ろうばは一日にして成らず

 

img010

長縄えい子作・『ろうばは一日にして成らず』の挿絵 各エッセイに挿絵がある

 

 

 

 

     ろうばは一日にして成らず

 

 

 母は実に活発で明るい人であった。学生時代は演劇部に入っていて、木下順二の『夕鶴』に特に憧れ、山本安英さんが大好きで追っ掛けをやっていたようであった。チェーホフやシェイクスピアやモリエールなどをたくさん読んでいて、それでも底抜けに明るい人で、家事などチャッチャカやってしまう人であった。今日まで30年以上、正面切って未だに母を思い出したくない。現実に、僕の心の中で生き生きと生きているからであり、具体的に母の回想など、何処にも書いたことはないのである。30年経った今でも、母の忌日には多くのご友人さま方が実家に集まってこられる。中でも、母と最も親しくさせて戴いたお方に、永年主婦を集め「絵本の会」を主宰なさり、既に45年以上も会を続けておられるお婆ちゃん先生がいらっしゃる。とうに80歳は過ぎているのだが、何かにつけRyuちゃん!どうしてるとか、時々今でもお手紙を戴く。無論それだけの方だから、その会から多くの本職の絵本作家も輩出していて、先生から先日送って戴いた本に、 『ろうばは一日にして成らず』(たけしま出版刊)と言う本があった。どこかのタウン誌に、短い文章を連載していたのを本にしてまとめあげたものらしい。読むと、抱腹絶倒の連続で、作者は画家の長縄えい子さん。お名前を伺って、僕は母の友人の中に、その方がいたように思い出す。一度母に連れられて銀座の画廊で彼女の個展だったか、長縄先生の強烈な色彩の大きな絵を見に行ったことがあると思う。「油彩にも、リンパ(琳派=その時は分からなかった)があるかもねぇ」と母が評し、感心して拝見していた横顔をウル覚えている。以下長縄先生のエッセイ集の一部から引用させて戴く。

 

    「ろうばは一日にして成らず」

                         長縄えい子 エッセイ集より

 

 私は二年前から、長唄の稽古に通っている。そこで、長唄のお師匠さんへの今年の年賀状に「ろうまは一日にして成らず」とかの名文句を添え書きした。

 私は日頃の稽古の腕が上がらないので、その言いわけのつもりで書いたのだ。

 ところが、初稽古にお師匠さんのところに行くと、『あの年賀状は、まさしくその通り、なかなか含蓄のある言葉だわね』と、いやに感心している。「ローマは一日にして成らず」なんて、ありふれたフレーズで感心されるものでもないのになあ。『あのう、あの年賀状の通り、ローマは一日にして成らず、ですから、どうぞ今年もよろしく、面倒見てください』と改めて挨拶をした。

 『あら、ろうばではなくて、ローマだったの』

 正月だから、日本っぽい方がいいかなと思って、平仮名で<ろうま>と書いたものだから、それを読み違いしたのだった。

 お師匠さんはとうに七○は越えている。それなのに、ひとつも年よりじみたところがない。私は言いわけしたり、あやまったりで、おろおろしていたら、『いいえ、どういたしまして、私の勘違いもたいしたもんだわ』と笑っていた。

 むかし、私の絵の師匠・長沢節さんが『人は年をとるごとに、美しくなっていかなくてはいけない。そういう年のとり方をしなさい」と言っていた。そう言われた頃の私は、まだ若かったからあまりピンとこなかったが、この頃になって、この言葉が輝き出した。

 ろうばは、一日にして成らず、である。

 (現在も精力的にご活躍なされている長縄先生は「長縄えい子」だけで検索致しますと、数多くのボランティアなどのご活躍が見えて参ります)

 

img009

数年前 長縄先生が 奈良・薬師寺に奉納された『散華(さんげ)』 鮮やかなカラーでお見せ出来なくて至極残念です

 

  僕の母が、生きていたら、どんなお婆ちゃんになっていたことだろう。妻も、杏も、貴女にだけはどうしても見せたかった。杏を抱いて欲しかった。父が百名山踏破したことも、厳格だった父が、次第に優しくなってきたことも、そうして全く他の女性と縁を持とうとしなかったことも、いっぱいいっぱい報告したいことばかりである。母の写真は、未だに30代のまんまで、こちらに向かって、優しく笑って、美しく光っている。僕は、とっくに母の年齢を過ぎてしまったのに、まだマザコン傾向が抜けきれていない。もう一度逢いたいと、そう強く願ってから幾久しい。先生たちや元劇団のお仲間たちや昔の同級生の方たちは、みんなピンピンしているのに、貴女だって、きっと悔しいはずに違いないよね。次の世でも、是非貴女の子で、どうしてもいたいと心から願っているのだが。

