ヨーコさん、寸分の時間も生きて!

 

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 去年、佐野洋子70歳の時、「波」に連載され、そうして単行本になった『シズコさん』

 

 

 

               ヨーコさん、寸分の時間も生きて!

 

  亡き僕の母に、絵本の作り方を教えてくれてた、80歳をとうに過ぎたお婆ちゃん先生からお手紙を貰った。秋の陽射が柔らかく部屋じゅうを満たしている、夜には未だ早い時間であった。「Ryuちゃん、あなたから戴いた<すみれノオト>(㊟ 早川茉莉さん の手作り)の、このお手紙セット封筒に入れようと、これを書いています、ワタクシ大好きなの、早川さん、ワタクシは大好き。<森茉莉かぶれ>、彼女の著書すごいわねぇ。森茉莉さんも大好きだけど、早川さんには勝てないなぁ。隅っこから隅っこまで森茉莉さんへの愛情全部が書かれてあって、早川さんの全ても表現されてて、うれしかったわ。だってRyuちゃんとブログを通してのお友達らしいんだもん、みんな凄く身近に感じられたの。ところであなたのお母様とおんなじ年の佐野洋子さんはご存知ね。彼女は今、癌におかされ、死と向き合っている最中なの。彼女の最新作<シズコさん>を是非読んでね。彼女の奇蹟の回復を、あなたと一緒にお祈りしたくて」。佐野洋子と言えば、既に160万部も売れているあの名作「100万回生きたねこ」の作家だ。(大好きなブログの早川さんには大変申し訳御座いませんが、今回の記事は佐野洋子さんを中心に書かせて下さりまし)

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 『100万回生きたねこ』の佐野洋子作画 本の挿絵(著作権・佐野洋子)

 

 早速「シズコさん」を取り寄せた。夜遅くまで掛かった会社での仕事が終わってから、自宅に帰り夜食を食べることもなく、ひと晩で読んだ。始め、下っ手ぁやなぁと思えた文章に見えたが、何々トンでもない。ヨーコさんの特徴あるパワフルな文章で、グイグイ読者を引き込む作戦だったようで、あっと言う間に読み終えることが出来た。途中、実は何度も泣けた凄い本だったから驚く。大雑把な話はこうだ。旧日本陸軍のせいで、北京でのひと時の虚空のような豪勢な生活。満州や大連にも移り住んだ。7人も子供を生み、戦後その中国からイノチからがらようやくやっと引き上げて来た歴史を持つ両親と子供たちの話で、特に彼女の母親シズコさんと長女ヨーコさんの葛藤と愛憎の、長ぁ~~いストーリーを、母親が亡くなるまでを見事に描き切った自伝的小説である。普通考えられるとすれば、引き上げ者の話で、母娘のジメジメとした女同士の葛藤の歴史、母親は結婚していた期間が20年で、未亡人になってから50年、呆けて逝った母親、そんな要素を考慮に入れると恐らく大方見当がつくストーリーであろうと思われるのだが、違うんだ!ヨーコさんの男勝りに優れた描写力と力強さに、どの文章にも完全に脱帽せざるを得ず、予想を遥かに超えていた。感動する標準ポイントってあるんなら、かなりな高さで、生老病死すべてが籠められて書かれてあるから凄みさえあったのだ。比較するのは何なのだが、ヨーコさんと同じ武蔵野美大の出身で彼女の後輩の、あのリリー・フランキーさん(本名・中川雅也)が書かれた「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~」など、甘っちょろくちょろい小説に思えてならなかった。リリーさん、失礼! 

