『西の魔女が死んだ』の清々しさ

 

「西の魔女が死んだ」

映画『西の魔女が死んだ』 試写会パンフレットより

 

 

 

                            『西の魔女が死んだ』の清々しさ

 

 

 生前、母が最も親しくさせて戴いていた「絵本の会」の主宰者である老婦人から、Hawakawaさんの素敵なお手製である「すみれノオト」を差し上げた返礼にと先日、梨木香歩さん著書の『西の魔女が死んだ』を送って戴いた。お手紙にはHayakawaさんの想像力豊かな印象が楽しく書かれてあり、世の中にこんな素敵な宝物をコツコツと創る人がいるんだという驚きの賛辞のお言葉と、最近流行っている小説で大好きな本を贈るから読んでね、きっと彼女はルビーのようにキラキラと輝く野イチゴのような素敵な方なのでしょうとしたためられてあった。そこで早速『西の魔女が死んだ』を読んだ。あっという間に読める平明な文章で、最後まで40分足らずで読了したのだが、読後、私の心には爽やかな風がフゥ~~ッと吹き抜けたような気がしてならなかった。久し振りなような気がした。

 『西の魔女が死んだ』の主人公は、まいという女の子で感受性が強く、西の魔女こと・英国人のお婆ちゃんと過ごした一ヶ月あまりのことが中心に描かれてあり、場面が祖母の死に立会いに行く母子の車内の会話から始まる。田舎暮らしのお婆ちゃんは光あふれる中にいた。曽祖父が明治時代に日本にやってきて、日本人には礼儀正しい印象があって、お婆ちゃんの実家では皆さんが日本びいきであった。祖母はイギリス人で、母はハーフである環境でまいは生まれた。過去の美しい日本と、現在まいが悩んでいるいじめなどによる登校拒否などと、宗教も何もなかった時代と今と、光と影とを見事に描き切った素晴らしい作品であった。魔女になる修行をするまい、それを温かく見詰めるお婆ちゃんと。魔女と普通の人の対比、肉体と霊魂、生と死。色んなことが重層的に織り込まれていて、文章の旨さも際立っていた。グイグイ引き付けられ読み終え忽ちこの作家の虜になった。瞬く間に梨木香歩さんの他の作品も読んでみたくなって、この本の二年後に書かれた『裏庭』も読んでみた。やっぱりそうかと理解出来ることが多かったが、この作家には多くの要素が奥深く隠されていたのだ。平明さが故に、うっかりすると読み逃してしまうことが多くある。でも『西の魔女が死んだ』でも、そうした重層的な要素を含んだ素晴らしい作品で、テンから映像化にしたら、この作品は損をするように思えていたら、何と既に映像化され映画化されていた(この記事の写真は映画から採られた)。無論まだその映画は観ていないが、多分映像化では無理ではなかろうかと思えてならない。『裏庭』のファンタジーもそうであった。ストーリーだけで追っていては到底追い着けない大きな言外の広がりがあるからである。映像化は場面場面で飛ぶ習性があり、元が折角いい作品でも、大切なメッセージを取り残すことが多いからでもあろう。今後お読みになられる方のために敢えてストーリーは書かなかったが、「ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ」と汚れたガラス窓に、西の魔女からの魂の伝言が書かれてあった。まいも少しずつ成長をして行くのだった。

 魔女と言えば主人のことも思い出される。櫻灯路で親しくお付き合いをさせて戴いていた名古屋の女流画家の方に一通のメールを送っている。ご家族の相関関係と将来の見通しなど、そしてそれに対する処置の仕方など驚くほどピッタリあたっていたらしく、その方は早速実践され、ご家族がより一層ご円満になられたとか。主人の場合、四柱推命・易学・気学など、中国伝来の占いに詳しかったし、それを裏付ける「方艦帖」と言われる複雑な図でいっぱいの方位全集も持っていた。通常は観る方の生年月日で判定するが、でも最後は必ずお仏壇に深い祈りを捧げ瞑想し、神仏の啓示を受けてから決定する決まりであった。生活はいたって質素で、まさに西の魔女の言う通りの主人だったのかも知れない。多分「魔女」になる修行もしたのだろうか。代々受け継ぐものを正しく受け継ぎ、誰でも魔女になれるはずである。それには先ず規則正しい生活と悪い方向に流されない意志の強さが何よりも必要で、何事も最後は自分で決断しなければならない。情報過多で、物質やお金がすべてのこの現世に、何が最も大切なことだろうかと、『西の魔女が死んだ』の高い精神性と、主人の日ごろの生活ぶりが重なって見えて仕方がなかった。