 ちなみに、生前の母は三冊の手作り絵本を遺している。僕が生まれる直前から祖母が認知症になり、ほぼ寝たきりになったのを十年以上も自宅で介護していたが、自宅で逝かせてあげられてよかったわぁと言った時、ポロッと母の手元から落っこちた絵本は、祖母が幼い時代に体験した「花遊び」の物語だった。あんなにまで根拠のない悪口を言われ、最期までお口だけは達者で滅茶苦茶だったのに、ただ一度の愚痴も言わず、時にベッドの周りを跳ねるようにして踊って、「これは<夏の夜の夢>って言うお芝居の一場面よ~~ッ!」とか、「サウンド・オブ・ミュージック」のマリアの結婚式よ~~」とはしゃぎながら歌った<マリア>とか<ひとりぽっちの羊使い>や<ドレミの歌>など、脇で聞いていても可笑しく、母自身、実に楽しそうに歌い舞っていた。祖母も、その時ばかりは心なしか微笑んでいたように思う。他には、父との初デートのお話。これって結構可笑しい絵本で、だって性に目覚め始めたお姫さまのお話と、その時の父の役目は狼だったんだから。僕アテに書いてくれた一冊もある。大判の紙に30ページも。僕が将来なって欲しい色んなタイプの人のファンタジー物語で、画面のどこかに必ず母が顔を覗かせている。ヒッチコックじゃあるまいし。以前は何度か印刷のお話があったが、家庭内のことだからと父が断り、ついぞ陽の目を見ずにして、大切に仏壇の脇に保管されている。去年のお盆、妻と二人で、その封印を解き読んだ。しんみりしながら厳粛な顔の妻、僕はジワジワと目に涙があふれていた。

  65歳以上は高齢者というらしい。元気なお婆ちゃんのお話はよく耳にするが、元気なお爺ちゃんのお話は意外と少ない。多分定年までで精魂使い果たしてしまうからだろうか。元気であるには、いずれシャンとした色気がないといけないように思う。最近の我が父など、それを意識してか、ハットを被ったり、スェード・スーツの胸ポケットに派手なシルクのチーフをあしらったり、素敵なステッキを突いたり、兎に角気障で、お洒落なのである。特に、我が娘・杏に逢いに来る時なんて、可笑しいほどスキップでも踏んで来たのかと疑いたくなるほどである。でも嫌味のないスマートなお洒落は、多分叔母の影響が大なのだろう。着せ替え人形ごっこをするように、老いた兄と妹が二人で楽しんでいるに違いない。このままならきっと、元気なお爺ちゃんの仲間入りが出来るだろうな。世の、特に団塊の世代の皆さま!永い間、お疲れ様で御座いました。諸先輩のお陰で、今日の日本の繁栄があります。有難う御座います。世の元気なお婆ちゃんたちに、少しも負けないでお元気で生きて戴きたい一心であります。

 

 今日のBGMは さだまさしの歌で『それぞれの旅』

 

広告
カテゴリー: 季節の移ろいの中で パーマリンク

ろうばは一日にして成らず への6件のフィードバック

  1. 道草 より:

    父上は70歳代半ばにして大願を成就されたとのこと。きっと、母上(奥様)の力強い後押しがあったからこその快挙でありましょう。私は硯水亭さんの父上より少し若いものの、未だに何事の成果も成就もなく慚愧に耐えない次第ではあります。硯水亭さんの母上に対する思慕や敬愛の念の止むことなき強きを承っておりますと、若しや母上がご健在ならば…と他人の私でさえ無念の思いを禁じ得ません。私の母はそこそこ長生きはしましたけれども、若くして亡くなられた硯水亭さんの母上に比してさてどれ程の思念があるかと問われれば、長いがだけに却ってそれが希薄になっているやも知れません。「老婆は一日にして成らず」はまさに至言。大成する人間は果たしてどれ程の数が存在するのか。はたまた終焉が近付けば幼児へ還る者も少なからず在る事を目の当たりにしておりますし、尚更、この言葉に頬綻びながらの歓声ありです。団塊の世代もさりながらその前段階の世代もそれなりにやって参りましたが、65歳以上を高齢世代とすれば私などやがて後期高齢世代です。しかしこれを、好機好例年代に達したと認識しつつ、「老害は一日にして成らず」と疎まれないように、精々「老人老い難く学成り難し」と日々謙虚にありたく思う今日此の頃ではあります。
    「秋空」   まど・みちを
     