 見栄っ張りで、強気で、モガ(モダーンガールの略)で、田舎が大嫌いで、派手で社交的で、どこか小洒落ていたシズコさんは、ヨーコさん4歳の時、手を繋ごうとしたら、パシッとシズコさんに出した手を叩かれて以来、93歳で自分の母親が亡くなる直前まで嫌いで嫌いで、母親にちょっとでも触るのさえ絶対嫌がった。母親の洗濯物など、すべて他人に委ねるか洗濯機にポン入れというから徹底した母親嫌い、ヨーコさんは母親シズコさんのお葬儀にさえ出ることはなかった。産み落とすと、生まれた当時は嬉しそうにする母だが、後は子供の勝手。大よそシズコさんが32歳の時である。だから長女ヨーコさんは例えば弟タダシなんか、タダシが死ぬまで母親の代わりをしていてタダシの肌の温もりは誰にも負けずにヨーコにあると言う、7人の子供のうち、3人のオトコの子に先立たれた。母親は夫を心から尊敬していたが、毎夕夫婦喧嘩が絶えることがない。それでも朝には二人でケロリとしているのだ。夫は、部下や友人を急に自宅に招いて酒盛りや議論が始まる。するとシズコさんは次から次へ、せっせと手料理を運んで一緒になって騒ぐ人で、母親シズコさんはこと家のことになると俄然誰も敵わない腕とセンズと合理性を持っていた。父親のほうは豪放磊落なように見えても、カミソリのような鋭い人で健康に恵まれず、幼いヨーコさんを愛し、活字を信じるななどと教え、日本に帰ってしばらく教師勤めをしてから、さっさと亡くなってしまった。母親42歳の時で、それから父親のツテのツテで、母親は地方公務員となり、なりふり構わず働きまくり子育てし、何と全員を大学に、それぞれが貧乏を余儀なくさせながら曲がりながらにも進学させている。ヨーコさんも赤貧洗うが如きのようにして、美大に進学した。戦前戦後の甚だしい混乱期に、この親子が精一杯生きたのだ。

 何とあの名作「100万回生きたねこ」と同じように、恰も二部構成になっているかのようで、後半は又魅力的な文章で満ちていた。母親を老人ホームに入れたのを、強烈に自責の念に駆られてしまうヨーコさん。「金で、母親を捨てた」と。それでも妹に任せ切り。そんなヨーコさんだって、人の母親になってから初めて分かることだって多く、自分の子はたった一人でも手をあますのに、7人の子供も産めないし、家事だってあんなに見事にこなせやしなかったと。ヨーコさんは一度離婚を経験している(谷川俊太郎と)。徐々に打ち解けて行く母親との距離感。でもそんな時が来ていた折に、母親は既に、真っ白な仏さまのように呆けてしまっていた。そして最後の章にヨーコさんの告白が。乳癌で二度手術を受けたが、骨のほうまで癌は進行していると。ヨーコさんは今年で71歳になるんだろうか。母親は長寿をまっとうし93歳で死んで、富士の、まるきり全部が見える場所で父親と安らかに眠っている。「私も死ぬ。生まれて来ない子供はいるが、死なない人はいない。夜寝る時、電気を消すと毎晩母さんが小さな子供三人位連れて、私の足元に現れる。夏大島をすかして見る様に茶色いすける様なもやの中に母さんと小さい子供が立っている。静かで、懐かしい思いがする。静かで、懐かしいそちらの側に、私も行く。ありがとう。すぐ行くからね。」と、波乱に満ちた小説が終わる。あんなに嫌っていた母親に深い哀惜の念で満ちてくる。でも不思議なことに、最後まで読むと、ヨーコさん自身が母さんシズコさんのパワーに似て来たような感じがしてくるのは偶然だろうか、或いは気のせいだろうか。きっとどこか似ていらっしゃるに違いないと思えてくる。