 このところ読書意欲が凄く、毎日最低12時間ぐらいの読書時間が欲しいと切に願っています。子育てもすこぶる楽しいものであり、子育ての合間に始めた妻の猛勉強にも刺激を受けました。櫻の専門書と一般図書何でも日に何冊でも読みたい思いでいっぱいです。財団は既に2週間ずつ交代の夏休みに入っています。今日現在このブログは170800度数のアクセスを頂戴させて戴いているのですが、ブログを書く時間がなかなか持てないで大変困っています。妙な我がままを言わせて貰って甚だ恐縮なのですが、しばらくは更新する日が飛び飛びになり遠くなることを、賢明な読者諸氏によってお許しを願いたいものです。尚偶にブログ散歩は以前のままに出来れば幸いです。

 

西の魔女が死んだ

映画『西の魔女が死んだ』の1シーン

Hayakawaさんの『西の魔女が死んだ』の記事

 

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『西の魔女が死んだ』の清々しさ への8件のフィードバック

  1. ただ今カフェで読書中 より:

    硯水亭様
     
    こんにちは。 
    梨木香歩さんの作品はどれも私は大好きです。
    私が梨木香歩さんの本を読んでみたいと思ったのは、『私の部屋のポプリ』(熊井明子著・河出書房新社)の帯のコピーでした。
    「気骨ある気品」という言葉にノックアウトされ、梨木さんの作品を次から次へと。片山廣子さんの『新編 燈火節』の解説もまた素晴らしいものでした。
    実は映画はまだ観ていないのですが、おばあちゃんを演じたサチ・パーカーの本名、サチコの名前のいわれに感動した私です。
    庭の草木のように確かな日々を暮らす。季節に沿い、時間に沿い、あるべきときにあるべきことをする、そんな生活に近づいて行きたい気がします。
     
    私個人は、寅さんのように「思い起こせばお恥ずかしきことの数々」なのですが、「野いちごのような」というその方のお言葉は、目指すものとして心に仕舞っておきたいと思います。
    本当にありがとうございました。
     

  2. 道草 より:

    このブログを拝見して、急いで『西の魔女が死んだ』を読んでみました。私の中学生の頃は、まさにこの主人公が過ごした様な自然の中で暮していました。周囲に魔女は居たのかどうか。恐らく一人や二人は居たのでしょう。そんなことも気付かずに、或いは、探そうともせずに、あり余る自然の中でのほほんと生きていました。〝喜びも希望も幸せも自分で決める〟。何となく無意識ながらそんな生き方だったように思います。その時のそれらの総てが大したものでなく小さなものだったから、なのかも知れません。
    ただ、その後の自分の軌跡を振り返れば、自分にとって本当に幸せな生き方だったのか、と明確に答え得るかどうか、となればまるで自信はありません。その後の人生が、社会情勢や自分を取り巻く環境や周囲の人達が押しつける価値観に影響されたものなどではなく、紛れもなく自分自身と向き合った結果として獲得したものであった、とは言い切れないからでしょう。
    「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」。この言葉の意味を知っていれば、もう少し自分の人生は変わっていたかも知れません。
    ですから私としましては、「一番大切なのは、意志の力。自分で決める力。自分で決めたことをやり遂げる力」であり、その為には、「自分にとって居心地の良い生き方を知り、その生き方を自信をもって続けていく心の強さを持つべし」ということ、をせめて子供達には教えてやりたいと思う気持ちや切であります。世間一般の価値観や時流とは異なっていても、あくまで自分らしい生き方をする。このことの大切さを話してやる。それが、これからを生きる私の目的かも知れません。
     
