見るにこころの澄むものは  ~再びパリのあなたへ~

   レアールの桜

パリ レアールなどの美しい櫻 (Miyokoさま自らご撮影の戴いた画像)

 

 

 

 

         見るにこころの澄むものは

 

              ~再びパリのあなたへ~

 

 

 

 先日、真夜中にモディリアーニ(以降この記事ではモディ)の記事を書き、アップし終えて、ひと眠りした後の僕は一体全体何を言おうとして書いたんだろうと呆気に取られ激しい自責の念に襲われた。あなたへの記事のつもりだったのに、全く何てことでしょう。それと言うのも、僕はモディの絵のどんな絵でもドキドキして至極興奮するんだぁ、以前からね。ルノアールの少女たちのように、モディの、どんな絵の人物画も一見するとみな似通っているかのような錯覚をおぼえるんだけれど、何の何の全部の絵のそれぞれに絵の本質や根本があって繊細に違っているんだし、とっても真似なんか出来っこない。特にモディが自室のアトリエでモデルを前に描く時なんか、たとえどんな人も部屋には入れなかったんだもの。一度ズボルスキーが勝手に部屋に入った時なんかはさぁ大変、モディは最高潮に激高し「モデルだって、僕と真剣に対峙している、それなのにあんまりだぁ、モデルになってくれている人も僕をも最高に冒涜していることなんぜ」って、怒りを露わにし、そう簡単に怒りが収まりそうになく、手当たり次第モノは投げるは、描いているキャンバスでさえ切り裂こうとしたんだから。その時のモデルは、確かルニア・チェホフスカ(ママになりたてで、子育てに自信がなかったジャンヌを助けた人)だったか、モデルも一緒になって宥め賺そうとしたんだから。パブロ・ピカソから言わせると「モディは悪意や恨みなどではなく、モデルに対して情け容赦のないほど壮絶な洞察力があって、自分のスタイルを徹底し通し、モデルの体内、内面と言ってもいい、その人にある人間の神秘性を飽くことなく追求し真剣に描いた人なんだよ」と言っているくらいだから、真剣だったんだろうね。目がつぶされていたり、なで肩だったり、あの長い首だったり、微かにかしいでいたりするモディの絵の特徴は、モディにしては当然の帰結だったはずだ。この絵の中の人物を観て、そんな内面性や神秘性などを想像して御覧あれと言わんばかりにね。だからね、モディは人間が大好きだったんだ。全部の自然の中にあって、人間ほど美しく惹き付けるものはないんだって言うことなんだろうね。無論、完全に我が家同然になっていたロトンドでは、大勢の人がいる前で誰彼なく人物を描いたさ。ピカソもロトンドではそうしてたねぇ。職業・貴賎・性別・国籍なんか全く関係ないって風にしてね。モディのその数は夥しいものなんだよ。最初にモディのコレクターとなったポール・アレクサンドルんちには未だに未発表の膨大なデッサンが秘蔵されているからねぇ。モディの場合、多分ロトンドでは殆ど絵の実験場になっていたんだろうね。デッサンの描き方も仰天するぐらいに多様なもので繊細で、こっちが観ても全く興味が尽きないものねぇ。そしてよく御覧あれ!みんな実によく繊細に微妙に、対象の人となりを描いているんだよ。似てるかどうかではなく、その人の本質をついているか、人にポエムを感じとって、精神性や内面性全部を抉り取ってモディ流にみせたかったんだろうなぁ。それはね、人間をしっかり肯定するって言う意味なんだよ。モディは破滅型で絶望の詩人だって言う人がいるが、全然そいつは違うよ。表現された絵にはこころの叫びのポエムがあり、観ている我々に無類の浄化とカタルシスを与えてくれるだろうねぇ。

  

目をつぶる裸婦

               

