ペガサスをめざしふふよむ

 

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           ペガサスをめざしてふふよむ

 

 

 僕に約束があって、今朝早く自宅を出た。きっと別れが淋しいから、このほうがいいと思いオフィスに出たのだ。昼過ぎに自宅に帰ったら、やっぱり妻と娘の姿はなかった。10時過ぎの新幹線で、叔母と一緒に京都の実家まで帰ったようだ。テーブルの上に切り絵が置いてあった。そう言えば夕べ何やら鋏で切り込んでいるような妻だったが、特別聞きもしなかった。切り絵は茹で玉子を半分にしたような満月と12匹のウサちゃんが手をつないでいる(よく見るとウサちゃんには切れ目がない、色付けした紙をよく折り込んでから切り込みを入れたのかも)。一年は十二ヶ月ということを意味し12匹のウサちゃんなのだろう。輪の中にお団子だろうか、秋の収穫をお祝いしている、微笑ましい。薄も切り込んであって凡そ上手ではないが、アイツらしくていいなぁと思えた。色紙ではなく、全部色染めをしてから切ったようだ。結構大きいからコピーには入りきれず、切り絵をこんな中途半端な形でご紹介する羽目になっている。ふと裏面を見ると、そこに「パパ ちゃみちいでチュ 杏  今度のお月見を一緒にしたいな 倭文」と妻の字で書かれてあった。うんうん今度の14日の満月の日には行くよと独り取り残された明るい陽光の部屋で頷いた。

 妻と娘と約50日以上かなぁ、高浜への海水浴から連日楽しい日々であった。こんな思いは我が人生で初めてであったかも知れない。家族とは何とも素晴らしい。アメリカ人社員が家族を最も大切にしていて、自身担当の契約ごとが目の前にあってもすべてを投げ捨てて直ぐ帰宅してしまう習性を、よく厭きれて見ていたものだが、今は笑えない。家族あっての仕事だと本当に思えている。妻はここも自分の自宅だと思っているらしく、ここで勉強した痕跡をそのまま残してある。専用の部屋に専用の机の上をざっと見ると、メモ魔の彼女らしく様々な書き込みが整然と積んであった。テレビを観るにも何をするにも直ぐメモを取る。そしてどこもキチンと整理整頓されている。そのことを聞いたことがあった。グジャグジャにしてあると、頭の中まで混乱するようで絶対に嫌だからそうなるのよと。

 

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  このメモは大好きな高柳佐知子先生の『エルフさんの店』を読みながらメモしたものだろう。実証主義実証主義とお題目だけ唱えていると、発想が著しく痩せて来る。だから夢想することがどんなに大事なことだろうかと、アンの小説や高柳先生の著作を読む度に、妻は確信して実に楽しげに読んでいた。メモ書き一つとっても、こんな具合にここで生活していた通りにしてある。多分いつ帰って来てもいいようにしてのことだろう。或いは僕が淋しい気持ちにならないように気遣いをしたのだろうか。娘の用品も多くはちゃんと畳んで整理されて置いてある。妻には二人の兄がいる。兄たちは大事にされ育てられたので、女の子の妻は早くから自立心を養わなければならなかったようだ。だから冷静な顔をして何事にも意欲し、サッサッと行動に移す。自分の娘に対しても、既に自立心を養うように願っているかのようだ。時間はあるようでまるでない。何もかもすべてをやるのは困難で、自分で出来ることは自分でやりなさいと思い込んでいる。まだ生まれたばかりの娘にもそう願っているようで、それって可哀想じゃないって言うと、最初が肝心で、男の子が生まれてもそうするつもりよときっぱりと言う。何事も親掛かりはしたくないので、杏が或る程度大きくなったら早速幼児教室にでも入れるつもりだと。あなたから言われた通り下宿代と食費として払うものは払っているし、ギグシャグしないよう細心の注意を怠っていないつもりだから、杏にはそれ相応の考え方いて欲しいのだとはっきりしている。学問を完遂するために自らの環境を自らが整えて行こうとする覚悟の表れか。何だか盲腸が動いているみたいと言った胎動以来、やはり自分のお腹の中で娘と長く付き合った自信なのだろう。

