小雪(しょうせつ) 雪篝(ゆきかがり) 人の情け

 

金剛流

金剛流

金剛流

金剛流

唯一金剛流だけに残された能「雪」の序の舞(京都稽古場にて) 下二葉は金剛流で現在使われている能衣装

 

 

 

 

          小雪(しょうせつ) 雪篝(ゆきかがり) 人の情け

 

 

 二十四節気の「小雪(しょうせつ)」<=冷ゆるが故に雨も雪となりてくだるがゆへ也(暦便覧)>の季候に、照準をピタリと合わせたかのように、当ブログでお馴染みのMfujinoさま「北山・京鄙びの里・田舎暮らし」に書かれてあった11月21日の記事『初雪だ』を驚嘆して、読ませて戴いておりました。ところが今朝、何と言うことでしょう、早朝より全国のあちこちから届く初雪の便り!さすがに今日は二十四節気のうち、今年最後の節気「冬至」まで、あと残り一つ「大雪」を残すのみで、「小雪」とあいなり、何となく気忙しい師走に突入したかのようだ。店先から聞こえる喧騒は、既にクリスマス商戦たけなわと言ったところで、取り敢えず雪に関する話題は後ほど!

 

的矢牡蠣

 夫婦で牡蠣三昧 無菌の的矢(まとや)の牡蠣 レモン味のみ

 

  昨日の当ブログの記事へのアクセスで最も多かったのは、以前書かせて戴いた『近松忌』で、単独記事で60件以上もあった。特別意識して書かなかったわけではない。自宅に帰った頃、伊勢直送の「的矢牡蠣(まとやがき)」(生牡蠣殻付十個と生牡蠣の剥き身1キロ)が届いたので、挨拶もそこそこに早速調理にとり掛かる。妻と杏は何故かニコニコ顔。テーブルセットは妻と杏!殻付は世界中何処でも定番の食べ方、レモン汁だけで戴こう。僕たち二人がニューヨークに行った時、地下鉄構内の中にあったオイスターバーで食べた生牡蠣とクラムチャウダーは滅茶美味しかったけど、でもやっぱりここの無菌の的矢には敵わないわねぇと妻は舌なめずりをしながら言い、続いて出した牡蠣御飯に、妻もびっくり仰天で破顔一笑。やったぜベイビー!秘密のリシピはこうだ。剥き身の牡蠣を白ワインとちょっぴりのバターとレモンで、ごく簡単に、牡蠣が縮こまらないようにあっさりと熱を通しておく。炊く水量を加減し、牡蠣に熱を通した時の合わせ汁を水量に足して、炊く水量をピタリ合わせる。お塩をちょっぴりひと抓み。御飯が炊き上がった頃合を見計らって、次は熱を通しておいたやや冷めぎみのふっくらした牡蠣の剥き身と御飯を全部混ぜ合わせる。牡蠣をつぶさないように馬鹿丁寧に。そして食べる時に、サッと茹でた絹鞘の線切りと刻み乾燥海苔をパラパラッと上に載せてから食す。黒山椒を振ってもいい。牡蠣の風味がいっぱいに鼻腔に広がって一層食欲をそそる。牡蠣グラタンは明日のお楽しみに取って置く。他のお惣菜は昨日から煮込んでおいた堀川牛蒡の柔らか煮と春菊の黒胡麻和え。お汁は宍道湖産のシジミのウシオ汁。杏は授乳後、オムツを取替えおとなしく天を仰ぎ、アンヨをグングン伸ばし、何かキャ~~キャ~~言いながらご機嫌な様子。僕たちの心が分かったのだろうか。二人で乾杯!先ほどワンカップ使い少々残った白ワインで適度に酔いが効いて来て、まぁ、いい気分。「さぁ、美雲ちゃんの好物を作っておいたよ」(松本侑子作『美しい雲の国』 小学館刊 松本侑子さんは新訳『赤毛のアン』の翻訳者)と笑って言った大好きなおじいちゃんとおばあちゃんの気分でなくはない。すると美雲ちゃんが妻で、杏は誰ぁ~れ!松本侑子さんの本の話などをしながら、そんなぁ!馬鹿なぁ、アッハハハハ!

