大品般若は、四季の水~身働きと気働きと~

 

まつり寿司

 岡山風まつり寿司 椀物は蛤の潮汁

 (我が家の場合 逆に盛り付けしひっくり返す押し寿司ではないから 岡山の祭り寿司ではない 所謂散らし寿司か)

 

 

 

              大品般若は、四季の水

               ~身働きと気働きと~

 

 本Blog読者の皆さまにおかれましては、男児厨房に入る僕を、何となく可笑しな男児だとお思いの方がきっといらっしゃることでしょう。でもどなたさまから何と申しあげられましても、「男児厨房に入るべし」主義であり、殆ど確信犯なのでありまして、時に話題に出るお料理のお話なぞ特にご寛容にてご容赦賜りまするよう心からお願い申し上げます。幼少の砌、母がいなかったと言う特殊な事情があったために、厨房に入りお料理を作ったりお洗濯したりお掃除したりすることは、極めて自然に普通に勝手にして身体が反応し動いてしまっていましたので、僕にとっては何でもない普通のこと当然なことなのです。時々妻に嫌味ではないからね、そんなことを言い訳しながらお掃除をします。兎に角常に動くことが多く、じっとしておられないタチです。これを通常では、「身働き(みばたらき)」というのでありましょうが、僕の場合、間違いなく「気働き(きばたらき)」も、聊か入っているような気がしてなりませぬ。特にお料理の場合、食べて戴く方を心から思いながら作ります。季節や気温や、更に四季折々の歳時記などを感じて作りまして、今は亡き人のことまで考えて作ることが殆どです。近くに実家がありながら、僕の家にはお仏壇や神棚があります。お仏壇にいらっしゃるのは、ご先祖さまであったり亡き母であったり亡き主人であったり妻のご先祖さまであったり、僕は勝手に皆さまのご戒名を書かせて戴いて、皆さまご一緒にご供養を申し上げているのですが、その方々に対しても気働きを欠かしたことは多分御座りませぬ。全く同じお膳を作り、先ず最初にお仏壇に差し上げ奉ってから、僕たちも食べるのであり、寧ろ亡き方々からこうした日々の糧を戴いているような気がしてならないのです。今この瞬間、生きておられる方々すべてを横の関係と喩えるなら、遠いご先祖さまや亡きお方々と、そしてこれから生まれ来る子孫を、言わば縦の関係と言えば、そう申せないのでしょうか。横の関係をうまくするには、縦の関係も充分に整えてあげないと、何事もうまく行かないような気が只管しているからでもあります。縦横すべての縫い糸に、気遣って初めてお料理は成立するものだと信じて疑っておりません。

 我が家ではお祝いの時に、必ず五色の膳にします。これは陰陽道から発せられた五行五色の心得からしているのですが、僕が普段愛読している「室礼(しつらい)」さまのホームページを待たずとも、日本には多く大切なことが大事に行われていたということでしょう。菊乃井』のご主人・村田吉弘さん言葉をお借り致しますと、色には器の色も入れてよろしいらしく、椀物で黒い漆器を選べば、黒の食材は省いてもよく、中が真紅の漆器を使った場合、紅を外してもよいと言うことでした。上記写真の岡山風祭り寿司は当家では、ひっくり返しし押し寿司にする岡山のようにしないため(硬い酢飯は好きではないので)、普通の散らし寿司のような盛り方にしています。但し酢飯に、少々一工夫してあります。干し椎茸を戻して煮付け、微塵切りにします。牛蒡も煮付けてから微塵切りにしておきます。更に干瓢も煮付けてから微塵切りにし、それら全部と一緒に酢飯に合わせ、縦に切るように酢飯を混ぜます。この時最も大切なことは、木製のちゃんとした飯盆を使用して合わせることです。そのほうがまじに適度に水分が蒸発してくれるからです。後は簡単です。その上に、刻み海苔をたっぷり乗せ、それから錦糸玉子を乗せ、そして色々な色彩の具を上から次々に乗せて行きます。白は蒲鉾・烏賊・蓮根・帆立など、赤は海老・マグロ(この場合ヅケにしておく)・デンブ・蛸など、青(緑)は絹鞘・胡瓜・木の芽・隠元豆の線切りなど、黄は錦糸玉子・柚子・菊花など、黒は椎茸・海苔・木耳など、それらが五色の代表格です。無論他に色々な食材がありましょう。ただ蓮根の酢炊き、絹鞘、芝海老などを使用するのが基本形で、この日母の誕生日だったものですから、どうしても祝い膳を作りたかったのです。在庫を睨んで少々手抜きなのですが、果たして「祝い膳」に見えるでしょうか。金糸卵の太いのはご勘弁を、急いでいたので極めて荒っぽくなりました。シュン!又山椒の葉やイクラなど一番上に乗っていたなら、きっとより豪勢に見えたことでしょう。材料が少なかった理由で、こんな程度と相なりましたが、お祝いをしてあげたい気持ちは、あちらの方々にも通じたのではないかと自負しています。杏の、ちっこく可愛いお手手と、妻と一緒に、お仏壇の中にいる方々に手を合わせ差し上げてから、僕たちは戴きました。