 一緒にいたたった50日余で、娘の杏の体重は生まれた時のほぼ倍近くになっている。まんまるお腹はポニョとおんなじだ。毎夜一緒にお風呂に入った。それが今夜からは手に抱ける娘はいない。考えられないことだ。でも耐えなければならない。今職員12名(本部10名、京都2名)を抱え責任重大で、主力の林野庁との交渉も纏まっていない。専門分野の固めも出来ていない。啓蒙的な雑文はそろそろ終焉しなければならない時期かも知れない。すべてが始まったばかりで、余裕が出来るまではまだまだ先になろう。まだ余裕があった頃、そう言えば去年初秋の奥日光で、満天の星空を眺めながら秋の天空を妻に解説してあげたことがあった。真上にある四角い星座はペガサスで、秋の星座の王者。不思議にも直ぐ傍にはアンドロメダがある。毛布にくりまり僕の話を聞く妻は実に楽しそうであった。この夏、真夜中の妻は二人きりになると、意外にも甘えん坊であることが初めて分かった。僕にだけ見せる妻の素顔なのだろう。反面「ワッチには青春はないし青春は要らない」と厳しい顔つきで時々言っていた妻の表情が今はひどく愛しい。妻の感触と娘の柔らかさ、それに深い思いを致しながら、僕はすべてを振り切って天空の天馬になったペガサスを目指し、妻同様に勉強したいと強く願う。何事も中途半端は嫌いなのだから。京都から電話が来るまで、こっちからの電話は一切しないつもりでいる。痩せ我慢だろうか。自宅に帰る途中、本日重陽の節句につき様々な色合いの菊花を購入して帰って来た。

 

ペガサス

   これはギリシャ神話の天空のペガサスの図である。今日は真夏のような暑さであるが、さすがに夜は徐々に秋がしのびよっている。特に今日の空は碧く遠い。今夜ペガサスはどの辺にあるだろう。天体観測には絶好のチャンスで、久し振りに天体望遠鏡を持ち出し夜空を眺めることにしよう。本日重陽の節句につき菊花を冷酒に浮かべつつ独り酒をしながら夜空を眺めていよう、愛しき人のために!

 

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ペガサスをめざしふふよむ への10件のフィードバック

  1. 道草 より:

    猛威を奮ったさしものこの夏も、徐々に沈静しつつあるようです。ともすると日中は汗ばむ猛暑が戻ることがあるものの、朝晩はかなり凌ぎ易くなりました。早朝の散歩は、真夏のままのスタイルでは少しひんやり感じるほどです。東京の貴家も暫し真夏の熱気が去って、秋の涼気が漂い始めた様ですが。しかし、それも一時的な状況で、京都には別宅があるが如きもの。杏ちゃんにとっては、東西2個所に跨って姫君城が存在する様なものです。離れれば双方の存在の大切さが倍加して認識出来る状態は、ある意味では贅沢な人生とも申せます。昔の我が家の例など比較に挙げるのもおこがましく、私には羨ましい限りの貴家の日々と映ります。満月の日は、またご家族水入らずで名月観賞が叶うことでしょう。それまでは奥様お手製の、なんとも微笑ましいお月様で十二分にご堪能ください。遠くペガサスも、またお三人を見守ってくれていることでしょう。
     
    「瞳の宇宙―Cosmos in my eyes―」  片岡 輝
     
    Cosmos in my eyes子どもの瞳は澄み切った空覗くと吸い込まれてしまう
    愛する瞳は燃え盛る星生命(いのち)の誕生を繰り返す
    あなたの瞳は天(あま)駆ける虹あしたに希望の橋を架ける
    私の瞳は草の朝露(あさつゆ)ふるさとの地球に涙する
    Cosmos in my eyes瞳の中に宇宙がある百五十億光年の歴史があるまぶたを閉じると(キーン)星がまたたいた

  2. 文殊 より:

             道草先生
     以前から感じていたのですが、事物や祭事などを書くのとは違って、私事について書くのは不慣れなせいでしょうか。とっても恥ずかしいもので、先生のように書けたらどんなにいいだろうなぁと、改めて先生の日ごろの文章の偉大さを振り返っています。エッセイと私小説は違うものでしょうが、僕の場合は何となく照れ臭く、私小説を書いているのではないかと罪悪感さえ覚えて来るのです。ですから逆にそんな目でご批判戴けましたら一層嬉しいものになるでしょう。
     