    「橋」   高田敏子
     
    少女よ
    橋の向こうに
    何があるのでしょうね
     
    私も いくつかの橋を
    渡ってきました
    いつも 心をときめかし
    急いで かけて渡りました
     
    あなたがいま渡るのは
    あかるい青春の橋
    そして あなたも
    急いで渡るのでしょうか
     
    むこう岸から
    あの呼び声にひかれて

  3. 良枝 より:

    こんばんわ。りんこです。
    全くご無沙汰しております。
    お忙しい日々の中
    とても有意義な毎日をお過ごしのようですね。
    「西の魔女が死んだ」は本屋でものすごく押されて
    何年か経ってます?映画化される前から評判の本ですね。
    作品の出来がいいと映画の出来が気になるとはよく言いますが、
    こちらは本の評価のほうが良いようですね。
    まきはらのりゆきの歌詞のような
    飾り気のないストレートさは
    滋味深く思えて
    私もこの作品は大好きです。

  4. 文殊 より:

            Hayakawaさま
     
     お陰さまで梨木さんにすっかりはまってしまいました。ガルシア=マルケスの「百年の孤独」が彼女の愛読書の一つだというので、今朝からそれを読んでいます。この8月は交代でお休みで、職員銘々に宿題だけをあげていますから、財団としての仕事が少ないので、思い切り読書三昧になっています。僕は梨木さんの死生観というのがとても興味があって、本書も彼女の死生観がたっぷりと出ていたように思われます。特にすっきりして明るかったように思いました。Hayakawaさんは本の帯コピーでお知りになられたのですか。なるほど頷けます。帯のコピーは単なる読み込みだけでは出来ませんものね。それはラッキーでしたね。僕の場合はあのお婆ちゃんから戴いたのが切っ掛けですから、ホンの先日からです。135万部も売れた本を何故今まで知らなかったのだろうと後悔していますが、現在彼女の出版された数冊の本を発注中です。「裏庭」も素晴らしかったです。日本にもこんな素敵なファンタジー作家がいたんだと驚いています。
     
     サチ・バーカーさんのことを調べてみましたら、何とあの「愛と追憶の日々」でアカデミー賞を取ったシャーリー・マクレーンの実娘だと分かり、何となく映画にも興味が出て参りました。生まれも日本で、一時アメリカに帰り、今度はお父様と日本へ。学習院初等科にも入っているんですねぇ。驚きました。しかも本人はカタカナしか書けないとか。まるでこの映画化のために女優をされていらっしゃったのかと思われるぐらいです。幸子から採られたことも。シャーリーは輪廻転生を信じていたことも、ただただ驚くばかりでした。しかも映画は八ヶ岳山麓の町・清里であったとか。オープン・セットは現在そのまま公開してあり、来年1月4日まで御覧になれるようです。小説で出て来た雑木林や木株のもとのスミレや野イチゴもなり、ミント茶を飲めて、ラヴェンダーの花があるところと言えば、やはり清里はロケーションとしては打って付けのところでしょう。しかも清里の夜空はいつも澄み切っていて、夏の夜空でも冬の夜空でもはっきりと見える素敵な場所ですから。だから軽井沢に行くんだったら、清里のほうがいいかも知れません。それでも多分小説のほうが映画よりきっといいに違いないという先入観が消え去っておりませんが。
     
     新潮文庫の本には「渡りの一日」が合わせて載せられておりましたが、まいが中学3年生になった時のお話でしたね。この子がどんな風に成長して行くんだろうと想像すると堪らなく楽しみになって参ります。これから梨木さんがアンのシリーズのように書き続けていけたら、日本人として誇らしくどんなに楽しみなことでしょうか。母の友人のお婆ちゃんはHayakawaさんを大好きみたいです。勿論ブログもお読みになられているようですよ。でも直接お話したら、出版して欲しいようなご厄介をかけるのが嫌ですから、Ryuちゃんが間にいてくださいねというばっかりなんです。私は人が益々絵本を好きになってくれるように、絵本の作り方の一からをずっと教えて行きたいスタンスを失わないでいたいというのです。でもそのうちメールだけではなく、お手紙もさしあげるかも知れませんので、その時はどうぞよろしくお願い致します。多くの方を育てた割にはとてもそう見えない可愛い人なのです。理論者の小宮山社長さんともよくご存知の方だったようですから、相当古いですね。僕も、彼女は大好きな方です。今日もお越し戴き有難う御座いました!
     
