長良川・鵜飼開きの日に 櫻への、飽くなき思い

 

薪能金春発祥地顕彰碑

 興福寺・北円堂の近くにある薪能金春の顕彰碑 (薪能は興福寺が正式な発生地で最も古く、ご神事であった)

 

 

       長良川・鵜飼開きの日に 櫻への、飽くなき思い

 

 今日から岐阜・長良川で伝統の鵜飼が始まる。毎年10月15日まで、夜炎にゆらめく川面の情念、鵜と鵜匠との絶妙な呼吸、鵜が獲った焼き鮎の味、蓼酢の香り、夜宴。そして今夜、奈良・興福寺では薪能が行われる。能五流のうち、金春流は興福寺に源流あり、永く庇護されてきた。最も古くからある薪能で、薪能の大本流である。薪を供物とした神聖なご神事であり、夏の夜の単なる風物詩ではない。更に今日は「一粒万倍日」にあたり、旅に出たくて堪らない、いい日旅立ちの日であるが、体調は未だ万全ではない。昨日母の日に、家族で実家に赴き、皆で母の日を過ごした。プレゼントを贈られた叔母は頻りに照れ笑いを浮かべた後、想像した通りやはりボロボロと泣いた。妻の気遣いがよほど嬉しかった模様だ。帰宅後、北海道・静内からFax連絡が入り電話をしたら、2万本の蝦夷山櫻が見事に満開になり、今日10日~17日まで「さくら祭り 2009」が始まったと言う。鄭重にお詫びし、今年は健康上での都合で行けないと断りを入れた。でも17日まで濃いピンクの蝦夷地に咲く山櫻がもつのであろうか。そんなことを考えると、何かと気忙しくなる。この後一週間後ぐらいで、道東・根室に咲く千島櫻が満開となり、どうやら5月いっぱいで、平場での今シーズンの櫻の花は終わりを告げるであろう。6月、7月は高山に登り、峯櫻か高嶺櫻を観るようになって、愈々シーズンが終わる。8月一ヶ月だけは何処にも櫻が咲かないたったひと月で、8月は枝々に来期の花芽を付ける月である。それにしても伝統ある静内の町名は、無くなったと聞く。静内町が、「新ひだか町」になったと。何故わざわざそんな改悪しなければならないのか、不可思議で哀しい。

 確実に麦秋となり、夏が近づいている。久し振りにオフィスに出ている。職員全員は各自の持ち場で順調に作業を進めているようだ。オフィスには女性職員三人だけで、忙しく各地の情報を整理・分析している。徹底して黒子となれるよう、取り敢えず各地に蔓延している補植の仕事を丁寧にこなすことだろう。今年、世界二十カ国からも櫻情報が届いた。皆嬉しいお便りで、それぞれ各地で櫻がこよなく愛されているのを知った。ワシントン近郊の小さな町・ケンウッドは人口275人だが、各家に一本必ず櫻を植樹しなければならず、あの小さな町で実に1200本の櫻が咲き揃い、全国から花を目当てに3万人の人々が集ったと聞く。ローリン・ニコルソンさんが中心らしい。カナダ・バンクーバーからも櫻情報があった。海岸沿いにあるスタンレー・パークには特に古木が多く、見応え充分で、何と人口200万人いるあの大都市に、3万6千本の櫻が植えられているという。モントリオールにも広がりつつあるようだ。メリーランドにも数多くの櫻が咲き愛されている。パリを中心に、ヨーロッパ各地にはたくさんの櫻が観られるようで、特にコペンハーゲンのカステレット要塞付近の櫻は若々しく華やいでいる。ここで爛漫と咲く櫻たちは、日本のアンデルセン・ベーカリー・グループの経営者と会社のご有志が、アンデルセン生誕200周年の記念として、2005年にコペンハーゲン市に寄贈したものである。櫻に人一倍関心が高い世界的建築家・安藤忠雄先生は日本各地に、「さくら広場」を築造中である。もう四箇所になろうか。大阪造幣局の記事でもご紹介させて戴いた、安藤先生発案でなされている大川端への櫻の植樹も本当に頭が下がる思いである。あの911で忘れられないニューヨーク・グラウンド・ゼロに、犠牲者の御霊を御祀りする古墳にしたらどうかと、跡地計画のコンペに勇気を持って参加なされた安藤先生である。残念ながら又再び複合の高層ビルが採用されたが、僕たちは先生のそうした行為と謙虚な野心に、心からご尊敬申し上げている。