     東京の日照りは強いものがありますが、日陰に入りますと、やっぱりそこには秋が。涼やかな秋風が吹いてまいります。そんな中妻たちは実家へ帰りました。夕べ遅く電話があり、何だか妙に杏がぐずっているのという報告を受けると直ぐに行きたくなってまいります。父親がいないことを察知したのかと、馬鹿ですねぇ、そんな風にふと考えたり致します。まだペガサスはやや北の方角だったように思われました。菊酒は本来は美味しいはずですが、たった独りだと思うといたたまれません。まだ修行が足りない証拠です。ところで僕の家はビルの上のほうですから、階下や道路の温度とは確実に3,4度は違います。窓を開け放ち、庭に水遣りでもしたら、忽ち涼風が吹いてまいります。蚊や虫など殆どこの階上まではやってまいりません。草木に少しの虫がついている程度です。多分娘はこの数週間快適に過ごしたのでしょう。京都の実家はそういうわけにも行かず、窓は閉められたままでしょうから幾らチビであっても、少々の閉塞感を感じるのでしょうか。そんな市街のど真ん中より、やはり北白川より上、又は九条より南のほうが風の具合は違うのでしょうねぇ。やっぱり周山は憧れです。
     
     娘って、どうしてこんなに可愛いのでしょう。自分でも不思議な気分になります。道草先生はその点充分にご経験なされたことですから、僕の他愛ない話もきっとお分かりになって頂けることでしょう。東西二つの城にするためには京都ではもう少々頑張らないといけませんね。出来るなら妻を説得したいものだとかねがね思い至っています。先日大原の里で、ガーディニングをやっていらっしゃるベニシアさんという方のお庭がハイビジョン放送をされました。イギリス貴族のお嬢様でしたが、若くして日本にやって来て京都に居住み、京都の町の中で英語学校を開きながら、山岳写真家の夫とともに100年ほど経つ古民家を改築して頑張っておられました。東京の自宅は既に動かしようがないものですから、せめて京都で新しく作るべき自宅は庭いじりが出来る家に住みたいと心から念願しています。杏には自然の教育をたっぷりしたいというのが夫としての夢です。今週は連休ですから、大威張りで娘に逢いに行くことになるでしょう。先生!又今回は夢のような詩を頂戴し大変感謝感激しております。本当に有難う御座いました!
     

  3. (Kazane) より:

    しばらくコメントをご無沙汰してしまいました。
    開いた途端、小田和正さんの声が飛び込んできて。
    歌詞と硯水亭さんの心境が重なっているようで…。グッときてしまいました。 硯水亭さん、見送りに行かれたかなぁ…と思っていたら、帰られる日はお仕事だったのですね。それにしても、素敵な切り絵!また、大切な宝物が増えましたね。奥様と硯水亭さん、ホントお似合いのご夫婦ですよね。これから一緒に過ごす日々を重ねるのが楽しみでしょうね。杏ポニョちゃんの顔も、すでに恋しくなっていることでしょう。
    よく、父親にとって、娘は特別に可愛いっていいますよね。
    私の父もそうだったんだと思います。
    大人になってからも、二人で出かけたりすると、嬉しそうでしたから(*^_^*)
    連休まであと一息ですね。幸せな週末、お過ごしくださいね♪

  4. 文殊 より:

          風音さま
     
     いいえ、どう致しまして!いつも心に掛けて戴いて感謝しっ放しです。有難う御座います。ここ最近猛烈に忙しくしていまして、こちらこそ本当に済みません。小田和正の歌は気に入って戴けたでしょうか。僕の建築学部の大先輩ですので、歌手の中でも一番好きな歌手なんです。尊敬もしています。何と言いますか、いつもどこかフィットするのでしょうか。若い歌手ではコブクロが大好きです。ここではよく掛けています。
     
     僕たちのことを風音さんがいつもいつも暖かく見守って戴いているので、風音さんって、何という寛大さで大らかで素直で素敵なんだろうと、逆に心から感謝しております。心の奥では手を合わせながら、風音さんのカキコをいつも眺めています。どんなに嬉しいことでしょう。本当にいつも有難う御座います。
     
     風音さんのお父様もそうでしたか。僕は異常ではないのですね。今日も泣き止まない杏の声を電話口で聞いて、何とか早く行って抱いてやらねばと思ったことでした。きっと早く来いと僕を求めているのではないかと。そんな風に馬鹿丸出しの状態です。だから杏が大人になったら大変だろうなぁと思ったりしています。きっとどちらさまのご家庭でもそうなんでしょうね。娘と外で一献飲りたいというのが僕の大きな希望です。
     
     僕たち夫婦は何もかも違っているかもしれません。でもそのほうがお互いに距離感が分かっていいのかも。そんな風にも思ったりしています。今まで全く喧嘩一つしたことがありません。妻はあの年でも大人ですが、偶には可愛い甘ったれな部分も見せてくれますから、可愛くて堪りません。多分僕も甘えているのでしょう。
     