     

  5. 文殊 より:

              道草先生
     
     いやぁ先生には感動致しました。直ぐにお買い求めなされ読まれたとか、その行動力にはほとほと驚いています!やはり先生は飛び切り素敵!!!詩人・金子光晴の晩年は一見いい加減に見えますが、だらしないような部分が逆に益々若さが横溢し、色んなことをやり始めましたね。僕はそんな晩年の光晴が好きでなりません。如何にも人間的だからですが、同じような質の高い感動を先生にも感じさせて戴きました。お付き合い願いまして、ただただ感謝あるのみです。
     
     僕は魔女って、そんな特別な存在ではなく、本来普通にどこにでもいるように思われてなりません。梨木香歩さんはイギリス留学やイギリス人作家にも師事したようですから、特に盛んに魔女が生まれやすい風土でお勉強をなされたのでしょう。イギリス文学にはそうした傾向があるようです。でも梨木さんはボームの「マザー・グースの物語」や「オズの魔法使い」の影響も多く見受けられます。多分梨木さんは滋賀県にお住まいのようですが、でもこれまでただ一度も写真にお顔を出したことがないようです。ミステリアスでいいですねぇ。梨木さんの魔女は正統派の魔女で、悪の象徴でもなければ善の象徴でもなく、自然派の魔女かなぁと想像しています。しかも死生観が凄くいいですね。西の魔女の死の場面は比較的明るく描かれてあり、大好きな場面になりました。道理で梨木さんのインタビュー記事に「子どもの頃、本を読んで熱中していて、物語の終わりに近づくと悲しくなった。自分が物語からはじき出される気がして。だから、ラストを突き放すようなものにはしたくなかった。作品の中で抱えられているようなものにしたい」とも、又「本を読んで『ああそうだったのか』という洞察を得ることも大切。作者に全部説明してもらうのではなく自分の想像力を働かせて自力で到達しないとダメ」とも言っておりますが、全くその通りでありましょう。規則正しい生活をし、代々受け継がれて行くものを大切にし修行するのだが、魔女は魔女でもちゃんと釘を刺していますね。「でも。気をつけなさい。いちばん大事なことは自分で見ようとしたり、聞こうとする意志の力ですよ。自分で見ようともしないのに何かが見えたり、聞こえたりするのはとても危険ですし、不快なことですし、一流の魔女にはあるまじきことです」と。
     
     そんな意味から参りますと、先生が仰る通り「ですから私としましては、「一番大切なのは、意志の力。自分で決める力。自分で決めたことをやり遂げる力」であり、その為には、「自分にとって居心地の良い生き方を知り、その生き方を自信をもって続けていく心の強さを持つべし」ということ、をせめて子供達には教えてやりたいと思う気持ちや切であります。世間一般の価値観や時流とは異なっていても、あくまで自分らしい生き方をする。このことの大切さを話してやる。それが、これからを生きる私の目的かも知れません。」 まさに一流の魔女であるお言葉とご拝察申し上げました。僕も大賛成です。ストーリーの中で、ハーフのお母さんがお婆ちゃんは古いんだと言いますが、どこも古くはありませんね。寧ろ古いほうが新しいのかも知れません。ターシャ・テューダーの夢の庭のような疑似餌をいっぱいばら撒いておりますが、今最も大切なこと・死生観が底辺に表現されていたのではないでしょうか。生きることだけ教えて来た戦後の教育には死に対するはっきりとした教えはありません。この平明な文章に見ようとすれば幾等でも見えて来るものが多くありそうでなりません。
     
     梨木さんの本は初版は殆ど楡出版から発売され、絶版にもなっているらしいのですが、その文庫本ではないハードカバーの本を何とかして手に入れて読みたいものだと心から願っています。先生には特別に御礼申し上げます。わざわざお買い求め戴いてコメントを戴き、どんなに感謝に堪えないことでしょう。本当に有難う御座いました!

