公達・朱雀(すざか)屈(かがま)見て 菫の花たち

 

御花御殿の庭に咲く小さな姫菫

  御所 御花御殿の脇庭に咲く小さな小さな姫菫

 

奥千本・苔清水に咲く長葉の菫細辛(ながばのすみれさいしん)

  奥千本・苔清水に咲く長葉の菫細辛(ながばのすみれさいしん)

 

 

      公達・朱雀(すざか)屈(かがま)見て の花たち

 

 

 菫の花はどこに行っても密やかに咲いていた。画面最上の御花御殿の菫は、花と葉を全部足しても1cmに満たないほどの小さな花であった。どの菫も謙虚な美しさがあり、僕は堪らなく愛しく思えたが、かの御所の公達衆や天皇・上皇さまの御眼に触れられたのだろうか。よくよく注意して見ないと、見つけられないもどかしさを覚えてしまうが、同じ菫の紫の色でも様々で、日本の色彩はこんな小さな草花からも採られ、そうして多種多様の紫色を生んでいったのであろう。紫色は古代より、洋の東西を問わず高貴な色とされて来た。中でも深紫や黒紫など、色の原料からその調達が難しく、紫根(紫草の根)の色は何度も何度も繰り返し漬け、漸く出来る。薄紫もある。更に最も高貴な色は帝王紫で、これだけはアクキガイ科の貝の内臓から採られ、紀元前千六百年頃から染色技術の発達で出来るようになった。僅か一gの色素を得るために、実に二千個の貝を要したほどで、ロイヤル・パープルと呼ばれ、ギリシャ・ローマ帝國でも限られた高貴な御方しか着ることを許されなかった。我が国でも紫は高貴な御方のためにしか使用を許されなかったが、但し古代日本の民間習俗の中には、志摩湾の海女たちがイボニシキガイからそのパープル腺を見つけだし、松葉にそれをつけ、海の守り神とした。従って満更古代日本にはなかったとは言い切れまい。但し資料として表面上日本で見られるようになったのは平安以前で、それを古代紫と読んでいる。京紫系と江戸紫系があり、椿の木炭の上澄み(灰汁=あく所謂媒染剤)での発色技術が発見され、それでも工程は困難を極めた。因みに紫系の色としては半色(中紫)・浅紫(薄紫)・紫鈍・滅紫・藤色・杜若色・菖蒲色・楝(おうち)色・菫色・葡萄色・紫苑色・藤袴色・桔梗色・二藍・似紫・茄子紫・紺青色・脂燭(しそく)色・紫蘇紫などである。藍と紅の混合比率などでも微妙に変化する紫色が出せたのだろうか。いずれにせよ、日本の色彩に関しては又の機会に論ずることにし、先ずはその道の第一人者・吉岡幸雄氏に譲ることにして。

 

モネ『菫の花束を持つカミーユ・モネ』

モネ作 『菫の花束を持つカミーユ・モネ』 最初の奥さんでした タチツボスミレか

亡き主人「櫻灯路」の古い記事で、ロダンとモネ、各々に関わった悲劇的な女性『二人のカミーユ』と言う記事があります!

 

 ちょっと横道にずれてしまったが、菫の色もよく見ると面白いほど多くある。世界全部で500種ほど、我が日本では50種ほど散見されると言う。菫色の紫でも数多くあり微妙に変化しているのを眼にする。最も有名な俳句は、芭蕉野ざらし紀行で詠んだ「山路来てなにやらゆかしすみれぐさ」である。でもその少し前に俳諧の基礎を築いた守武、談林俳諧の祖・宗因に菫が詠みこまれている。「野遊びは菫のみして菓子もなし」(宗因)、「近かけれど菫摘む野やとまりがけ」(守武)などがあるが、芭蕉はそれを「菫 ゆかし」とひと括りしたのであろう。万葉・古今・新古今と、菫はそれほど菫は歌として出て来ないが、でも何と言っても山部赤人が吟じた「春の野に菫摘みにと来し我そ 野をなつかしみ一夜寝にける」(万葉集 巻八)が、それら俳諧の証歌となっていたに違いない。赤人の歌によって「摘む、荒れたる宿、一夜、春のかたみ、野をなつかしみ」等が俳諧の発想の基礎になったのは言うまでもない。又百人一首で名高い大江匡房にも「箱根山薄紫のつぼすみれ 二しほ三しほたれか染めけむ」と菫の歌がある。野ならすみれで、山ならばつぼすみれと言う意味だろうか。江戸時代になって本歌取りが盛んに行われ、中でも蕉翁の菫の句は貞門の俳人としてスタートし途中談林に組し、さらには俳諧の遠祖、宗祇の直系と自負したはずで、その証左として俳諧の創始者たちを「菫 ゆかし」とひと括りにしたのではあるまいか。芭蕉も「何となく何やら床し菫草」から「何とはなしに何やら床し菫草」に至り、最後に「山路来て何やらゆかしすみれ草」と三度も書き遺している。そして芭蕉以降、菫は多くの俳人に好まれて詠まれるようになった。「山陰やわすれしころの菫草」(千代女)、「骨拾う人に親しき菫かな」(蕪村)、「地車におっぴろがれし菫かな」(一茶)、「塊に菫咲たる鍬の上」(虚子)、「大和路や紀の路へつヾく菫草」(漱石)、「菫ほど小さき人に生まれたし」(漱石)、「菫咲き落葉は踏めどおともなし」(秋桜子)、「菫束ぬ寄り合い易き花にして」(草田男)、「すみれ揺れ大鋸の急がぬ音」(三鬼)などなどがある。

