Change~Changer la Vie!

 

オフィスへ

 オフィスへ 妻子や同志のために 身体に気をつけて 明日も頑張ろう

 

 

              Change~Changer la Vie!

 

 

 我が妻に、京都恋しいだろうなぁと先日松尾大社遷幸祭があった日に聞いてみたら、ぅうん全くそうは思わないと言い、東京はさすがに首都だから何でも揃っていて楽しいし、特に東大史料編纂所国立国会図書館国立博物館など勉強になって興味が尽きないから嬉しいと。その日、例年だと19日にある『唐招提寺の団扇まき』は、日曜の17日なっていた。浅草では『三社祭り』が盛大に行われていたのだろう。でも雨や風が酷かった。お祭りには、僕が行きたかったのかも知れないと内々得心した。娘を、僕や叔母に預けて、一応バツが悪そうな顔をしててもサッサと出掛けて行く。叔母も杏といるのが大好きだし、僕もそうだ。そんな僕らを後にする妻を目で追い掛けると、妻の背中は結構頼もしく見える。妻、女、母、学問を愛する人、それらすべてをものの見事に切りかえ頑張っているからだ。僕は、或る部分妻に利用されているか知れないが、それって酷く快感である。思い切り自分なりの道を進めば、それでいい。

 無名だったオバマは「Change」と高らかに叫び、そして大統領に上り詰めた。最近のウォール街の動向を観ていると、まさしくChangeしつつある。ブッシュ元アメリカ大統領は「京都議定書」をいとも簡単に虚仮にして、地球温暖化対策の政策を全く取らなかった。このドンビキの不況の発信地であるアメリカ合衆国は、今変わり始めている。エコ対策へ大きく舵を切り替え、本腰を入れ始めて、そこから不況克服に挑戦し始めている。この不況下そちら方面の株価がグングン上がり始めたのが何よりの証拠だ。自動車産業界や金融業界や、まだまだ本来のアメリカからほど遠く、やはり当時のFRB前議長のアラン・グリーンスパン氏が執った市場開放主義、或いは不介入主義、又は市場放任主義の決定的な打撃であり敗北であった。余りにもいい加減な舵取りの結果が今日を招いている。可笑しな金融モノを掴まされた方に、僕は一切同情しない。資本主義の決定的な部分限界はここにある。最早強いアメリカの過去の栄光や過日の神話によって蘇ることは殆どないだろう。アメリカの国債を多く抱えている日本や中国には、一切敵対出来る状況にはない。今こそ日本もChange出来る状況下にあるのに、相変わらず政局だけで、自民党も民主党も、どちらとも信用出来ない。指導力に甚だ欠けた政治屋ばっかりで、毎年多額の税金を取られ遣り切れない。スピード感などさらさらない。今回重い責任を持つアメリカだって、オバマ大統領の下でまさにChangeしつつあるのに。

 昔のことになるが、1968年5月に、ド・ゴール大統領を打倒すべく、パリ・カルチェラタンの学生街で学生たちが立ち上がって始った五月革命を見るといい。彼らが唱えた「Changer la Vie!」は、オバマが言った「Change」とは少々意味が違う。「生き方を変えよう」、或いは「既存の生活を変えよう」であろうか。単に政治制度の改革だけ言っているのではない。バリケード内のデモ隊の真っ只中に入ったジャン=ポール・サルトルは、学生たちと濃密な会話をしている。Engagement(アンガージュマン)と叫び、自ら責任を持って政治に参画することへ大なる賛辞を送った。マルクス主義に傾倒していたサルトルは、この同年(1968年1月)に起きたハンガリー動乱(所謂プラハの春)で愕然とし、スターリン独裁主義や毛沢東独裁主義にはっきりと決別している。結局ド・ゴール大統領に大きな打撃を与えた。でも当時のポンピドゥー首相のアイディアによって、ド・ゴール大統領はその後国民に信を問い直し復活した。左翼的発想から現代社会を雁字搦めの管理社会だとし闘ったあの五月革命は、フランス国民投票後、急速に失速して終わっているが、僕らは、あの当時の、革命を起こすぐらいの率直な勇気と信念を持つ必要があるだろう。カッサンドラの悲劇になってはならないが、カッサンドラの予言力=変化への対応能力は持つべきであるに違いない。これは未だ序の口、これからが本番だと強い心を持つ必要がありそうだ。先ず僕の場合は、僕ら集団が果たすべき徹底したコンセプトづくりが待っている。広く深く高く!政治とは直接関わらないが、多分それを突破口にして、現代社会との深い関わりを作って行くことになるだろう。何かが確かにChangeして行くために。

