雲、風、水、そして空と

 

 

  アラスカの白夜 太陽は沈まず このまま水平線上に横に走って行く 雲は始終千変万化する

 

 

 

 

           雲、風、水、そして空と

 

 

  このところ、「こころの洗濯日和」風音さんはもとより、「のはらと そらと」夕ひばりさんのBlogでも、お空の写真をたくさん拝見しています。僕の脳裏には、このところずっとお空のことなぞ忘れていたようで恥ずかしいです。そして「京都写真」ゆうさんを通じ、最近お知り合いさせて戴いた「風紋~徒然歳時記」Sakuraさんは本当にお空が大好きなお方らしく、素敵な空や雲の写真が満載してありました。で、そこには雲の種別まで書かれ撮られてありましたから凄いです。それらのことは、最近の僕に大切なものを喚起させてくれるのに充分でありました。酷く忙しい日々に追われていた去年までと違い、このところ日々父とトレーニングをしたり、財団のほうは常勤の専務理事がいてくれるお陰で、時々チェックしに行けばいいだけになっているから、割と時間が取れているのが現状です。あの恐ろしいまでの多忙の日々だったのに、それと180度違った日々のルーティーンをおくれるようになっているのです。それにも関わらず、僕としたことが何たる醜態でしょう。杏のお世話や日々の生活に相変わらず追われる毎日です。ペントハウスに住んでいて、眼前にドンヨリした空ながら常にお空が見えていても、東京の空は見るに値しないなどと突っ張っていたのですからアホやなぁ。亡き主人は、「風は友 雲はライバル 雨は恋人」とよく言っておりましたのです。そしてカムチャッカ半島で、ヒグマに襲われ、43歳の若さで夭折したあの星野道夫が、常に言っていたことを思い出します。彼が学生時代、電車通学中に、日々の煩瑣な生活の時間の中にいて、一方にはそれと全く違った時間があるのではないかと思い付き、北海道のヒグマに思いを馳せていたのでした。同じ時間でも、全く別な時間が存在していることを。そうしてそのことが突破口となって星野道夫がアラスカに行く契機になったのでした。空を見、風の強弱だけではなく匂いや太古へ思いまで感じ取り、雲ととともに歩み息つぎをして、一方で泰然自若としていたいものだと、何かそんなことを改めて深く考えさせられました。星野道夫は、「遠くを見なさい、いつも遠くを観て感じること、夢でもいいから遠い空のもとを想像すること、遠く離れることが人と人の心を近づける」と。そんなことで、或る事情がありまして、永らく封印しておりました僕の中にある星野道夫との思い出を、次にアップしようと、必死になって下書きにしているのですが、彼のような純粋無垢な方を書くのは大変に難しいことですね。没後発刊された星野道夫全集を読めば読むほど、哲学めいた部分がたくさんあって、一人の写真家としてだけでは見れなくなっているからです。星野道夫って飛んでもない詩人なんじゃないかと。まぁそんなわけでして、星野道夫について書こうと、行きつ戻りつしながらただ今悪戦苦闘をしている最中であります。(準備しているのは、直子夫人から借りた遺作の写真ではなく、僕が撮った写真を準備しています。下手っぴですが、この記事の冒頭の写真もそうです)

 そんな折、我が財団の職員で地方廻りを担当している職員が栃木で釣ったばかりの鮎十数匹を持って来てくれました。彼が来ると、大の渓流釣ファンの彼とついつい釣談義をしてしまいます。今回は普通の河川での鮎釣らしかったのですが、初夏、渓流で釣れる魚はどれも物凄く美味いということでした。生食はいけないけれど、火を通せば大丈夫。まして今回は蝦夷山櫻の枝木で焚いて燻製にした岩魚(いわな)も、一緒に持って来てくれました。無論彼のお手製です。ほんのり櫻の香りが漂い美味しそうです。ところで岩魚・山女魚(やまめ)・天魚(あまご)はいずれも鮭科でして、みな兄弟のようなものです。渓谷の最上流に棲むのは岩魚で、性格は荒っぽく、貪欲で何でも食べるものです。その分引き締まった白い魚肉の美味さは、別格らしいです。

 

燻製の岩魚

 蝦夷山櫻の枝を焚いて燻製にした岩魚 ほんのり櫻の香りが漂う

 

