夢々いかにもそしるなよ

 

鬱金の最期

  大阪造幣局で拾った鬱金櫻の押し花 (あの薄緑色したウコンの櫻の最期はこのように櫻らしい色になりてから果つ)

 

 

 

           夢々いかにもそしるなよ

 

 

  連休中、ずっと家族で一緒にいた。朝、目が覚めると、横に妻が眠っている。杏も、妻に似て同じような顔して眠っている。しみじみと、不思議だなぁ、嬉しいなぁ、有難いなぁと思う。僕は生来ある孤独性から救われたと、そうつくづく胸に染み入る。大好きだった主人の死、未だに受け入れることが出来ていない。お大師様は今も生きているという、高野のお山のお考えとお大師様に毎日差し上げるお食事、あれはまさしく本当に生きてらっしゃるのだと充分信じられる。そして入れ替わるように亡き主人を通じて、僕はこの妻と結ばれた。結婚直後、玉のような娘・杏に恵まれ、そうして再び新しい鼓動が聞こえてくる。また新しい別個な生命が誕生して来るのだ。縁、これはどうしても不思議に思えてならない。人として生まれたことも、よくよく不思議な縁である。夫婦を、偕老同穴(かいろうどうけつ 典拠は『詩経』邶風・撃鼓にある「執子之手、與子偕老」<子の手を執りて、子と偕〔とも〕に老いん>、及び『詩経』王風・大車に「穀則異室、死則同穴」、穀〔い〕きては則ち室を異にするも、死すれば則ち穴を同じくす)と喩えているようによく言ったもので、比翼連理(ひよくれんり 典拠は白楽天の長恨歌の最後の一節で<天に在りて願わくは比翼の鳥と作り、地に在りて願わくは連理の枝と為らん>をさす)と殆ど同じ意味の故事なのであろう。結婚する際、下鴨神社境内、広大な原始の森の「糺の森」参道を通り、楼門の手前にある御神木・「連理の賢木」で僕たち二人は手を繋いだ。連理の賢木かぁ、不図そんな思い出が頭を過ぎり、娘や妻より少々先に起き、朝粥の準備にしずしずと取り掛かる。今朝は茶粥。お汁は今が旬の木更津産のアサリで潮仕立て。おかずは和風卵焼きと焼き海苔とキュウリの浅漬け。コッショリと支度をしながら、こうした不思議なご縁が等しく多くの方々にあるのに、世間ではどうして残忍で且つ悲惨な事件が多いのだろうと、自分のことのようで胸が痛い。そう言えば、近頃めっきり新聞を読まなくなった。特に三面記事は読まない。テレビも、興味がありそうな番組だけに絞っている。妻もテレビは嫌いで、妻は大の音楽ファンなのだ。そしてその領域は広い。クラシックからロックまで、自分の部屋で勉強している時でも、CDのイヤフォンが耳が塞がっていることがある。あれでよく頭の中に入って行くものだと感心するが、それが彼女のスタイルなんだから、とやかく言うことはない。夫婦の醍醐味を知るまでには無論至っていないのが当然だが、夫婦や親子間でも適度なDistance(距離感)があって当たり前なんだろうと僕は思う。多分付き合っていた時分に汗水たらして一所懸命に話した、あんな努力はもういらなくなってるのではないだろうか。黙っていても只管僕たち二人の間には濃厚な何かが共有されている。ただいるだけで嬉しいのだ。今の僕たちに、腹で分かると言うか、眼や手の動きや、声の大小など、ちょっとした仕草で殆ど理解出来る。口以上にモノ言う場面も多々あるし、やっとそうなって来たのだとそう思える。それって夫唱婦随と呼んでもいいんだろうかなぁ。昨夜、ウィーン・フィル管弦楽団のニューイヤー・コンサートに、いつか必ず連れてってあげると約束した。飛び上がらんほど歓んでいた。果たしてダニエル・バレンボエムに間に合わないだろうけど、新しい素晴らしい指揮者が登場することだろう。今の僕の経済事情では当然困難な実情だが、時間を稼ぎ、時が来て、そうして子供の成長具合によって、それが決まるんではないかと思う。彼女は、現在は我が身の生涯計画の中で子作りの時だとキッパリ決めているようである。

