ターシャからの伝言  熱き感動のひととき

 

 

 

 

                 ターシャからの伝言 熱き感動のひととき

 

 

 2008年6月18日、自らが「輝きの季節」と言い、最も愛した季節に逝ったターシャの最期のときを放送して戴き、関係者にどれほど感謝したことでしょう。彼女から教えられた数多くの教訓は、これから櫻を相手にして生きて行く僕に、どれほど多くの教訓と示唆をくれたのでしょう。単に感謝しても殆ど足りません。57歳からたった一人で住むことを好み、長男セスや孫のウィンズローが徒歩10分のところにいるにもかかわらず、最期まで一人で生ききった方でした。ターシャの住んだ家を「コーギーコテージ」と名付け、「地上の楽園」とまで言い切ったターシャには、全く休むことなく働いた日々が当然のことでありました。ターシャはそんな平凡の日々を、自信を持って夢に向かって大切に歩みなさいと教えてくれました。それから辛抱することも。永く待つほど楽しみは大きいものよとも。

 長男セスの証言です。「母は私生活を語るのは好きではありませんでした。でもとても穏やかに微笑みながら死の扉を開けたことを報告します。まるで蝋燭の灯が消えるような最期でした」と。その妻マージョリーは「最期まで義母らしさを失いませんでした。床に伏してからも部屋中を花々で飾り、窓から見える花や鳥の姿を楽しんでいました。私が訪ねると、『ホラ薔薇がきれいよ』『見てキツツキがいるわ』って。雨の日でも葉っぱに光る水玉を見つけて眼を細くしていました。そんな姿を忘れることは出来ません」と。晩年最大のパートナーとなった孫・ウィンズローが語っています。こうして再び日本からの取材陣がやってくると、祖母がいるような気がします」。そして妻エイミーも続きます。「色々教えてもらいながら歩くと、まるでこの庭が自分の庭のようで楽しかったわ、メギーも一緒に。庭を歩けなくなった時ターシャは私たちにメギーを頼むって。メギーは家に来てから、猫や他の犬とも仲良しになり、今や猫が壁や家具に悪戯して引っかくのを監視する役がメギーの仕事になっていると。ウィンズローはまだターシャの死を受け入れられないでいました。最期に私たちに言った言葉を忘れることは出来ません。「私たちは皆死に向かっているのよ。でも決して死を恐れることはないわ。それより大切なのは、今この時を精一杯生きること、どんな瞬間にも生きている喜びを感じること、この庭に来ればそれが分かります。ここでは自然の営みは肌で感じられる、季節は確実に進み、それぞれの季節にそれぞれの美しさとやるべき仕事がある。ガーデニングはそれを教え、生きている手ごたえを与えてくれます。朝日の輝きが風に揺れ、枝が心を満たしてくれる。その喜びを忘れずに生きていきなさい」と告げたのでした。

 4歳の時、グラハム・ベル小父さんの家に行き、小さな一重の薔薇を見た時、ターシャは生涯の決断をしました。こんな美しい花を自分の手で作るんだと。そうして13歳の誕生日に乳牛一頭を買ってもらいます。更に16歳で農業をやるからと言って完全自立し、結婚し四人の子供に恵まれました。間もなく離婚するのですが、その子たちのために絵本を描き、いつしか絵本作家の道が切り開かれました。そしてそれぞれが独立後、57歳から完全な孤独な生活をするようになりました。憧れの地・ヴァーモントです。「夏2ヶ月、冬10ヶ月」とマーク・トゥエンが言っていたぐらいの厳しい場所です。近所で牧場をやっているジル・アダムスがいて、大変仲よくお付き合いをしていました。88歳の誕生日をジルが約100人ぐらいの方々を迎え、主賓ターシャに来てもらい、絵本「ベッキーの誕生日」を再現して見せました。驚くことに、ターシャの幼少の頃に乳母のディディと言う方がいて、お料理や裁縫や、母親になりかわって自立するために何でも教えて貰ったことも今回初めて分かりました。

 そしてターシャの最期に付き添っていた方はケイトでした。いつかも出て来たガーデニング仲間の方です。彼女は看護士でもありましたから、歩けなくなってからケイトが主に面倒を見たのでした。そして遺言の通り、葬式はしなかったそうです。遺灰はすべてターシャの庭に埋められました。きっとターシャも天国で喜んでいることでしょう。ところで近所のファンの方々がどうしてもお別れ会をしたいと言い、死後三ヵ月後の9月にジルの牧場に集まり、ターシャの回想会がありました。それは言わば送りのお別れ会だったのでしょう。驚いたことに夜になってから、大きな焚き火(送り火か)が焚かれ、池に参集した人々には小さな蝋燭が手渡されていました。そしてそれを池に流すのですが、これは、それこそ日本の灯篭流しじゃありませんか。精霊流しの行事と全く同じで、感動のピークになりました。又そこに集まった人の中に、もし自分がターシャだったらどうするだろうという考え方をする癖がついている人もいました。何ていうことでしょう。ターシャは静かな生活だったのに、こんなに大きな影響を与えてくれるとは。今日のエコだエコだなんていう真っ先に、19世紀の生活に憧れ実践したターシャは既に実現していたのですから。

 ターシャはヘンリー・D・ソローの言葉を引用しています。「夢に向かって自信をもって進み、思い描いた通り生きようと努力すれば、思わぬ成功を手にするだろう」と。まさにターシャ自身の言葉のように聞こえました。酸性土壌の改良をしたり、一人前の庭の土になるためには最低12年以上の歳月が掛かるんだとも、待つことは楽しいことよ、その分だけ喜びは大きいわと。今後の僕に、どれだけ大きな影響を与えてくれたことでしょう。昨日は妻と杏と叔母が病院にやって来て、「冬至南瓜」をご馳走になりました。お陰さまでもう直ぐ退院です。こうして厄除けを戴いたので、邪気はどこかに去っていったことでしょう。そう言えばターシャ流のクリスマスでは、「一陽来復」の意味が日本の「冬至」と全く同じ意味で含まれているようで、本当に驚きました。クリスマス・ツリーの飾り付けのすべてが春の花々の予感の表現だとも。そして僕はただ一つ彼女にお詫びをしなければいけません。僕は、彼女は子孫に対して非情に厳しい方だとずっと思っておりましたが、それは全く反対で実に優しい方であったことを周囲の方々に実感させられました。ターシャ、御免なさい!

 今後コーギーコテージは、ウィンズローとエイミーによって益々進化し、いつか私たちもターシャの「地上の楽園」にお邪魔出来る日が来るでしょう。但しエイミーからひと言だけ、「まだチケットは買わないでね」と。ターシャ、有難う、心から感謝しています、そして永遠に安らかに!

 

ターシゃとメギー

 

ご参考までに最近の記事 「ターシャからの手紙」と、ラストインタビュー「ターシャ・テューダー 最後のことば」             

 (上記二枚の写真はリチャード・W・ブラウン氏に帰属します)

 

 

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