 思えば「100万回生きたねこ」は不思議なお話だった。果たして子供心に届くのだろうか。王様や狩人など勝手に飼われ、勝手に死なされ、又生き返って来たねこの時代が終わりを告げ、愛する真っ白いねこが出来てから他者への心が初めて生まれる。そして今度は死ぬことを覚悟するお話だが、子供心には「死」という概念がどう分かるのだろうか。でも僕はせっせと児童書を集めている。杏ポニョのために、「スーホの白い馬」や「子うさぎましろのお話」や、僕ドロシーが好きなんで「オズの魔法使い」や、あれもこれもである。未だ立てないうちから、既に何冊か杏ポニョに読ませて聞かせている。アンヨをグングン伸ばしながら大いに歓んでいるように思えるのだが、親馬鹿チャンリンもいいところだろうけれど、杏ポニョは「100万回生きたねこ」をどう感じ取ってくれるのだろう。興味深いことである。

 お婆ちゃん先生に、「シズコさん」を読了後直ぐに電話した。「Ryuちゃん!Ryuちゃんはお母さんやお父さんのことをどこまで知っている?あの本はね、あの頃に生きた人たちの生き様を残らず表現していて、皆それぞれ哀しみを背負ってても、誠実に一所懸命に生きた証の本なのよ。今の子たちはみんな知るべきだわ、きっと。彼女が書いてるのは、誰にでも共有出来るモノがあるからなの。ヨーコさんがもしも早く逝ってしまったら、ワタクシ逆縁になりそうで絶対に嫌なのよ。だからRyuちゃん、ヨーコさんの回復を毎朝一緒に祈ってあげましょね。いいい?!あっそれとついさっきお父様から絵葉書が届いたわ、百名山を踏破したんですってね。凄いなぁ~~嬉しいなぁ~~嬉しいなぁ~~!!もしもねワタクシが呆けたらRyuちゃんお見舞いに来てくれるかなぁ、アハハハハハ!」って快活に笑ってた。いつも僕をお孫ちゃんのように、死んだ母になりかわって可愛がってくれる大切な人である。「アッハハハ、当然当然、勿論伺いますとも、先ず第一先生は最期まで呆けることなんかないですよ~~~ん」とお婆ちゃん先生に反論したら、電話の直ぐ傍で大きな額縁に入ったままの、僕の母が一緒に笑っていた。緑色の絹の和服を、数十年も着たままである。いつまでも僕の母は若いまんまで、僕や、父が生きている間、母もこうして一緒に、精一杯生きているのだ。でも確かに世界史や日本史や民俗行事や櫻のことには詳しいけれど、身近で生きたこの父や母のことは何ぁ~~んにも知らないで、今日まで生きて来ちまったのだろうか、ひょいと不安になって哀しくなっちまった。

 

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 『神も仏もありませぬ』 2004年「小林秀雄賞」を受賞された傑作 現在はヨーコさんは71歳

 

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文庫本などでも、エッセイなど多数出版なされています

 

 上記三冊は文庫本で、『がんばりません』は美女はうんちをしてはいけないかなどと抱腹絶倒で、読んでいて実に楽しかった。この5日間で6冊、佐野洋子ワールドにドップリと浸かり込んだ日々、土砂降りの雨あがりの後パァ~~~ッと素敵な陽射が戻った時のように、今素晴らしい快活な気分である。佐野洋子は『がんばりません』の中で、「知らない人は、絵本作家はフリルのついたピンクの洋服を着て、透き通る様な食べ物を召し上がり、人の悪口など云わない人のように考えているのではないかと思えることがある。生身の私が、アッハハハと大笑いし、下世話な話に身を乗り出すと、絵本作家にも絵本にも幻滅する心優しい人に出会うことがある。夢があって素敵なお仕事ねなどと云われると実に居心地が悪いのである」と証言している。本当の意味で彼女は誠実な方で、恒に一所懸命な昭和のお母さんを彷彿とさせるのである。

佐野洋子

 

 ヨーコさん!

癌になんか負けないよう、絶対頑張ってください!だって貴女が生涯掛けて嫌っていたはずの、

あのシズコ母さんは93歳まで頑張ったじゃない!だからせめて貴女の意気地を見せてくださりまし。

でもヨーコさんは、やっぱり母さんを愛していてたんでしょ。どこかにぽろっと書いてあったように!

