時の花

  

  燈火節秋の日のぶな

        片山廣子著『燈火節』 月曜社出版刊                     亡き主人のパソコン画『秋の日のブナ』

 

 

 

                 時の花

 

 「生きてゆくのであらうけど 遠く経て来た日や夜の あんまりこんなにこいしゆて 何だか自信が持てないよ」 中原中也が最晩年の詩集「在りし日の歌」に詠んだ「思へば遠くに来たもんだ」から始まる詩・『頑是ない歌』に綴られている心境です。中也8歳の時、すごく仲の良かった弟・亜郎が急逝、多分その喪失感は生涯離れることはなかったことでしょう。その上何と、中也自身の死(30歳)の直前に逝った幼い長男・文也の死も、可哀想で堪らなく不憫な死でありました。相次ぐ哀しい出来事が、中也をして生まれながらの詩人に仕立てあげたのでしょうか。また生前ただ一作も世に出ることがなかった大手拓次の膨大な量の詩編には、喩え永遠の童貞などと揶揄された詩人であったとしても、みずみずしく、美しい生命の輝きに満ちた魅力が溢れており、お陰で僕は、少しずつ精神の均衡が保たれてきたように思います。更にただ今夢中で読んでいる片山廣子『燈火節』(2004年11月 月曜社出版刊)は驚くべき文学的価値が非常に高い内容で、ポプリの熊井明子が読みたいけれど絶版になっていると嘆いていた本だったかと思いますが、エッセイ・小説・童話・初期文集・和歌などテンコ盛りで、一字一字を大切に読みほどいています。格調高い文章で、増女の面をつけた美しい夢幻能を見ているような清冽なひと筆ひと筆で、しかも日ごろから謙虚な方だったらしく、どの歌や文章からも彼女のお人柄が十二分にしのばれます。年下の芥川龍之介が熱烈に憧れ、密かな恋心をともし、堀辰雄は『聖家族』など幾つかの小説でモデルにしたという片山廣子(イエーツやショーなどの訳詩の筆名では松村みね子)はどんなに素敵な方だったのでしょう。考えただけでもワクワクします。室生犀星や中里恒子も親しくご縁があったようです。そうして今夏やっと買い揃えた中里恒子の全集も少しずつ読みはじめ、忙しい仕事ながら一瞬一瞬を捉えて充実したひと時を送れているようです。取り分けこうした文学の分野は楽しみでなりませぬ。我が娘の子育ても頗る楽しく、先ほど京都に帰ったばかりですが、早くから自立心を求められている運命の女の子なのでしょうか。昨日から寒くなった季節の変化をものともせず、妻に抱っこされ笑顔で新幹線に乗った時の杏が特別に可愛いかったです。

 恥ずかしながら我が苦衷の記事に関し、素敵なコメントや、たくさんのメールも頂戴しまして本当に有難う御座いました。殆ど温っかいお励ましの御文ばかりで、皆さんからの熱きご厚情に対し、どのように御礼を申し上げたらよいか、まったく言葉が見付かりませぬ。心から深い感謝を申し上げる次第です。まだ多少の焦りはあるのですが、元は未だにそのままであり、遣り切れないホロ苦さは以前と少しも変化はないのですが、このまま精一杯頑張ってゆければ、きっと時間がキッチリと解決してくれることでしょう。そう、僕は強く信じます。

 毎朝6時55分からたった5分間ですが、いつも楽しみにして観ているBSハイビジョン放送の「日めくり万葉集」で、先日放映された大伴家持が歌「時の花 いやめずらしも かくしこそ 見(め)し明(あき)らめめ 秋立つごとに」(巻20・4485)の歌に出て来る「時の花」とは秋に咲く花のことですから、萩か女郎花か、秋の七草を中心とした花々のことさしているのでしょう。天皇に献上された御歌で、時に咲く花を充分に楽しんで下さいという大意です。平明な歌ですが、でも「時の~」という言葉がそうさせるのか、どこかそこはかとない無常観を漂わせているようにも感じられます。ヒンドゥー教のマヌ法典アーシュラマには人の一生を四つに分類しています。➀学生期~師のもとで勉強をする時期、②家住期~家庭にあって子をもうけ一家を支える時期、③林棲期~林に隠遁し修行し家族と行ったり来たりする時期、④遊行期~一定の住居を持たず遊行し安楽な死を迎える時期の四つの時期と区分されていますが、林棲期までは何とかやれても、遊行期は今やまったく難しいものでしょう。五行陰陽から来ている青春・朱夏・白秋・玄冬の言葉は、地球が一公転して季節が巡って来るように、それぞれ一回こっきりの人生という季節を歩むというものです。青春(せいしゅん)とは30歳未満、朱夏(しゅか)は30歳~50歳ぐらいまで、50歳~70歳まで白秋(はくしゅう)、それ以降は玄冬(げんとう)というのでしょうか。いずれも一定の理法があるように思われます。