 

バンクーバーの櫻058

モントリオールの櫻 カナダにも確実に増えている 

(読売新聞4月21日に掲載された写真家・千安英彦氏撮影・著作権の櫻の写真)

 

 

 

      <岡田真澄先生と比丘尼山の櫻>

 先日放映されたNHK名古屋放送局制作の「ことしも会いにきました 9000本の桜 家族の物語」で紹介された通り、愛知県新城市中宇利(愛知県と静岡県の県境)の里山「比丘尼山」(標高150m)には、全国からこの里山に櫻の苗木を植えに訪れた家族のさまざまな思いをつづった映像で、その櫻山を「びくにやま」と読む。ここは130世帯の集落全員の共有地であるが、全130世帯のすべての了解を得て、20年掛け、たった一人で櫻山を育てたお話であった。その比丘尼山に、特別な感慨を持った一人のご老人(73歳=岡田真澄氏)が立っている。昭和20年戦争で父を失った岡田真澄さんは、実に9歳で四人兄弟の長男として、一家を支える羽目に。そして裏山の比丘尼山で薪を拾ったり、食用の山菜を取ったり、高価で買取に来た和紙にする雁皮(落葉植物でジンチョウゲ科の仲間)の皮を取ったり、大層な苦労をともにした大切な山であった。23歳で地元の中学校や小学校に赴任、地元で37年!最後校長先生にまでなった。そして退職を機に山を改めて見ると、あの幼少の頃世話になった山は、荒れ放題の比丘尼山(かつてここに比丘尼城があった)であった。何とか蘇らせたい一念で、岡田真澄さんは20年前から、たった一人で始めた「さくら山」づくりであった。その話題が広まったのは教え子だったり、集落の方々もお手伝いだったり、そして山の仕事を徐々に手伝うようになったかららしい。下草を刈ったり、連日山に通い(山の入り口までご自宅からたった5分)、山の蘇生に取り組んだのである。そうしてそれが今では、何と9000本、櫻の苗を植えに参加されたご家族は全国で2000家族にまでなったと言うのだから驚きだ。然もこの櫻山は観光化は決してしないとご老人は仰る。櫻の苗を植えた方々の思いを大切にしたいからだと。そしてご老人は花を観に来た方々に、皆同じように、「今年もよう来た、待ってたでよ」と朗らかに声を掛ける。方々は櫻を植えることで、何かの記念に植え、その成長を見守り、又癒えることのない悲しみを乗り越えたいと言う櫻たちだった。比丘尼山に櫻を植えることで、家族の絆を一層深めたい、生きる勇気を子どもに伝えたい、そんな家族の願いが映像からヒシヒシ伝わって来て感動的であった。こうして岡田老人は毎日山に入り、荒れ放題だった里山に手を尽くし、今、見事に山は蘇った。真に崇高な意図と、献身的なご努力と、謙虚な心と、そんなすべてに頭が下がる思いであった。鬱金や山櫻や陽光や染井吉野や、江戸彼岸の枝垂れ櫻もあったり、それぞれの場所に、それぞれの思いが籠もった、それぞれの櫻たちが見事に咲き揃っていた。心から勉強になったことである。僕たちはまだまだであると強か思い知ったことでもある。
 
 
  今日のBGMは Kokiaさんの『River』
 
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