  6. 文殊 より:

             りんこさま
     
     愈々ですね。暑い最中、貴女らしく頑張っていらっしゃるのでしょう。元気なお子さんが生まれて参りますよ!大丈夫ですからね!案ずるより産むが易しというじゃありませんか。文字通りです、僕だって今やイッパシのパパですありんす。
     
     この物語は1994年に楡出版から初版された本のようです。「春になったら苺を摘みに」はエッセイですが、何とあのカムチャッカ半島でヒグマ事故にあった星野道夫さんの写真で飾られてあります。エッセイも素敵です。他の小説で現在読み終わっているのは「裏庭」と「からくりからくさ」です。どれも最高に素敵で楽しい本です。
     
     彼女のインタビュー記事に次のような言葉があります。
     
    「イメージだけ伝われば、読んだ人の心の中に(言語化するよりも)かえって残って、読んだ人の心の中で分解されやすくて、無意識に収まりやすいと思います。その人なりの吸収のされ方をして一体これはどこからきたイメージの具合だろうと分からないぐらいにその人のイメージの中で(その人の『裏庭』の中で)形を変えて新しい創造の芽が芽吹いてくるそういう風な事態を望んでいました。」  「無理やり言語化してしまうと、イメージが貧困なものに、小さなものになってしまいます。書きたいと思うときが来るまでは、それを無理に書きまとめる必要はないんじゃないかという気がします。」
     
    「『西の魔女が死んだ』を文庫化するときに、まいのお母さんに感情移入してしまって、ずいぶんセリフを増やしました」
     
    「『からくりからくさ』で伝えたいことは何ですか?…伝えたいことを意識しない。読み手を意識して書いていない。自分自身の必要に迫られた切羽詰まったもの」
     
    「過去の自分を受け入れることができてこそ、成熟できる」
     
     などなどです。どれも興味深いお話でしょう!梨木さんの人格形成に最も役立った本は「少女バレアナ」だったそうです。更に身体を壊して高校を休学して最も読んだ本は「赤毛のアン」シリーズだったそうです。小説を書いて行くことは自分が安定して行くためには物語が必要だったとか、たくさん掘り出せば興味深いことが出て参ります。
     
     りんこしゃんも愈々ママンですね。子供にどんなお話をしてあげようか、どんな本を読ませようかなどと考えたら、きっと楽しいことでしょう。暑い夏です。お互いに頑張りましょうね!エイエイオ~~~~~~~~~!!!
     
     

  7. (Kazane) より:

    こんばんは。今朝、こちらにお邪魔させていただいたところ、パッと『西の魔女が死んだ』の文字が飛び込んできて♪あっ、これは小説を読み終えてからにしよう…と思い、再訪問させていただきました。本屋さんで見かける度に気にかかってはいたものの、他にも読みたい本があったので、ずっと素通りしていたんです。でも、先日硯水亭さんが感心したと言われていたので、これを機にと思い購入したところだったのです。今日はちょうど出かける用事があったので、行き帰りの電車の中で読了。私も、このお話、とっても気に入りました。西の魔女と言われているおばあちゃんの死生観は、私と同じ!心に響く言葉にもたくさん出会いました。道草さんがこのコメントに書かれている言葉も、そのうちのひとつです。今からでも遅くないですものね。もっと自分らしく生きていこう…そんな風に思わされました。映像化されるとどんな感じなんでしょうね。確かに難しそうですよね。

  8. 文殊 より:

            風音さま
     
     おはよう御座います!今朝も朝から気温がグングン上がっているようですが、風音さんはお元気のようで嬉しい限りです。僕の自宅は最上階ですから、本当に高いんです。ですから多分道路上の気温より確実に5度くらい低いかも知れませんね。屋根の部分も緑化してますから涼しい原因かもね。クーラーをつけないでいる時のほうが多いぐらいです。杏は元気いっぱいで、今朝は既にお食事が終わっています。僕たちは毎朝、朝粥を食べますから、現在料理中です。妻はまだ夢の中です。今朝は五穀米入りの茶色い茶粥を作っています。何でこんなお料理のお話を出すかと申しますと、『西の魔女が死んだ』にも多く出て参りましたが、お料理の話はすべて物語の核心に迫るような重要な要素をなしているのが多いからです。『赤毛のアン』にもたくさんお料理の話が出てきて、大変に参考になったし、喩えそこにリシピが書いてなくても、ついつい想像しながら作ってみたくなるのです。ちなみに梨木香歩さんも『赤毛のアン』で育っているようですよ。
     