    見あげているとすみわたった秋空のどこかでぽとん…という けはいがした
    それはほんとに かすかにだったのでいま だれかが空のどこかのポストに私あての てがみを入れた!と 思ってしまった
    のも私のようでもありずっと昔の とある日の死んだ私の母のようでもあるのだった
    その胸にあかんぼうだった私をだいてひとり秋空を見あげていなさったときの…
     

  2. 文殊 より:

                道草先生
     先ほど大変失礼を致しました。出社してから、すぐ何かモノ足りないなぁと思い立って、母がこの世に残した絵本のお話を少々足して書かせて戴きたくなり、先生のカキコとちょうど交差していたんでしょうねぇ。本当に申し訳ありませんでした。否、ご縁のあることです。母の事故はこの世に生きているそれぞれの人がいる限り仕方のなかったのかも知れませんが、未だに生々しい慙愧があるものですから、こと母のことになると、どうも冷静には書けませんのです。仕方なく、思い立った時少しだけ、書いておりますが、とにかく母には天性の明るさと元気さがあったように思われます。先生より少しだけ若いことになるんでしょう。例えば加藤登紀子さんとか熊井明子さんとか田辺聖子さんとか寂聴さんとか、この長縄さんとか、現在ご活躍なさっているご老齢の方々を見るにつけ、どうしても母だったらどうだったのかとつい想像してしまうのです。でもどうでしょう、多分殆どの方とダブらないような気がします。母は母なりに、いい年の取り方をして行く人だったような気がします。
     
     僕の父のことも書かせて戴きましたが、昔を想像すると、今の変身ぶりは全く想像だに出来ませんのです。きっと山に行くにも、そこらじゅうを徘徊するのでも、今も母と一緒なのでしょう。お父さん!加齢臭がしますよ、ハイ歯を磨きましょうね、ローションもつけましょう、先日買ってあげた柔らかな香水をひと振りかけてくださいなとか、今あの二人が揃っていたら、そんな会話の日常だったでしょうね。いつも父がいないと僕が不満タラタラ言うと、お父さんは私たちのために奮闘してくれているのだから、そんなことを言うものではありません。Ryuちゃんにはお母さんがいるでしょ、多分あなたのは充分過ぎて悪いわるよと、明るく笑って誤魔化されていました。お陰さまで、いつの間にか自立心が育ったようです。
     
     先生をイメージして最後の文章を書きました。先生も、現役の頃は、花街も盛り場も肩で風を切っておられたのでしょう。そうしてやがて、本当に磨かれていった方でありましょう。磨くとは、剃げ落とすということらしいです。先生も華麗でお洒落な方ではなかったでしょうか。様々な哀しみや苦闘や矛盾や煩悶などを、ご自分のお力で乗り越えられ、きっと軽妙でお洒落な御仁になられたことと存じあげます。悪戯好きの若かりし頃だったようですね。きっと周辺の方々に対するサービス精神が旺盛におありだったのでしょう。長年に渡って営業畑を歩かれた方ともご拝察申し上げます。そうでなければ、あれだけの枯れた文章を書ける心境にはなれないと思いました。
     
     先生にお贈り給ふ言葉(我が創作にて) 「ロージ(路地) 京の商人のもとひなり 狭き廉にてこと足りてなり 維摩経に<黙すと言えども、語、雷の如し>と言を薦め 又老子曰く<舌は禍福の門>なりと教えしなり 又<一日一字を記さば一年の中三百六十字を得、一夜一時を怠れば百歳の間三万六千書を失う>と吉田松陰語り侍りしなりて、道草堂人いよいよ以って和して流されず いやさかなるご健康を祈り奉りて候也」
     
     まど・みちをさんの詩を、心からお受けして読ませて戴いております。有難う御座いました!
     
