秋色 密やか 山女

 

お岩木山の秋の蔦

 

 

                                 秋色 密やか 山女

 

 方々から紅葉の便りが届いています。大雪山を筆頭に、八甲田・奥入瀬・蔵王・日光などからです。それぞれに友人がいて、中には取れたての林檎と一緒に、地のアケビなども送って戴きました。甘味噌に、微塵切りの野菜やミンチの肉などを詰め、再びフライパンで揚げて濃い紫にしてから、秋の味を楽しみました。林檎の中に、今では珍しくなった小さな紅玉があったので、早速それも真ん中の芯を刳り抜いて、甘く煮込んだ小豆と蜂蜜いっぱいの味付けしたのを詰め込み、ホイルで包んでから焼き林檎にして戴きました。紅玉独特の酸っぱさが絶妙な味に仕上がっていました。ところで山女(やまおんな)とも呼ばれるアケビはスーパーで売られているような栽培されたアケビではありませんので、小ぶりでアクが強く一段と苦さがあり、秋の食欲を一層そそり美味しいものです。神無月も早いもので、昨日の、シトシトと降る秋雨の日が『寒露』でだったとは、何故かピンと来ておりません。それでも季節の、素早い変化にはいつも驚かされます。都心にいると、遂うっかり置いてけぼりにされてしまいそうで、今日までが長崎くんちの、賑やかなお祭りだったことでしょう。

 相変わらず仕事の合間に昼となく夜となく片山廣子の『燈火節』を、読み耽っています。分厚い本ですが、このところ片時も手放しておりません。同じ人間なのに、どうしてこうも美しく素敵な文章が書けるのか強か打たれながら一字一句読み逃すまいと懸命です。更に何故もっと早くから文学を勉強しなかったのか、この際悔やまれてなりません。でもそんな後悔はまったく無意味でしょう。今こうして出逢えたのですから。

 

    片山廣子 歌ひたる『林檎のうた』より三、四

    深山路のもみぢ葉よりも色ふかく店の林檎らくれなゐめざまし

    みちのくの遠くの畑にみのりたる木の実のにほい吾を包みぬ

    すばらしき好運われに来し如し大きデリツシヤスをふたつ買ひたり

    わがいのる人に言はれぬ祈りなどしみじみ交る林檎のにほひ

 

青森の林檎

 

   片山廣子 エッセイ『樹蔭読書』より

 人しらぬ秋の隠れどころ見いでし心地して、暗く涼しき森の木蔭に一人書をよむたのしさ。風身にしむばかり吹きて、手ふれ紙の折々かへるも、葉守の神の御こゝろにやあらむ。木草のたえずそよぐ音なひ、蝉の声、すべて此世の中とも覚えず、心すみゆくまゝに、清き泉はわがよむ書の中よりわきいづるやうにて、くめどもくめどもつきせず。心の塵も今何処にか流れいにけむ。あはれなつ知らぬすさびや。あはれなつしらぬ木蔭や。斧の柄はまことにこそくたいつべかりけり。

 

 路傍にひっそりと咲くスミレの花ような片山廣子は、僕の魂を余すところなく清浄なる領域に導いてくれる。「夜となく日となく都の塵をすひつゝ息をつなぐ身の、わくらばに得にけるけふの一日ぞかし、今日のみはいかならん遊びをも神は見聞きし給はなん」と言ったところでしょうか。明日10日、浅草飛不動では菊祭りがあり、11日には池上本門寺の御会式があり、その宵は十三夜、豆名月のゆかしき宵なればなり。12日は芭蕉翁の忌日であり、伊賀上野の俳聖殿や栄華の墓所である義仲寺では、厳かな法要が営まれることでしょう。幾ら忙しい身でも、密やかに季節の移ろいに寄り添いて生きていたいものです。

 

秋お奥入瀬

  秋の奥入瀬

   BGMは 中島みゆき『地上の星』

 

広告
カテゴリー: 季節の移ろいの中で パーマリンク

秋色 密やか 山女 への4件のフィードバック

  1. 道草 より:

    かつては「体育の日」として祝日だった10月10日は、好天気の確率が極めて高い日だとか。祝日法の改正で平日となつた今日も朝から眩しいくらいの快晴です。誰でも知っている「天高く馬肥ゆる秋」の譬えは勿論食欲の湧く季節だからて゜しょうが、「秋になると騎馬民族が侵入して来るので用心せよ」との異国の故事だとか。それが日本流に解釈されたのでしょう。それにしてもご多忙の中にも凄い読書欲。ただ感嘆あるのみです。片山廣子はよく知りませんが、実に細やかな文章を書く人と、ひたすら敬服するのみです。人柄に加えその多才さに芥川が尊敬から思慕を寄せた気持ちも理解出来るというものです。「ことわりも教えも知らず恐れなくおもひのままに生きて死なばや」こんな歌を読めば、謙虚さの中にも強く生きる意志を秘めた人であったようですが。これからの更なるご紹介が楽しみになってきました。硯水亭Ⅱさんの所へは各地から秋の味覚が届いているようですが、私も今年は、知人から木通(あけび)を2個貰いました。庭木で採れて山女とは違う様ですが、それでも私には半世紀以上も昔の秋の味でした。古里の山には木通が幾らでも成っていて、木に登って採り放題でした。「山のミルク」と言われており、脱脂粉乳しか知らなかった私達は夢中で採りました。種が多くて吐き出すのがもどかしくそのまま飲み込みました。翌朝は七転八倒の苦しみを味わうのですが、それでも懲りずに同じことを繰り返したものです。「幼子はあやしむごとく顔よせてにほふ木通を食ふむとせず」(木俣 修)。来年の今頃は、硯水亭Ⅱ家で見られそうな光景ですネ。今日はかなり暑くなりそうです。秋はやや一服というところでしょうか。