 

   藤田大五郎 藤田大五郎 能管

 思い出の藤田大五郎師と善通寺薪能のパンフレットと能管

 

  先日(11月15日早朝)能楽の笛方で、人間国宝の大名人であった藤田大五郎さん(92)が老衰のために安らかに永眠された。一噌(いっそう)流の十二世一噌又六郎にご師事され、能・「羽衣」で初舞台(1929)。1971年に重要無形文化財保持者(人間国宝)となり、1986年には日本芸術院会員となり、2005年に文化功労者と続けて相成った名人である。僕は何度も数々の名舞台を観たが、個性豊かでスケールの大きな音楽性が凄く、思い出の曲としては、一管(いっかん=舞台の上で一人で笛を演奏すること)の『獅子』(2001年能楽座公演)や能・『姨捨』(2006年宝生会秋の別会ニ日目・シテ近藤乾之助)などが深く印象に残っている。2年前創建千二百年を記念する善通寺薪能での大五郎師の一管は、僕の印象では今まで知らなかったような弱々しい演奏で、これが最期ではないかと、今にしてみると不図そう思えたのだった。能の囃子方とは七つの指穴の横笛(=能管/竹製だが櫻の樹皮で表装してある)・小鼓(コツヅミ 馬皮を強く張って作る/櫻木で胴を作り真紅の麻紐・調緒<シラベオ>で絞めて張る ポンポンと鳴る 指先の変化や皮の湿りや叩く強弱によって微妙に音を変える)・大鼓(オオツヅミ 馬皮で最もきつく張る、オオカワとも呼ばれる/櫻木の胴や調緒は同じだが小鼓より型が大きい カ~ンと響く 湿気を極端に嫌う)・太鼓(タイコ 牛皮を張って作るが 中央部分は鹿皮を使用 胴も鼓と同じで櫻木を使用 撥2本でテンテンツクツクと鳴り この楽器が入る曲と入らない曲がある)と、その四つの楽器で構成される。そして能管(のうかん)には幾つかの流儀があって、その流儀とは「一噌流」「森田流」「藤田流」などがあり、更に驚くことに能管には特別な音がある。歌口と第一指孔の間に「のど」と呼ばれる細い竹筒が入っていて、指孔そのものが一定の間隔ではなく、その狭くなった「のど」の部分から発せられる甲高い「ひしぎ」と呼ばれる独特の音性は、旋律でもなくリズムを刻むわけでもない神秘的な霊力を持った神さまを呼び込むような音で、日本人が持つ純粋無垢な魂を具現化したものではなかろうかと常々思っている。その裂帛の気合に掛かる音程は、故・大五郎師の得意分野で、特に観客に最初の一管で、舞台上でのシテ方の心情や詩情や覚悟を一挙に明らかにするものであった。動きの早い舞より、逆にゆったりした『序の舞(じょのまい)』のほうが、遺憾なくそれは発揮されていただろうと思える。心からご冥福をお祈りするとともに、故・藤田大五郎師に、愛すべき故・渥美清の最期の俳句を進ぜようと存ずる。「花道に 降る春雨の 音もなく」(風天)

 

能管図

 能管の構造図

 