     
     

  3. 良枝 より:

    こんばんわ。りんこです。
    杏ぽにょちゃんに会いに行くお爺さまは
    デートにでも出かけるかのように
    おしゃれをして足取り軽く・・
    なんでしょうね 笑
    私の祖母にそのおしゃれ魂を
    分けていただきたいくらいです 笑
     

  4. 文殊 より:

                       りんこさま
     ねぇ可笑しいですよね、あのお洒落ぶるはでもね、僕には僕なりに分かるような気がしてるんです。だって、すっかり飽きらめていた初孫ちゃんが出てくれくれたんですもの。誕生した日のこともよく覚えていますが、エッとこれは僕以上に喜んでいるかもと思ったぐらいですから。父はもうすっかり年寄りですが、でもまだ矍鑠としていましす。伊達に山登りをしてはいませんでした。
     
     全く男女の感性ではなく、単に孫が出来た痛烈な嬉しさがと思っています。何となく我がポニョが、お腹もポコンと太って来て、まじポニョ状態で、表情は豊かで、結構可愛いです。もう少ししたら、又第二段でアップしましょうね。
     
     おはようさんさんと、いち早くすべきで、ご挨拶を遅れましたが、もはや会社で、
    ひと仕事を終わったところなんですよ。夕べは会社から、パタンキュ~~状態でしたんで、早く寝ちゃおうと、早めに休んだのがよかったかなぁ。雨なのに、気分よく起きれました。
    こんな風で、パパも頑張ってますよ!うふふ
     
     

  5. Unknown より:

    こんにちは。
    今日は冷たい雨になりましたね。
    紅葉も黄葉もしっとり濡れて綺麗です。
    長縄えい子さん、エネルギィッシュで楽しそうな方ですね。
    お写真も拝見しましたが、やはり絵は描く人に似るのでしょうか。
     
    お母様も楽しい方ですね!
    ウフフ、私もよく家の中で歌ったり踊ったりするので親近感を覚えました。
    もっとも、お母様のように上手ではなくて
    即興、でまかせのこともよくあります(笑)
    最新作はミノン、ミノン、ミノンミノン~♪という蓑虫の歌(?!)
    (我が家のベランダの木にくっ付いているんです。)
     
    お洒落なお父様、素敵ですね。
    硯水亭さんもきっと元気なお爺ちゃんになられるでしょう。
    まだまだず~っと先のことですけれどね。
     
     

  6. 文殊 より:

           夕ひばりさま
     
     お晩です。ホンマに冷たい雨でしたわ。シトシトと!
    雨の日は色彩が確かに鮮やかですね。写真は紅葉も櫻も、
    逆光で撮るのが鉄則だとか、京都のプロの女流写真家さんから伺いました。
    長縄先生は、大変楽しい方のようです。僕は実際お逢いしたことがないんですが、
    何と言っても、お婆ちゃん先生のご推薦ですから、間違いなくパワフルな方でしょう。
    お婆ちゃん先生って、いつかこのブログで、「あなたに逢いたくて」と言う葉書を戴いて、その
    お話をさせて戴いたことがある方で、母の絵本作りの先生だった方です。未だにご健在です。
     
     母は明るい人でした。演劇をやっていたこともあり、何をやっても結構サマになっていました。
    でも一番嫌だったのはジャンルを構わず、観劇に無理矢理連れて行かれたこと。特に能は苦手でした。
    処が、それが今では最も好きな芸能になっているのですから、分からないものですね。桜間さんとか、
    観世寿夫さんとか、そんなせいで、きっと僕の胸の奥に、母はきっと生きていてくれるのでしょう。
     
     お姉ちゃまも、そんな感じがしましたよ。きっと明るいご家庭にしていらっしゃることでしょう。
    アレレ、蓑虫さんまで来るんですか、凄い!!!魔法のベランダですねぇ。細やかな観察眼、
    そして楽しんで書かれてること、お姉ちゃまの文章を読むコツですね。いつもいつも楽しみにしてるんですよ。
     
     父は60歳過ぎてから、急に変わりました。叔母が同居するようになったせいでしょうか、
    それがきっと大正解なのでしょうネ。先日「百名山踏破記念の祝賀会」があったばかりです。
    まだまだ祝賀会が何回かあるそうです。その度に、あれやこれやと兄妹でやっているでしょう。
    あの人たちって、実際に楽しいから最高です。「お兄ちゃんをこの自宅で死なすんだ」とか、
    「あなたが先に逝ったら許さんぞ」とか、お互いワイワイ言い合っています。仲良しなんです。
     
     僕も将来はそうしたお爺ちゃんになれるよう頑張ります。と、言いたい処、とりあえずもちょっと頑張って
    二人目とか三人目とか、先ず子作りから頑張らなくっちゃ。でもこの腰は『治験』で痛みがなくなったのですが、
    まだ充分に歩けないんです。トホホです!とにかく養生します。今日もおいで戴き、有難う御座いました!!
     

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中