 

 

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『100万回生きたねこ』の最後のページ 自然の光景が、そしてこれが残るのだろうか

この記事のカタルシスとしてお借り致しました (著作権・佐野洋子)

 

 

  今日のBGMは、母が大好きでお掃除の時はいつも大声で歌っていた岸洋子の『夜明けの唄』 洋子つながりで!

 

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ヨーコさん、寸分の時間も生きて! への6件のフィードバック

  1. 道草 より:

    硯水亭さんのブログには、若くして亡くなられた母上に関する話がよく出てきます。物心ついてからなら僅か数年で永遠に別れてしまわれたのですから、その母上に対する切々たる思いがいつも痛切に伝わってきます。私の母は96歳まで生きていました。晩年には私が息子であることも分からなくなっていました。私は母の事を書くことは滅多にありません。56歳で亡くなった父の事にしてもそうです。親子とは何だったのか。父と息子・母と息子の関係はまた異なるものなのか。所帯を持てば、妻と姑・姑や孫と祖父母を通した関係も発生します。その人生の全てを通しての親子の関係。否応なく突きつけられる人間と人間の関係。ご紹介されているこの本はその内にと思いながら、私はまだ読んでいません。それでも、解説されている文章を読ませて頂くと、母と子は最終的には許すか許されるか。この途方も無く遠大な、許し許される関係に行き着くのだと思います。作者はあるとき唐突にそれこそ奇跡的にこの領域に辿り着いたのでしょう。私には両親とも既にこの世に居ないとはいえ、これからの人生の大きな課題として横たわっておりますが。
     
    「鳴子が鳴っている」   石岡チイ
     
    どこか遠くへ行ってしまいそうな母が、敷地から誰の目にも止まらず迷いださないように鳴子が張ってあった。日没をきらって家の中へ入るはずの母が その日どこにもいなかった。人を捜す時、どうしてこんなに大きな声がだせるのか、静かな私の村の夕暮れ、母は返事をすることはない。認知症を患ってから母は返事をしなくなった。鬼ごっこは誰もしたくなかった。鬼になるのは、尚更きらい。
    母は倉の裏の籾殻の中に、埋まるようにこごんでいた。潜む鶏を息をころしておさえ込むように抱きすくめると、母は声も立てず土偶のように砕けてしまった。母の欠片は無数。一欠け一欠けすべて病葉。奇麗でもあった。
    母は卵を産んでいたのかもしれない。その跡を父が熊手で浚ったりしなければ、私にはちち茸のような弟妹がいて、味噌こし笊に大鋸屑を敷いて温めながら持ち歩く日々だったろうか。
    今頃、私の胸ではかすかに鳴子が鳴っている。母親から娘に縫い物を教えられた遠い昔に、犬歯でかみ切った木綿糸は鳴子の紐の端。夕陽に類焼しそうな、土偶の母が私を生んだ藁の家は、今日中に燃えてしまいそうだ。

  2. みつえ より:

    ご無沙汰いたしておりました。
    今日はひさびさに日中PCに向かう時間を得ました
    お誘いに乗ってやってまいりましたら 大好きな大好きな絵本のお話
    「100万回生きた猫」は今年半年間お勤めさせていただいた児童館の図書室の本棚にありました。
    子供たちの読み聞かせにと探していてであった一冊でしたが
    どうしても たちまち魅せられ何度も何度も読みました
    まだ子供たちも来ていない時間 夏の日差しの溢れる広いプレイルームで 感動の涙残念ながら 読み聞かせの機会はありませんでしたがあ きっと何時か・・・
    母のことで励ましのコメントいただきましたその引力の元が 佐藤洋子さんであったことが嬉しくてなりません
    本当にありがとうございます。
    又 ご紹介いただいた「シズコさん」私も読んでみたくなりました
     