  2. 文殊 より:

            道草先生
     早速お出まし願いまして、何と御礼を申し上げてよいやら。勝手気ままなブログですので、どうぞお気楽にお付き合い戴ければと存じます。香港で腰痛に見舞われ、帰ってからウンウン唸って寝ていましたが、世の中には色んな病院があるものですね。麻酔科の延長で出来たのか、整形外科の延長なのか、僕にはちっとも判然としないのですが、ペインクリニックという痛みだけを処置する病院の存在がありまして、今回はこちらにお世話になりました。色々な検査の後、ブロック注射というのをするですが、注射されるとアラ不思議、痛みがどこかに飛んで行ってしまいます。長い間、右足だけをかばって歩いていたせいだと言われました。仙骨あたりの神経や脊髄のあたりに直接注射するものですから、いやはや痛かったこと、参りました。でもまだまだ安静にしていなければなりません。お陰さまで、連休は京都に行かれないと言ったら、今晩早くに、妻と杏が来てくれそうです。多分妻はつくり置きの焼き林檎に誘われて来るのでしょう。
     
     10月10日はまさしく晴天の日が多いですね。目の愛護デーでもありますし、香川金毘羅宮のお祭りでもあります。海の祭神にはこの好天が最もふさわしいのでしょう。ところで片山廣子さんは僕の実家近くで生まれ育ったらしいのですが、今までは全く存じ上げませんでした。芥川は「ルカ伝」のことを書いて、片山に愛の告白をした後、これは多分芥川が亡くなってからでしょうが、片山は「芥川さんの回想<わたしのルカ伝>」を書いています。週刊誌のリポーターのような興味津々たる思いで読んだのでしたが、まるきりアテが外れてしまいました。とにかく高尚というか気高いというのでしょうか、一つの思い出を淡々と描きながら、サラリと美しく述懐しておいででした。何という方だろうと、その時初めて息を飲んで読んだのでしたが、以来すっかりファンになってしまった次第です。鈴木大拙のご夫人であるベアトリスさんとのお付き合いから、ケルトの民族話やアイルランド文学を積極的に紹介されたようです。イエーツを初め多くの詩人や小説や戯曲の翻訳が残っていますし、アイルランド文学研究では欠かせない御仁でしょう。従って辛抱強い何か同じものを共感・共有していたのでしょうか。彼女の書くモノには独特の美しい抑制があります。親しい友人連中に、室生犀星・堀辰雄・芥川龍之介・中里恒子と言ったメンバーなどです。どこか道草先生の抑制が効いた文章に似ています。ご機会が御座いましたら、図書館などにはあると思いますので、是非どうぞ!本当に素敵な出会いでした。
     
     このところの腰痛のお陰で、パソコンの前にじっと座っていることが出来ず、ブログ散歩もままならない状況です。身勝手で甚だ恐縮ですが、どうかもうしばらくご無礼や非礼をお許し下さりませ!
     

  3. 良枝 より:

    こんばんわ。りんこです。
    りんごの季節ですね。
    りんごの季節になると中国の友人を思い出します。
    日本の果物の甘みが果物として最上のものだと
    私は信じておりましたが、
    友人にしてみれば「日本のりんごは甘すぎるから好きではない。」
    とのこと。とても新鮮でした。
    実りを頂戴することに作為は不要なんだと改めて気がついたのでした。
     
    片山さんのものは
    古い文体で書かれた文章の中にあるりんごというのは
    現在私が食べているりんごとは違うものなのだろうなと
    おもいつつもりんごの存在感、みずみずしさ、喜びを感じます。
     
    漫画美味しんぼにあけびの皮のてんぷらというのが出てきたことがあるのですが、
    どういう味なのかとても気になります。
     
    おいしい季節になりましたね 笑
     

  4. 文殊 より:

            りんこしゃん
     今晩は!このところ腰痛で参っています。右ひざをかばってきたせいです。ブロックという直接神経に注射するのをやっています。もう一度別なブロックにしなければなりません。痛いのですが、トホホの我慢ですね。娘を抱くこともままなりません。ブログ散歩は控えめにしてますので、大変に恐縮です。
     
     昔の林檎はなくなりました。消費者の嗜好に合わせてですが、紅玉は焼き林檎には最適なのに、食べると酸味が強く敬遠され、今では殆ど出回っておりません。中国では、こんな素朴な林檎が一般的なんでしょうか。羨ましいですね。
     
     りんこしゃんの「実りを頂戴することに作為は不要なんだと改めて気がついたのでした」のお言葉は素敵です。僕もそう深く信じています。
     
     片山廣子さんの文章は、きっとりんこしゃんにも気に入って頂けると確信しています。凄い文章です。涼やかで爽やかな夢幻の世界にいるように感じます。毎日これを読み、日々片山廣子の世界を堪能しています。
     
     この連休に、妻が娘を抱いてやって来てくれました。動けない僕に何かしようと、連日キッチンに立っています。慣れない人なのに頑張っています。どんなモノが出ても僕は必ず褒めることにしています。すると、どこかやる気になってくれているようで、何とも嬉しい限りです。今回の東京は勉強のためではなく、純粋に僕のためのようです。悪いなぁと思いながら、幸せを実感しています。
     
     アケビの天麩羅はクセが取れ美味しいものです。秋茄子とゴーヤを一緒に食べた風です。結構爽やかですよ、こんな秋の天気の風情に似ています。りんこしゃんが来てくれて嬉しい!有難う御座いました!!!
     

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中