   中でも漱石の「菫ほど小さき人に生まれたし」にはちょっとした逸話がある。「菫ほど小さき人に生まれたし」(俳句大歳時記<角川版>)と「菫ほどな小さき人に生まれたし」(漱石俳句集<岩波>)で明らかなように、「ほど」の後に「な」が入るかどうかである。当時師事していた正岡子規が出身地の松山弁に近く字余りの「な」を嫌って斧正したのだろうと言うことが一般的である。僕には字余りであっても「な」を入れた漱石の原文の方が好ましいように思われてならない。この俳句が詠まれた背景には悲惨な出来事があった。悪女として名高い漱石の妻・鏡子は第二子を妊娠中で、自殺未遂を図っている。二人の間に何があったのだろう。その歌が詠まれた漱石の、背景となる時の履歴を見ると、官費留学なれど、鬱病一歩手前のような危ういイギリス留学から帰って、「明治29年 30歳4月 愛媛県中学を辞め第五高等学校講師になる。6月 中根鏡子と結婚。明治30年 31歳6月 実父の夏目直克死去7月。鏡子とともに上京、鏡子流産。9月 単身熊本に戻る。10月 鏡子熊本に戻る。12月 小天温泉に旅行し「草枕」の素材を得る。 明治31年 32歳6月 鏡子、投身自殺を図る。9月ごろから、鏡子のつわりによるヒステリー症状が昂進。」とまぁ言うなれば、漱石が最も鬱々としていた時分に書かれた句であった。森鴎外とともに、近代日本文学の黎明期を切り開いたおとこたちだった。何もその一句に限らず、でもその一句の鬱々とした中に、新しい日本人の自我と言うのか自己と言うのだろうか。殆どの文人たちは苦悩し懊悩し七転八倒し、築こうとしたモノは未だに発見されぬままなのではないだろうか。更に現在、戦後押し付けられた新しい民主国家とワタクシの関係は、今日に至るまで何一つとして解決していないのではないか。大雑把で甚だ恐縮だが、その葛藤の象徴として、僕は漱石の「菫ほどな小さき人に生まれたし」を挙げたいと感ずる次第である。

   菫の花と文学には、山部赤人と芭蕉と漱石、この三人の話題は決して外せないのであるが、菫の花を見る度に、小さく咲けども強く美しい菫の花をこよなくいとしく思う。牧野富太郎博士は大工の墨入れの壷に似ているから、墨入れを転じスミレになったとその語源を提唱されたが、果たして古代からスミレ=菫=墨入れがあって、その時代大工仕事に不可欠には違いないだろう墨壷は果たしてあったのだろうか。最低でも山部赤人が存命していた時代には。尊敬する博士には申し訳ないが、聊か疑問を感ずるものである。前段に出て来た正岡子規だが、近代日本にとって、とてつもない巨人であって、司馬遼太郎の「坂の上の雲」でもお馴染みである。NHKハイビジョン放送で今年の11月から放映されるが、通常の大河ドラマは一話一作で約7000万円で済むらしいが、何とこのNHKハイビジョンテレビ・スペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」は1時間半の一話一作で4億円も掛かるNHK渾身の力作と聞く。秋山兄弟と正岡子規が大活躍する場面を想像するだけでワクワクし、現在懸命に撮影中だと伺っている。でも何故今「坂の上の雲」なのか、それは皆さまそれぞれのご議論を待ちたい。可憐な菫の花の話題から飛んでもない話題まで飛躍し至ったことは筆者の望むところで、反省する気はさらさらない。それだけにこの菫の花は、殆どの方から愛されているし、無辺際の話題になるのであろう。

 こうして菫の話題を書き終えると、あの京都御所・御花御殿、ホントに小っぽけな菫の花がいとおしく思い起こされてならない。赤人じゃないが、そっと添い寝さえしたかった。無論仙洞御所にも菫があったが、こちらの方は路地菫であった。蔵王堂近くの、吉野朝宮跡に立つ良寛さんの句碑には丸葉立壷菫がびっしりと咲いていた。その句碑に、「つとにせむ よしのゝ里の 花がたみ 良寛」と書かれてあり、継体天皇の御前にて舞った昔日の照日の前の舞いを限りなく想像し、能「花筺(はながたみ)」を思い浮かべたり、上村松園の同題、気品に満ちた美しい絵をしばし思い浮かべ佇んでいた。どこだったか、アスファルトの隙間から生え出た根性菫も強くていいじゃないかと思い出されたことよ。

 

 今日のBGMは Kokia(吉田亜紀子~名前・亜紀子の逆=Kokia)さんの『Lacrima』

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