 亡き主人とともに、よくご一緒に民俗芸能調査の旅をさせて戴いた本田安次教授は、日本に現存する民俗芸能を徹底的に収集し分類し、次の学問に引き継がれました。本田先生のお弟子さんで、日本仮面史の研究で著名な後藤淑(はじめ)教授(昭和女子大教授 元早稲田大学演劇博物館教授)もご一緒の時が多かったようです。そこで余談として数多くの貴重なお智恵を受けることがありました。学問をする側として人の一生をどう観るか、主人は率直にお二人に伺ったのです。そしたら異口同音に出たのが次の言葉でした。「10代は暗中模索の時代、20代はどうにか方向付けをする時代、30代はその方向に向かって懸命に邁進する時代、そしてその成果出て来るのはほぼ45歳頃から約20年間弱がいいところで、多くの発表はこの時期に集中する。60過ぎてからは先ず新しい発見は困難となり、それまでの集大成の時代に入るのだ」と。どんなに偉い先生だって、中身はたった20年しかない学問の厳しい命なんだよとも。どうやら人生は存外短いらしい。

 僕は今、家棲期にあり子供を作り育てています。学問をする妻にありったけの協力を惜しんでおりません。家族は無論のこと、同時に多くの仕事のパートナーを養って行く重大な責務を担っています。今の僕は、五行陰陽でいう朱夏にあたるでしょう。そうしてそろそろ人生の成果を挙げて行かなければらない時期に入りました。ところが櫻をライフワークにした筈なのに、いまだその端緒についたばかりでモタモタしています。何をやっているんだろうと不甲斐ない思いでいっぱいで、焦りはたっぷりとあるのですが、今からでも遅くはない、余計な部分を大胆に削ぎ落として、ひたすら一意専心し邁進してまいる所存です。本ブログの更新は時々させて戴きますが、かなりな間隔があいてしまうだろうと予想されます。どうか皆さま、皆さまからの手厳しく熱いご指導とご鞭撻を賜りまするよう、心から御願い申し上げます。

武田尾

憧れの武田尾

 

   今日のBGMは 小田和正の「たしかなこと」 

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時の花 への7件のフィードバック

  1. 道草 より:

    9月の最後の休日に1週間遅れの彼岸の墓参りに行きました。2人の娘が揃って帰省した機会に久し振りの家族揃った供養となりました。私の方は西陣の千本出水に家内の方は山陰沿線の八木町に菩提寺がありますので、ほとんど丸一日を費やしました。車窓からの丹波路は彼岸花が咲き乱れていました。ただ、稲刈りの終わった田圃が多く、昔の様な見渡す限りの黄色の稲穂と真紅の彼岸花の交錯する風景には遠いものでした。大堰川畔の老舗で昼食を摂ったのですが、丹波松茸の文句に惹かれましたものの、この値段でそんな筈はなくやはり輸入松茸だったと思います。笠の開いた長け松茸を脚で蹴った子供の頃が懐かしいです。
    話は逸れましたが、硯水亭Ⅱさんにはいずれも新しい仕事と家庭に加え、凄い読書量には感嘆頻りです。本田教授の説は私にこそ該当するでしょうが、貴殿にはまだまだ程遠い言葉です。ブログは本来独善的でいいと思います。この言葉が悪ければ独自的と置き換えても宜しいですが。いずれにしても、内容や更改時期はマイペースで当然ですし、それに共感共鳴する人達が集う。それでいいではないですか。先の短い私でさえそうしておりますし、のんびり行くましょう。
    娘が明日には帰国しますので、今日は午後から四条へ出て昼食の予定です。秋雨の古都を楽しんで参ります。
     
     
    「充実と更新」   坂村真民
     
    あかあかと  日は昇り
    あかあかと  日は沈む
    何億回という くりかえしなのに
    その新鮮さ  
    それゆえに わたしは手を合わせ
    その光を吸飲する
    命の充実のため  心の更新のため

  2. 良枝 より:

    こんばんわ。りんこです。
    印度仏教って本当に偉大だと思います。
    あの国で零が発見されたってのも納得しますね。
    当たり前のことを哲学として体系づけるのは
    とても困難なことです。
    また、それを実践することも大変なことですよね。
    でも、気をつけていればいつかは骨肉になりますね 笑
    私もそう信じて毎日楽しく暮らしています。
    気にしすぎずに、でも忘れずに 笑
     

  3. 文殊 より:

           道草先生 及びりんこしゃんへ
     
     済みません、昨日の午後から香港に来ておりまして、アメリカ議会が公的資金導入を蹴っ飛ばした
    ものですから、1929年以来の世界大恐慌が起きる様相を呈しています。我が社本体の被害を最小限に
    留めるために、かねてからあったことですが、粛々とその手当てをしています。多分明日には帰れるでしょう。
    それからゆっくりとご返事させて戴きますね。でもどうぞ僕たちのことはまったくご心配には及びませんので
    ご安心くださりましね。じゃホントに済みません。又改めて!

  4. 文殊 より:

              道草先生
     済みません。本当に遅くなってしまって、申し訳御座いません。当社インベスト部門は他の方のお金を預かってしているのではありませんから、いわばスッテンテンになっても構わないようなものですが、アメリカって国家は、世界に対する責任ということを考えないらしく、公的資金導入も「お金持ちを助けて庶民は助けられないのか」という自国民中心主義の短絡的な下院の考え方でして、厭きれてしまっています。ユーロやアジア・マネーが巨大になり、一極集中にはならない時代が早く来ることを強く念願してます。1929年次の世界大恐慌はアメリカを救う受け皿がまったくありませんでした。今日では欧州各国や日本から巨額なマネーが導入される既成事実がありますので、そこまでは行かないでしょうが、多分不景気は日本でも長く続くのではないかと想定されます。導入される巨額な外国資金の情報開示のためにも、下院・上院で「公的資金導入策」は是非可決されるべき事柄でしょう。
     
     我が社の仕事は本来僕が引退したわけですから、本来あるべきことではないのですが、引退直前にまだまだ人が育っていないためにしばらくは手伝う約束でした。今回改めて感じたことですが、45歳定年制は見た目にはカックいいものの、人が充分育てられない難しさをほとほと痛感致しました。今回急な用向きになってしまったのは、香港にある当社の損保部門の独立もしくは売却することになったことでした。幸い上海においでの中国人・友人の引き受け手があったものですから、当社投資金額とトントンの値段で売却を果たしてまいりましたので、すっかり遅くなってしまいました。今やお蔭様で綺麗さっぱりと中国と手を切りました。サブプライム・ローン問題で、最もアメリカに資金提供をしている国家は実は中国で、海外の中でもダントツです。ところが、そこが中国政府の上手いところで、半ばアメリカ政府発行のアメリカ国債の呈をなしているのです。どんな状況になっても中国政府は安心安全な中にあります。ですから最悪の場合の受け皿はアメリカが中国から借金をしなければならない事態になるでしょう。そこが今回の問題の最後の砦となっています。危うい関係ではありますが。
     
     そうでしたか。パリからKさん、東京からMさんがおいでだったとは、先生にとりましては特別な幸せなお彼岸になられたことでしょう。普段は奥様と寄り添うように、密やかにしていらっしゃるところ、どんなに賑やかで華やかだったことでしょう。丹波路に、秋の豊穣が以前より少なくなったとしても、柔らかな秋の陽光の中にはっきりとご家族のお姿が見えてまいります。素晴らしい瞬間でしたね。そんな中に僕がちょこっとでも参加出来ていたら、何ともまぁ素敵だったことでしょうか。不徳の致すところです。更に何度もパワフルに力強くご意見を頂戴し感謝感激しているところです。坂村眞民先生の詩を心に深く刻んで参りたいと存じます。本当に有難う御座いました!
     

  5. 文殊 より:

              りんこしゃん
     お返事が遅くなりまして本当に済みません!!ヤボ用で、急にバタバタしたからです。
     
     先ほどりんこしゃんのブログを覗いてまいりました。すっかりお元気になられたようで、とても安心致しました。貴女に元気がないと、とっても淋しい思いです。でももう大丈夫!また頑張りましょうね!
     