    今日はこれから 朗読の会に出かけます
    宮沢賢治の「鹿踊りのはじまり」を六人六様で呼んでみようという会で私も・・・
    この記事のご縁で「100万回生きた猫」私の朗読のレパートリーの愛する一つになる予感で一杯です
    感謝します
    200万ヒットおめでとうございます
     益々 素敵なブログ 魅力的な 硯水亭さんに 魅せられる方も多くていらっしゃることを
    改めてお祝い申し上げます。

  3. 文殊 より:

            道草先生
     確かに、僕のブログには母親の話が小出しに出て参りまして、済みません。僕はどこかマザコンであるのかも知れませんネ。フロイトさんに言わせれば理想の母子でしょう。また一緒にいた時より、亡くなってからのほうがずっとずっと永いのですから、突然去って逝った人を益々純化して行く習性があると言うものなのでしょうか。僅かな断片でも、何でもかんでもいつも大切に僕のオモチャ箱(お宝物入れ)の中にしっかり仕舞ってあるので、時々引っ張り出して思い出してあげることにしているんです。それが、母への確かな供養にもなると固く信じているからでもあります。決していい思い出だけではないのですが、こと母の思い出になると、殆どすべてが狩野芳崖の「悲母観音」に集約されてしまっています。でも多分余りにもお飾りが多くなり、すっかり真顔の母をどこかに消し去っているのかもと、時々恐ろしくなる時があります。でも僕の、唯一の母ですから、お許し願えるかと。そうして父や僕、こんな身内が元気で生きている間は、母も元気で生きているのでしょうネ。いずれ誰からも忘れ去られる運命にあり、どこかに行ってしまうのでしょうけれど。
     
     佐野洋子さんの「シズコさん」は大変な傑作だと信じます。母娘の愛憎劇だと言ってしまえば、それで終わるのですが、先ず切々と語られる文章は、まるで男性によって書かれた文章であるかのように、全編が小気味よく、素敵な文言で書かれているのです。どうも女性の文章は読みづらいという方には、特に持って来いのいい作品となるでしょう。「私は自分が幼年時代によい資質を全部使い果たしたと思っていたが、母と同じように、時代と共に世の中が変化するのと同じ様に変わったのだ。皆んなが地を丸出しにし始めた。地を丸出しにするのが個性なのだろうか。私は今の民主主義がどうも日本人のお口に合わない様な気がする」などと、当世を確かな目で批判することも多い。彼女の父親は共産主義者で、中国で父親がやっていたことは、中国農村慣行調査というフィールドワークだったらしいんです。父親が亡くなる数年前に、これが出版され朝日文化賞を受賞されていらっしゃいます。妹さんも日教組で先生をやっていたようですが、佐野洋子さんはコミュニズムとははっきり違っていて、シズコさんの全編を読むにしがたい面白いことに、それのことも益々母親に似ているようなヨーコさんですから、最後まで興味の尽きない小説に仕上がっています。母親は7人生んで、4人の子供をすべて自立して大学にやっているのですから、肝っ玉母さんと言えば言えるのでしょう。
     
     佐野洋子さんの、この本は彼女の最期の作品となるものでしょう。ですから僕は、彼女の遺言として受け取り、隅から隅まで心して読ませて戴きました。ただどうしても、そんなに簡単に亡くなられては淋しいものでしょう。あんなに嫌っていた母さんの93歳までは無理としても、少しでもシズコさんに近い御年まで生きられないのかなぁと希望を持って、これを書かせて戴きました。石岡チイさんの鳴子の詩は話題とぴったりとしていて、しみじみと読ませて戴きました。今日も、先生!本当に有難う御座いました!
     