   ジャンヌが19歳になったばかりの時、両親の絶対的な反対を押し切って、モディと強引に同棲を始めたのだが、彼女は同棲中の部屋にあった色々な静物を描いたり、モディが普段はモティーフにしなかった老女を描いたり、結構精力的に絵を描いていた。伝説ではただおとなしい子とされているが、内向的性格がそう言わしめたんだろうなぁ。歩き方がゆっくりで、ちょっと重そうな白鳥に見えたが、白鳥の女王に間違いはなかった。立ち居振る舞いは優雅で、長い首や褐色の髪の毛を三つ編みにして、白粉も頬紅も知らない無垢な子。特に実家の家族はそのことを一切口にしなかったし、モディと一緒に埋葬することなんか、飛んでもないことだった。そんなことから、逆にジャンヌは本当に皆に愛されていたんだよね。でも絵を描くために、全くアルバイトもせず、絵は一枚だって売れないモディのところにお嫁に来たんだから、ジャンヌの覚悟だって潔ぎいいよね。ジャンヌの恋は意志を貫くこと一点だったんだから、モディがどんな状態でも受け入れたんだよ。まさに貧乏そのもののド真ん中に入ってしまったジャンヌ、女友達には「私は行きたいの」ときっぱり。そんなジャンヌをモディは心から敬っていた。絵の中で躍動するジャンヌはどんなに人生の神秘性を感じ取るのに充分であったか、モディ自身が一番よく知っていたよね。20歳のジャンヌはニースで出産した。二人合作の絵もあるが、二人の人物がモディが描き、周囲の風景はジャンヌが描いた。でも二人、しっかり手を握っていた絵だったね。母親と同じ名前ジャンヌにしたのは、多分モディの影響が強かったんだろう。モディはそれはそれは、この運命の可愛い子の誕生をどんなに歓んだことでしょう。再び帰ったパリで、病弱ながら精力的に制作に励むモディ。でも病魔は22歳でパリに来た時からだから、35歳と言う運命を受け入れざるを得なかったのだろう。友人が病院に行けと勧めても、自らの生涯を決めているかのように、ひたすら絵に没頭するんだよねぇ。最期病院に担ぎ込まれ、ジャンヌが病院に行った時は既に息絶えていた。それからジャンヌは絶望の淵にあって、4枚の水彩画を遺しているが、4枚とも『死』を色濃く暗示していた。1月24日にモディが亡くなり、そうして9ヶ月目に入った子を宿しながら身重のジャンヌはその二日後に窓から後ろ向きになって飛び降り地面に叩きつけられた。所謂後追い自殺をしてしまったんだよね。何てことだろう。たったの2、3年だったなんて。でもこうして私たちの心の中には、濃密な二人の愛を感じられるから、きっといつまでも二人の愛は永遠なんだろうねぇ。

 青い目の女

 

 このジャンヌの再評価が近年驚異的に進んでいる。イタリアや日本でモディとジャンヌの絵を公開したのは、パリ ビナコテーク美術館々長のマルク・レステリーニさんのお陰だったかも知れないが、二人が1920年1月に亡くなっても、当時のパリでは一切話題にならなかった。ごく身近な方々にしか。それが1958年にジャック・ベッケル監督によって映画『モンパルナスの灯』が封切られた。これもパリの貴公子ジェラール・フィリップがモディを熱演し、献身的な妻ジャンヌを素敵な女優アヌーク・エーメが楚々として演じていた。映画は大ヒットし、この薄倖の二人は初めて一般に知られるようになったが、その数ヵ月後「ル・フィガロ・リテレール紙」(1958年5月17日づけ)に、モディが描いたジャンヌの絵を大きく載せ、一面全部を使って大々的に報道がなされた。見出しの表題は『ジャンヌ・エビュテリヌの真実の姿』と題され、作家のスタニスラフ・フュメによって書かれたものであった。あの映画ではジャンヌが後追いをしたことにはなっていなかったからね。近年再評価が強まって、ハリウッドでもアンディ・ガルシアによって『モディリアーニ 真実の愛』として映画化されている。こちらの映画ではジャンヌが大きく取り上げられていたが、でもまだまだ伝説が多いのだろう。ジャンヌ14歳の時の自画像のデッサンから始まって、16歳の油彩の自画像、更に静物画や、多くの老女ものなど。そしてモディと同棲した時のアパルトマンの中庭の絵なんかは、あのユトリロだってバンザイの絵さ。ピカソとモディの中間を行くような素晴らしいキュビズム調の作品ばかりで、キュビズムからしたらモディを凌駕していたのかも知れないネ。まだエビュテリヌ家には秘蔵されている絵が多いんだろうなぁ。永く生きさらばえていたら、どんなに立派な画家になっていたことだろう。何かこうして書いていても、哀しみが沸いてきてジンワリ泣けてしまうよ。有名人が多く埋葬されているあのパリのペール・ラシェーズ墓地に、モディと一緒になって埋葬されたのは、ジャンヌが死んで10年も経ってからなんだよ。エビュテリヌ家の恨みでもあったんだろうなぁ。