 巻頭に掲げた四点の写真は、金剛流にしかない能・『雪』の舞台稽古写真である。この曲の創作者は明らかではないが、季節は冬(十二月)の頃で、場所は摂津・野田の辺り。一人の旅の僧(ワキ)が、陸奥から天王寺参詣の途中、摂津国の野田まで来た時、にわかに空がくもり、雪が降って来る。雪の降り止むのを待っていると、一人の女(シテ)が飄然と現われ、僧が言葉をかけると雪の精であることを明かし、「知らぬ迷ひを晴らし給へ」と、読経を所望する。やがて女は、読経の功徳を謝し、廻雪の袖をめぐらせて舞(序の舞)を舞い、明ける東雲(しののめ)の空の彼方に消えてゆく。大変単純なお話の能であるが、能楽五流派(観世・宝生・金春・金剛、更に江戸時代から新しく加わった喜多流など 尚梅若流は観世流の一流派)のうち殆どが東京に拠点があるのに対し、金剛流の一流派だけが、現在京都を本拠地にしておられ、「雪」など独特の曲を伝承している。一般的に「舞」の金剛と賞せられ、古風で美しい随一の舞を誇っている。金剛巌師という巨人がいたことも忘れられない。尚この能「雪」の話の延長だが、日本でたった一つしかない能楽専門の能楽資料館は、何と丹波篠山にあり、そこの中西通館長の記事によると、丹波篠山の春日神社境内にある西日本一の古風な能舞台で、奉納能として「丹波夜能」が復刻され、金剛流の「雪」が演じられたと書かれてある。写真のようなお稽古場で拝見したことがあったが、こうした里山で、しかもこのような古風な能舞台で、この「雪」を魂から観たかったものだと今更ながらに痛切に思っている。能の四つの楽器は、すべて櫻木を利用され出来ている。舞台が終われば雪が降り落ちるように、瞬時に淡く芸は消えるだろう。だが、櫻木のように、能の至芸は永遠に生き続けるのではないだろうか。ハラリと落ちる雪を櫻に見立てて、真冬に春の花の夢でも観ようじゃないか!焔(ほむら)に変わって純白の雪輝く篝火(かがりび)のうちに、古風なの世界はたふたふと続く。既に初雪が降りし静かなる山国の、人々の厚き心ねは、都市部の方とは比べられないぐらい、トップリと豊かに、山櫻の樹木と共に生きているのだから。

 

金剛流

 『雪』に使われる金剛流の「小面」 小面の特徴は毛描きが三本ストレートに描かれていること

 

 

 今日のBGMは星村麻衣の歌『櫻日和』

 

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小雪(しょうせつ) 雪篝(ゆきかがり) 人の情け への6件のフィードバック

  1. 道草 より:

    「小雪」とは謂えどもこの日に雪が降った記憶は、丹波の山の中に暮らして居た時もまずありません。やはり予報通り、今冬は寒波の兆しなのかも知れません。こんな夜の牡蠣鍋で熱燗は堪えられない最高の晩餐と申せましょう。奥様と杏ちゃ家族3人が至福の時間を過ごされた悦びが犇々と伝わるのも秋夜の情。我が家も牡蠣を注文したとか(的矢などではありませぬが)硯水亭レシピを参考にさせて戴き、さて今夜が一層愉しみではあります。いつも通りの博識にて篠山の能資料館が記事に出て参りますが、私の同級生に能楽の堪能者がおりました。綾部の在で篠山へはよく出掛けていたようです。彼女は小学校の副校長まで勤めながら体調を崩し(小脳萎縮症とか)、今は行動はおろか言語も不自由な状態です。同窓会への出席は永久に不可能になってしまいました。無関係な事を書いてしまいました。11月は霜月は通り名ですが、「一陽来復」も11月の異称を意味するとか。この言葉は春が来るという意味と、併せて、漸く運が向いて来る、の二つの意味があるそうです。今年、杏ちゃんご誕生の硯水亭家にこそ、これは相応しい言葉だと確信申し上げます。連休を親子水入らずでどうかお楽しみ下さい。
     
    「てぶくろの家」   植田博子
     
    てぶくろみたいな家に住みたいおやゆびは あなたの部屋ひとさしゆびは わたしの部屋残りの三つの空き部屋は将来ふえる家族のための部屋
    なかゆびはノッポの男の子の部屋べにゆびはかわいい女の子の部屋そして こゆびは末っ子の赤ちゃんの部屋
    五つの小部屋はひとつの広い居間に続いているそんな暖かいてぶくろの家でいつの日か笑って暮らしたい