  4. 文殊 より:

              野の花さま
     こちらこそご無沙汰申し上げておりました。お元気なご様子で、すっかり安堵致しました。この記事、野の花さまのお母様のことを、頭に描いて書きました。きっとヨーコさんと同じお気持ちで、お母様のところに通われていらっしゃるのだろうなぁと想像していました。75歳より上の女性の方々は皆さんが大変なご苦労をされて、戦前戦中戦後を生き抜いて来られました。並大抵なことではなかったはずです。ヨーコさんの母さんのシズコさんも、その一人です。極貧で、忍耐も辛抱も半端なものではありませんでした。きっと野の花さまのお母様も、そんな時代を逞しく生きて来られた方でしょう。人に言うに言えないご苦労続きだったのではないでしょうか。佐野洋子さんも話しておられます。
     
     「民主主義は忍耐も従順もうばった。家族という一つの丸かった団子が、小さな団子に分裂した様になってしまった」と。
     
     あんなに葛藤していたのに、あの見栄っ張りの母さんがヨーコさんに「有難う」と言い始めた頃、呆けが始まったようです。まるで仏様のようだったと述懐されていらっしゃいます。大嫌いな母さんの、布団の中に「一緒に入れて」というのが最期でした。そしてそうしてですよ、一度も可愛がってもらっていなかったと思われていた母さんは実はヨーコさんが好きだったと唐突に書かれてあるのですから、思わず涙にくれてしまいました。人はどうしてこうも傷つけあうのだろうとも考え、人間ってヤツは可哀想なように出来ているのかなぁともね。感動的な素晴らしい小説でした。
     
     「100万回生きたねこ」は不思議な物語です。生きることと死ぬことを対比させ、ねこが漸く愛に目覚めて行くお話ですが果たして児童文学の範疇なのだろうかと疑ってしまいたくなるのですが、結局このシズコさんを通して、佐野洋子を改めて知りますと、「100万回生きたねこ」は実はこうだったのかと深ゝと感動してしまうのでした。目の前で次々に死んで行く佐野さんのご兄弟に、多分鎮魂の意味も大きいのではなかっただろうかと。
     
     野の花さま!是非お母様をお大切にされて下さりませ!そして何よりも御身お大切に!
     
     アッハハハハハ!これは冗談がきつ過ぎますぞ。200万回のアクセスではありません。たった20万回です。どうぞ今後ともよろしくご指導賜りますよう、心からお願い申し上げます。どうも有難う御座いました!
     
     

  5. 良枝 より:

    こんばんわ。りんこです。
    私もねこの本は大好きです。
    タイに行ったときにタイ語のものを見つけて、
    嬉しくて買ってしまいました。
    読めもしないのに! 笑
    いろんな絵本がありますよね。
    幼稚園の時強制的に購入させられたグリム童話
    何冊かセットだったけど、私が好きだったのは
    つぐみのひげの王様とラプンツェル。
    結構マイナー 笑
    どの子も同じように本を与えられても
    拾うところが違うんですよね。
    ぐるんぱとかおしゃべりなたまごやきも好き。
    思い出せばあの頃から本好きは始まっていたんですねぇ。
    杏ぽにょちゃんもきっとご満悦ですね 笑

  6. 文殊 より:

            りんこさま
     娘の読む本を買うとなると、ついつい夢中になってしまうのですが、手にした本をよく読むと、アレッこれは大人向けかなとか、どうだろうかなぁとか、何故か考え込んでしまう本が結構ありまして、なかなか難しいモノですね。
     
     そこで考えたのですが、きっと強要されて読むのはどうかと思われ、僕が勝手気儘に選択しちゃもうかと考え、今はお気楽に選んでいます。あってももしご縁がなければ同じことでしょうからね。
     
     多分本にはマイナーもメジャーもないんじゃないかなぁ。人それぞれ好き嫌いもあるようだし、その子はその子なりの選択がきっとあるのでしょうね。それがいつかは個性になったりしてね。きっとそうだよね。
     
     りんこしゃん、いつもお元気にしてますか。偶に覗くんですが、更新されていないようで、少々つまらないです。でもまぁ、りんこしゃんがお元気だったらそれでいいかぁ!風邪など引かないようにね、気をつけてお暮らしくださいね!シャンララン!!!!
     

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