 ポール・アレクサンドルが建てた貧乏画家たちの住まいで活躍した人たちは、今ではエコール・ド・パリ(パリ派)なんて命名されているけど、印象派とか古典派とかそんな固まった理念の集まりではないんだ。点でバラバラの個性派たちの単なる集まりなのさ。ロシアから来た無骨なスーチンはモディが一番面倒を見た人で、後に『菓子職人の子』で一挙に魅了されたバーンズ財団との出会いまで作っていたんだから。揺れるような詩情の絵を描くバスキンとか、東洋の神秘とでも言うんでしょうが、艶やかな乳白色をした肌色の女の絵を描いてヨーロッパ中をとりこにしたフジタもいた。そしてシャガールやユトリロやヴラマンクやキスリングやレジェやマティスやルソーもいたんだから、考えてみたら超豪華メンバーだったんだよね。我がモディは生来の反骨心から結局ここには最期は居つかなかったけれど。フジタと言えば、そうそうモディと知り合う前のジャンヌはフジタのモデルをしていたんだよ、何だか可笑しいね。フジタはモディとも知り合いだったから、陰のキューピット役になっていたのかも知れないね。1900年頃から海外から大勢やって来た芸術家でモンパルナスの街は溢れかえり、モンパルナスのどこでも物価が高くなって来たから、真に美術好きなドクター・ポールが、モンパルナス左岸のデルタ地帯に家を建てたんだよ。それが「蜂の巣(ラ・リュッシュ)」と言われた場所だったんだ。ここには画家だけではなかった。詩人や作家の卵までウジャウジャといた。モディはピカソ以外尊敬する人はいなかった。スーチンは同じユダヤ系であったから、画商やお金持ちに徹底して紹介し続け面倒を見た。モディと親しかった当時のジャン・コクトーはまだ無名の作家だった。僕は去年そのジャン・コクトーの素描を150点もパリで購入した。モディはジャン・コクトーやピカソを通じてセザンヌを崇敬していたし、モディは実に重要な人びとだけと交流していたことになる。無論群がる女性陣は除くがね。でもそんな交友だけでもモディの偉大さと現代美術にどんなに大きな功績を果たしたんだろうと心から思う。現代絵画を考え新しい創造の原点の多くはジャン・コクトーが示唆し続けている。更に僕は今最も重要な人は音楽関係の人なんだけど、この人の哲学は凄い。それはダニエル・バレンボイムと言う人で、今何故絵か音楽か、現代の有り方、そして僕自身の存在の仕方などを深く僕を沈潜させサジェスチョンを与え続けている。

         芸術村の風景    カフェ・ロトンドの中

          通称「蜂の巣」に大勢の芸術家がたむろしていた    今でもラ・ロトンド店内にはモディが酒代の代わりに置いていった絵でぎっしり

 

 モディが 死出の旅へ病院に向かった時、「もう脳のホンのわずかしか残っていない」と言ったり、ズボルフスキーには「親友をよろしく」と頼んだり、妻ジャンヌには「一緒に死ねば天国でも永遠に幸福だ」と叫んだり、そんなエピソードにはこと欠かない。あまりにも多くの言葉が伝えられていることが伝説造りに役立っていると思うんだけど、一番最期に「懐かしいイタリア」と弱々しく告げたのは本当だったんじゃないかなぁ。妻ジャンヌが準備して早暁の病院に着いた時、既に事切れていた。ジャンヌはどんなに絶望したのだろう。その二日後、娘のジャンヌを置いて、自室のベランダから頭を後ろにして後追い自殺をしてしまうのだ。エビュテリヌ家でも落胆の思いが強く、実に10年以上モディと一緒の埋葬を許さなかった。やがて漸く一緒に埋葬された墓所には次のような文言が書かれてある。モディの碑銘の下には「まさに栄光につつまれんとする時 死の手に奪われたり」、そしてジャンヌの碑銘の下には「よき伴侶として生のきわみまで献身せり」と。

 

二人にとって幸せの絶頂期南仏ニース滞在時に この絵ともう一枚のモディの風景画が残されている

(普段のモディは一切風景は描かなかった)

 

 我が愛するモディを語って、あなたに言いたいんです。自らを信じて、自らの道を真っ直ぐに進んで欲しいと。こんなに不幸に見える二人ですが、でもそれぞれに沢山の応援者がいました。ポール・アレクサンドルやギヨームやズボルスキーだってそうだったじゃないですか。女友達のベアトリス・ヘイスティングだって見捨てるわけにはいかないね。唯一個展をやらせてくれて、一枚の絵を買ってくれたベルト小母さんだってそう、パブロ・ピカソやスーチンやジャン・コクトーの存在だってそうよ。ジャンヌにしたって、家出して同棲したにも関わらず家族がいたし、わずか1歳の愛娘ジャンヌを、イタリアに引き取って育ててくれたモディの従姉弟だってそう。そして誰よりも何よりも愛するモディがいたでしょ。モディにとってジャンヌの存在は、ラファエロのフォルナリーナやピカソのジャクリーヌのような存在で、ジャンヌこそモディの美の女神でした。モディの芸術を一番触発したのかも知れない。尤もジャンヌにとっても同じことが言えるかもね。そうそう1918年初夏ニースに二人は出かけたよね、それから1年間幸せの絶頂期にあったわけだけど、あの費用は全部ズボルスキーが工面して資金を提供したんだよ。芸術は確かに孤独な作業だけれど、ここまで不幸の極みだった二人でも決して孤独ではなかったわけさ。太宰治やフィッツジェラルドのような破滅型の芸術家ではなかったとはっきり断言出来る。そして僕はあなたにとって、そんな周辺の風景の一人でありたいの。だから僕自身から発した言葉は、他の方から強要された言葉であるわけじゃなし、誰が何と言おうと、そして最も重い責任のある言葉なのだから、その時機は遅くなってて申し訳ないが、これはこれで確かなことなのです。どうかモディのように、お付き合いする方々を選んでご自分の進むべき道をはっきりとさせておいて下さいね。いつでも僕はあなたの傍にいます!

ベアトリクス

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