     インドは不思議な国です。未だにカースト制の中にあるのですから。しかも驚異的な発展途上国家です。身分の格差や貧富の差もひどいものですが、カースト制にも入らない身分があるのはご存知ですか!生まれながらにして、絶望的な貧困の中にある人々でも、笑顔で現世を楽しんでいる風です。そこが不思議でねぇ、そこをどう解釈したらいいか、いつも困ってしまいます。その最下層の方々を非常に愛した日本人は、日本画家の秋野不矩(あきのふく)さんでした。50歳を過ぎてから、17回も途印して実際に住んで、最下層の方々を描きまくりました。僕は尊敬してやまない女性の一人です。浜松の彼女の美術館がありますし、そこにインドを題材にした絵がたくさんあります。以前は花鳥風月を中心にした絵でしたが、インドに行ってから彼女の絵は劇的に変化しました。カースト制にも入らない階層の花を胸に抱く少年の笑顔の絵がありますが、秋野画伯の凄さもさることながら、そんな無辺際の煌く美にひどく感動するのです。
     
     釈尊は実在の方です。釈尊の教えはヒンドゥー教からしたら、大変に地味で難しいものかもしれませんね。従って残念ながら、現在インドでは仏教徒はわずかに3%と、聞き及んだことがあります。70%の時代もあったようですが、でも数の問題ではないのでしょう。間違いなくインド人の哲学は、私たち日本人に深く根付いているのですから誇りたいものです。インドでは仏教からしたら、ヒンドゥー教は、日本の神道と仏教の関係のようではないのかしら。日本仏教界のスーパースターである弘法大師は、中国で、中国人の恵果和上から密教秘法を伝授され、それを広めました。でも弘法大師は在来の神道を排斥するどころかむしろ守り神さまにしたのです。本来神道の大御所である聖徳太子が仏教を取り入れたことに逆にそっくりです。そんなことが、僕が最も好きな部分なのですが、りんこしゃんが言う通り奥深いことですね。
     
     りんこしゃんの教えの通り「気にしすぎずに、でも忘れずに」をモットーに頑張りたいと思っています。どうも有難う御座いました!
     

  6. (Kazane) より:

    お久しぶりです。
    海外出張、お疲れ様でした♪今日も、秋晴れの気持ちいい1日でしたね。
    腰はいかがでしょうか。ゆっくり休んでくださいね。硯水亭さんのブログは中身が濃いので、一体このお忙しさの中、どうやって時間を作っているのかしら…
    と、いつも感嘆の気持ちで読ませていただいています。どうか、ご自分のペースで♪ 
    私も、硯水亭さんとほぼ同世代なので、朱夏にあたるのでしょうが …。
    相変わらず、ぼんやり、方向音痴人生(?)を送っています (^_^;まあ、それが私らしいのかもしれません…。  (私、小田和正さんの「たしかなこと」、大好きで、よくカラオケでも歌っています♪)

  7. 文殊 より:

             風音さま
     おはよう御座います、あれっこんにちはかな!あはははは、何だか15時間ぐらい続けて眠りに眠った感じです。窓を開ければ、冷気を帯びた風がそよそよと吹いて来ます。いい気分!退職以来、月末や大きな決済時や契約などがある時はいまだに、相談や立会いがあり、その都度お呼びが掛かって結構忙しくなってしまいます。退職まで充分人が育っていない証拠で、反省ばかりです。
     
     昨夜休む時、腰部に何枚か湿布をして休みましたら、幾分かよくなったようです。膝の怪我って随分大変なんですね、改めて感じている次第です。それとたくさん本を読んだりすることもどうも僕の貧乏性からかも知れません。時間がないと、いつも切迫した強迫観念で読まされているようなそんな気がしています。退職をした時は、これでようやくスローライフをたっぷりと楽しめると思っていたのに。性分というのはどうにもならないものですね。
     
     僕は風音さんの生活スタイルを真似したいと思っています。石田衣良さんのような、特別な作家はおりません。読むごとに、どなたさまも素敵に思えてしまって、超浮気性なんでしょうか。次々に素敵な方を発見しています。ただ今夢中なのは、片山廣子さんです。香り漂う素晴らしい文章は、寧ろ驚きでした。道理で芥川が夢中になるはずです。これから城夏子さんも控えております。読むたびに、僕が新しく何かがむけて行くようで本当に楽しくてなりません。僕は本の世界で方向音痴を大いに発揮して行こうと考えています。お互いに、それを是非楽しんで参りましょうね!
     
     和正や陽水は、僕も大好きなカラオケナンバーです。最近コブクロにもはまっています。歌って泣いたりして馬鹿ですねぇ!今日も風音さんに是非、いいことがありますように、心から願っています!有難う御座いました!
     

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