     お料理の話は先ずちゃんと生きるってことに通じているんではないでしょうか。まいにちゃんと食事を取りなさいと魔女が言い含めますが、それが魔女になれる登竜門のような気さえして参ります。多くの文豪や詩人たちにもたいていたくさんのお料理のお話が出て参ります。僕が思うに、これこそが生きるということの象徴のような気がしているんです。ミント・ティーだって、サラダだって、それと食事には関係はないのですが、この小説の中で、ラヴェンダーの花の上でシーツを乾かす場面があり、そうすることによって寝床にはいい香りがして安眠出来る作用があるということも。規則正しい生活をすることも魔女になる条件でしたね。食べる以上は楽しく美味しいものを食べたいのが自然ななりゆきですものね。夕ひばりさんに、去年お教え申しあげました梅酒のリシピの中で、すべて同割でいいのですが、お砂糖だけは8分目にしたほうがいいようなことを書いた覚えがあります。お砂糖も同割にすると、ちょっと甘すぎるんですね。お砂糖を控えると何となくフルーティになるんです。それだけお伝えしたのでしたが、それも、熊井明子さんのポプリもみんな楽しく如何に元気に生きて行くかが主題だと思えるんです。
     
     それと僕は興味がなかったのですが、映画好きの従姉妹に昨日聞きましたらとっくに映画を観たというのです。小説より詰まらなかったでしょというと、今回はまじに馬鹿にされました。相当出来がいいようです。サチコ・パーカーさんはあのシャーリー・マクレーンの実娘ですものね。それより何よりもロケ現場見学ツアーがあることでしょうか。従姉妹の薦めに思わず、うっとなりました。だって大好きな清里ですから。バスツアーは近畿日本ツーリストからあって、10日過ぎに一泊泊まりで映画のロケがあった清里に行ってくるようです。来年1月4日まで観れそうですよ。映画も楽しみになって来ました。彼女は早稲田の演劇専修で比較演劇学をやっている人なので、きっと間違いないでしょう。
     
     風音さんも、僕が勝手に書かせて戴いたことに敏感にご反応なされて、こうしてお読みになられてからカキコをされたってこと。本当に本当に感謝し感激しています。ターシャに庭のような夢の中にいるようで心地いいのですが、肉体と魂のことを中心に、魔女がまいにちゃんと話しています。それが感動出来るんです。いずれ人は死ななければなりません。その死とどう真正面から向き合うべきか、今の学校教育に欠けている最も重要なことでしょうね。無論あの小説で一番言いたかったのは何事も意志で決めるということでしょう。でも死は意志では決められませんね。でもきっと死といかに向き合うべきかということがあると思うんです。そこを丹念に書かれてあったので、ゲンジじいさんの件で、魔女と確執を残したまま去ってから二年の歳月が経ち、そして実際に魔女が亡くなります。そこに魔女が書いたカタカナの文字がありましたね。明るい死の床で、魂があるのだと、若いまいが実感した時なのでしょうね。生きることも死ぬことも同じレベルで語っている魔女は正統な魔女なのでしょう。今日もおいで戴き、ホントに有難う御座いました。さてそろそろお粥さんが出来たようです。さっき漬けたばかりの蕪とキューリの浅漬けと先日出汁を取る時に使用済みになった出汁昆布を使った佃煮と目玉焼きとシジミの味噌汁など簡単な朝の風景です。これから奥様を甘ぁ~~~い言葉で起こして参りましょう!杏ちゃんは杏ちゃんのベットの上で手足をきゅっきゅと動かし機嫌よさげです。暑い夏です。風音さんもどうぞお元気でいらっしゃってくださいね!ではご機嫌よう!!
     

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