  ところでいつも弘法大師空海さまの話題ばかりで聊か恐縮しているが、比叡山を開いた最澄さまだって本当に凄い御仁である。「悠悠三界 純苦無安也 擾擾四生 唯患不楽也 牟尼之日久隠 慈尊月未照・・・・・・(中略) 於是愚中極愚 狂中極狂・・・・・・(中略) 願解脱之味 獨不飲 安楽之果 獨不証 法界衆生 同登妙覚 法界衆生 同服妙味」と、何と19歳にして詠んだこの漢詩である。意味は「今の世は 釈迦と弥勒のいた時代と比べると 随分堕落してしまった 自分は愚者の中の愚者 狂人の中の狂人 願わくは 自分一人だけが悟りを得ることなく 他のすべての人達とも悟りを得ることを切望している この世の中すべてが仏法の世界で包まれるよう念願してやまない」であろう。この後直ぐ比叡山に入って草庵を建て、天台密教の開闢と研鑽に励むようになるのだが。我欲を捨て、今生の衆生の救済を求めると言う最澄のこの人生の出発点は、その高潔さと大なるお覚悟であり、純粋無垢にして凄いのひと言に極まろう。天台密教で教育を受け、あの「不滅の灯」がある有名な根本中堂の薄暗い道場の下で、栄西も道元も日蓮も法然も親鸞もみな修行・実践し、そこから各々の考えに沿った宗派を構築し巣立って行ったのである。言わば日本仏教の胎内でもあるかのようである。今でも英々と続く開闢以来の根本中堂の「不滅の灯」(菜種油のお灯明で、柔らかい法灯である)をじっと見つめるにつけ、僕は深い感動と感慨を覚えざるを得ない。そして思わず『一隅を照らす』と心の中で反復してしまう。こうした「利他の精神」こそ、人間関係にも社会秩序や経済行為にさえ不可欠で、今回の極度な不景気、米ドル本位の世界経済は完全に行き詰まったと言わざるを得ない。我利我利亡者を庇護するような姑息な資本主義やイデオロギーで凝り固まった社会主義や共産主義の閉塞感など、経済的にも一元的な社会構造では、今後最低でも百年先の人類の将来には決して適さないと固く信じている。あらゆる面で「利他の精神」しか生き残るすべは全くないであろう。自分がよくなるためには、先ず他人(ひと)がよくなるのが自然な考え方である。

 

何の葉? 仙洞御所にて 多分ミズキか

仙洞御所・柿本人麻呂神社(火伏の神としてあり)近くに落ちていたミズキの葉 (僕の掌にすっぽり入るほどの大きさ)

 