  2. 文殊 より:

             道草先生
     今朝から、どうしても京都の紅葉について記事をアップしたいと思っていたら、何と今朝早く父がやって来て、一日中杏と遊んで帰りました。遅く出来た孫が、よっぽど嬉しいのでしょう。しかも杏のヤツはお爺ちゃんも大好きらしく、結構父には愛想がいいのです。傍で見ていて、「杏よ、オトコズキニナルナヨ」と馬鹿な考えをしていました。プププ!父親の僕が最も近いのに、何故に嫉妬するのでしょうネ。将来が思い遣られます。ですから我ながら、とっても可笑しいと思いました。益々デカクなって育っている杏は、まだ半年も経っていない子なのに、全くそうは到底思えません。杏は明るい子になるようで、どうも人相がコロコロ変化するような感じであり、どちらに似たか、今のところ決定的にはまだ分かりませんが、ごく近い将来には、出来たら妻に似て欲しいと願うのみであります。
     
     いいですねぇ、お宅も牡蠣とは。今の時期に、牡蠣は美味しいですよね。今日のお昼に、当家ではグラタンにして食べました。あっと言う間に的矢はなくなってしまったのですが、元気を出すには美味しいものを食べるのが一番手っ取り早いのでしょうね。台湾では、牡蠣は強壮剤として言われているとか、まぁ可笑しいですね。先生のご晩酌も、一層お進みになることでしょう。
     
     ご友人さまが能をやっておられたのですか。それでもう再起不能とは。能をする方はお腹から声を出したり、始終気合を入れますので、割と長寿の方が多いです。年齢が高いほど、能の目標の到達点が高いようで、殆どの名人は高齢者が多いです。『時分の花』と申しまして、その年なりの花があると世阿弥は申しました。幼年期には幼年らしく若々しい発声があるのだと。若くして、老年の物真似など断じて許せないとも。年相応の、美しさがあるのでしょうね。例えば『姥捨』など、決して若造には出来ないものです。能の場合、若造とは60歳ぐらいまでらしいです。70過ぎて始めて、能の真髄を掴めるとか。あの能の型は実は凄く大きいのですが、衣装を纏えば、その型は自然に小さく見えます。だから若いうちは必死なのですが、不思議や不思議、老齢になって、パワーがなくなって来て、先ず凄いのは型の大きさです。多分今後も名人は出て来るでしょう。楽しんで待ちましょう!今日も有難う御座いました!!
     
     

  3. (Kazane) より:

    こんにちは。しばらく、コメントをご無沙汰してしまいました。
    連休、楽しそうですね♪ 家族団欒いいですね。お料理もおいしそう~。
    我が家は夫が広島出身なので、やはり牡蠣は身近なものだったりするのですが、残念ながらふたりとも貝類が苦手で…。ちょっと損をしている気がします。杏ちゃん、日に日に成長されているようですね。お父様に嫉妬されている、硯水亭さん、何だか可愛らしいです(失礼!)。父親の娘に対する愛情って、格別なものがありますよね。この幸せな空気感の中で過ごしていると、癒されるのではないでしょうか。ドクターストップがかかって、出張にも行かれないと…、少し気落ちされている気がしていたので、ちょっと安心しました!

  4. 文殊 より:

               風音さま
     こんにちはぁ!!この連休は親子三人でベッタリ中です、マグネットみたいに離れない、うふふ!お陰さまで、娘の杏は余りむずがることが少ないようで、助かっています。勿論大なきする時もあるのですが、原因は何なぁと、必死に探してあげたり、お昼寝などでお目目が覚める時は必ず傍にいるようにしたりで、二人で仲良く頑張っています。今日のお昼は妻のチャ~ハンでした。作ってくれた時はどんなことがあっても、メチャクチャ褒めてあげることにしています。だから失敗がないんですよ。アッハハ!どこか食べに行こうかとか、どこか店屋ものでも取ろうかなどというと、大いに叱られますヨ。あなたの作ったものが食べたいんやから、どこにも行かないって。今日のお昼は朝から妻が作る気で張り切っていたんですよ。何をしても、どんなことをしていても、とても可愛いものです。
     
