。橋の眞下が通り桟橋になつて板が渡してある。縁臺は川の中の浅いところに置いてある。下駄をぬいでうすべりの上に座ると、仲居はその下駄を流されぬやうにくゝりつけてくれる。(中略)川かぜや薄がききたる夕すゞみ。これは芭蕉の句であるが、元禄時代の情景とかなり似た興趣が、そこに見られたやうな氣がする」『思ひ出すまゝ』平井楳仙(昭和18年)。
    歳月が流れても、昔とそれほど変らない風情が残っているのも古都ならではのこと。硯水亭Ⅱさんには、来年の家族お揃いを楽しみに今年はゆっくりご静養ください。
    「迎え火」  北原白秋
     
    かへろが啼くよ、遠い田の水に、迎へ火しましょ。 出た出た月が、をりるな夜露苧がらがしめる。 おとさまござれ、おかさまござれ、おぼんが來たに。
    すずかぜ吹くに、親なし鳥も、ほろほとなくに。

  2. 文殊 より:

              道草先生
     
     いやはやこちらも物凄く暑いです。暑さには熱い湯の中で、そしてクーラーの効いた部屋でたっぷりと睡眠をとっています。どうしちゃったんだろうと思うぐらいよく眠ります。今までこんなことは経験したことがないくらいです。眠り病にとりつかれたかのようです。お陰さまで随分身体が軽くなってきたように思われます。ストレスもあったのでしょうか。でも僕はそもそも貧乏性なので、眠っていないときはやたらと焦る気持ちが出てまいります。真っ直ぐ京都に出向いてもいい支度をしてまいりましたので、宵々山には間に合うように行きたいのですが、家の中は大勢のお客さまだったり、ゴタゴタしてるから、私も杏と一緒にそっちに行きたいぐらいというものですから、少々逡巡しているところですが、行きたくて行きたくて堪りません。永年祇園さんは余所者として見学して参りましたが、今度はその渦中の中にいられるのですから、どうしても行きたい思いでいっぱいです。多分明日のトレーニングを午前中にして行くことになるのだろうと、そう思っています。勿論妻の了解を得てからにしますが・・・・。
     
     しばらくぶりの同級会は楽しかったでしょうね。市内からするとあちらのほうはまだ涼しいのですか。盆地だからそうも行かないのかな。でも目にも鮮やかな緑や清流はきっと先生の普段の忙しさに、爽やかな風をお感じになられたことでしょう。この情緒たっぷりの祇園さんの文章は、何と昭和18年戦争の只中で書かれたものですねぇ。平井楳仙さんという方は存じ上げないのですが、これだけ短文ながら充分にその雰囲気が伝わって参ります。素晴らしいですね。「五足の靴」の一人白秋さんにも、このような死生観をただよわせる名詩があるのですね。生きることばかり教える戦後の教育はいかがなものでしょうか。死ぬこと、そして死んだ後のことも教えるのが教育ではないかと常々思っているのですが、交通事故死者より自殺者のほうが多い昨今では益々死ぬこと、そして死者に対する畏敬の念や尊厳を厳密に教える風土が必要なことでしょう。祇園さんだって、疫病で山となって死んだ往時の方々の霊魂が夥しくあるのですから。鉦の音も自然と、彼岸を思わせる哀調を帯びるのは当然のことでしょう。又ご連絡申し上げます!今日も有難う御座いました!
     

  3. Unknown より:

    おはようございます。もしかすると京都にいらっしゃるのかしら・・・リハビリのご様子を読ませていただき、順調に回復されているようで一安心しています。子供の成長期には「眠くて仕方ない」ということがあるそうですから、硯水亭さんも今、全身の細胞がぐんぐんと生まれ変わっているのかもしれません。お写真がどれも夏らしく素敵ですが、今回も広重の絵が嬉しいです。
    細かな所までよーく観て、当時の様子を想像しました。色彩もハツラツとして楽しいですね。
    昨日、久しぶりに国立博物館に行き、日本美術に浸ってきました。
    広重はありませんでしたが、池大雅に会えました。彼「巨匠」だったんですね。
    私にとっては軽やかな、詩心に溢れた、身近に感じられるひとなんですけれど・・・暑い中でもユリノキは雄々しく、強い光の中で輝いていました。硯水亭さんによろしく ! って伝言を頼まれてきましたよ♪

  4. 文殊 より:

               夕ひばりさま
     ご無沙汰して済みません!細々としたことの積み重ねで、色々と忙しくしています。おっしゃる通り現在京都です。今夜は宵山で明日が本番の山鉾巡航です。でも多分見ないでしょう。明日は家族三人で、裏日本の高浜の民宿に行くつもりです。朝早く義兄が連れて行ってくれそうです。海水浴でもしようかとほざいています。久し振りに家内の水着姿は見たいのですが、多分多くの時間は娘・杏に取られるでしょう。益々可愛い盛りになりつつあります。まじに不思議です。女人の幽妙な不思議さを改めて感じています。男はてんで歯が立ちません!
     
     眠くてしょうがないのですが、若さが横溢しているせいでしょう。これも妻のお陰だと思っています。若さの泉を戴いています。
     
     池大雅を御覧になられたようで嬉しい限りです。蕪村と同じように軽妙で洒脱な部分が最高ですね。川端康成が「十便十宜詩」を蒐集していたことでも有名ですネ。大好きな画家の一人です。それと夏になると必ず思い出す画家が久隈守景で、彼の作品に『夕顔棚納涼図屏風』があり最も好きな絵です。これも国立博物館に収蔵しているものですから、夏場には必ず公開される逸品です。そうでしたか、あの国博の建物の前にあるユリノキの大樹に花をつけていましたか。それも大好きな花です。さすがにお姉ちゃま!僕の嬉しさをよくご存知で堪らなく嬉しい限りです。
     
     明日は楽しみです。今、杏は休んだばかりですが、いつとはなしに娘は起きてしまいます。夜寝静まることに留意していますが、そうそう簡単には親の思いとおりにならないのが子供なのでしょう。どんなに泣いても可愛くて堪りません。とてもハッピーです。我が子がこんなに勇気を与えてくれるものとは思ってもいませんでした。有難い話です。来週から再び仕事が始まります。今週せいぜい遊びまわり、家族とベタベタしていたい一念です。又そちらにお邪魔しますね!有難う御座いました!
     

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