 

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 始末する(使い切る) 蕗『蕗のたいたん』と、『蕗の葉とジャコの煎り煮』 柚子和え

 

 先日NHK教育テレビで、京都・杉本家のお嬢さまで料理研究家でいらっしゃる杉本節子さんが、「蕗のたいたん」をご披露されていらっしゃいました。京言葉の「始末する」は素材をすべて使い切ることだと解説されながらでしたが、全く仰られる通りで、余分な部分は、ほかす(捨てる)前に必ず何かに使おうと考えるべきですし、他の食材としてどうにも思い付かなかった場合、ベニシアさんのように自家製腐葉土の材料となること享けあいです。素材たちが持っている力を、100%余すことなく使い切るのが、僕たちが材料の生命を頂戴する最良の「贖罪」となるのではないでしょうか。杉本家とは少しだけ時代が下がる妻の実家では、元々が商家であったせいか、いつもかなり質素メニューでして、極普通に見慣れたものばかりでした。従って節子さんのお料理リシピはスンナリと頭に入ります。だってホントは当然なことなんですもの。でも今や彼女の提案する料理アイテムは、貴重で重要なことになりつつあるのでしょう。(但し上記二葉の写真にある「蕗のたいたん」のお料理法は杉本さんの方法とは違っています。僕の拘りが少々入っています)

 手料理は、時間を掛け、作り手の心を存分に相手に伝える。「手塩」に掛けて作りあげるということで、「身働き」でしかない作業が、しっかりと「気働き」になって伝えることではないでしょうか。こんな風にしますと、「身働き」とは、「気働き」と殆ど切り離せないように思えてなりません。逆に「気働き」は、「身働き」と、常に連動し同時に進行しているのではないでしょうか。そんなことを、身重な妻と、旺盛な食欲をしめす娘を前につくづくと感じられる今日この頃です。そう言えば、僕がお料理する時に着るTシャツのことですが、もう10年以上は着てるでしょうか。腕のワッペンに、亡き主人の描いた絵があります。彼はいつもこの絵は、この人にとか言いながら色んな絵が描かれたワッペンを分け与え、パソコンで作ったのを社員にあげるのが殆ど趣味に近いものでした。貰った方々は今どうしているか分かりませんが、僕はいつも着る割烹着や前掛けや料理用の服装に、大切に大事にし貼って使っています。彼の、「気働き」はいつも完璧で、「気働き」のない子はいけないよと常に語っておりましたのです。そんなことで、この頃、僕は「気働き」と、「身働き」の区別することが全く出来ないでいます。今夜は、妻の好きなイタ飯。プリモ・ピアットで、岩塩の選択に凝りに凝ったリゾットを重点的に作りました。痩せの大食いとでも申しましょうか、妻は僕の料理を、いつも美味しそうに嬉しそうな顔をして鱈腹食べてくれます。そんな妻の顔を見ていると、僕は爆発しそうに幸せに思います。娘の杏には、今夜はカボチャの、ほんわかスープでしたが、色んな野菜を巧みに仕組み煮込んであります。現在甚だ食欲旺盛でして、今夜もたっぷりと食べてくれました。お陰さまで、もうおネンネです。妻は読書中です。娘・杏は、日に日に逞しさを増して来ています。もう直ぐ歩けることでしょう。あれやこれや嬉しい限りの日々であります!

 

 今宵のBGMは 小椋佳さんの『太鼓 旅ひととせ』です

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