 日本における官僚主体の国家は、既に死に態である。僕の父は、某務官僚であっても天下りでノホホンと出来なく、早期に役所を辞めた。本音は所有不動産の固定資産税が大変で、自ら何か始めなければならなくて辞めたのだが、今回の父との話し合いで熱烈な既存役所解体論者であることも分かった。武士であったご先祖さまに申し訳ないことは一切しなかったはずで、今こそ、先ず自らがChangeすべき時ではないかと信ずる。無論一方決してChangeしてならないものもある。でも既に妻の生活ルーティーンはすっかりChangeしている。娘・杏は、早く独立させるぐらいの結構冷淡な感覚を持っているらしいが、まぁ娘のことは拙速にならないよう性急でないほうがよさそうな気がする。然し日本の政治の行方は、猛ダッシュしどうにかして急ぐべき時であるように思えてならない。政治の品格ってものもあろう。だって今回議論されている第二次補正予算こそ、先ず総額ありきで、官僚主導で作られ、天下り温存と、ばら撒き以外の何物でもなく、根本からよくなる施策とは殆ど思えないからである。こんなに官僚支配の制度が徹底して疲弊しているのに、おかしい。人が悪いのではなく、制度が疲弊しているのである。あらゆる制度設計の根本から変える花も実もある政策を、是非議論して貰いたいものだと思う。

 今夜夢に魑魅魍魎が出てつい早起きをしてしまった。そこでもう少しだけ書き足しておきたいことがありそうだ。明治の元勲たちは、旧幕藩体制時代の俸禄をそのままスライドしたようにして貰っていた。山県有朋は、目白に椿山荘を築き、尚且つ京都・南禅寺入り口に贅をこらした無鄰菴を別荘として持った。吉田松陰の門下生として歴史に登場し、何と旧幕藩体制下の大名クラスの大金600石もの俸禄を明治政府から賜っていたという。僕ら国民にとっては何たる屈辱であろうか。まだ150年も経っていないのである。そうして何故伊藤博文公(因みに彼も長州出身)亡き後、絶大な権力を勝ち得たのか。底辺ではあの苦しかったはずの時代に、そんな裕福で悠長なことが出来たのだろうか。薩長の方々だけ、東京招魂社に入りえて、日露戦争は寸でのところで勝利したというのに、何たる浅ましきことなのだろう。山県有朋屋敷の山ノ下・湿地にいて、貧乏しながら早稲田大学の前身を作り、自由民権運動で花と散った大隈重信とは大違いであるまいか。早稲田の臙脂色のスクールカラーは大隈公が暗殺された時流された血の色であると言う。古い早稲田マンは皆そう声高に仰っている。最近国会議員の特権をもって、愛人とタダ券を使用し、辞職した全くせこいアホな官邸役員もいたが、役人の伝統は、この薩長連合の面々の厚遇があったことから、延々とそのまま続いているのではあるまいか。そうも疑ってしまいたくもなろう。であれば憤怒の思いを持って、省庁の利益のみを追求している輩を断固追及し、そしてその疲弊した制度(システム)を断じて糾弾されねばならないだろう。いい加減にして欲しいと、威儀を質し念ずるのみである。

 

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