     今日もおいで戴きまして、本当に有難う御座いました。そろそろ小石川植物園もいいですね。薬草園に、吾亦紅の花が咲いている頃でしょう。
     

  5. ヴィオレ より:

    普段パソコンは音を消しており気付きませんでしたが、硯水亭さんのブログには素敵な音楽が流れていたのですね。
    家の周りでは秋の虫が大合唱していますが、小田和正さんの歌がぴったりに思えます。
    秋の高い空の、薄い青が目に浮かびました。
     
    奥さまの切り絵、とても素敵ですね!なにげなく、こんなに凝った作品を残して行かれるなんて、おしゃれな奥様ですねぇ。
    それを隅々まで愛情込めて観察してくださるご主人がいらっしゃって、奥様はお幸せですね。
     
    菊花を冷酒に浮かべて月見酒、私もやればよかったです!硯水亭さんのように、余裕のある風流な心でいたいものです。

  6. 文殊 より:

            ヴィオレさま
     お返事が遅くなってしまって、本当に済みません。僕だけの時間を作るとなると、普段の仕事に倍加して、多くの仕事量が絶対的に増えて来ます。昨夕ようやく京都の妻の実家にたどり着いたのも、本来なら金曜日から来れたのでしょうが、なかなかうまく行かないもので、でも、夕べ嬉しいことがあったんですよ。娘・杏が京都に帰ってから、ぐずることが多かったらしいのですが、杏と二人でぬるいお風呂にゆっくり浸かって、スキンシップ!全く泣かず、手足をグイグイ伸ばしたり、娘はご機嫌な様子でした。義父母からも歓心された程です。父親を知っているのだろうと。泣きたくなるほどどんなに嬉しかったことでしょう。夕べも三人で仲良く休みましたが、朝までグッスリでした。
    負けずに可愛がって下さる義父母から、そう言われるとまんざらでもなく、とっても嬉しい気分でした。
     
     妻は芸術は全く駄目ですが、本人は本人なりに一所懸命に理解しようとします。この切り絵だって、凡そ褒められたものではないのでしょうが、僕にとっては宝物です。何事にも頑張る妻らしいところが出ています。小田和正さんの音楽がお届けになられているようで嬉しい限りです。僕の理工学部の大先輩でして、大好きな人です。彼はラストコンサートと称してツアーをやりましたが、まだまだ続けて欲しい方ですね。
     
     菊酒は今夜が満月の本番です。今夜はここの中庭で月見の宴になるでしょう。義父母も兄たちもみんな楽しみにしています。出来れば晴れるといいなぁと、台風襲来の予報聞きつつそう願っています。きっと伏見のお宅でも益々仲良く寄り添うお二人で、菊酒となられることでしょう。ヴィオレさんのブログに又行かせて下さりまし。本当にいつも有難う御座います!
     

  7. 良枝 より:

    こんばんわ。りんこです。
    よく見るとウサチャンたちは
    真ん中のお団子ばかり見ているようではないみたいです。
    耳が少し傾いているから
    となりのウサチャンをちらとみたりしているようです 笑
    おんなじことをやれって誰かに言われたところで
    誰一人自分とおんなじ人なんていないんだもの。
    たのしくゆかいに
    歌って踊って 笑

  8. Unknown より:

    こんばんは。今頃、皆様でお月見をされているかしら。
    こちらは珍しく中秋の名月を見ることができました。快晴という訳でもないので、他には南の空にお星様が一つだけ。
     
    可愛いことをなさる奥様 !以前にも手作りのものを届けていらっしゃいましたっけ。聡明な普段の言動と、この天真爛漫な切り絵とのギャップというか、不思議なハーモニーというかが何ともいえず愛おしいかたですね。
     
    先日、古本屋さんで新川和江さんの小さな詩集をみつけました。南塚直子の素敵な絵が添えられた『星のおしごと』というもの。子供も読めるやさしい詩ばかり。その中の一つです。杏ちゃんも少し大きくなったら、こんなふうに思うのでは・・・
     
      おうち   新川和江
     
    ただいま とかえっていくとおかえりなさい ってやさしい声が きこえてくるところ
     
    ストーブがもえていておなべの中でシチューがことこと にえているところ
     
    おてあらいがあっておふろがあってへいきで はだかになれるところ
     
    おし入れがあってたんすがあってわたしがお宮まいりにきたきものなどがいつまでもだいじに しまわれているところ
     
    夜ねむると おかあさんが( ときどきは おとうさんもね)おやすみ いいゆめをごらんとおふとんをなおしに きてくださるところ

  9. 文殊 より:

                    りんこさま
     おはよう御座います。娘の下のお世話で早く起きてしまいました。歓び以上に結構な苦労が多くあります。本当に今回はお言葉もありません。ひたすらりんこさんがお元気になられることを願うだけです。お大事になさって下さいね。
     
     妻が作った切り絵などに殆ど意味はありません。ただちょっと知恵を働かせて紙を切ってみたくなった衝動だったのでしょう。手を加えたものにモノを書きたかったからとそう感じています。もともと僕にだけ残してくれたものですから、ここで公開するのもはばかられるのが本来なのですが、つい公開してしまいました。これも衝動です。
     
     おんなじことをやれという意味もないでしょうね。多分いつも独りの勉強が多い妻で、何となく手をつなぎたくなったのかも知れません。どうかご勘弁してくださいね。朝の連ドラで「瞳」をやっていますが、ヒップホップって楽しいダンスですよね。ひざの状態がまだまだ万全ではありませんので、完全には動けないのですが、映像に合わせて「ネコ・ダンス」の真似をして、娘に見せています。ダンスは言葉がなくとも人と人が通じ合えるものらしく、漸く目が見えるような子供にでも少しは分かるらしく、僕が傍で踊ると、楽しそうに一緒に手足をグングン動かしてくれます。あっ済みません!自分のことばっかり書きましたが、どこかちょっとでもお分け出来ればいいなぁと思い、ついお喋りしてしまいました。お許しください。早くお元気になられることを心からご期待申し上げます。今日もおいで戴き、有難う御座いました!
     

  10. 文殊 より:

              夕ひばりさま
     昨夜の観月の宵は素晴らしいお天気でした。見事な中秋の名月を楽しみました。この時季京都では、この中秋の名月の宵に、各社寺で色んな催しものが開かれているようです。下鴨神社さん・八坂さん・日向さんなど神社の観月の会や嵯峨野・大覚寺や妙心寺さんなどのお月見の宴や、変わったところでは府立植物園で観月の会があったようです。最も混雑が予想されたのは嵯峨野の広沢の池での雅楽奏上しながら、雅な方々が観月のお出ましになられる宴でしょうか。ここは大混雑の名所でもあります。ですからどこも混雑するのが始めから分かっておりましたので、大家族12名とともに、僕たち親子も一緒になって、小さなお庭ですが、煌々と頭上に照るお月さまを見ていました。それはそれは美しい月でしたよ。そのうち飲み会になってしまい、僕も強か飲んでしまった次第でした。お団子や里芋やお菓子まであげて、お供えしました。薄は花屋さんで購入したようです。雰囲気はそれなりにあったのですが、何せここのお宅は皆で集まってすることが大好きなお宅なので、お月見もいまいちだったでしょうか。でも楽しかったんです。有難いことでした。
     
     妻は何でも手作りが好きなんです。下手ですけれど、その方向性は間違っていないと思っています。今回も下手くそな切り絵などをお見せして申し訳ありませんでした。僕への単なるメモ書きの一部だったのに、つい妻の許可も得ず公開してしまったりして。妻はまだまだ世間を知らない人です。世間的な苦労を全くと言っていいほどしていないと思います。但し早くから自立したい欲求からか学問に対する情熱だけは並ではありません。しかめっ面で勉強する妻と、こんな風にして娘と遊びながら作った切り絵なんかの場面にはおっしゃる通り相当なギャップがありますが、どちらも妻に違いなく、そうですねぇ、底辺には天真爛漫な部分があるでしょう。ある意味ではまだ純真な子供です。子供が子供を生んだようなものです。家事も出来ませんから、たいてい僕がやります。でも僕の背中を見ながら本人も少しずつ真似事のようにやっているようです。僕は無理にはさせたくありません。一番好きなことを通してもらいたい一心だけです。
     
     新川和江さんの詩を、本当にどうも有難う御座いました。さすがに詩人の優しき魂は凄いですね。多分この本も購入し、杏のもとに置いておくことになるでしょう。僕がここに来てからさっぱりぐずることがなく、一緒に大人しく楽しくお風呂に入ってくれています。たった数十日で、父親の感覚を知ったのでしょうか。それなら嬉しいのですが。今日もおいで戴き有難う御座いました!
     
     

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