  山女魚は岩魚より下流に棲み、サクラマスが陸封(りくふう=海水と淡水の両方で棲める性質を本来は持っているが、環境によって淡水だけに封じこめられることをいう)されたものです。終生渓流で過ごし、海へ下ることはありません。山女魚の特徴は体側に、暗黒色の楕円形をした斑紋がある美しい魚(下図)であり、この斑紋は「パールマーク」と言われていますが、鮭類の幼魚にはごく自然に見えるものです。

 

山女魚

  山女魚(やまめ) パールマークが美しい

 

  山女魚にそっくりで紛らわしいのが天魚です。棲んでいる場所も山女魚と同じで、ただ体側に美しい小朱点を並べております。魚体は優美で清々しい素敵な淡水魚です。この魚はビワマスの陸封魚で、琵琶湖特産のアメノウオと全く同種です。でも今はどうでしょうか、お水が汚れてしまったら、ひょっとして琵琶湖には既に生息していないのかも知れませんね。アメノウオは水質が汚染されていれば、ほぼ絶望に近いことでしょう。

 鮎も岩魚も山女魚も天魚も、みんな養殖される時代になっておりますが、天然のものには味は敵うはずがありません。特に養殖された鮎はひと目で分かりまして、ブヨブヨと見っとも無く太り、味も与えた餌も味がするような気がしてならないのです。スーパーやパーキング・エリアなどで売っている鮎や、その塩焼きなど殆どが養殖モノでしょう。ですから風に追立てられ、雲を追いかけ、雨に打たれつつ現地に行かねば本当に美味しいものは味わえないのでしょう。色んな意味でですが、何度もお誘いを戴いている京都・京北町で頑張っておられる「北山・京の鄙の里・田舎暮らし」Mfujinoさんに、是非お邪魔したいものです。川原で天然鮎を食べ、一献ということになれば、当然「ふらり道草」道草先生に、その場にご一緒戴ければ最高の布陣となり、持参予定の冷酒とともに美味いものづくしとなること請け合いです。又現地近くにお住まいの、 「メダカのひるね」ささ舟さまがいらっしゃったら、彼女が紅一点となり、どんなに嬉しく楽しいことになるでしょう。考えるだけでワクワクします。京の鄙びの里で、僕が現れるのを、天然の鮎たちが今か今かと待っていてくれるような気さえして来ます。但しあの四月のちょっとした櫻見物で、一ヶ月以上も掛かってしまった脚の重症となったので、今度こそは人さまにご迷惑を掛けないよう用心するつもりです。ですからもっと真剣にトレーニングを積んで頑張らないといけないのでしょう。少なくとも秋の落ち鮎ぐらいになるのかなぁ。又釣はしなくてもいい方法もあるんですよ。例えばふわりと旅に出て、飛騨高山まで電車に揺られ、宮川に架かる朱塗りの橋のたもと、名料亭「洲ざき」があります。山菜のフルコースは無論のこと、朴の葉にくるまれて焼かれた天然の天魚の味は到底忘れられない至高の味でありました。でもさりとて、京北のMfujinoさんの準備して下さるの鮎の仕立てが、一番最高でありましょう。天然の鮎が持つ、青臭さや川草の香りはとてもいいもので、堪らないものです。蓼酢をたっぷりつけ頭から尻尾までガブリと行きたいものです。骨の頭も何て優しく柔らかく美味しいのでしょう。天の恵みに乾杯!!

 今回戴いた燻製の岩魚は少々取って置けるのですが、生の新鮮な鮎は、腹から割いて内臓を取り、よく水切りし、ひと塩を打ち、カマの部分に竹串を刺して、メーンの電器テーブル(皆さんのお宅ではガスコンロかな)頭上にあるフードの中に全部下げておきました。勿論塩焼きで既に二匹戴いておりますが、妻は何事が始まったかと奇異な顔をして見ておりました。クスクスッ!でも見事に並んだ一夜干し。野菜でも何でもちょいと干すと味が数段よくなります。今夜から改めて戴こうと思います。酒が飲めればなぁ、今のところひたすら自制あるのみで、無念!雨模様の空でも、時々キラリと光る雲間が美しく見えます。キッチンからでも見えていたのかと、今更ながらに感じ入った次第です。

 

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