  僕はどこに行っても直ぐ押し花をする癖がある。この癖は幼少時からで、直ぐ懐中和紙の束の中に挟んであげると、生き生きとして色彩も鮮やかに収まる。母からの教えであったかも知れない。僕たち夫婦を喩えて、この押し花のように、「京女と東男」と、古語に近くちょいと聞こえはいい言葉があるが、お互いに理解しあうのに、結構な時間と強烈な努力が掛かっていた。お互いの努力が絶対に必要であった。いつだったか僕は妻から唐突に聞かれたことがある。「京都って、Rはんから一言で言わはると、なんえ?」と。僕は即座に応えた。京都人の価値観の基本は「実直な職人さんの町」って感じていることだと返答した。枝垂れ櫻で有名なあの原谷苑なんか、京都人にはそう人気がないらしいと聞いたことがある。花の開き具合で、入場料金がころころ変わるし、京都人はそう言うことはよう許せへんのやと思ったことがあったからだ。御所や二条城や神社仏閣だけをもって京都の代名詞に使いたくもないし、京菓子や京野菜や、お茶のお家元はんが皆集っていることや、名だたる名園が仰山あることや、日本で最も櫻の似合う町であることや、祇園初め花街の伝承や、お祭りの数量の多さや多彩さや、そんなことは当たり前のことで、今更特別取りたてて言う話ではないと僕は思ったからだ。僕は何度か、西陣を散策したことがある。西陣はただの一角ではなく、辺り一帯のことで、結構広い領域を言うが、歩きながらロージ(路地~町屋は表通りから作られたから、その後中に造作された家々に通じる道が必要だったから作られた路地のことで、片どまりの一方通行もあれば、近道の機能も果たしている路地もある)に迷い込んだり、西陣の職人さんが行く銭湯に入ったこともあった。そんな庶民的なところが京都の本質だと観た思いがあったからだ。伝統と、それを引き継ぐ底力の強いパワーを感じていた。妻は「そうなん」と言ったきり、僕の観察眼に思いを馳せていたのを思い出す。更にあの有名な「ぶぶ茶漬け神話」のことだが、あれって京都人のイケズな部分を面白可笑しく伝わっているけれど、実際の話は人と人の距離感の話を代弁しているのだ。一時「KY」と言う言葉が流行ったようだが、その空気を読める読めないと言う意味だけではなく、心の優しさも入っての話なのである。「ぶぶ茶漬け」の「ぶぶ」とは「あられ」のことで、お茶漬けが一般に普及したのは、江戸時代になってからである。京都でも一般家庭でお茶漬けが食べられるようになって、そうした全国的に有名な「ぶぶ茶漬け神話」が誕生し発展した次第だ。京都で、どこかのお宅を訪れて「どうどす?ぶぶ茶漬けでも」と言われたら、「ハヨ帰ってぇ~~っ!」と言う合図か催促であると言う落語のようなオチがついた話で、何ともイケズな習慣だと思われている。でも実は底意地悪いことを言っているのでは全くなく、直接「早く帰ってください」と言う言葉を避けるための「思い遣りの言い回し」のことを、あの神話は語っているのだ。しかも、本当に帰らなければいけない時や、用意された食事を断ると角がたってしまう場合もあり、そこは京都人が得手とする心が籠もった「KY」と言うことになるわけで、長い歴史の間、ドロドロした権力闘争など日常茶飯事にあった京都市中では、そういった表ではなく裏に潜んだ心を、お互いにしっとりと読み取ろうと言う文化が根っから根付いていた証拠なのだ。神話ではお茶漬けを食べてはいけないことになっているが、何々美味しいお茶漬けはなんぼでもある。僕はジャコ山椒のお茶漬けが大好きで、妻の実家では婚前にも関わらず随分オカワリしたものだった。普及されたお茶漬け神話は一つの笑い話にしか過ぎず、代々住み続けた人が多い京都ならではの習慣であり、外見からすると一風変わってるが、殆どが理屈にちゃんと合っていて、その背景はどれも京都人ならではの「優しい心遣い」(=気働き)の合理性があるのである。三日天下の明智はんからお猿さん(秀吉ちゃん←僕は好きではない)にころっと変わってしまったあの時代や、まぁ武家に限らず公家衆にしても、時の為政者がコロコロ変わり、その都度、権力者に対する気遣いも半端ではなかっただろうと思われる。でもこれって何も京都に限ったことではなく、どの場でも是非必要なことではなかろうか。幾ら親しい間柄だからと言って、アレもコレもと畳み掛けられては息苦しく暑苦しく敵わん話ではあるまいか。夫婦間の距離感にしたって暖かい程のいい距離感が必要なことだろうと思う。

 

CIMG3701

はなわさび

 

  先日の「鎮花祭」でお供物として奉った「はなわさび」(長野県松本の安曇野産) 

事後花になるまで飾り スケッチして楽しみ  その後お料理へ 

味つけ一切していないただの白湯で湯通しし 湯切りをし 3cmぐらいに切り分け 

タッパーに入れ密閉 冷蔵庫で3~4時間経ってから 適当なお皿か丼などに盛り付けする 

山葵のように辛い味が大人には堪らなく美味しいが まだ味覚発達中で妊娠中の妻には可哀想で 

僕の手作りの「烏賊の塩辛」や山芋を擦って三杯酢を掛け それらと一緒に食べて貰った 

歯ざわりがよく香りよく 大変美味しかったと妻の言い

 

 今日のBGMは Kokiaさんが歌う『Black is The Colour』

 

広告
カテゴリー: 文化 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中