     父に、ちょいと嫉妬したなんて、自分でも予想外でした。アッハハハ!だって食べてしまいたいぐらいなんですもの、杏が。ぷぷ!風音さんに、いつでも抱っこして戴きたいものですね。いつか是非ともそうしましょうね。腰痛の痛みは『治験』のお薬のお陰で、殆どなくなって来たのですが、歩行はまだ困難ですので、まぁゆっくり慎重に頑張ろうと思ってます。コメなんか、どうぞ気にしないでくださいね。今日もおいで戴きました、本当に有難う御座いました。今日は雨で、残念!!
     
     

  5. より:

    硯水亭さま、  我がブログにいただいたコメントでここの記事を読ませていただくことが出来ました。我がブログの名前がトップに出ていてちょっとびっくり。能と丹波の話も興味を抱きましたが私めは能についてコメントできる能力はノーの脳天気野郎でございます。それよりも出て来た「的矢の牡蠣」。これを見るともう能の話などそっちのけ、牡蠣の姿が我が脳裏から離れませぬ。この冬には若狭は高浜までフグや蟹を食べに行こうかなと思っていましたが、その気持ちもぐらついて参りました。新名神も開通したことだし賢島までなんてあっという間に行けるもんね。フグも食いたし、牡蠣も棄てがたく、こりゃ両方に満足させないといけんかなあ~。東北にも行きたいし、牡蠣を求めて久しぶりに的矢方面へ、フグも食いたし、忙しくなりそうです。篠山は我が家から車で1時間のところ、能楽資料館は訪れたいリストに登録しました。牡蠣の季節は我が里では藁苞納豆の季節でもございます。硯水亭さまは藁苞納豆には興味ございませぬか?

  6. 文殊 より:

            Mfujinoさま
     
     藁苞納豆は大いに興味があります。山国は黒豆とか、豆類にはこと欠きませんね。実はこちら東京のほうで一箇所だけ、表参道の紀伊国屋さんに行きますと、偶に藁苞納豆に出逢えます。僕も何度か戴きました。本当に美味ですネ。納豆だけでも戴けるものですね。但し未だに塩納豆にしたことがありませんので、返す返すも残念です。水戸より大粒で、好きです。そして今度そのチャンスがあったら、是非お塩で戴くことに致しましょう。楽しみです。的屋の牡蠣は本当に美味しいですよ。今回我が妻に、何個いけるかと聞いたら、これ全部と。アッハハハ!夏場には赤ちゃんの頭ぐらいある銚子産の岩牡蠣(夏場しか取れませんし、今は三年物以上しか捕獲禁止です)を、六つぐらいに小分けして、お腹いっぱい食べさせたのに。彼女牡蠣が大好きなんです。高浜もいいですねぇ。今年民宿で家族旅行をしました。びっくりするほどたくさんのお料理が出て参りました。若狭グジと言い松葉蟹と言いフグもいいし比較するほうが無理でしょう。賢島にはフランス料理の重鎮・高橋シェフがいる志摩観光ホテルも、国内外にすこぶるいい評判で凄いですよ。尚、大宇陀町の「金牛蒡」は今が旬です。
     
     実は、農耕と能のことを、今コツコツと真夜中に調べているのですが、山国と能の関係も入っているのです。「群書類従」に残っている分だけの資料ですが、妻にも他の京都にある資料があったら教えてと頼んでいますので、いずれ何とか論文が書けるでしょう。こういうブログ記事やエッセイを書くより、論文のほうが遥かに楽に書けるものです。大法螺を吹いてしまいましたが、篠山だけではありません。山国全部が能楽師のふるさとの風情があるのですから。それをどうにか立証したいと存じます!今日はおいで戴き、有難う御座いました!
     

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